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本編
十三話 辺境伯令息ベルナール
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今から一年半ほど前のことだ。
ベルナールは、母であるへレーネ・オプスキュリテ辺境伯夫人に命じられた。
へレーネの執務室で、書類仕事の指導を受けている時のことだった。
「ベルナール。デビュタントついでに王家を滅ぼせ」
「は?何をおっしゃっているんですか?」
戸惑うベルナールに、へレーネは淡々と説明する。
へレーネは、銀髪金眼の小柄で儚い印象の美女だ。だが、それは見た目と戦闘能力に関してのみ。
農業改革でオプスキュリテ辺境伯領の自給率を上げ、交易においては元からあった特産品や新たな特産品で利益を上げ、各国や諸侯との折衝も一手にこなす。
夫であるオプスキュリテ辺境伯とも仲睦まじく、領民から絶大な信頼と敬愛を抱かれている女傑である。
ベルナールは口を挟めず聞くに徹した。
「王家と高位貴族の大半が腐り切っていることは知っているな?中でも国王とリュミエール公爵家の専横は目に余る。
国王は政務を重臣に押し付け、血税をつかって色欲と酒食に耽るばかり。おまけに臣下の妻子にも手を出し、抵抗されれば冤罪を被せて破滅させる外道だ。
リュミエール公爵家は、領民に重税を課して還元していない。毎年数百人の餓死者を出している。また、家臣や使用人に対する虐待は惨たらしいものだ。他にも様々な余罪がある。
私たちのような地方を守る領主たちほど、危機感と不満が溜まっている。このままでは内乱が起こるだろう。
だが、現時点で王国が滅ぶのは、オプスキュリテ辺境伯家にとっても東の隣国にとっても都合が悪い。
腐った王家と高位貴族だけを滅ぼして、王国自体は存続させたいのだ」
へレーネは、他にも様々な理由とそれらの背景を話した。
「そして、最も相応しい男が次の王になることを了承した。私とグレゴワールが口説き落としたのだ。誰だと思う?」
「母上と父上が口説くほど気に入っていて、王に相応しい人物というと……宰相のブリュイアール侯爵ですか?国政に深く関わっていますし、人望もある」
会ったことはないが、王がすべき執務の大部分を担っていること、地方貴族家にも敬意を表する人物であること、令息令嬢もまた有能であることは知っている。
特に嫡男のクレマン・ブリュイアール侯爵令息は有能だ。すでに宰相補佐として辣腕をふるっている。
また、ブリュイアール侯爵家は歴史が古い。王族も降嫁したことがある名家だ。新たな王家に相応しいだろう。
「その通りだ。と、言うか彼しかいないので、計画を立てて進行させている。
計画は順調だ。恐らく上手く行くだろうが……不安が一つだけある。
国王は愚かだ。女と食い物と酒にしか興味がない。だが、昔から妙に勘が鋭いところがある。それは、国王の妹であるリュミエール公爵夫人もそうだ」
へレーネにとって二人は、己と己の母を虐げた異母兄弟だ。
前王はへレーネの賢さに気づいていたし、へレーネ親子をそれなりに慈しんでいた。教育をほどこし、良い縁談や財産を与えようとした。が、ことごとく二人に邪魔をされたという。
二人は自分たちの悪事が露見しかけると察知し、証拠を消したり裏切り者を見つけ出して始末してきたのだという。
王家一の忠臣であったブリュイアール侯爵を重んじていたのも、国王の勘の良さ故だそうだ。
「王家を滅ぼすギリギリまで、奴らの意識を他に逸らしたい。
そこでお前だ」
「はあ」
ベルナールは気のない返事をした。この話と自分がどう関わるのかわからない。
「奴らは愚かで色ボケだが勘がいい。油断できない。
しかし、リュミエール公爵令嬢を溺愛している。
ご令嬢は、かなり傲慢で我儘だ。周囲を巻き込んで要らんことばかりしている。
最近ではブリュイアール侯爵令息を婚約者にするため、王命を出させようとした。国王も乗り気だったとか」
王命は、国王の持つ権限の中で最も重いものだ。
