契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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80二度目の共闘

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 闇の中、暗殺者の手が動く。

 静かな、それでいて鋭いナイフの一撃。
 艶消しされたそれは闇の中に溶けるようになっており、刃渡りの予想も困難で。

 けれどその刃は、殿下が降りぬいた剣によって阻まれる。

 目にもとまらぬほどの連撃が二人の間で繰り広げられる。
 前後左右、入れ替わり立ち代わり攻防を交代する二人に割って入るタイミングが見当たらない。
 戦闘能力に自信があるわたしだけれど、今この時、ただ見守るしかできない。

 魔法はいつでも発動できる。けれど、これほどまでに高速で動き回る男に、しかも殿下に当てないようにというのは容易なことではない。

 金属同士のぶつかり合う音だけが無数に響く。
 五月雨のように重なる音――なぜだかそれは悲鳴を思わせる。

「何事だ!」

 そこに、怒号が混じる。
 フィナンの声、ではない。野太いそれは、巡回の騎士のもの。

 現れた騎士は戦闘中の二人の片割れの招待に気づいて目を見張る。
 暗がりの中でもはっきりわかるほどに、彼の知る人物が、こんなところで戦っていていいはずがない人が、目の前にいるのだから。

「殿下!?」

 どこか己の見る光景を否定したいとでもいうような、あるいは悲痛な響きを帯びた騎士の声に、殿下の動きがわずかに揺らぐ。

 その隙をつくように暗殺者は強く踏み込んで。

 一瞬にしてバランスを立て直した殿下が、全力で剣を振りぬく。
 今の揺らぎは誘いだったらしい。

 まんまと殿下の策にはまった暗殺者は、手首のスナップを聞かせてナイフを投げつけることで殿下の攻撃を防御に回す。
 そうして次への攻撃をすべく暗殺者は深く踏み込む――距離が、開いた。

「切り裂け!」

 長ったらしい呪文はいらない。
 今のわたしなら、ただ一言でいい。精霊がわたしの思考を読み取り、望む魔法を発動してくれるから。

 発生した風の刃はまっすぐに暗殺者の足へと襲い掛かり、深い裂傷を与える。

 血が噴き出し、体が傾いて。
 そこへ、殿下の剣がまっすぐに振り下ろされた。

 剣の腹で強く頭を殴られて暗殺者は動かない。素早く猿轡を噛ませたところで騎士に引き渡して、戦いはあっけなく終了した。

「……ッ」

 緊張の糸が切れたように、殿下の体が膝から崩れ落ちる。
 両膝を地面につき、四つ足になった殿下はひどく荒い呼吸を繰り返している。
 命の取り合いを乗り越えた疲労?いいや、違う――

「来るな!」

 駆け寄ろうとしていた私と騎士を殿下が拒む。

「毒だ。ミイラ取りがミイラになる前に、すぐに応援を……スミレの乙女!?」
「黙ってください」

 知ったことか。殿下の制止を、どうしてわたしが聞かないといけない。
 殿下は、わたしのことなんて何一つ聞きやしないのに。

 風に乗ってわずかに香ってくるのは、確かに毒のにおい。強い麻痺毒。
 耐性がないと一週間くらいは手足にしびれが残るだろうけれど、その程度。森でよくとれる毒草を濃縮して得られるお手頃な毒物。

 ……殺しではなく誘拐となると、この男は暗殺者ではないのかもしれない。

「お、ぃ、スィレのぉおぇ」

 すでに何を言っているかわからなくなっている殿下の制止なんて聞き入れるに値しない。何よりこの人は、自分が一番高貴な、それこそ他の誰をも犠牲にして守られるべき存在であると自覚していないのだろうか。

 ――そしてどうしてわたしは、殿下を助けるために動いているのだろうか。

「すでに舌が回らなくなっているんでしょう? 黙っていてください」

 おそらくはナイフに塗ってあった飛沫を浴びたのだろう。
 地面に転がっている殿下の姿は無様で、けれど彼を笑う気にはなれなかった。さすがに、そこまでわたしは堕ちていない、そう思いたかったし、そうありたかった。

