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【春】思い出の卵焼き1
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僕の暮らす学生寮には不思議な寮母さんがいる。
朝、寮母さんは誰よりも早起きだ。
僕たち生徒が起床する頃には全員分の朝食を作り終え、いつでも食べられるように準備しておいてくれる。そして登校する時間には決まって玄関の掃き掃除をしていた。
竹箒を手にした寮母さんは着物に白い割烹着姿。働いているくらいだから成人しているはずなのに、それよりもずっと若く見える。けど誰も、寮母さんの本当の年齢を知らない。
「おはようございます。西木さん」
西木縁、それが僕の名前。
僕の存在に気づいた寮母さんは、わざわざ手を止めて挨拶をしてくれる。成人しているのだとしたら童顔で、それも愛嬌のある笑顔だと思う。
それにしてもだ。この春僕が入寮して以来数日、寮母さんはいつ見かけても着物である。初めて目にした時には思わずいつの時代だよと言いたくもなったが、黙って言葉を呑み込んだのはあまりにも似合っていたからだ。
「井上さんに藤田さん、おはようございます」
寮母さんは僕にしたのと同じように後からやってきた生徒に挨拶をする。クラスメイトの井上と藤田は必要最低限のエネルギーで答えた僕とは違って元気に返事をしていた。
寮母さんは挨拶を欠かさない。それも当たり前のように寮生全員の名前と顔を覚えていた。
「二人とも偉い! 今日はちゃんと寝坊せず起きられたんですね」
褒められた二人は得意げに顔を見合わせる。
「俺たちだって本気出せば、なあ?」
「そうそう!」
おそらく三人の間には僕の知らないやり取りがあったに違いない。でも別に知りたいとは思わない。軽快なやり取りを横目に、僕は一刻も早くこの場から立ち去る方法だけを考えていた。
いきなり無言で立ち去るのも感じが悪いか……。
一刻も早く早く会話が終わることを祈った。
「でも、遅刻をしなくなってこそ初めて成果が表れるんですよ。ほら、早くしないと……」
「やべっ! 急ぐぞ藤田」
「だなっ! 行ってきます寮母さん!」
「行ってらっしゃい」
「西木も急いだほうが良いぜ!」
去り際に井上は肩を叩いてくれた。出会って間もない僕のことまで気にかけてくれるクラスメイトのことは純粋に良い奴だと思う。でも僕は……僕は捻くれているんだ。
「西木さん? どうかしましたか?」
僕なんてまだ友達も出来てない。学校にも、クラスにも、寮生活にだって馴染めていない。そもそも一人暮らしだって喜んでみたら寮生活だし!
「西木さーん? 学校、遅刻しちゃいますよ」
僕はしつこく呼びかける寮母さんの方を見た。元気に明るく笑顔で、僕とは正反対の要素を三拍子揃えたこの寮母さんが僕は苦手だ。
僕は、望んでここにいるんわけじゃやない。なんだよ……楽しくもない仕事にへらへら笑ってさ……
「別に、遅刻したっていいよ。行っても楽しくないし」
「そう言わずに。ほら、急いで急いで!」
急かす寮母さんに僕はますます登校する気を失った。むしろこのまま仮病でも使って部屋に逆戻りする計画まで立てている。そんな僕の考えを阻止しようというのか、寮母さんはある条件を突きつけてきた。
「もし頑張って教室まで走ってくれるのなら、今日のお夕飯には西木さんの好きなおかずを一品用意しましょう!」
寮母さんは得意げに言った。まさかとは思うけど、取引のつもりなんだろうか。そんなことで男子高校生が釣られると、本気で思っているんだろうか。
着物のせいか大人びていて、落ち着いた人だと勝手に解釈していたけど、案外子どもっぽい人なのかもしれない。
そして僕のテンションは明らかに下がっている。よくもそんなことが軽々しく言えたものだと苛立ちすら募った。
僕の好物は二度と食べられないのに……
「母さんの卵焼き」
「え?」
「亡くなった母さんが作ってくれた卵焼きが食べたい。同じ味のやつ……」
やってしまった……。食べられるわけがないのに、どうしてこんなことを言ってしまったのか。捻くれているにもほどがある。
朝からしんみりするのもこの人のせいだ。いや、意地悪な回答した僕にも責任はあるけどさ。なんだよ、僕が大人げない奴みたいじゃないか。
でも、大好きだったんだ。母さんが僕のためだけに作ってくれた卵焼きが……。
「なんでもないです。今の話は忘れて下さい」
僕は寮母さんから逃げるように足を動かした。僕は大人だから、気まずくなった会話を切り上げてあげるんだ。重たい空気を背負ったまま自室に戻るわけにもいかず、僕は仕方なく登校することにする。そんな僕の背に向けて、寮母さんは声を張り上げた。
「西木さん! お夕飯、楽しみにしていて下さいね!」
清々しいほどに快諾された僕は驚いて振り返る。すると寮母さんは同じ笑顔で手を振っていた。どんな味だったのか、僕はヒントさえ与えていない。それなのに任せろとでもいうような表情を浮かべている。
なんなんだこの人は……
