捜査一課 猟奇殺人犯捜査官 比嘉可南子 

繁村錦

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CHAPTER2

5

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 事件発生から今日で一週間が経つ。しかし、被疑者を特定するに繫がる有力な情報は、未だに得ることができなかった。寧ろ捜査は、暗礁に乗り上げた感が、捜査本部全体に漂っていた。
 この日の捜査方針を決定する朝一番の会議が始まる前、私は溜まった洗濯物を持って、東京湾岸中央署近くの二十四時間営業のコインランドリーを訪れた。桐畑班の結花子ちゃんと偶然鉢合わせとなった。

「ねえ、比嘉さん?」

 突然、結花子ちゃんが話し掛けてきた。

「どうしたの?」

「松原管理官管理官て、毎日四十五分も掛けて千葉県の自宅から、東京湾岸中央署に通っておられるんですって、私たちみたいに署に泊まればいいのに」

「そうね、でも本人は、千代田の警視庁より、十分ほど早く着けるって喜んでいたわ」

 私は、乾燥した洗濯物を持参したバッグの中へ取り込むと、

「お先ね。会議八時半から始まるから遅れないように」

 といって、コインランドリーを出た。

 私たち女性捜査員は、本庁、所轄を問わず、東京湾岸中央署の講堂と同じフロアにある小会議室に寝泊まりしていた。因みに男性捜査員は、最上階の道場に寝泊まりしていた。
 東京湾岸中央署に戻る途中、私はコンビニに立ち寄り、サンドイッチと百円コーヒーを購入した。無論、アイスコーヒーだ。これが本日の彼女の朝食だった。
 講堂に入り、いつも座る廊下側の一番前の席に座った。レジ袋を開け、サンドイッチとコーヒーを取り出した。コーヒーカップの蓋にストローを挿し、まずは一口含んだ。そして玉子サンドを頬張る。簡単な食事を終え、ゴミをレジ袋の中へ入れた。ゴミを捨てるため、一旦席を離れた。講堂後方に設置されたゴミ箱まで歩いて行く。途中、科学捜査係の人間が固まって座っている横を通った時、偶然にも彼らの会話が耳に入った。

「例のラッセンのシルクスクリーンの額の裏に書かれて血文字のDNA鑑定の結果が出た」

前科マエはあったのか?」

 中年男性捜査員が、聞き耳を立てる私の存在に気づき、

「上からまだ口止めされている。今日の捜査会議で発表されるそうだ。誰にもいうなよ、実は……」

 と二十代半ばと思われる捜査員の耳元で囁いた。最後の方はよく聞き取れなかった。
 私は、その中年男性捜査員に思い切って訊ねることにした。

「今の話、本当ですか」

 捜査員は躊躇いの表情を見せたが、

「比嘉警部補、今日の会議まではまだ口止めされているので、口外しないように」

 と念を押してから喋り出した。

「そのDNAの持ち主は、実はあなたの良く知る人物だった。あの小林清志だ。旧姓野瀬清志だ」

 私の背筋に怖気が走った。同時に、雷に打たれたような衝撃を受けた。

「本当なのぉっ!?」

 思わず声を荒げてしまった。
 捜査員が、唇の前で人差し指を立て、静かにするようにとジェスチャーで教える。私は、ごめんと小さく頷いた。科学捜査係の人間に一礼して、彼らの前から立ち去った。
 ゴミを捨てると、そのまま講堂を出て、廊下の突き当たりにある女子トイレへ入った。持参したポーチの中から歯磨きセットを取り出し、歯を磨く。用を足したあと、講堂に戻り再び自分の席に座った。
 昨日始まった生理の所為か、それともついさっき聞いた小林清志という名前の所為か、私の気分は優れなかった。
 ポーチの中から痛み止めの錠剤を取り出すと、一旦席を立った。後方に備え付けのポットに紙コップを置き、白湯を注いで錠剤を飲んだ。
 数分後、前方の引き戸が開き、資料を手にした松原管理官が捜査員たちの前に現れた。十分の遅刻だ。司会進行役の桜庭さんが居並ぶ捜査員たちを見回し、徐にマイクを手に取った。

「これより捜査会議を始める。起立、敬礼っ」

 号令と共に、この日出払っていてこの場に居ない捜査員を除く二十名ほどの人間が、一斉に立ち上がり、敬礼した。

「着席っ」

「会議を始める前に、本日は皆に重要な知らせがある」

 マイクを手に取った松原管理官が突然宣言した。
 私には凡その見当がついていた。先ほど科学捜査一係の人間がいっていたことに違いない。

「昨日、例の版画の額縁の裏に付着していた血文字のDNAが判明したので、科捜係の方から報告がある。新見係長、はじめてくれ」

 科学捜査係員が固まって座っている列の中ほどで、一人の中年男性が立ちあがった。先ほど私に、特別に内緒で教えてくれたあの捜査員だ。科学捜査一係の新見喜代彦警部である。
 新見さんは、講堂内を見回し、会議に出席する捜査員たちに一礼すると、前方へ向かって歩き出した。桜庭さんさんからマイクを受け取る。

「額縁の裏に付着していた血文字のDNAに付いてですが、前科マエがありました。結論から申しあげますと、小林清志、旧姓野瀬清志のもので間違いありません」

 新見さんは、科捜研が提出した検査報告書の原本を手前に掲げ、捜査員たちに提示した。
 講堂の後ろの方では、ざわざわと動き出す者もいた。

「よって本件の被疑者を小林清志と特定し、全国に指名手配する。十年前、実母野瀬佐和子を殺害した小林清志は、家庭裁判所で医療少年院送致が相当と判断され、身柄を関東医療少年院に収容された。二年前、少年院を仮退院し、昨年一月一日付けで本退院している。その後は、少年院に収容されていた当時に養子縁組を結んだ小林泰蔵氏の許へ身を寄せている。ええ、住所は、東京都清瀬市野塩町二丁目○○。因みに小林泰蔵氏は、赤坂の法律事務所に所属する人権派の弁護士で、死刑反対論者でもある。昨日、小林清志の自宅に捜査員を向かわせたが、応対に出た養父の泰蔵氏によると、清志は数日前から行方不明だそうだ。捜査員各位は一丸となり、被疑者小林清志の身柄確保を最優先として、本件の全面解決に臨んでくれ」

 松原管理官は、やや興奮気味に檄を飛ばした。
 次に、桜庭さんがマイクを手に取った。

「本日より班割りを変更する――」

 桜庭さんが、敷鑑、地取り、証拠品の順に、捜査員たちの名前を読み上げていった。

「本庁比嘉、所轄立花君、小林の自宅周辺、清瀬市野塩町二丁目で地取り」

「はいっ」

 立ちあがると私は、他の捜査員の役割分担も聞かず、捜査会議が終了する前に席を離れた。
 相棒バディの立花君が私の後を追う。

「私、トイレによるから先に下りて、車回しておいて」

 私は立花君の顔も見ずにいった。
 捜査会議が長引いてしまったため、膀胱がパンパンだった。用を足し、生理用品を新しい物と交換すると、私は玄関先に停車中の覆面パトカーの中で待つ立花君の許へ向かった。
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