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第二章

第十話 赦せなくとも

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 数日後の夕暮れ。
 レイは海辺で沈みゆく太陽を見ていた。
 ここは聖ミロワ生誕の地をしても知られている。
 それ故にここは永久中立地帯であり、一切の戦争行為がない。
 そして澄んだ海、温暖な気候、豊かな土壌、亜人やネロ族を含めた多様な人種…まさしく楽園と呼ぶに相応しい場所であった。
 出来うるならばここに永住したいと思いつつも、それは何か違うと感じてもいた。

(…俺は、どう生きればいいんだろうか)

 すると、すぐ横に見覚えのある顔を発見した。
 修道服ではなかったので一瞬わからなかったが、アイリだった。

「シスター?」
「あら、レイさん」

 私服の彼女を見るのは初めてだった。
 そもそも教会以外で彼女を見かける事が無かった。
 長い髪は風になびき、首筋や掌には鱗がある。
 それらは初めて見るものだった。

「その掌って…」
「ああ、そうか。
 いつもは修道服で隠れてますけど、私って亜人なんですよ」

 意外だった。
 肌を晒す格好でなければ、気づかなかったろう。

「…そうだったんですか」
「ここに赴任したばかりの頃は、差別が本当にないか心配でしたけど…全然大丈夫でしたね」
「ここの生まれじゃないんですか?」
「ええ。元々はディミトリ自治区の出身です。
 教会に身を置いて、たまたまここを任されたんですよ」
「そうだったんですか…」

 彼女を横目で見た。
 鱗が夕日を反射している。
 そしてその首元には、特徴的な唐草模様のロザリオがあった。
 それにレイは何処か見覚えがあった。

「…そのロザリオは?」
「これですか? 両親が銀細工の職人でしたので、子供の頃に作ってもらったんです」

 ディミトリ自治区。
 銀細工の職人。
 肌にざわりとした感覚を感じた。

「…先の戦争で、家族はみんな殺されました。
 家業を継いだ兄夫婦と、その子供たちでさえも」

「……そうなのか」

 あの戦いの日々の中で、レイは見たようなものを見たことがある。
 鍛治職人のような、窯や工具の類のある家だ。

「…今でも、無念です。
 なぜ殺されなければならなかったのか。
 本当に殺す必要があったのか」

 その光景は、レイの記憶の奥底から呼び覚まされた。
 あの時見た遺体は六つ。
 老婆と性別のわからないもの、カップルが一組、子供と赤ん坊が一人ずつ。
 比較的損壊の少ない遺体からは、鱗が確認できた。
 その中には、特徴的な唐草模様の銀細工のを身につけているものもいた。

 掌が震え、鼓動が早鐘のように鳴りはじめた。

「…その家族って、どんな所に住んでいましたか?」
「…? どんなって…山に囲まれた田舎の村ですけど」

 あの時レイたちは周囲の山々に包囲網を張った。
 その事もよく覚えている。


「……お母さんて、頰に傷があります?」

「え? 何で知ってるんですか?」




 その瞬間、予感は確信に変わった。




 レイはその場から走り去った。
 彼女に背を向けて逃げ出した。

 息を切らせながら自室に戻り、ベッドに倒れこんだ。

(そんな、バカな……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ‼︎)

 それはあまりにも残酷な現実だった。
 大切な人の家族を殺したのは、自分である。
 受け止めるには、あまりにも重すぎる事実だ。

(何で…なんでこんな所で…)

 なぜレイはアイリと巡り合ってしまったのか。
 それはまさしく、双方にとって運命の悪戯としか言いようがなかった。




 三日三晩、レイは外出しなかった。
 外に出るのを恐れていた。
 水さえも殆ど口にしなかった。
 その資格さえないと思っていたからだ。

(……死のう)

 ライリーやジャマールが待つ場所へ旅立とうとも思った。
 皆がやっている事ならば、責められる謂れもない。
 そう思っていた。

(でも、それなら)

 やがてレイは立ち上がり、果物ナイフを手に取った。

(それなら、せめて)