うっかり食べたい物を口走ってしまった僕は不本意ながら教室まで走ることになった。
朝、寮母さんは誰よりも早起きだ。
僕たち生徒が起床する頃には全員分の朝食を作り終え、いつでも食べられるように準備しておいてくれる。そして登校する時間には決まって玄関の掃き掃除をしていた。
竹箒を手にした寮母さんは着物に白い割烹着姿。働いているくらいだから成人しているはずなのに、それよりもずっと若く見える。けど誰も、寮母さんの本当の年齢を知らない。
「おはようございます。西木さん」
西木縁、それが僕の名前。
僕の存在に気づいた寮母さんは、わざわざ手を止めて挨拶をしてくれる。成人しているのだとしたら童顔で、それも愛嬌のある笑顔だと思う。
それにしてもだ。この春僕が入寮して以来数日、寮母さんはいつ見かけても着物である。初めて目にした時には思わずいつの時代だよと言いたくもなったが、黙って言葉を呑み込んだのはあまりにも似合っていたからだ。
「井上さんに藤田さん、おはようございます」
寮母さんは僕にしたのと同じように後からやってきた生徒に挨拶をする。クラスメイトの井上と藤田は必要最低限のエネルギーで答えた僕とは違って元気に返事をしていた。
寮母さんは挨拶を欠かさない。それも当たり前のように寮生全員の名前と顔を覚えていた。
「二人とも偉い! 今日はちゃんと寝坊せず起きられたんですね」
褒められた二人は得意げに顔を見合わせる。
「俺たちだって本気出せば、なあ?」
「そうそう!」
おそらく三人の間には僕の知らないやり取りがあったに違いない。でも別に知りたいとは思わない。軽快なやり取りを横目に、僕は一刻も早くこの場から立ち去る方法だけを考えていた。
いきなり無言で立ち去るのも感じが悪いか……。
一刻も早く早く会話が終わることを祈った。
「でも、遅刻をしなくなってこそ初めて成果が表れるんですよ。ほら、早くしないと……」
「やべっ! 急ぐぞ藤田」
「だなっ! 行ってきます寮母さん!」
「行ってらっしゃい」
「西木も急いだほうが良いぜ!」
去り際に井上は肩を叩いてくれた。出会って間もない僕のことまで気にかけてくれるクラスメイトのことは純粋に良い奴だと思う。でも僕は……僕は捻くれているんだ。
「西木さん? どうかしましたか?」
僕なんてまだ友達も出来てない。学校にも、クラスにも、寮生活にだって馴染めていない。そもそも一人暮らしだって喜んでみたら寮生活だし!
「西木さーん? 学校、遅刻しちゃいますよ」
僕はしつこく呼びかける寮母さんの方を見た。元気に明るく笑顔で、僕とは正反対の要素を三拍子揃えたこの寮母さんが僕は苦手だ。
僕は、望んでここにいるんわけじゃやない。なんだよ……楽しくもない仕事にへらへら笑ってさ……
「別に、遅刻したっていいよ。行っても楽しくないし」
「そう言わずに。ほら、急いで急いで!」
急かす寮母さんに僕はますます登校する気を失った。むしろこのまま仮病でも使って部屋に逆戻りする計画まで立てている。そんな僕の考えを阻止しようというのか、寮母さんはある条件を突きつけてきた。
「もし頑張って教室まで走ってくれるのなら、今日のお夕飯には西木さんの好きなおかずを一品用意しましょう!」
寮母さんは得意げに言った。まさかとは思うけど、取引のつもりなんだろうか。そんなことで男子高校生が釣られると、本気で思っているんだろうか。
着物のせいか大人びていて、落ち着いた人だと勝手に解釈していたけど、案外子どもっぽい人なのかもしれない。
そして僕のテンションは明らかに下がっている。よくもそんなことが軽々しく言えたものだと苛立ちすら募った。
僕の好物は二度と食べられないのに……
「母さんの卵焼き」
「え?」
「亡くなった母さんが作ってくれた卵焼きが食べたい。同じ味のやつ……」
やってしまった……。食べられるわけがないのに、どうしてこんなことを言ってしまったのか。捻くれているにもほどがある。
朝からしんみりするのもこの人のせいだ。いや、意地悪な回答した僕にも責任はあるけどさ。なんだよ、僕が大人げない奴みたいじゃないか。
でも、大好きだったんだ。母さんが僕のためだけに作ってくれた卵焼きが……。
「なんでもないです。今の話は忘れて下さい」
僕は寮母さんから逃げるように足を動かした。僕は大人だから、気まずくなった会話を切り上げてあげるんだ。重たい空気を背負ったまま自室に戻るわけにもいかず、僕は仕方なく登校することにする。そんな僕の背に向けて、寮母さんは声を張り上げた。
「西木さん! お夕飯、楽しみにしていて下さいね!」
清々しいほどに快諾された僕は驚いて振り返る。すると寮母さんは同じ笑顔で手を振っていた。どんな味だったのか、僕はヒントさえ与えていない。それなのに任せろとでもいうような表情を浮かべている。
なんなんだこの人は……
うっかり食べたい物を口走ってしまった僕は不本意ながら教室まで走ることになった。
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