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第一章

第二十話 日常での戦場・その一

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 銃声が聞こえる。
 地面が振動し、爆発音が聞こえる。
 仲間はいない。
 全員殺されてしまった。

 ジャマール。

 エレナ。

 ライリー。

 リナ。

 マリア。

 皆目から光が消えていた。
 そしてレイは恐怖に怯えていた。

 何処からやってくる。

 何処から俺を殺しにくる。

 辺りを見回し銃を構えるが、姿は見えない。

 突然レイの腹にサーベルの刃が突き刺さった。
 激しい痛みに悶えながら、相手の顔を見た。
 それは見覚えのある顔だった。
 初めて殺した、あの敵の将校だったからだ。






「うわあっ‼︎」

 レイはベッドから跳ね起きた。
 心臓は凄まじい速度でリズムを刻み、身体中の汗腺から大量の汗が吹き出ていた。

(最悪な夢だ…)

 こうした悪夢をみるのは珍しくない。
 実際、戦地から離れて悪夢を見るのは、これで3度目である。

(なんで、こんなに落ち着かないんだ)

 彼は戦地から遠く離れ、休暇としてアズリエルに一時帰国していた。
 戦場の硬いベッドより、こちらの柔らかいベッドの方がよほど寝心地は良いはずだった。
 いつ襲いくるともしれない敵に対して、怯える必要もない。
 味気のない非常食はなく、暖かい食事が振舞われる。義理とはいえ両親は優しく迎え入れてくれる。
 にも関わらず、常にレイの心は休まらなかった。




 あの前哨地帯での戦闘の後、小隊のメンバーにそれぞれに一月の休暇が与えられた。
 レイが1人で壊滅させた基地は魔界でも大規模なものらしく、あの場所を叩き潰した以上は基地移転に際して脅威となるものはほとんど無いというのが上層部の決定だった。
 実際レイが魔族の基地を破壊してからというもの、魔導ジャミングが全て消え、魔族兵の姿も見えなくなった。
 最後まで生き延び、尚且つ敵の脅威を半減させた褒章として、全員に休暇が割り当てられたというわけである。

「ゆっくり羽を伸ばしてくるんだぞ。
 戻って来れば、再び生きるか死ぬかの世界だ」

 最後にマリアはそう言っていた。
 肩に手を置き、レイ達に向かって微笑んでいた。彼女としては、精一杯労ってくれたのだろう。
 しかし実際のところ、全く心が休まる時間は無かった。
 それどころか、神経をすり減らすような時間は増えつつあった。

「俺は、一体どうしたっていうんだ…」

 そう呟いて、レイはベッドから降りた。





「あら、起きたのね」

 階段を降りて食堂に行くと、フランソワとモーガンは既に席についていた。

「休暇中とはいえ、遅くまで眠りこけているのは感心せんな」
「すみません…」
「まあいい、とにかく食事にしよう」

 そうして家族3人、朝食にありついた。




「近頃の戦果はアレクサンドル大佐から報告を受けている。
 頑張っているようで、私も鼻が高いぞ」
「…そうですか」
「無事に帰ってくることを、常に忘れちゃダメよ」

 世間話をしながら、談笑する。
 普通の家族の食卓のはずだった。みんながこうした団欒で心を落ち着かせる。
 ありふれていながらも、一般市民はこうしたものに安らぎを感じるはずだった。

(…なんだ、この違和感)

 適当に相槌を打ち、作り笑いを浮かべてみせる。
 だがレイの心は翳っていた。
 安らかな日常の一コマが、とてつもなく場違いに思えるのである。
 それは、レイの前世での苦い孤独な人生経験からくるものでは無い。
 もっと深い、心の奥底の方で拒絶反応が起こっていた。

(飯が美味いと思えない)

 甘い辛いといった味はもちろん解る。しかし、何処か砂を噛むような空虚さを感じた。
 厳密にいえば、味に対して感動しない。心が全く動かないのだ。
 フランソワが手間をかけて作った豪華な料理だというのに、味気が無いのである。

「…ご馳走様です」
「あら、もう食べたの?」
「夜まで帰らないので、食事は用意しなくて結構です」

 そうしてレイは逃げるように席を立った。

「おい、レイ!」

 モーガンが止めるのも聞かず、レイは外に駆け出していった。






 市街地は相変わらず、人でごった返していた。
 雑踏の中で、周りの人間の会話が聞こえてくる。

「ねー、あそこのお店行った? アイスが超いいらしいよ」
「全くウチの主人ったら、休みの日はゴロゴロしっぱなしでねぇ…」
「マジであそこの店番の女の子が可愛いんだって、引っ掛けに行こうぜ」

 人々のたわいもなく、ありふれていて、なおかつ平和ボケしたような話に、レイは不快感を強く感じた。

(うるさい…)

 苛立ちを隠しきれない顔で、思わず俯く。
 人々の顔は見えなくなったが、それでもノイズじみた話し声は聞こえてくる。

(何がそんなに面白いんだ?)

 目の前の人間が口にする全ての物が、レイには下らないものに見えた。

(俺たちは、戦っていたのに)

 苦しんでいる間も、彼らは戦場とは無関係である。

(わからない。わかってくれと言っても、わからないだろう。
 生きるか死ぬかの瀬戸際の世界。無残にも命を散らしていく者たち…人を手にかける時の感情)










 ガチリ。










 何処かで撃鉄を起こすような音が聞こえた気がした。

 その瞬間、全身が総毛立った。
 すぐに後ろを振り返ってみても、銃を構えている人間は見当たらない。
 だが群衆に紛れて、どこからか狙っているのかもしれない。
 身体中から脂汗が滲み出た。上下左右、全てを見回しても敵らしき影は見当たらない。
 見えない敵から、レイは逃げ出した。





「はぁ、はぁ、はぁ…」

 息も絶え絶えにレイは路地裏に逃げ込んだ。
 動悸が収まらない。呼吸は荒くなる。いつの間にか服は汗を吸ってシミができていた。

「何なんだ、一体…」

 冷静に考えれば、こんな場所に兵士などいるわけがない。そもそも魔族などいるわけがないのだ。
 それでもレイは追い詰められていた。いるはずのない敵に怯えるほどに。
 もしかしたら、戦場よりも心理的に追い込まれているのかもしれない。

(……くそっ)

 レイは壁を殴りつけた。その力は、壁に亀裂を走らせるには十分すぎる。
 しかしその拳には、確実に痛みが走っていた。


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