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第三章
第十八話 赤毛の少女
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広場に建てられた仮設病棟は、四六時中医師や患者たちで常にごった返していた。
足早に動き回る人の中に、エレナはいた。収容された民間人は軽傷者から、体の一部が吹き飛んでいる者まで様々であり、しかもその数も日毎に増えるばかりであった。
ティアーノ共和国内の治安は日々悪化の一途を辿っており、民間人・兵士問わずに死傷者の数は増えていくばかりである。
そんな状況の中で医師や病院の数は圧倒的に足らず、教会がなんとか用意した医師と簡素なテントで仮設病院を開き、負傷者の手当をしているわけだが、その努力をもってしても日々増える犠牲者には対応しきれなかった。引っ切り無しに動き回る日々が、エレナにも続いた。
「えっと、次の患者さんは…」
「少し休んだら?」
同僚の女性医師が声を掛けてきた。
「いえ、平気です。手当がまだの人が、沢山いますから…」
「そうは言っても貴女、3日は寝てないでしょう? 私は少し休んだから、貴女も一息つきなさい」
「…すみません、気を遣わせて」
「いいのよ。さぁ、行きなさい」
「ふぅ…」
エレナは半壊した壁の上に、ゆっくりと腰かけた。
この近辺も数日前までは繁華街であったが、暴動とそれを取りおさえるための軍による攻撃で、すっかり破壊されてしまった。食料でさえも、配給やボランティアにより無償で提供される物しかない地域さえ存在する。
エレナは手にした新聞を見つめた。その見出しには『ハリー・ジダン終身刑論、拡大』の文字が踊っていた。
ティアーノもこの論調に同意するものは多く、デモ隊による差別撤廃と合わせて主張されているが、常に軍により鎮圧されるのが常だった。こうした動きもデモを起こす側が『暴力に訴える野蛮人達』といった風に報じられ、内外からの風当たりは非常に強かった。
(私のやってる事に…意味があるのかな)
このままでは、人はまた繰り返す。差別とそれによる抵抗で、死傷者は増すばかりだ。
(いけない、考え込んじゃ。また倒れたりしたら、大変)
あまりにも暗く考えすぎたり根を詰め過ぎたりすると、また薬に頼って倒れる羽目になりかねない。もう他人に心配をかけることは、エレナには出来なかった。
「あの、すいません」
「はい?」
突然、声を掛けられた。
「この辺の広場に、教会の仮設病棟があるって聞いたんですけど…すみません、道がわからなくて」
「病院ですか? そこだったら私が勤めていますから、一緒に行きましょうか」
「あ、ありがとうございます!」
エレナは横目で、声を掛けてきた女性を見た。
赤毛の頭の上に獣の様な耳が生えた、典型的な亜人の少女だ。見た所傷を負っている様には見えなかった。
「あの…仮設病棟には、一体何の用で?」
「はい。医療補助のボランティアとして、しばらく働く予定になってます」
「ああ、ボランティアの方でしたか」
教会の仮設病棟では、現地民のボランティアによる助けも非常に多い。彼女のような女性のボランティアがなければ、とても運営ができる状態ではないのが現状である。
「えっと、お名前を伺っても?」
「イリーナ・サラメです。一応16歳です」
まだ少女といってもいい年齢であった。見た目にはエレナと同い年くらいかと思われたが、実年齢はだいぶ違ったらしい。
「向こうのお医者さんですか?」
「いえ、私も友愛会の医療補助です。エレナ・コーヴィックと申します」
「え、あのエレナさんですか⁉︎ レイ・デズモンドの彼女さんですよね!」
「あー、まぁ、そうなんですが…」
南北戦役での英雄譚に加え、今や良くも悪くも有名人であるレイの恋人という事で、エレナもゴシップ的な知名度を徐々に上げていってしまっていた。容姿の可憐さや戦場での献身的な仕事ぶりから、大衆からは時としてアイドル的な扱いをされることさえあった。
しかし、そうした扱いにエレナ自身は戸惑い気味であった。
「写真より可愛いから気付かなかったです。新聞の写真の撮り方が下手ですよねー」
「別に、可愛いわけじゃないですよ。昔の上官や私の姉はもっと才能に溢れてて、私よりずっと美人ですから」