たとえどのように下らない内容でも断れない。断った瞬間、反逆者となる。しかも、本人だけでなく一族郎党が拘束され処刑されるのだ。
「とんでもないご令嬢ですね」
へレーネはニヤリと悪辣に笑った。
「ああ。その我儘が原因で、ブリュイアール侯爵が王家を見限った。最大の忠臣だったというのにな。
……可愛い姪が絡むと、あの国王の勘も鈍るらしい。ご令嬢も、叔父と母親の勘の良さを受け継がなかったようだ」
「では、リュミエール公爵令嬢を利用するのですか?」
「うむ。お前は王都のデビュタントの夜会に出席し、同席するリュミエール公爵令嬢に惚れられろ」
「は?おっしゃっている意味がわかりません。まさか、私に男娼の真似事をしろと?」
思わず殺気を込めて睨む。大型魔獣も怯む眼光だ。しかし、へレーネは動じずに呆れた顔をする。
「可愛い息子にそんな事をさせるわけないだろ。
お前はただ、リュミエール公爵令嬢の前で笑えばいい。
令嬢は勝手に恋に堕ちて、周りを巻き込んで暴走するだろう」
「笑うだけでいい。ですか」
ベルナールは確かにモテる。母へレーネから美貌を、父グレゴワールから雄々しい凛々しさを受け継いだ。
だが、本人にはあまり自覚がない。多少は見目がいいらしいが、婚約者である紅芳以外には気の利いた言葉一つ浮かばない無骨者だ。
女が寄ってくるのはオプスキュリテ辺境伯家の令息だからだと思っている。
これを弟妹に話すと「これだから兄上は……」と、呆れられるが。
「そもそも、すでに婚約者がいる公爵令嬢がなびくとは思えないのですが」
「お前は自分の顔の良さを過小評価し過ぎだ」
「母上は過大評価し過ぎではないでしょうか?」
へレーネは口の端を吊り上げる。
「賭けてもいい。お前が笑うだけで、公爵令嬢アレクサンドラ・リリーシア・リュミエールは恋に堕ちる。そして破滅するだろう」
ベルナールは半信半疑のまま王都に旅立ち、夜会に出席した。
デビュタントの夜会当日。
国王はオプスキュリテ辺境伯家を嫌っているので、嘘の開始時間を指定されるという嫌がらせを受けた。
幼稚さに呆れつつ、本当の開始時間ギリギリに入場する。
『遅れて入場した方が注目されるだろう』という母の指示だ。確かに、ベルナールは参加者の耳目を集めた。
(視線も噂話もあからさまだ。浮ついた令息令嬢が多いな。そんなに俺の顔は珍しいのだろうか?それなりに整っているらしいが、父ほど逞しくもないというのに不思議だ)
ベルナールは参加者を観察しつつ進む。アレクサンドラらしき令嬢の姿も確認出来た。
(なるほど。聞いていた以上に傲慢で浅慮そうな人物だな。淑女らしく振る舞っているつもりらしいが粗も多い。
しかも何だあの気色悪い視線は。不快だ)
ベルナールは自分からは近づかないと決めた。国王に挨拶した後は、親交を深めておきたい令息たちと交流する。
(向こうも、わざわざ寄っては来ないだろう)
いくらこちらを見ていたとはいえ、アレクサンドラは家族ぐるみでオプスキュリテ辺境伯領を蔑んでいる。また、婚約者であるクレマンにエスコートされているのだ。
こちらに近づかないだろう。そう思っていたが……。
アレクサンドラはクレマンを追い出し、自分に話しかけた。
「連れが退出してしまって困っているの。せっかくの夜会だというのに、壁の花になっては恥になるわ。
だから貴方、私をエスコートなさい」
(ブリュイアール侯爵令息は貴様が追い出したんだろうが。白々しい)
断られると思ってなさそうな様子に、内心で軽蔑しつつ返答した。
「お断りいたします。私がエスコートをするのも、ダンスを踊るのも、この世にただ一人。
私の婚約者だけです」
ベルナールは、アレクサンドラを激しく嫌悪した。
周囲を見下し、己の欲望と自尊心を満たすこと以外なにも考えてない傲慢さ。
自ら望んだ婚約者であるクレマンを蔑ろにし、虐げるさまの悪辣さ。
そしてこちらを値踏みする視線は、不快を通りこして醜悪極まりない。
(そもそも、紅芳以外をエスコートするなんて考えたくもない)
ベルナールの返答に、アレクサンドラの淑女の笑みに綻びが入る。本人は取り繕っているつもりらしいが、あまりに拙くて呆れた。
