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第一部・三章 魔術の街・アースリア
第十八話
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空は一面真っ赤だ。
夕陽の色ではなく、熟しすぎた山ぶどうを垂らしたような、鈍く沈んだ赤色だけが無限に広がっている。
対して、地上は黒い。彼方に連なる異様に切り立った山脈、手前に存在する奇妙な形の岩山、ところどころに見える水面までも、消し炭を思わせる黒に染まっている。曲がりくねった枯れ木の肌のみが、磨かれた骨のように白い。
全てを切り裂くように吹きすさぶ風が、枯れ木の梢を震わせて、物悲しい叫び声を長く響かせた。
こんな場所が、この世界にあるとは信じ難い。まるで、創世神に見放されたような、廃れた世界。
いや、間違ってはいない。
何故ならここは、壁の向こう側の世界。邪教神が支配している、魔界なのだから。
「いつ見ても、薄気味悪い場所だ……」
飛竜にまたがった騎士が、終焉の地を思わせる大地を見下ろしながら呟いた。
創世神の加護が及ばない場所、邪教神を奉ずる魔族の国、破壊衝動に駆られた醜い亜人が住む汚れた場所、それが魔界。
そして、魔界の上空を飛んでいるのは、創世神の使いである天界の騎士だ。
騎士自身は、魔界には何度も偵察を兼ねて訪れている。その都度同じような感想が口から漏れている。
邪教神によって支配された魔界では、地に麦は育たず、川に魚は棲まない、文字通りの荒野だ。
力が全てである魔界に於いて、弱者はただ淘汰されるだけ。
過去に創世神が話してくれたが、魔界では病人が粗末な藁の寝床に放置され、飢えた子らが弱々しく泣き続けているらしい。
大戦前では創世神自らが魔界に赴き、貧相な亜人に食糧を恵んだ。長持ちだけが取り柄の、大して美味しくもない固焼きパンを次々に引ったくって無我夢中で齧りつく亜人の子供たちの姿が、今でも忘れられないと言っていた。
創世神様は、人界だけでなく、魔界に住む民をも救おうとした慈悲深きお方だ。
だがその慈悲を、魔界は裏切った。
創世神様が愛してやまない人界の民を虐殺し、私欲の限りを尽くした魔界の民を、私は許さない。
差し出された救いの手を振り払った魔界の民など、創世神に忠誠を誓った私が、一匹残らず淘汰してみせる。奴等の言う、力による蹂躙で。
苛立ちを隠しながら、本来の任務である洞窟の確認を遂行する。
今回の任務は、壁に出来た綻びを塞ぐこと。
近年、魔界の民が偵察を目的に少数で人界に侵入している。
最近でも、コモレヴィの森でそれらしき集団を目の当たりにした。
あの時は、一人の少女が魔界に連れ去られる直前だった。
人界の民が魔界に連れ去られる事例は、大戦時に一件だけある。
連れ去られたのは男性五人、女性十人と、圧倒的に女性の方が多かった。
連れ去られた男性たちは、魔族や亜人によって過度な強制労働をさせられ、最後には皆殺しにされてしまった。
女性たちは、何度も闇商人の間に売り飛ばされ、最後は決まって上級魔族の元へ送られる。
上級魔族の元に送られた女性はみな、何人もの魔族に汚された後に処刑されていた。
なんとか連れ戻した二人の女性も、当時のトラウマに怯え、自殺してしまった。
少しでも遅れていたら……想像するだけで怒りがこみ上げてくる。
創世神様が愛する民を守れなかったとなれば、この命を捧げても足りないほどの屈辱だ。
だが彼女は、勇敢な少年によって救われた、と言っても過言ではない。
近くの村で彼女と共に暮らす少年が、身を挺してまで稼いだ時間のお陰で、被害が最小限に済んだ。
私の命を繋ぎ止めたのも、彼女を救い出したのも、全てあの子のお陰でもある。
