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第四話-① 悪い妻になる、と?
すぐそこが森である離宮は、窓を開けると涼やかな風が吹き込む。
大きな窓を全て開き、僕は妹のルイーナと共に鍵編み棒を持っていた。
レース玉を机の上に置き、二人向き合って指を動かす。
葉擦れの音だけが耳に入るこの時間は、公爵家にいたときから二人でよくやっていた暇潰しだ。
「お兄様、そろそろお茶にしませんか」
置き時計も丁度いい時間を指していた。
確かに言われてみれば昼食を軽めにしていたせいか、少々小腹が空いている。
「そうするか」
待機していたメイドに声を掛け、お茶の用意をしてもらう。
机の上には色とりどりのフルーツに、焼き菓子が所狭しと乗せられている。
まだ途中のレース編みを端に寄せてもらい、僕はティーカップを口に運ぶ。
砂糖を入れなくても口の中にフワッと甘みが漂う、僕のお気に入りの茶葉だった。
「ん、おいしいな」
ルイーナが持ってきてくれたのだろうか。
公爵家にいたときからお気に入りだった茶葉を使った、ルイーナとのティータイムはまるで、あの頃に戻ったかのようで酷く懐かしい。
クッキーを割るルイーナの、長い髪だけが吹く風に揺れる。
別に名残惜しいわけではなかったが、もう僕にはないものだ。
露わになった首筋に、そっと指で触れてみる。
他者に触れられることに拒絶反応が起きるものの、こうやって自分で触れるには平気だということに気がついた。
二日前、シュルズに触れられた際、僕は露骨に拒絶してしまった。
首にあの指が触れた瞬間、頭よりも身体が警報を鳴らしたのだ。
身体が、ではないのかもしれない。
心が。
心がシュルズを拒絶している。
喉に食い込む指先。
かさついた手のひらが喉を押しつぶす感触。
まだ生々しく覚えている。
「……お兄様? どうしたんですの?」
「あ、いや。なんでも、ない」
慌てて首から手を離す。
僕の行動に、ルイーナは「もしかして……」と呟く。
もしやなにか感づかれたのかと、ドキリと心臓が跳ねた。
「お兄様、気にしていらっしゃるの?」
「……なにを?」
ルイーナは困ったように眉を下げ、口元に緩く握った拳を当てた。
「その、まだ番いになれていないことですわ」
ツガイニナレテイナイ。
一瞬なんのことか分からず首を傾げ、それからハッと自分のうなじに手を当てた。
「る、るるる、ルイーナ! お、お前、はしたないぞ!」
独身の貴族令嬢が、閨事をほのめかすもんじゃない。
しかもいくらオメガとはいえ、実の兄の番い事情に踏み込むなんて、はしたいないにもほどがある。
「でも……だってお兄様。昨日も今日も、編み物をしながら何度も首を触っているじゃありませんか。気にされているのかしらと……もしかして、違いました?」
「ぜん……っぜん、違う……!」
僕はガクリとテーブルに肘をついた。
行儀が悪いと言われそうだが、この場には僕とルイーナしかいない。
部屋付のメイドはいるが、数には含めないこととする。
「なんでそうなるんだよお」
「メイドたちもそう噂してましたので」
思わず壁に控える部屋付のメイドに目をやると、サッと顔を逸らされた。
「……」
なんて分かりやすいんだ。
しかし確かに王族ともなれば、個人のプライバシーなどないに等しい。
シーツを片付けながら「やれ昨晩は何回した」だの「思ったより淡泊なのね」などと、メイドたちは好き好きに噂をする生き物なのだ。
「だとしてもだ。ルイーナ。お前はまだ未婚の公爵令嬢だぞ。下級貴族のような噂を口にしては、品位が落ちるッ!」
「お兄様は少々わたくしを買いかぶりすぎですわ……」
