狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜

花房いちご

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第二王子ジャルル【1】

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 春の初め、カスティリア王国がルフランゼ王国を侵略した。
 よくある事だ。精強な辺境軍を有するアンジュール領とは違う領地を狙うのも、それを受けて国王がアンジュール領が有する辺境軍に遠征するよう命じるのも、いつも通りの事だった。

 だが、辺境軍は王命に従わなかった。そればかりか、第二王子が派遣した領官たちを国王への書状をつけて送り返す暴挙に出た。
 書状は二つあった。
 一つ目は、領官たちの悪行の記録と証拠となる資料をまとめたものだった。
 二つ目は、直訴状。いや、脅迫状であった。大意は以下の通りである。

『我らが敬愛する領主を冤罪によって貶めた挙句、悪政を持って領土を荒らした。
 これは、辺境軍およびアンジュール領の長年の忠義に対する侮辱である。
 我らはゴルハバル帝国に人質として差し出されたラズワート・ド・アンジュールの名誉回復と返還を要求する。
 要求に応じない限り、我らがルフランゼ王家に従うことはない』

 国王は激怒し、王城にいるアンジュール領出身者を捕らえようとした。しかし、彼らはどこにも居なかった。衛兵や騎士に探させようとするが、彼らのうち有能な者も大半がアンジュール領出身者かその関係者だ。彼らもやはり消えていいる。

「どういうことだ!貴様ら!部下の動向も把握しておらんのか!」

 口角から泡を吹いて叫ぶ国王。騎士団長と衛兵隊隊長は身をすくめるばかりだ。

「わ、わかりません。突然消えたとしか……各地に派遣している分隊も同様です」

 王族を守り有事の際は戦場におもむく王立騎士団は、近衛騎士隊から末端の見習いや下働きを含めて約五万人。うち、下級騎士を中心に約八千人が行方不明。
 王宮を守り王都の治安維持を担う衛兵団は、下働きを含め約二万人。うち、約二千人が煙のように消えた。
 王宮は瞬く間に機能停止状態となった。無理もない。騎士団長など役職のある者たちはいるが、彼らは普段から職務をアンジュール領出身の者たちに任せきりにし、遊興に耽っていた者たちである。宰相、大臣たち、官僚たちも同じだ。大雑把な指示だけ投げて仕事を押し付けていた下級官人たちがいなくなった。加えて、優秀な下女や下男なども居なくなっているせいで、王宮は見た目と衛生面でも崩壊した。
 国王は有能であった元宰相クレドゥール公爵とその家門を呼び戻そうとした。が、使い達は帰って来なかった。使い達は、まだまともな騎士達だったはずだ。それが帰って来ないのは異常だったが、逃げたか夜盗にでも倒されたかも判然としない。
 混乱したまま、アンジュール領が脅迫状を送りつけて五日経った。

「国王陛下!大変です!どうかお助け下さいませ!」

「どうしてこんな事に……!」

 侵略を受けていた領地の軍が蹴散らされ、カスティラ王国の支配下に置かれたと知らせが入る。戦いらしい戦いにはならず、逃げようとした領主一族は公開処刑、他の者も早々に投降するか逃げたという。その周辺の領地からも、救援要請を携えた早馬が次々と駆け込んだ。
 このままでは南西部の穀倉地帯全てが奪われる。他の地域も危うい。
 しかも、あの脅迫状含む二通の写しが国内のほぼ全ての貴族家に送りつけられていた。明らかに、辺境軍が遠征しないのは王家の対応のせいだと印象付けるためだ。
 ラズワート・ド・アンジュールの罪。それが、豊かになったアンジュール領を王家が奪う為の冤罪だったのは公然の秘密だ。

「陛下、誠に遺憾ですが……」

 誰もが、冤罪を認めてラズワートを返還させよと国王に嘆願した。
 国王は拒絶した。例え公然の秘密とはいえ認めて仕舞えば王家の威信は地に落ちる。特に、ラズワートを弾劾した第二王子の立場はなくなる。
 国王には王子と王女が合わせて十二人いたが、現在も五体満足で生きているのは、第二王子を含めて三人しかいない。うち一人はゴルハバル帝国に人質に出した王子で、もう一人は幼い王女だ。
 成人しているのは第二王子だけなので、つい先日立太子の儀も済ませてしまった。

「アンジュールの混じりもの共め!」

 国王の怒りと苦悩をよそに時は進む。脅迫状が届いて半月経つ頃には、南西部全域を侵略されてしまった。
 しかも、これまで抑えられていた各地の魔獣被害が活発化していく。救援要請が届いても何も出来ない。国王は使者を怒鳴りつけ追い出すばかりだ。
 怒鳴り続けて二十日が過ぎた。クレドゥール公爵家を含む複数の貴族家がアンジュール領への支持を大々的に表明した。
 国王はようやく、苦渋の決断を下す。

「ラズワート・ド・アンジュールは無実である。従って、第二王子ジャルルが行った弾劾は過ちであった。ジャルルは責任を取り、特使としてゴルハバル帝国へ向かい、アンジュール卿の返還を果たす」