「またまたー、謙遜しちゃって」
そんな会話を繰り広げながら、二人は歩いた。
イリーナを加え、教会の人間は一日中歩き回った。怪我人達を助け、看護し、時には話を聞いたりもした。そんな事を続けながら、いつの間にか陽は落ち夜になっていた。
「…貴女まで、ここに泊まり込む必要はないんですよ」
「いいんですよ、家族にはちゃんと連絡してますし」
「かなりキツかったでしょう。無理はしないでくださいね」
「平気ですよ、私元気が取り柄ですから!」
エレナは数日ぶりに体を横にして寝ることができた。なんとか怪我人の世話がひと段落し、小さな教会スタッフ用のテントで寝袋にくるまる事が出来た。
「…なんか、私の昔の同僚に似てますね、イリーナは」
「昔の同僚?」
「ええ…どんな時も元気で、素直で、時々ちょっとおバカだけれど、そんな所が愛おしくて…」
かつての戦地で命を落としたリナ・クロウを想った。どんな時も元気な顔はいつしか戦場に毒されていき、最後には戦死した。レイ・デズモンドをリーダーとした前衛部隊唯一の戦死者であり、その死をエレナ達は悼み、全員の忘れ得ぬ犠牲者の一人となった。
「…泣いてるんですか?」
「……え?」
気付かない内に、涙を流していたようだった。
「ごめんなさい、もう吹っ切れたはずだったのに…忘れられないの、どんな時も、誰かを助けられたんじゃないか、あの時ああしていればあの人はまだ生きていたんじゃないかって、何時も思ってしまうの」
そんなエレナを、イリーナは優しく抱き締めた。
「…きっとエレナさんは、自分にできる最大限のことをしたと思います。だから…自分を責めないで」
「でも、私は…」
「救えなかった人より、貴女が救った人を見てください。皆んなが、貴女に感謝してるはずだから…」
その暖かさに包まれ、エレナは眠りに墜ちていった。
サリーは白いベッドの上で、身体中を包帯に巻かれていた。
「まったく、無茶しすぎだ。
一歩間違えれば、間違いなく殺されていたぞ」
「すまねえ…だがまあ、一応勝ったぜ」
先の決闘の後、すぐさまサリーは救急病棟に運ばれた。
緊急処置はすぐさま施されたものの、負わされた傷はどれも非常に深く、しばらくは生死の境を彷徨う羽目になった。
幸いにして、残された亜人兵達が一切抵抗せずに出頭し、レイがその日の内に釈放され、すぐさま彼女を回復させるために駆けつける事が出来たのである。
植物状態だった人間を回復できるレイの力は、やはり半端なものではなく、すぐにサリーの傷は八割方癒え、後遺症も全く残らないとの事だった。
「あんな化け物と戦って、大した傷一つ負わないなんて…お前の強さを、改めて知ったよ」
「よせよ。腕っぷしの強さなんか、大した事じゃない」
「そうだけどよ…それにお前は、最後まで奴を殺そうとはしなかったろ。
普通できることじゃないよ。自信持ちな」
予想だにしなかった称賛の言葉に、レイは少々赤面した。
「…あの時、殺されかけた瞬間に思ったんだ」
「え?」
「死にたくない、こいつを殺してでも生き延びたい、ってな…。
普通の人間なら、それが普通のことのはずなんだ。
でも、レイは違う…誰よりも強い力を持っているからこそ、相手を犠牲にして生き延びる必要がない。
きっと誰も犠牲にしないで争いを終わらせるってのは、多分お前にしか出来ない事なんだ…改めて分かったよ」
「……ありがとう」
レイは優しく微笑んだ。
その顔を見ると、なぜかサリーは顔を背けた。
「べ、別に…感謝されることじゃねぇし」
「???」
「そ、それよりもよ! 捕まった残党たちはどうなったんだ?」
サリーは突然話題をすり替えた。
「ああ、あいつらか。
大人しく出頭して、関与したテロ行為も素直に認めてる。
捕虜としてしばらく拘束した後、この戦争が終わったら、戦後処理として然るべき措置を施すってさ。
個人個人の罪の重さにもよるだろうけど…極刑はそこまで多くはないだろうって話だ」
「…そうか」
「大公は一筋縄じゃ行かないが、少なくともリチャード王よりかは、為政者として筋の通った人間だ。
多分、ある程度は温情のある結果にはなるだろう」
「…よかった」
サリーも緊張が解けたように顔が綻んだ。
「…やっぱり、笑うとエレナに似てるな」
「え?」
「性格的に全く違うけど…なんだかんだいって姉妹だよな」
「…まぁな」