「……元気かな。カズヤ君は」
懐かしむように告げ思い出す彼の姿は、未だに鮮明に覚えている。
人界の果てまで見てきた私の中で、彼ほど勇敢な男は数少ない。自分のためではなく、誰かを守るために剣を振るう彼ならば、きっと、立派な剣士になれるだろう。
とはいえ、彼は辺境の村に住む少年。常に中都にいる私と再会することは、多分二度とない。
それでも、もう一度会いたい思いはある。本来、騎士は民との接触は極力避けなければいけないのだが。
──縁があればもう一度出会い、ゆっくりと話し合いたいものだ。あの時のお礼も、もう一度言いたいしな。
思い出し笑いをしながら壁の点検をしてる最中、
「ッ──!?」
突如、頭上から異質な覇気を察知し、顔を上げる。
だが既に、異質な覇気は消えていた。
「…………今のは、一体なんだ」
騎士は心臓に手を添え、早まっている鼓動を感じ取った。
人界に仇なす者を成敗する守護者である騎士は、自分が抱いた感情に疑惑を覚えた。
禁書目録と天界の騎士という絶対的圧力によって、組織だった反乱集団など存在しない現在、天界の騎士にとって本当の戦場は魔界以外にはない。
ゆえに騎士は知らない。本当の恐怖を。生物が持つ根源的厄災に対する、底無しの恐怖を。
そして後にこれが、人界全土を震撼させる事件へ繋がってしまうことを、天界の騎士も、創世神も知る由はなかった。
***
異世界に訪れてから、早くも一ヶ月以上経つ。
見るもの全てに興奮していたが、一ヶ月も経てば大抵のものには驚かなくなった。
最初は驚き戸惑っていた魔術でさえも、今では普通に使うことが出来る。覚えるのが大変な禁書目録も、今では半分も暗記している。
戴天の鉤爪を素材にした剣も、サランの街の惨劇以降毎日手入れと素振りをしている。
手入れの時には、剣に感謝しながら磨き、早くこいつに相応しい男になるために振り続けた。
その甲斐あって、剣は元よりも軽くなり扱いが上手くなった。まだ完全に扱えないにしても、初めの頃に比べれば大分成長している。
自分でも驚きではあるのだが、人間は環境の変化に絶えず適応出来る生物なのだと思い知らされた。
突然の異世界転移には動揺したが、二週間ぐらい暮らしているうちに、かなり順応出来た。寧ろ、元いた世界で味わえない体験が楽しいくらいだ。
こんな気持ちを、高校入学以降味わった覚えがない。
毎日決まった時間に登校して、決まった教科を無心でやり続けていき、決まった時間に帰る。
まるで機械のような日々を過ごしていた俺にとって、元の世界がいかにちっぽけだったのかを痛感した。
世界には驚きで溢れている。
自らの足で赴き、目で見て感じなければ得られない経験は、世界にはまだ多く存在する。
可能なら、人界の全てを知りたい。人界を知り尽くした後は、壁の向こう側──魔界にも……。
「また日記書いてるの?」
不意に右隣から声をかけられ、手を止める。
獣人族のサヤが、興味深そうに覗き込んできたのだ。
「毎日書くようにしてるから」
「ほんと……男とは思えないロマンチックな趣味ね。前世は女の子だったんじゃないの?」
相も変わらぬ辛辣な舌鋒だ。いや、出会った当初からかなり手厳しい性格ではあった。
「うるさいな。記録を残しておくのはいいことだろ」
「それもそうだけど……昨日は特に何も起きてないでしょ? 記録することなんてあった?」
指摘通り、昨日はサヤと口論して寝ただけだ。
アースリアまで後一日かかるため、取り留めて日記に書くような事は起きていない。
強いて言うなら、
「お前と話したことかな。日記に書いたのは」
不意に漏れた台詞に、獣耳を立たせながら反応した。
昨日起きたイベントといえば、一日中サヤと情報交換……いや話し込んだぐらいだ。