 かくして、第二王子ジャルルはゴルハバル帝国まで旅立ったのだった。

◆◆◆◆◆

 ルフランゼ王国王都からゴルハバル帝国に入国するには、アンジュール領との国境を渡るルートが一番近い。先行した外務大臣一行が交渉した。

『アンジュール辺境伯返還のためならば通過して良い』

 回答を受け、ジャルルたち特使一行はアンジュール領へ向かった。それでも、王都から国境までは馬車で一ヶ月はかかる道のりだった。にも関わらず、ジャルルたちはわずか半月で国境に到着した。
 何頭もの名馬を使い潰す強行軍だった。ジャルル自身は、八頭立ての豪奢な馬車に乗っていた。他に、側近二名と従者三名が乗っている。その後ろをジャルルの衣装や食料を積んだ馬車が追従する。残りの側近二名、近衛騎士二十名は騎馬にて二台の馬車を護衛しながら並走した。

「全く!父上の弱気にも困ったものだ!」

 ジャルルは罪を償う形で特使となったが、全く反省していなかった。馬車の中の乱行は筆舌に尽くし難い。ジャルルたちは道中で見目麗しい少年少女を攫い、乱行に付き合わせた後は捨てていった。
 流石にアンジュール領内で攫うのは控えていたが、国境の城に到着した時も、アンジュール領に入る前に攫った少年少女を弄んでいた。

「飽きた。好きにしろ」

 側近に彼らの処理を任せ、城の中に入る。アンジュール領が管理する城なので、向けられる視線は剣呑だったが、無事に外務大臣がいる部屋まで案内された。

「ジャルル殿下!お、お早いご到着でございますね……」

 先行していた外務大臣一行は、ゴルハバル帝国側と交渉をしていた。和平を結んだとはいえ、国交は回復していない。入国と皇帝への謁見には許可がいるのだ。

「御託はいい。報告しろ」

「は、はは!」

 外務大臣の顔は絶望に染まっていた。震えながら、ジャルルに皇帝アリュシアンからの書状と誓約状を差し出す。
 ジャルルはまず書状を読み、投げ捨てた。そこには、おおよそこのような意味の文章が書いてあった。

『誓約書に調印し誓うなら、ジャルル王子の入国、皇宮への訪問、余との謁見を許可しよう。しかし、ジャルル王子は実績の乏しい若輩の身。まずは戦にて武勲を得るべきではないだろうか。よく考えてから行動なされよ』

 気づかった体で侮辱され、ジャルルは怒り狂った。外務大臣が余計なことを言ったに違いない。そう決めつけた。

「この役立たずが!」

「お、お許しくださ……ぎゃあああああ!」

 外務大臣の全身がズタズタに切り裂かれる。ジャルル得意の風魔法の攻撃だった。ルフランゼ王国王族は、魔法に優れた者が多い。特にジャルルは、強力な風魔法が使える上に発動までの時間が短かった。いま使った風の刃ならば、ほぼ念じるだけで相手を刻める。

「あああ!閣下ぁ!ジャルル殿下!おやめ下さ……!ぎぁあっ!いたっ!いだいいいっ!」

 止めようとした副官も同じように刻んだ。側近たちが縋り付いて取りなす。

「ジャルル王太子殿下!どうかお鎮まり下さい!」

「何はともあれ入国の許可を得たのです!一刻も早く進むべきです!」

「役立たずの処理はいつでもできます!」

「それもそうか」

 ジャルルはあっさりと魔法を止めた。虫の息の外務大臣たちを無視して誓約書を手に取る。
 これに調印すれば、この不快な役割も終わりだ。
 この度のアンジュール領の翻意は、ラズワートを差し出せば済む。反逆者共はジャルルの慈悲に感激し、カスティラ王国を撃退するだろう。
 特に、あのケダモノ混じりのラズワートは平伏して感謝し、忠誠を誓うだろう。そこまでするなら自分専用の奴隷、いや玩具にしてやってもいい。ジャルルは自分の離宮を持ち、何人もの奴隷を玩具と名づけて侍らせ、あらゆる欲望の捌け口にしていた。
 裸に剥いて首輪をつけ、部屋で飼ってやればさぞや喜ぶだろう。何個かの玩具に飽きたところだし、側近に下げ渡して入れ替えよう。気分転換にちょうどいい。
 ジャルルは単純にそう考えていたし、信じていた。何故なら、この世に己の思い通りにならないことなどないと、経験から知っているからだ。
 ジャルルが王太子になるのに邪魔だった者たち。正妃、異母兄弟姉妹、家臣は、側妃の一人であったジャルルの母が毒を盛るか事故に見せかけて始末したし、母が死んでからも自分の望みはただ命令するだけで叶った。
 だから誓約書を良く読まずに調印し、すぐさまゴルハバル帝国に入国して皇都に向かった。行って、皇帝に訴えれば全てが叶うと信じていた。
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