「そーんなことはない! うちの妹は世界一可愛いし、優しくてどこに出しても恥ずかしくない公爵令嬢なんだからな!」
えへんと胸を張る。
これは昔から周囲に言っていることだ。
ルイーナは僕よりも勉強ができて賢く、レース編みだってすごく上手だ。
僕とそっくりなだけあって可愛いし、気遣い上手で会話上手の、自慢の妹である。
「だから僕は、ルイーナには幸せになってほしいんだ。あのバカ……ワッツガーゼンから絶対守るからな」
「ワッツガーゼン義兄様を、そんな風に言っては」
心優しいルイーナは、あの馬鹿のことすら悪く言わない。
だけど僕はアレを、トントン拍子にマール公爵家を継いだだけの無能だと思ってる。
「なーにが義兄だ。僕は全然、認めてないんだからな! どんな手を使ってでも、あいつからルイーナを守ってやる! 第二王子妃の立場を、ふんだんに活用して……ククク」
期間限定とはいえ、王子妃となったのだ。
つまり立場は、マール公爵であるワッツガーゼンよりも上だ。
あの手この手であいつの魔の手をたたき落としてくれる。
「ふっふっふ……見てろよワッツガーゼン……」
意気込む僕を見るルイーナは、困ったように首を傾げる。
「お兄様、結婚前にはあれほど『良い妻になるんだ』と仰ってたのに……どうされたんですの? それではまさに悪役令息、ですわよ」
脚のせいで学園に行っていなかったルイーナだったが、僕が悪役令息だと呼ばれているという話は何度もしていた。
そのたびに「まあ」と驚いていたルイーナが、今は僕が悪役令息そのもののように見えるのだという。
「ああ、そうだよルイーナ。僕はさ、悪役令息……いや、悪妻を目指してるんだからな!」
「悪妻とは……ええと、あの、悪妻ですの? 悪い妻になる、と?」
ルイーナが自分の口元を押さえ、強く動揺している。
自ら目指すようなものではないと、賢いルイーナは思っているのかもしれない。
だけど違うんだ。
大きな窓を全て開き、僕は妹のルイーナと共に鍵編み棒を持っていた。
レース玉を机の上に置き、二人向き合って指を動かす。
葉擦れの音だけが耳に入るこの時間は、公爵家にいたときから二人でよくやっていた暇潰しだ。
「お兄様、そろそろお茶にしませんか」
置き時計も丁度いい時間を指していた。
確かに言われてみれば昼食を軽めにしていたせいか、少々小腹が空いている。
「そうするか」
待機していたメイドに声を掛け、お茶の用意をしてもらう。
机の上には色とりどりのフルーツに、焼き菓子が所狭しと乗せられている。
まだ途中のレース編みを端に寄せてもらい、僕はティーカップを口に運ぶ。
砂糖を入れなくても口の中にフワッと甘みが漂う、僕のお気に入りの茶葉だった。
「ん、おいしいな」
ルイーナが持ってきてくれたのだろうか。
公爵家にいたときからお気に入りだった茶葉を使った、ルイーナとのティータイムはまるで、あの頃に戻ったかのようで酷く懐かしい。
クッキーを割るルイーナの、長い髪だけが吹く風に揺れる。
別に名残惜しいわけではなかったが、もう僕にはないものだ。
露わになった首筋に、そっと指で触れてみる。
他者に触れられることに拒絶反応が起きるものの、こうやって自分で触れるには平気だということに気がついた。
二日前、シュルズに触れられた際、僕は露骨に拒絶してしまった。
首にあの指が触れた瞬間、頭よりも身体が警報を鳴らしたのだ。
身体が、ではないのかもしれない。
心が。
心がシュルズを拒絶している。
喉に食い込む指先。
かさついた手のひらが喉を押しつぶす感触。
まだ生々しく覚えている。
「……お兄様? どうしたんですの?」
「あ、いや。なんでも、ない」
慌てて首から手を離す。
僕の行動に、ルイーナは「もしかして……」と呟く。