これから向かうアースリアと魔術剣修道学園についてと、村での生活など、話題は尽きることはなかった。
最初は暇つぶし感覚で始めた会話も、熱中する頃には時間が経つのを忘れてしまい、話し終えると空は暗くなっていた。
それでも話し合いは止めず、光素魔術で明かりを灯し、サヤが用意してくれた弁当を食べながら話し続けた。
「……つまり、私と話したのを記録してくれたってこと?」
尻尾の先を弄りながら尋ねてくるサヤは、顔を俯かせている。
何故尻尾を弄っているのか気になったが、触らぬ神に祟りなしというし、触れないでおこう。
「書くことがそれしかなかったからな」
適当に言うや、隣から小さなため息が聞こえた気がした。が、指摘すると怒られそうなので聞こえなかったことにする。
麻袋に日記を入れると、隣に立てかけておいた剣が倒れてきた。
なんとか受け止めながら、剣を無言で見詰める。
サランの街の惨劇では、この剣があったから戦えたと言っても過言ではない。実際、こいつのお陰で魔獣の進行を一時的にとは言え食い止められたのだから。
この剣を持っていると、理由は不明だが自分に自信を持つことが出来る。
人界最強の騎士が、自分に似合うと言って称賛してくれたから? 人界を守護竜が素材だから?
違う。
多くの憶測が湧き出るが全て違うと否定出来る。
騎士は言っていた。人が剣を選ぶんじゃない。剣が人を選ぶんだと。
その意味が、今なら分かるかもしれない。
使い手が存在せず、誰にも必要とされなかった剣。
異世界に一人迷い込んだ男。
俺と剣は、孤独を味わっている。
そして今、味わった孤独を分かち合うように、剣自らが俺の元に赴いた。
過去の俺なら、今の自分を嘲笑っていただろう。剣に意思なんて存在するわけがないと、自嘲気味に言い捨てていただろう。
だが異世界で暮らす中で、この剣は相棒といっても差し支えのないほど頼もしい存在になっている。
孤独に降り立った異世界に於いて、剣は俺を正しい道へ導き出すために君臨したと思えてきた。
俺が今も寂しさに押し潰されないでいるのは、この剣のお陰だ。
剣に感謝しながら麻布から取り出し、鞘を超え、刀身へと想いを送り込む。
「側にいてくれて……ありがとうね」
短く囁きかけ、優しく撫でる。
剣が何かしらの反応を示すわけもないのに、何故感謝の言葉を送ったのかは、きっと自分にしか分からないだろう。俺と剣にしか通じないものがあるのだから……。
「早く銘を付けなきゃな……」
麻布で包まれた剣を眺めながら、ぼそりと呟く。
異世界では、自分が愛用する剣に親しみを込めて銘を付ける風習が出回っている。
以前の俺なら、物に名前なんて痛いヤツと言っていたが、今は素晴らしい行為だと思っている。むしろ、生涯を共にする剣に銘を付けないほうが失礼に値する。
大切な相棒なら、銘ぐらい早く付けてあげなくてはならない。
だが自分にはネーミングセンスの欠片も存在しないため、剣に似合う名前がどうしても決まらないでいた。
これまでは適当に流していたが、愛着が湧いた剣に適当な名前は付けたくない。出来れば立派な名前を付けてあげたい。
だがしかし、なけなしの知恵と欠片もないネーミングセンスを必死に働かせるも、やはり適した名前など一つも思い浮かばずに、宿泊施設を設置した馬車はアースリアへ到着した。
アースリア──。
人界で二番目に栄えた街であり、魔術師が多く暮らす魔術街とされている。
人界創世期から続く高貴な歴史が存在し、今なお優秀な魔術師を育でている。
現在、アースリアは大きく分けて五つの区画が存在している。
港に面した市場と工業地帯の東地区。
田園地帯も残りつつ商人や一般人たち居住区となっている南地区と北地区。
少しお偉い方々が住む中央地区。
そして、学園や研究機関が存在する西地区。