「まあ。婚約者がいたのね。お姿は見えないようだけど……」
「ええ。婚約者は出席しておりません」
「どうして?」
「まだデビュタントを迎えておりませんので」
紅芳はまだ15歳だ。王都の夜会には出席できない。
本当は、ベルナールのデビュタントの夜会はオプスキュリテ辺境伯領で開催し、紅芳をエスコートするはずだったのにと、苦々しく思う。
「そう。この場にいないのに、貴方の行動を制限するほど嫉妬深い方なのかしら?」
(この不快な生き物は、紅芳を貶める気か)
貞操観念のしっかりしているオプスキュリテ辺境伯領や東の隣国では考えられないことだが、王国の社交界は浮気や不倫に寛容だ。
嫉妬深い女性は不寛容で見苦しいと言われる。
だからこそ、愛妾の子であるへレーネが王女として扱われたという側面もあるが、ベルナールとしては信じられない価値観だ。
馬鹿馬鹿しいが、紅芳を悪く言われるのは不快だ。かと言って、この不快な生き物のエスコートは絶対にしたくない。
だからベルナールはこう言った。
「いいえ。我が婚約者は寛容で嫉妬とは無縁です。
私が彼女以外をエスコートしたくない。ただそれだけです」
ザワッと周りがどよめいた。アレクサンドラの命令を明確に断ったからだろう。
(今まで自分の思い通りにならないことは無かったのだろうな。怒りを必死に抑えているつもりだろうが、顔がゆがんでいる。
もういい。母上の意図には反するが、この場から離れよう。愛想笑いすら出来そうにない)
そう思っていたが。
「……そう。こんなにも想われるなんて、貴方の婚約者は幸せ者ね」
その言葉に、ベルナールの胸の内があたたかい感情でいっぱいになった。自然に笑みが浮かぶ。
(紅芳は俺と婚約して幸せ。嬉しい。そうだったら良い。
不快な生き物にしては、良いことを言うじゃないか)
「そう仰って頂けて嬉しく思います。婚約者は私の最愛で唯一。私は、彼女にとって最良の婚約者でありたいのです」
ベルナールはいい気分で、今度こそ会場を去った。
特に興味もないので、アレクサンドラの反応はよく見ていなかった。
へレーネの目論見は外れたなと考えていたが、離れた場所で見守っていた従者たちによると違うらしかった。
ベルナールは、母であるへレーネ・オプスキュリテ辺境伯夫人に命じられた。
へレーネの執務室で、書類仕事の指導を受けている時のことだった。
「ベルナール。デビュタントついでに王家を滅ぼせ」
「は?何をおっしゃっているんですか?」
戸惑うベルナールに、へレーネは淡々と説明する。
へレーネは、銀髪金眼の小柄で儚い印象の美女だ。だが、それは見た目と戦闘能力に関してのみ。
農業改革でオプスキュリテ辺境伯領の自給率を上げ、交易においては元からあった特産品や新たな特産品で利益を上げ、各国や諸侯との折衝も一手にこなす。
夫であるオプスキュリテ辺境伯とも仲睦まじく、領民から絶大な信頼と敬愛を抱かれている女傑である。
ベルナールは口を挟めず聞くに徹した。
「王家と高位貴族の大半が腐り切っていることは知っているな?中でも国王とリュミエール公爵家の専横は目に余る。
国王は政務を重臣に押し付け、血税をつかって色欲と酒食に耽るばかり。おまけに臣下の妻子にも手を出し、抵抗されれば冤罪を被せて破滅させる外道だ。
リュミエール公爵家は、領民に重税を課して還元していない。毎年数百人の餓死者を出している。また、家臣や使用人に対する虐待は惨たらしいものだ。他にも様々な余罪がある。
私たちのような地方を守る領主たちほど、危機感と不満が溜まっている。このままでは内乱が起こるだろう。
だが、現時点で王国が滅ぶのは、オプスキュリテ辺境伯家にとっても東の隣国にとっても都合が悪い。
腐った王家と高位貴族だけを滅ぼして、王国自体は存続させたいのだ」
へレーネは、他にも様々な理由とそれらの背景を話した。
「そして、最も相応しい男が次の王になることを了承した。私とグレゴワールが口説き落としたのだ。誰だと思う?」
「母上と父上が口説くほど気に入っていて、王に相応しい人物というと……宰相のブリュイアール侯爵ですか?国政に深く関わっていますし、人望もある」
