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私の知らない、夫の情熱の果て
その日は、抜けるような青空だった。
ザイル伯爵家の庭園には、私が手入れを欠かさなかった白い薔薇が誇らしげに咲き誇っていた。それなのに、邸内から響いた叫び声は、その平穏をあまりにも無残に引き裂いた。
「旦那様! 旦那様が……!」
駆け寄った寝室の扉の向こう、私は見てはならないものを見てしまった。
白いシーツが赤黒く染まり、そこには夫であるパトリス様が倒れていた。彼の胸には、見慣れない華美な短剣が深々と突き立てられている。
傍らで泣き叫び、使用人たちに取り押さえられているのは、私が「夫の遠い親戚で、身寄りのない不幸な娘」と紹介され、侍女として受け入れたはずの女だった。
「どうして……どうして私を見てくれないの! あんな人形みたいな奥様じゃなくて、私を、私だけを愛してるって言ったじゃない!」
女の絶叫が、耳の奥にこびりついて離れない。
私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
パトリス様。二歳年上の、優しく穏やかだった私の夫。十五歳で婚約し、十八歳で結婚して二年。私たちは、政略結婚なりに静かな信頼関係を築いていると思っていた。
夜の営みも、淡々としてはいたけれど、彼はいつも私を気遣ってくれていた。……少なくとも、私はそう思っていた。
(……ああ。あなたって本当はそんなにも、情熱的な方だったのね)
冷たくなっていく夫の顔を見つめながら、私は場違いな感想を抱いた。
刺し殺されるほど、女に狂わされる一面が彼にあったのだ。
私には一度も見せたことのない、命を奪われるほどの激しい執着を、彼は別の女と共有していた。
悲しみよりも先に、冷ややかな空虚さが胸を満たした。
私は、この人の何を愛し、何を信じていたのだろう。
――これが、私の最初の結婚の終焉だった。
事件の後の処理は、事務的で、それでいて残酷だった。
「不倫の末の刺殺」という醜聞は瞬く間に王都に広まり、ザイル伯爵家は嘲笑の的となった。親族会議に呼び出された私は、まだ後継ぎをなせていないことを理由に、まるで汚物でも払うかのように実家へと追い返された。
バークレー伯爵家の私の部屋で、私は何度目かの深いため息をつく。
窓の外を見れば、平和な日常が流れている。けれど、私の内側は空っぽだった。
「私の、二年間の生活は何だったのかしら」
ふと漏れた呟きが、静かな部屋に溶けて消える。
パトリス様の隣で微笑んでいた時間。彼の体調を気遣い、彼の好みに合わせて花を生けていた日々。それらすべてが、あの女の絶叫一つで「欺瞞」に塗り替えられてしまった。
彼が私の手を取る時、彼はあの子の指先を思い出していたのだろうか。
私との穏やかな食事の間、彼はあの子との情熱的な逢瀬を待ちわびていたのだろうか。
考えれば考えるほど、自分が道化のように思えてくる。
「私、男運が悪いのね。……いえ、男を見る目がないのかしら」
十五歳から彼だけを見てきた。彼との未来を疑わなかった。
それがこんな、滑稽な結末を迎えるなんて。
亡くなった夫を想って泣くことさえできない。あるのはただ、底なしの虚脱感だけ。
せめて次は、愛されなくてもいい。裏切られても、殺されるほどの情熱を他所に向けられるような、そんな惨めな思いだけはしたくない。
ただ静かに、誰にも踏み荒らされない平穏な場所で、ゆっくりと枯れていきたい。
二十歳にして未亡人となった私の唯一の願いは、そんな慎ましやかなものだった。
___________
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ザイル伯爵家の庭園には、私が手入れを欠かさなかった白い薔薇が誇らしげに咲き誇っていた。それなのに、邸内から響いた叫び声は、その平穏をあまりにも無残に引き裂いた。
「旦那様! 旦那様が……!」
駆け寄った寝室の扉の向こう、私は見てはならないものを見てしまった。
白いシーツが赤黒く染まり、そこには夫であるパトリス様が倒れていた。彼の胸には、見慣れない華美な短剣が深々と突き立てられている。
傍らで泣き叫び、使用人たちに取り押さえられているのは、私が「夫の遠い親戚で、身寄りのない不幸な娘」と紹介され、侍女として受け入れたはずの女だった。
「どうして……どうして私を見てくれないの! あんな人形みたいな奥様じゃなくて、私を、私だけを愛してるって言ったじゃない!」
女の絶叫が、耳の奥にこびりついて離れない。
私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
パトリス様。二歳年上の、優しく穏やかだった私の夫。十五歳で婚約し、十八歳で結婚して二年。私たちは、政略結婚なりに静かな信頼関係を築いていると思っていた。
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(……ああ。あなたって本当はそんなにも、情熱的な方だったのね)
冷たくなっていく夫の顔を見つめながら、私は場違いな感想を抱いた。
刺し殺されるほど、女に狂わされる一面が彼にあったのだ。
私には一度も見せたことのない、命を奪われるほどの激しい執着を、彼は別の女と共有していた。
悲しみよりも先に、冷ややかな空虚さが胸を満たした。
私は、この人の何を愛し、何を信じていたのだろう。
――これが、私の最初の結婚の終焉だった。
事件の後の処理は、事務的で、それでいて残酷だった。
「不倫の末の刺殺」という醜聞は瞬く間に王都に広まり、ザイル伯爵家は嘲笑の的となった。親族会議に呼び出された私は、まだ後継ぎをなせていないことを理由に、まるで汚物でも払うかのように実家へと追い返された。
バークレー伯爵家の私の部屋で、私は何度目かの深いため息をつく。
窓の外を見れば、平和な日常が流れている。けれど、私の内側は空っぽだった。
「私の、二年間の生活は何だったのかしら」
ふと漏れた呟きが、静かな部屋に溶けて消える。
パトリス様の隣で微笑んでいた時間。彼の体調を気遣い、彼の好みに合わせて花を生けていた日々。それらすべてが、あの女の絶叫一つで「欺瞞」に塗り替えられてしまった。
彼が私の手を取る時、彼はあの子の指先を思い出していたのだろうか。
私との穏やかな食事の間、彼はあの子との情熱的な逢瀬を待ちわびていたのだろうか。
考えれば考えるほど、自分が道化のように思えてくる。
「私、男運が悪いのね。……いえ、男を見る目がないのかしら」
十五歳から彼だけを見てきた。彼との未来を疑わなかった。
それがこんな、滑稽な結末を迎えるなんて。
亡くなった夫を想って泣くことさえできない。あるのはただ、底なしの虚脱感だけ。
せめて次は、愛されなくてもいい。裏切られても、殺されるほどの情熱を他所に向けられるような、そんな惨めな思いだけはしたくない。
ただ静かに、誰にも踏み荒らされない平穏な場所で、ゆっくりと枯れていきたい。
二十歳にして未亡人となった私の唯一の願いは、そんな慎ましやかなものだった。
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