そんなアースリアの中で最も有名な建物は、魔術修道学園と言われた、魔術剣修道学園の姉妹学園。
年間数万人の優秀術師を生み出している、いわゆるエリート校。
魔術の街と言われるだけあって、他の街と一色違う雰囲気を醸し出している。
「見ろよサヤ。ここ一体全部書庫だぞ」
長旅で疲れ切っているはずなのに、街の雰囲気に呑まれたのか、疲れが吹き飛んだかのようにはしゃいでしまう。
俺とサヤがいる場所は、学園や研究機関が存在する西地区。主に魔術師が自らの鍛錬のために設けられた書庫館が多く連なっている。
「教会にも書庫はあったが、ここはその何倍もデカいな。それに本の種類も豊富だ」
国語辞書のように分厚い本を読みながら、後ろに座っているサヤに話しかける。
だが何の反応も返ってこない。不審に思い振り返ると、
「……なんだよ。もう寝てんのか」
ため息を吐きながら、幸せそうに眠っているサヤと、膝の上で眠る月兎を交互に見る。
長旅で疲れたのは分かるが、せめて宿まで耐えてくれよ。などと肩を竦めながら、本を片手に座り込む。
何故俺たちは気ままに本を読んでいるのか。それには理由があった。
二日掛けて到着したアースリアで、俺たち二人と一匹は衝撃の事実を知らされた。
中都行きの便は現在、運休中だった。
どうやら最近、中都までの道のりに魔獣が出るようになってしまい、進路を大きく変更しているらしい。
魔獣が相手なら俺たちで……と思ったが、前の街では偶然勝てたようなもの。相手の規模が分からない内に戦うのは無謀だ。
街の衛士に討伐を依頼しているため、俺たちは仕方なく街に滞在することを決め、その間に観光でもしようということになった。
そして現在に至る。
最初は楽しそうに尻尾を振っていたサヤは、三軒目で完全に寝てしまった。
俺は昨晩熟睡していたのと、本に夢中になっているため眠気はない。
今読んでる本は、人界創世紀に関する書物でなく、北の山に住む守護竜・戴天についての書物だった。
と言っても、人界全土に浸透しているのか、教会で見た記述となんら変わらない。
剣の銘を決めるヒントがあるかと期待していたが、特に意味はなかった。強いて言うなら、戴天の二つ名が《炎熱竜》という事ぐらいだ。
ため息をつきながら本を元あった場所に戻そうとした、次の時。
誰かの手が、本を持つ腕を掴んできた。
顔を向けると、そこには一人の男性が立っていた。
「あの……どうかしましたか?」
同年代と思える男性は、両目を輝かせながら言った。
「その本、貸してもらえませんか?」
その本……? 戴天の本のことか。理解すると同時に腕が解放される。
男性に本を手渡すと、表情を明るくしはっきりした声で言った。
「ありがとうございます!」
男はぺこりと頭を下げ、小走りで遠くへ行ってしまった。
「……なんだったんだ、さっきのは」
夕陽の色ではなく、熟しすぎた山ぶどうを垂らしたような、鈍く沈んだ赤色だけが無限に広がっている。
対して、地上は黒い。彼方に連なる異様に切り立った山脈、手前に存在する奇妙な形の岩山、ところどころに見える水面までも、消し炭を思わせる黒に染まっている。曲がりくねった枯れ木の肌のみが、磨かれた骨のように白い。
全てを切り裂くように吹きすさぶ風が、枯れ木の梢を震わせて、物悲しい叫び声を長く響かせた。
こんな場所が、この世界にあるとは信じ難い。まるで、創世神に見放されたような、廃れた世界。
いや、間違ってはいない。
何故ならここは、壁の向こう側の世界。邪教神が支配している、魔界なのだから。
「いつ見ても、薄気味悪い場所だ……」
飛竜にまたがった騎士が、終焉の地を思わせる大地を見下ろしながら呟いた。
創世神の加護が及ばない場所、邪教神を奉ずる魔族の国、破壊衝動に駆られた醜い亜人が住む汚れた場所、それが魔界。