会ったことはないが、王がすべき執務の大部分を担っていること、地方貴族家にも敬意を表する人物であること、令息令嬢もまた有能であることは知っている。
特に嫡男のクレマン・ブリュイアール侯爵令息は有能だ。すでに宰相補佐として辣腕をふるっている。
また、ブリュイアール侯爵家は歴史が古い。王族も降嫁したことがある名家だ。新たな王家に相応しいだろう。
「その通りだ。と、言うか彼しかいないので、計画を立てて進行させている。
計画は順調だ。恐らく上手く行くだろうが……不安が一つだけある。
国王は愚かだ。女と食い物と酒にしか興味がない。だが、昔から妙に勘が鋭いところがある。それは、国王の妹であるリュミエール公爵夫人もそうだ」
へレーネにとって二人は、己と己の母を虐げた異母兄弟だ。
前王はへレーネの賢さに気づいていたし、へレーネ親子をそれなりに慈しんでいた。教育をほどこし、良い縁談や財産を与えようとした。が、ことごとく二人に邪魔をされたという。
二人は自分たちの悪事が露見しかけると察知し、証拠を消したり裏切り者を見つけ出して始末してきたのだという。
王家一の忠臣であったブリュイアール侯爵を重んじていたのも、国王の勘の良さ故だそうだ。
「王家を滅ぼすギリギリまで、奴らの意識を他に逸らしたい。
そこでお前だ」
「はあ」
ベルナールは気のない返事をした。この話と自分がどう関わるのかわからない。
「奴らは愚かで色ボケだが勘がいい。油断できない。
しかし、リュミエール公爵令嬢を溺愛している。
ご令嬢は、かなり傲慢で我儘だ。周囲を巻き込んで要らんことばかりしている。
最近ではブリュイアール侯爵令息を婚約者にするため、王命を出させようとした。国王も乗り気だったとか」
王命は、国王の持つ権限の中で最も重いものだ。
たとえどのように下らない内容でも断れない。断った瞬間、反逆者となる。しかも、本人だけでなく一族郎党が拘束され処刑されるのだ。
「とんでもないご令嬢ですね」
へレーネはニヤリと悪辣に笑った。
「ああ。その我儘が原因で、ブリュイアール侯爵が王家を見限った。最大の忠臣だったというのにな。
……可愛い姪が絡むと、あの国王の勘も鈍るらしい。ご令嬢も、叔父と母親の勘の良さを受け継がなかったようだ」
「では、リュミエール公爵令嬢を利用するのですか?」
「うむ。お前は王都のデビュタントの夜会に出席し、同席するリュミエール公爵令嬢に惚れられろ」
「は?おっしゃっている意味がわかりません。まさか、私に男娼の真似事をしろと?」
思わず殺気を込めて睨む。大型魔獣も怯む眼光だ。しかし、へレーネは動じずに呆れた顔をする。
「可愛い息子にそんな事をさせるわけないだろ。
お前はただ、リュミエール公爵令嬢の前で笑えばいい。
令嬢は勝手に恋に堕ちて、周りを巻き込んで暴走するだろう」
「笑うだけでいい。ですか」
ベルナールは確かにモテる。母へレーネから美貌を、父グレゴワールから雄々しい凛々しさを受け継いだ。
だが、本人にはあまり自覚がない。多少は見目がいいらしいが、婚約者である紅芳以外には気の利いた言葉一つ浮かばない無骨者だ。
女が寄ってくるのはオプスキュリテ辺境伯家の令息だからだと思っている。
これを弟妹に話すと「これだから兄上は……」と、呆れられるが。
「そもそも、すでに婚約者がいる公爵令嬢がなびくとは思えないのですが」
「お前は自分の顔の良さを過小評価し過ぎだ」
「母上は過大評価し過ぎではないでしょうか?」
へレーネは口の端を吊り上げる。
「賭けてもいい。お前が笑うだけで、公爵令嬢アレクサンドラ・リリーシア・リュミエールは恋に堕ちる。そして破滅するだろう」
ベルナールは半信半疑のまま王都に旅立ち、夜会に出席した。
デビュタントの夜会当日。
国王はオプスキュリテ辺境伯家を嫌っているので、嘘の開始時間を指定されるという嫌がらせを受けた。
幼稚さに呆れつつ、本当の開始時間ギリギリに入場する。
『遅れて入場した方が注目されるだろう』という母の指示だ。確かに、ベルナールは参加者の耳目を集めた。