 何より、これは別に救命行為じゃない。心身が弱い者ならさておき、騎士として活動している殿下の命を害するようなものじゃない。

 だから、ただ症状をやわらげ、あるいは進行を阻むだけ。それだけ――わたしはどうしてこうも言い訳じみた言葉を頭の中で重ねているのだろうか。

「水をちょうだい」

 精霊が応え、殿下の頭の上に水の塊が出現する。
 それは一瞬にして弾け、冷たい水が殿下に襲い掛かる。

 冬の夜に水をかける。なんて鬼畜で心躍る……コホン。わたしはまとも、わたしは善良。

「なに、を、して……?」

 ぬれねずみになった殿下から、ひどくとげのある声が聞こえてくる。まだろれつが怪しく、けれどつい先ほどよりもずっとましな症状。

 ああ、そうだ。それでいいんだ。

 殿下は、わたしがただ恨んでいられる、心無い存在であってほしい。

 冷血で無慈悲な氷の王子。そうあれば、わたしは何も考えずに恨み続けられる。
 お飾りの妻になったことを受け入れられる――嘘だ。受け入れるなんて無理だ。けれど、気持ちを和らげることができる。怒りという形で吐き出すことができる。
 それは例えば、狩りによって鬱憤を晴らす形で。

 きっと、それができなかったから、スヴェルトヴィナ・ルクセントは狂ったのだ。

 ハンナ曰く似ているというのは業腹だけれど、反面教師として彼女のことは覚えておこう。

「……この毒は水溶性です。特に揮発した液体が入ることによって麻痺が急速に進行します」
「……お、前は」
「わたしは、狩りにも使って慣れていますから。雑草のごとくどこにでも生えている草を煮詰めて作る毒ですよ。狩りのために匍匐前進でもしていれば擦り傷からしみます。今更この程度で麻痺にはなりませんよ」

 つまり、以前フィナンがわたしに一服盛ろうとした毒は、この麻痺毒以上に強力なものだったということであるわけで。
 懐かしい記憶を刺激されながらも、殿下を見下ろしていれば不思議な高揚感が身を包んだ。

 冬の夜。冷たい水を頭からかぶって水たまりに転がる殿下は無様で、おかしかった。

「違……なぜ、だ」

 何が違うのだろう? 殿下は、何を言おうとしているのだろう。

 考えながら濡れそぼった殿下に肩を貸す。冷たい水はあっという間にわたしの衣服にもしみてきて体が小さく震える。

「以前、一応助けてもらった恩返しですよ。これで貸し借り無しというわけです」

 貸し借りと意識していたわけではなかった。ただ、わたしたちの関係の決別を意味するために、わずかに心にあるつながりを断つために、気づけば言い訳じみた言葉を重ねていた。

 そうして歩き去ろうとして。けれどまだ、殿下の熱いまなざしはまっすぐにわたしへとむけられていた。

「そうじゃ――」

 今以上のどんな言葉が、わたしたちに必要だろうか?

「まだ何か?」

 はくはくと、空気を求めるように口が動く。あいにくと読唇術なんていうものは身に着けていないけれど、それでも殿下が、まだ何かを問いたいらしいことは分かった。
 ――だから、なんだというのか。

「……貸し借り無しであれば、遠慮なく恨んでいられるでしょう?」

 これが殿下の求める問いへの答えではないとは分かっていた。
 けれど、言わずにはいられなかった。
 夜の街を一人で動き回り、暗殺者に身柄を狙われるような阿呆を、こき下ろさずにはいられなかった。

 だって、そうでもしないと心臓が静まりそうになかったから。

 早鐘にせかされるように歩を進めながら胸に手を当てて己に問いかける。
 この鼓動のわけを。この痛み、この苦しみの理由を。

 敵であれど、顔見知りが倒れているのを捨て置けなかった。

 ただそれだけだを言い聞かせても、なんだか釈然としなかった。
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