 そしてレイは教会の前に立っていた。
 その日教会は閉まっているはずだったが、アイリは中にいるはずだった。
 彼女はここで寝泊まりしているのだ。いつかはここに帰ってくる。
 そうしてレイはドアを開けた。

「…アイリ」
「やっぱり来たんですね、ここに」

 まるで待ち構えていたような面立ちだった。
 レイは彼女に近づき、そして足元に跪いた。

「…これが俺の最後の懺悔です。
 あなたに言っていない事がある」
「無理に話す事はありません。
 それで死んだ人間が…生き返るわけではありませんから」

 想像通りだった。
 彼女は全てを悟っている。
 それでもレイは決断していた。
 その口で、その言葉で告白してこそ、意味があるのだ。


「……俺が従軍中に、ある指令が下りました。
 山に囲まれた集落が民兵ゲリラのアジトになっている。
 大至急向かい、跡形もなく殲滅せよという命令でした。
 そして俺たちはそこを完全に破壊しました…ですが、そこには戦闘員など一人も居ませんでした。
 誰もがみんな民間人であり、武器の一つすら見当たりませんでした」

「…もういいです」

「聞いてください。
 その中には、体に鱗のある家族もいた…。
 そしてあなたと同じ唐草模様のアクセサリーを付けてる者もいた。
 ……あなたの家族を殺したのは、この俺です」

「………っ‼︎」

 アイリは服の端を握りしめた。

「…ずるいです、そうやって懺悔して、楽になろうだなんて」
「これで終わりなんて、思っていません」

 そうしてレイは懐に忍ばせていたナイフを、アイリの足元に置いた。

「許されたいなんて、思っていない。
 正直死のうと思ったけど、それは違う。
 俺を裁くのは俺自身じゃない。
 あなたが俺を裁いて、殺すべきだ」

 その瞬間、アイリがレイの頰を思い切り平手打ちした。

「ふざけないで! そうやって死んで全部解決するっていうの⁉︎
 あなたが死んだって、私の家族は…父は、母は、兄は、帰ってこないのよ‼︎」

「ごめんなさい…すいませんでした…」

「謝って済む話じゃないわよ! 返して、私の家族を返してよ‼︎」

「…何も出来ないんだ、俺は。
 誰よりも強い力を持っていても、結局大切な物を守れない。
 それどころか、多くのものを壊してしまう。
 だから死んだほうがいいんだ。
 あなたに殺されるべきなんだよ、俺は」

 今度は反対の頰を平手打ちされた。

「甘ったれないで‼︎
 そうやって悲劇の主人公みたいな顔したって、何も変わらないわよ!
 あなたは何もしてないでしょ⁉︎ ここで祈るだけじゃ、何もしてないのと同じよ‼︎」

 そしてアイリは、レイのその頰に触れた。

「……一度しか言わないから、よく聞いてください」

 アイリは泣いていた。
 レイが初めて見るものだった。

「私は生涯、あなたを許しません。一生かけて恨みます。
 でも…私に裁く権利はない。大いなるアドナイに代わって裁く権利を持つほど、私は偉くありません。
 天の主人は、聖ミロワは…あなたを赦すでしょう。その生涯を、償いに捧げる限り」

 そしてアイリは、服の下から唐草模様のロザリオを取り出した。

「これを持っていてください。
 いつの日も己の罪を忘れないように。
 これが、あなたに生涯背負い続ける呪いです」

「…俺は、どうしたらいい」

「簡単です。私に、私の家族に、そして他の遺族や犠牲者に報いる生き方をしてください。
 どんな方法かは問いません。私に言えるのは、ここまでです」

 レイは、そのロザリオを受け取った。

「もう、ここには戻ってこないでください。
 そして…ここに戻ってくる必要のない生き方をしてください」

「…わかりました」

 レイは立ち上がった。
 そして彼女に背を向けて歩き出した。
 それは、彼女との永遠の別れを意味した。

「…今まで、ありがとう」

 それだけ言い残して、レイはその場を後にした。

 そして残されたアイリは、聖ミロワ像の前に跪き、両手を重ねて祈った。

「聖ミロワ、そしてその聖母アルマよ…勇者、レイ・デズモンドをお守り下さい」


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