(視線も噂話もあからさまだ。浮ついた令息令嬢が多いな。そんなに俺の顔は珍しいのだろうか?それなりに整っているらしいが、父ほど逞しくもないというのに不思議だ)
ベルナールは参加者を観察しつつ進む。アレクサンドラらしき令嬢の姿も確認出来た。
(なるほど。聞いていた以上に傲慢で浅慮そうな人物だな。淑女らしく振る舞っているつもりらしいが粗も多い。
しかも何だあの気色悪い視線は。不快だ)
ベルナールは自分からは近づかないと決めた。国王に挨拶した後は、親交を深めておきたい令息たちと交流する。
(向こうも、わざわざ寄っては来ないだろう)
いくらこちらを見ていたとはいえ、アレクサンドラは家族ぐるみでオプスキュリテ辺境伯領を蔑んでいる。また、婚約者であるクレマンにエスコートされているのだ。
こちらに近づかないだろう。そう思っていたが……。
アレクサンドラはクレマンを追い出し、自分に話しかけた。
「連れが退出してしまって困っているの。せっかくの夜会だというのに、壁の花になっては恥になるわ。
だから貴方、私をエスコートなさい」
(ブリュイアール侯爵令息は貴様が追い出したんだろうが。白々しい)
断られると思ってなさそうな様子に、内心で軽蔑しつつ返答した。
「お断りいたします。私がエスコートをするのも、ダンスを踊るのも、この世にただ一人。
私の婚約者だけです」
ベルナールは、アレクサンドラを激しく嫌悪した。
周囲を見下し、己の欲望と自尊心を満たすこと以外なにも考えてない傲慢さ。
自ら望んだ婚約者であるクレマンを蔑ろにし、虐げるさまの悪辣さ。
そしてこちらを値踏みする視線は、不快を通りこして醜悪極まりない。
(そもそも、紅芳以外をエスコートするなんて考えたくもない)
ベルナールの返答に、アレクサンドラの淑女の笑みに綻びが入る。本人は取り繕っているつもりらしいが、あまりに拙くて呆れた。
「まあ。婚約者がいたのね。お姿は見えないようだけど……」
「ええ。婚約者は出席しておりません」
「どうして?」
「まだデビュタントを迎えておりませんので」
紅芳はまだ15歳だ。王都の夜会には出席できない。
本当は、ベルナールのデビュタントの夜会はオプスキュリテ辺境伯領で開催し、紅芳をエスコートするはずだったのにと、苦々しく思う。
「そう。この場にいないのに、貴方の行動を制限するほど嫉妬深い方なのかしら?」
(この不快な生き物は、紅芳を貶める気か)
貞操観念のしっかりしているオプスキュリテ辺境伯領や東の隣国では考えられないことだが、王国の社交界は浮気や不倫に寛容だ。
嫉妬深い女性は不寛容で見苦しいと言われる。
だからこそ、愛妾の子であるへレーネが王女として扱われたという側面もあるが、ベルナールとしては信じられない価値観だ。
馬鹿馬鹿しいが、紅芳を悪く言われるのは不快だ。かと言って、この不快な生き物のエスコートは絶対にしたくない。
だからベルナールはこう言った。
「いいえ。我が婚約者は寛容で嫉妬とは無縁です。
私が彼女以外をエスコートしたくない。ただそれだけです」
ザワッと周りがどよめいた。アレクサンドラの命令を明確に断ったからだろう。
(今まで自分の思い通りにならないことは無かったのだろうな。怒りを必死に抑えているつもりだろうが、顔がゆがんでいる。
もういい。母上の意図には反するが、この場から離れよう。愛想笑いすら出来そうにない)
そう思っていたが。
「……そう。こんなにも想われるなんて、貴方の婚約者は幸せ者ね」
その言葉に、ベルナールの胸の内があたたかい感情でいっぱいになった。自然に笑みが浮かぶ。
(紅芳は俺と婚約して幸せ。嬉しい。そうだったら良い。
不快な生き物にしては、良いことを言うじゃないか)
「そう仰って頂けて嬉しく思います。婚約者は私の最愛で唯一。私は、彼女にとって最良の婚約者でありたいのです」
ベルナールはいい気分で、今度こそ会場を去った。
特に興味もないので、アレクサンドラの反応はよく見ていなかった。
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