そして、魔界の上空を飛んでいるのは、創世神の使いである天界の騎士だ。
騎士自身は、魔界には何度も偵察を兼ねて訪れている。その都度同じような感想が口から漏れている。
邪教神によって支配された魔界では、地に麦は育たず、川に魚は棲まない、文字通りの荒野だ。
力が全てである魔界に於いて、弱者はただ淘汰されるだけ。
過去に創世神が話してくれたが、魔界では病人が粗末な藁の寝床に放置され、飢えた子らが弱々しく泣き続けているらしい。
大戦前では創世神自らが魔界に赴き、貧相な亜人に食糧を恵んだ。長持ちだけが取り柄の、大して美味しくもない固焼きパンを次々に引ったくって無我夢中で齧りつく亜人の子供たちの姿が、今でも忘れられないと言っていた。
創世神様は、人界だけでなく、魔界に住む民をも救おうとした慈悲深きお方だ。
だがその慈悲を、魔界は裏切った。
創世神様が愛してやまない人界の民を虐殺し、私欲の限りを尽くした魔界の民を、私は許さない。
差し出された救いの手を振り払った魔界の民など、創世神に忠誠を誓った私が、一匹残らず淘汰してみせる。奴等の言う、力による蹂躙で。
苛立ちを隠しながら、本来の任務である洞窟の確認を遂行する。
今回の任務は、壁に出来た綻びを塞ぐこと。
近年、魔界の民が偵察を目的に少数で人界に侵入している。
最近でも、コモレヴィの森でそれらしき集団を目の当たりにした。
あの時は、一人の少女が魔界に連れ去られる直前だった。
人界の民が魔界に連れ去られる事例は、大戦時に一件だけある。
連れ去られたのは男性五人、女性十人と、圧倒的に女性の方が多かった。
連れ去られた男性たちは、魔族や亜人によって過度な強制労働をさせられ、最後には皆殺しにされてしまった。
女性たちは、何度も闇商人の間に売り飛ばされ、最後は決まって上級魔族の元へ送られる。
上級魔族の元に送られた女性はみな、何人もの魔族に汚された後に処刑されていた。
なんとか連れ戻した二人の女性も、当時のトラウマに怯え、自殺してしまった。
少しでも遅れていたら……想像するだけで怒りがこみ上げてくる。
創世神様が愛する民を守れなかったとなれば、この命を捧げても足りないほどの屈辱だ。
だが彼女は、勇敢な少年によって救われた、と言っても過言ではない。
近くの村で彼女と共に暮らす少年が、身を挺してまで稼いだ時間のお陰で、被害が最小限に済んだ。
私の命を繋ぎ止めたのも、彼女を救い出したのも、全てあの子のお陰でもある。
「……元気かな。カズヤ君は」
懐かしむように告げ思い出す彼の姿は、未だに鮮明に覚えている。
人界の果てまで見てきた私の中で、彼ほど勇敢な男は数少ない。自分のためではなく、誰かを守るために剣を振るう彼ならば、きっと、立派な剣士になれるだろう。
とはいえ、彼は辺境の村に住む少年。常に中都にいる私と再会することは、多分二度とない。
それでも、もう一度会いたい思いはある。本来、騎士は民との接触は極力避けなければいけないのだが。
──縁があればもう一度出会い、ゆっくりと話し合いたいものだ。あの時のお礼も、もう一度言いたいしな。
思い出し笑いをしながら壁の点検をしてる最中、
「ッ──!?」
突如、頭上から異質な覇気を察知し、顔を上げる。
だが既に、異質な覇気は消えていた。
「…………今のは、一体なんだ」
騎士は心臓に手を添え、早まっている鼓動を感じ取った。
人界に仇なす者を成敗する守護者である騎士は、自分が抱いた感情に疑惑を覚えた。
禁書目録と天界の騎士という絶対的圧力によって、組織だった反乱集団など存在しない現在、天界の騎士にとって本当の戦場は魔界以外にはない。
ゆえに騎士は知らない。本当の恐怖を。生物が持つ根源的厄災に対する、底無しの恐怖を。