サリーは突然明後日の方向を向いた。
「? なんだよ」
「なんでもねーよ…」
心の中で彼女は感じた。
(人の気も知らねーでよ…ったく)
足早に動き回る人の中に、エレナはいた。収容された民間人は軽傷者から、体の一部が吹き飛んでいる者まで様々であり、しかもその数も日毎に増えるばかりであった。
ティアーノ共和国内の治安は日々悪化の一途を辿っており、民間人・兵士問わずに死傷者の数は増えていくばかりである。
そんな状況の中で医師や病院の数は圧倒的に足らず、教会がなんとか用意した医師と簡素なテントで仮設病院を開き、負傷者の手当をしているわけだが、その努力をもってしても日々増える犠牲者には対応しきれなかった。引っ切り無しに動き回る日々が、エレナにも続いた。
「えっと、次の患者さんは…」
「少し休んだら?」
同僚の女性医師が声を掛けてきた。
「いえ、平気です。手当がまだの人が、沢山いますから…」
「そうは言っても貴女、3日は寝てないでしょう? 私は少し休んだから、貴女も一息つきなさい」
「…すみません、気を遣わせて」
「いいのよ。さぁ、行きなさい」
「ふぅ…」
エレナは半壊した壁の上に、ゆっくりと腰かけた。
この近辺も数日前までは繁華街であったが、暴動とそれを取りおさえるための軍による攻撃で、すっかり破壊されてしまった。食料でさえも、配給やボランティアにより無償で提供される物しかない地域さえ存在する。
エレナは手にした新聞を見つめた。その見出しには『ハリー・ジダン終身刑論、拡大』の文字が踊っていた。
ティアーノもこの論調に同意するものは多く、デモ隊による差別撤廃と合わせて主張されているが、常に軍により鎮圧されるのが常だった。こうした動きもデモを起こす側が『暴力に訴える野蛮人達』といった風に報じられ、内外からの風当たりは非常に強かった。
(私のやってる事に…意味があるのかな)
このままでは、人はまた繰り返す。差別とそれによる抵抗で、死傷者は増すばかりだ。
(いけない、考え込んじゃ。また倒れたりしたら、大変)
あまりにも暗く考えすぎたり根を詰め過ぎたりすると、また薬に頼って倒れる羽目になりかねない。もう他人に心配をかけることは、エレナには出来なかった。
「あの、すいません」
「はい?」
突然、声を掛けられた。
「この辺の広場に、教会の仮設病棟があるって聞いたんですけど…すみません、道がわからなくて」
「病院ですか? そこだったら私が勤めていますから、一緒に行きましょうか」
「あ、ありがとうございます!」
エレナは横目で、声を掛けてきた女性を見た。
赤毛の頭の上に獣の様な耳が生えた、典型的な亜人の少女だ。見た所傷を負っている様には見えなかった。
「あの…仮設病棟には、一体何の用で?」
「はい。医療補助のボランティアとして、しばらく働く予定になってます」
「ああ、ボランティアの方でしたか」
教会の仮設病棟では、現地民のボランティアによる助けも非常に多い。彼女のような女性のボランティアがなければ、とても運営ができる状態ではないのが現状である。
「えっと、お名前を伺っても?」
「イリーナ・サラメです。一応16歳です」
まだ少女といってもいい年齢であった。見た目にはエレナと同い年くらいかと思われたが、実年齢はだいぶ違ったらしい。
「向こうのお医者さんですか?」
「いえ、私も友愛会の医療補助です。エレナ・コーヴィックと申します」
「え、あのエレナさんですか⁉︎ レイ・デズモンドの彼女さんですよね!」
「あー、まぁ、そうなんですが…」
南北戦役での英雄譚に加え、今や良くも悪くも有名人であるレイの恋人という事で、エレナもゴシップ的な知名度を徐々に上げていってしまっていた。容姿の可憐さや戦場での献身的な仕事ぶりから、大衆からは時としてアイドル的な扱いをされることさえあった。
しかし、そうした扱いにエレナ自身は戸惑い気味であった。
「写真より可愛いから気付かなかったです。新聞の写真の撮り方が下手ですよねー」
「別に、可愛いわけじゃないですよ。昔の上官や私の姉はもっと才能に溢れてて、私よりずっと美人ですから」
「またまたー、謙遜しちゃって」
そんな会話を繰り広げながら、二人は歩いた。
イリーナを加え、教会の人間は一日中歩き回った。怪我人達を助け、看護し、時には話を聞いたりもした。そんな事を続けながら、いつの間にか陽は落ち夜になっていた。