もしやなにか感づかれたのかと、ドキリと心臓が跳ねた。
「お兄様、気にしていらっしゃるの?」
「……なにを?」
ルイーナは困ったように眉を下げ、口元に緩く握った拳を当てた。
「その、まだ番いになれていないことですわ」
ツガイニナレテイナイ。
一瞬なんのことか分からず首を傾げ、それからハッと自分のうなじに手を当てた。
「る、るるる、ルイーナ! お、お前、はしたないぞ!」
独身の貴族令嬢が、閨事をほのめかすもんじゃない。
しかもいくらオメガとはいえ、実の兄の番い事情に踏み込むなんて、はしたいないにもほどがある。
「でも……だってお兄様。昨日も今日も、編み物をしながら何度も首を触っているじゃありませんか。気にされているのかしらと……もしかして、違いました?」
「ぜん……っぜん、違う……!」
僕はガクリとテーブルに肘をついた。
行儀が悪いと言われそうだが、この場には僕とルイーナしかいない。
部屋付のメイドはいるが、数には含めないこととする。
「なんでそうなるんだよお」
「メイドたちもそう噂してましたので」
思わず壁に控える部屋付のメイドに目をやると、サッと顔を逸らされた。
「……」
なんて分かりやすいんだ。
しかし確かに王族ともなれば、個人のプライバシーなどないに等しい。
シーツを片付けながら「やれ昨晩は何回した」だの「思ったより淡泊なのね」などと、メイドたちは好き好きに噂をする生き物なのだ。
「だとしてもだ。ルイーナ。お前はまだ未婚の公爵令嬢だぞ。下級貴族のような噂を口にしては、品位が落ちるッ!」
「お兄様は少々わたくしを買いかぶりすぎですわ……」
「そーんなことはない! うちの妹は世界一可愛いし、優しくてどこに出しても恥ずかしくない公爵令嬢なんだからな!」
えへんと胸を張る。
これは昔から周囲に言っていることだ。
ルイーナは僕よりも勉強ができて賢く、レース編みだってすごく上手だ。
僕とそっくりなだけあって可愛いし、気遣い上手で会話上手の、自慢の妹である。
「だから僕は、ルイーナには幸せになってほしいんだ。あのバカ……ワッツガーゼンから絶対守るからな」
「ワッツガーゼン義兄様を、そんな風に言っては」
心優しいルイーナは、あの馬鹿のことすら悪く言わない。
だけど僕はアレを、トントン拍子にマール公爵家を継いだだけの無能だと思ってる。
「なーにが義兄だ。僕は全然、認めてないんだからな! どんな手を使ってでも、あいつからルイーナを守ってやる! 第二王子妃の立場を、ふんだんに活用して……ククク」
期間限定とはいえ、王子妃となったのだ。
つまり立場は、マール公爵であるワッツガーゼンよりも上だ。
あの手この手であいつの魔の手をたたき落としてくれる。
「ふっふっふ……見てろよワッツガーゼン……」
意気込む僕を見るルイーナは、困ったように首を傾げる。
「お兄様、結婚前にはあれほど『良い妻になるんだ』と仰ってたのに……どうされたんですの? それではまさに悪役令息、ですわよ」
脚のせいで学園に行っていなかったルイーナだったが、僕が悪役令息だと呼ばれているという話は何度もしていた。
そのたびに「まあ」と驚いていたルイーナが、今は僕が悪役令息そのもののように見えるのだという。
「ああ、そうだよルイーナ。僕はさ、悪役令息……いや、悪妻を目指してるんだからな!」
「悪妻とは……ええと、あの、悪妻ですの? 悪い妻になる、と?」
ルイーナが自分の口元を押さえ、強く動揺している。
自ら目指すようなものではないと、賢いルイーナは思っているのかもしれない。
だけど違うんだ。
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