そして後にこれが、人界全土を震撼させる事件へ繋がってしまうことを、天界の騎士も、創世神も知る由はなかった。
***
異世界に訪れてから、早くも一ヶ月以上経つ。
見るもの全てに興奮していたが、一ヶ月も経てば大抵のものには驚かなくなった。
最初は驚き戸惑っていた魔術でさえも、今では普通に使うことが出来る。覚えるのが大変な禁書目録も、今では半分も暗記している。
戴天の鉤爪を素材にした剣も、サランの街の惨劇以降毎日手入れと素振りをしている。
手入れの時には、剣に感謝しながら磨き、早くこいつに相応しい男になるために振り続けた。
その甲斐あって、剣は元よりも軽くなり扱いが上手くなった。まだ完全に扱えないにしても、初めの頃に比べれば大分成長している。
自分でも驚きではあるのだが、人間は環境の変化に絶えず適応出来る生物なのだと思い知らされた。
突然の異世界転移には動揺したが、二週間ぐらい暮らしているうちに、かなり順応出来た。寧ろ、元いた世界で味わえない体験が楽しいくらいだ。
こんな気持ちを、高校入学以降味わった覚えがない。
毎日決まった時間に登校して、決まった教科を無心でやり続けていき、決まった時間に帰る。
まるで機械のような日々を過ごしていた俺にとって、元の世界がいかにちっぽけだったのかを痛感した。
世界には驚きで溢れている。
自らの足で赴き、目で見て感じなければ得られない経験は、世界にはまだ多く存在する。
可能なら、人界の全てを知りたい。人界を知り尽くした後は、壁の向こう側──魔界にも……。
「また日記書いてるの?」
不意に右隣から声をかけられ、手を止める。
獣人族のサヤが、興味深そうに覗き込んできたのだ。
「毎日書くようにしてるから」
「ほんと……男とは思えないロマンチックな趣味ね。前世は女の子だったんじゃないの?」
相も変わらぬ辛辣な舌鋒だ。いや、出会った当初からかなり手厳しい性格ではあった。
「うるさいな。記録を残しておくのはいいことだろ」
「それもそうだけど……昨日は特に何も起きてないでしょ? 記録することなんてあった?」
指摘通り、昨日はサヤと口論して寝ただけだ。
アースリアまで後一日かかるため、取り留めて日記に書くような事は起きていない。
強いて言うなら、
「お前と話したことかな。日記に書いたのは」
不意に漏れた台詞に、獣耳を立たせながら反応した。
昨日起きたイベントといえば、一日中サヤと情報交換……いや話し込んだぐらいだ。
これから向かうアースリアと魔術剣修道学園についてと、村での生活など、話題は尽きることはなかった。
最初は暇つぶし感覚で始めた会話も、熱中する頃には時間が経つのを忘れてしまい、話し終えると空は暗くなっていた。
それでも話し合いは止めず、光素魔術で明かりを灯し、サヤが用意してくれた弁当を食べながら話し続けた。
「……つまり、私と話したのを記録してくれたってこと?」
尻尾の先を弄りながら尋ねてくるサヤは、顔を俯かせている。
何故尻尾を弄っているのか気になったが、触らぬ神に祟りなしというし、触れないでおこう。
「書くことがそれしかなかったからな」
適当に言うや、隣から小さなため息が聞こえた気がした。が、指摘すると怒られそうなので聞こえなかったことにする。
麻袋に日記を入れると、隣に立てかけておいた剣が倒れてきた。
なんとか受け止めながら、剣を無言で見詰める。
サランの街の惨劇では、この剣があったから戦えたと言っても過言ではない。実際、こいつのお陰で魔獣の進行を一時的にとは言え食い止められたのだから。
この剣を持っていると、理由は不明だが自分に自信を持つことが出来る。
人界最強の騎士が、自分に似合うと言って称賛してくれたから? 人界を守護竜が素材だから?