「…貴女まで、ここに泊まり込む必要はないんですよ」
「いいんですよ、家族にはちゃんと連絡してますし」
「かなりキツかったでしょう。無理はしないでくださいね」
「平気ですよ、私元気が取り柄ですから!」
エレナは数日ぶりに体を横にして寝ることができた。なんとか怪我人の世話がひと段落し、小さな教会スタッフ用のテントで寝袋にくるまる事が出来た。
「…なんか、私の昔の同僚に似てますね、イリーナは」
「昔の同僚?」
「ええ…どんな時も元気で、素直で、時々ちょっとおバカだけれど、そんな所が愛おしくて…」
かつての戦地で命を落としたリナ・クロウを想った。どんな時も元気な顔はいつしか戦場に毒されていき、最後には戦死した。レイ・デズモンドをリーダーとした前衛部隊唯一の戦死者であり、その死をエレナ達は悼み、全員の忘れ得ぬ犠牲者の一人となった。
「…泣いてるんですか?」
「……え?」
気付かない内に、涙を流していたようだった。
「ごめんなさい、もう吹っ切れたはずだったのに…忘れられないの、どんな時も、誰かを助けられたんじゃないか、あの時ああしていればあの人はまだ生きていたんじゃないかって、何時も思ってしまうの」
そんなエレナを、イリーナは優しく抱き締めた。
「…きっとエレナさんは、自分にできる最大限のことをしたと思います。だから…自分を責めないで」
「でも、私は…」
「救えなかった人より、貴女が救った人を見てください。皆んなが、貴女に感謝してるはずだから…」
その暖かさに包まれ、エレナは眠りに墜ちていった。
サリーは白いベッドの上で、身体中を包帯に巻かれていた。
「まったく、無茶しすぎだ。
一歩間違えれば、間違いなく殺されていたぞ」
「すまねえ…だがまあ、一応勝ったぜ」
先の決闘の後、すぐさまサリーは救急病棟に運ばれた。
緊急処置はすぐさま施されたものの、負わされた傷はどれも非常に深く、しばらくは生死の境を彷徨う羽目になった。
幸いにして、残された亜人兵達が一切抵抗せずに出頭し、レイがその日の内に釈放され、すぐさま彼女を回復させるために駆けつける事が出来たのである。
植物状態だった人間を回復できるレイの力は、やはり半端なものではなく、すぐにサリーの傷は八割方癒え、後遺症も全く残らないとの事だった。
「あんな化け物と戦って、大した傷一つ負わないなんて…お前の強さを、改めて知ったよ」
「よせよ。腕っぷしの強さなんか、大した事じゃない」
「そうだけどよ…それにお前は、最後まで奴を殺そうとはしなかったろ。
普通できることじゃないよ。自信持ちな」
予想だにしなかった称賛の言葉に、レイは少々赤面した。
「…あの時、殺されかけた瞬間に思ったんだ」
「え?」
「死にたくない、こいつを殺してでも生き延びたい、ってな…。
普通の人間なら、それが普通のことのはずなんだ。
でも、レイは違う…誰よりも強い力を持っているからこそ、相手を犠牲にして生き延びる必要がない。
きっと誰も犠牲にしないで争いを終わらせるってのは、多分お前にしか出来ない事なんだ…改めて分かったよ」
「……ありがとう」
レイは優しく微笑んだ。
その顔を見ると、なぜかサリーは顔を背けた。
「べ、別に…感謝されることじゃねぇし」
「???」
「そ、それよりもよ! 捕まった残党たちはどうなったんだ?」
サリーは突然話題をすり替えた。
「ああ、あいつらか。
大人しく出頭して、関与したテロ行為も素直に認めてる。
捕虜としてしばらく拘束した後、この戦争が終わったら、戦後処理として然るべき措置を施すってさ。
個人個人の罪の重さにもよるだろうけど…極刑はそこまで多くはないだろうって話だ」
「…そうか」
「大公は一筋縄じゃ行かないが、少なくともリチャード王よりかは、為政者として筋の通った人間だ。
多分、ある程度は温情のある結果にはなるだろう」
「…よかった」
サリーも緊張が解けたように顔が綻んだ。
「…やっぱり、笑うとエレナに似てるな」
「え?」
「性格的に全く違うけど…なんだかんだいって姉妹だよな」
「…まぁな」
サリーは突然明後日の方向を向いた。
「? なんだよ」
「なんでもねーよ…」
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