シュレーディンガーの猫に宜しく

繁村錦

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第五章

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「それは署に着いてから話します。それと、松田さんですが、既に真犯人の手によって殺害されている可能性があります」

 淡々と語る桐谷を見詰め、藤岡は両頬が強張って行くのを感じた。

「そろそろ署に着く頃です」

「署に着く頃?」

 藤岡は鸚鵡返しに上擦った声を上げた。

「真犯人が乗った車です」

 桐谷は前方を指差した。

「……まさか、あの爺さんが」

 震える声で言ったあと、藤岡は桐谷を見る。
 彼女は無言で頷いた。

「多分、白石先生は、冬月可南子さんに脅されていたんだと思います。先ほどあの方ご自身の口から仰った通り、最近になって起こったある偶然の出来事によって、全てを知った冬月さんが、白石先生を脅した」

「殺害方法は?」

「恐らく、冬月さんは復讐のため本当に松田さんを殺すつもりだった。そのためにあの晩、第二ラボに彼女を呼び出した」

「で、そのあとは?」

「松田さんが第二ラボに来た時には、既に冬月さんは殺されていた。そこに白石先生が現れた」

「なるほどな。一応納得出来る話だ。で、その続きは」

「松田さんは、白石先生のアリバイ作りに協力した。自らの出世を条件に」

「と考えると、全て辻褄が合うってことか。このあと口封じのために桜井さん殺害のアリバイ作りにも協力した。彼女は自分が殺害されるとも知らずに」

「ええ、多分ね」

「でもさ、証拠がねえじゃん。これは全て桐谷お前が頭の中で考えた推論だろ」

「問題はそこなのよね」

 桐谷は困った表情を作り、下顎を擦りながら首を捻った。

「松田の死体でも見つかりゃ話は早いんだけどな」

「死体かぁ」

 桐谷は憮然と言い捨てた。

「残念ながらあの大学には、遺体を隠せる場所なんてねえしな。法医学教室がある大学なら話は別なんだけど」

「それだ。藤岡さん」

「はぁ? 何言ってんだお前、俺の話ちゃんと聞いていたのか? 残念だけどW大には法医学教室はおろか、医学部すらねえんだぜ」

「T女子医大ですよ。確か水面下で、W大との併合が勧められている筈」

「それがどうかしたのか」

 怪訝気味に藤岡が訊ねた時、パトカーが新宿中央署の地下駐車場に到着した。

「もしかすると、検体として持ち込まれた」

「何が?」

「松田さんの死体が」

「まさか……?」

 藤岡はあり得ないといった表情を作った。奥歯の辺りがざらつく妙な感覚を覚えた。

「行ってみるか、今からT女子医大の方に」

 真顔で藤岡が訊ねると、桐谷もこくりと頷いた。

「そう言うことです。T女子医大に」

 運転席の女性警察官に伝える。

「はい」

 彼女は、ルームミラー越しに応え、パトカーをバックさせた。
 数分後、新宿区河田町のT女子医大に到着すると、二人は法医学教室に向かった。
 この大学に在籍する法医学者は、六名いた。
 吾妻重利教授、多和田保乃教授、木下薫准教授、飯岡信弘講師、池内敏子講師、そして金森飛鳥助手の六名だ。
 そのうちの一人が、W大理工学部を卒業後にT女子医大に入り直し、医師免許を取得した法医学者、多和田保乃教授だ。二人は直ぐに多和田の許へ向かった。

「な、何ですかあなた方は?」

 講義中に血相を変え、飛び込んで来た二人を見て、老女は困惑気味に口を開いた。

「警視庁捜査一課の藤岡と申します」

「新宿中央署の桐谷です」

 二人は、警察手帳を提示した。

「警察……?」

 多和田は眉根を寄せ、訝し気に顔を顰める。
 講義を受ける法医学者の卵たちがざわつき始めた。

「W大物理学研究センター長の白石教授をご存知ですね。確か、W大で多和田先生あなたと同期だった筈です」

 桐谷が問う。

「そうですが、それが何か……」

 二人の捜査員の眼前に立つ白衣姿の老女は、落ち着いた表情のまま問い返した。

「白石先生から何か預かっておられませんか」

 桐谷が訊ねると、多和田は眉間に皺を寄せた。

「何かとは」

「遺体とか」

「遺体?」

「ええ」

 桐谷が頷く。
「預かっておりません」

 老女は毅然とした態度できっぱりと否定する。
 すると突然、多和田の講義の補佐をしていた白衣姿の青年が講堂の外に飛び出した。

「飯岡さんっ」

 多和田が怪訝気味に声を発した。

「追って」

 桐谷が藤岡に言った。

「分かった。任せておけっ」

 言いながら既に、藤岡は飯岡の後を追い掛け走り出していた。廊下に出て、先を行く飯岡を追う。廊下の奥の突き当たりで藤岡は飯岡に追いついた。

「待て、何で逃げるんだ。疚しいことがなけりゃ逃げることねえだろ」

「け、刑事さん。ぼ、僕は何も、わ、悪くはない。頼まれただけなんだ。預かってくれと」

 飯岡は背中を藤岡に押さえつけられ、震える声で告白した。

「何をっ!?」

 藤岡が詰め寄った。

「死体です。若い女性の……」

「死体」

 藤岡が問い返すと、飯岡は観念したように無言で頷いた。
 数分後、藤岡の連絡を受けT女子医大に鑑識課員がやって来た。比嘉検視官の姿もあった。

「ヤルじゃない。流石は公安の元エース」

 鑑識員のジャンパーを着こんだ比嘉が、目聡く藤岡を見つけると直ぐに近寄り揶揄った。彼の横に立つ桐谷をチラリと見て、比嘉は軽く一礼した。

「五月蠅ぇよ。それより、ここの死体安置室から見つかった死体は、間違いなくあの松田美里だったんだろうな」

「DNA鑑定してみなくっちゃ分からないけど、視認した限りでは松田美里に間違いない。藤岡さん、あなたも一応その目で確認したんでしょ」

「ああ」

 頷くと、藤岡は桐谷を見やった。彼女も小さく頷いた。

「俺が捕まえた飯岡の話じゃ、白石に弱みを握られていたあの野郎が、松田さんの死体を献体として預かったそうだ。もう既にあの野郎の手で腑分けされてしまっているがな」

「自白したんですか、白石先生は?」

 桐谷が比嘉に訊ねた。

「分からないわ、私には。だって私はただの検視官、捜査員じゃないから」

 比嘉は素っ気なく答える。
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