違う。
多くの憶測が湧き出るが全て違うと否定出来る。
騎士は言っていた。人が剣を選ぶんじゃない。剣が人を選ぶんだと。
その意味が、今なら分かるかもしれない。
使い手が存在せず、誰にも必要とされなかった剣。
異世界に一人迷い込んだ男。
俺と剣は、孤独を味わっている。
そして今、味わった孤独を分かち合うように、剣自らが俺の元に赴いた。
過去の俺なら、今の自分を嘲笑っていただろう。剣に意思なんて存在するわけがないと、自嘲気味に言い捨てていただろう。
だが異世界で暮らす中で、この剣は相棒といっても差し支えのないほど頼もしい存在になっている。
孤独に降り立った異世界に於いて、剣は俺を正しい道へ導き出すために君臨したと思えてきた。
俺が今も寂しさに押し潰されないでいるのは、この剣のお陰だ。
剣に感謝しながら麻布から取り出し、鞘を超え、刀身へと想いを送り込む。
「側にいてくれて……ありがとうね」
短く囁きかけ、優しく撫でる。
剣が何かしらの反応を示すわけもないのに、何故感謝の言葉を送ったのかは、きっと自分にしか分からないだろう。俺と剣にしか通じないものがあるのだから……。
「早く銘を付けなきゃな……」
麻布で包まれた剣を眺めながら、ぼそりと呟く。
異世界では、自分が愛用する剣に親しみを込めて銘を付ける風習が出回っている。
以前の俺なら、物に名前なんて痛いヤツと言っていたが、今は素晴らしい行為だと思っている。むしろ、生涯を共にする剣に銘を付けないほうが失礼に値する。
大切な相棒なら、銘ぐらい早く付けてあげなくてはならない。
だが自分にはネーミングセンスの欠片も存在しないため、剣に似合う名前がどうしても決まらないでいた。
これまでは適当に流していたが、愛着が湧いた剣に適当な名前は付けたくない。出来れば立派な名前を付けてあげたい。
だがしかし、なけなしの知恵と欠片もないネーミングセンスを必死に働かせるも、やはり適した名前など一つも思い浮かばずに、宿泊施設を設置した馬車はアースリアへ到着した。
アースリア──。
人界で二番目に栄えた街であり、魔術師が多く暮らす魔術街とされている。
人界創世期から続く高貴な歴史が存在し、今なお優秀な魔術師を育でている。
現在、アースリアは大きく分けて五つの区画が存在している。
港に面した市場と工業地帯の東地区。
田園地帯も残りつつ商人や一般人たち居住区となっている南地区と北地区。
少しお偉い方々が住む中央地区。
そして、学園や研究機関が存在する西地区。
そんなアースリアの中で最も有名な建物は、魔術修道学園と言われた、魔術剣修道学園の姉妹学園。
年間数万人の優秀術師を生み出している、いわゆるエリート校。
魔術の街と言われるだけあって、他の街と一色違う雰囲気を醸し出している。
「見ろよサヤ。ここ一体全部書庫だぞ」
長旅で疲れ切っているはずなのに、街の雰囲気に呑まれたのか、疲れが吹き飛んだかのようにはしゃいでしまう。
俺とサヤがいる場所は、学園や研究機関が存在する西地区。主に魔術師が自らの鍛錬のために設けられた書庫館が多く連なっている。
「教会にも書庫はあったが、ここはその何倍もデカいな。それに本の種類も豊富だ」
国語辞書のように分厚い本を読みながら、後ろに座っているサヤに話しかける。
だが何の反応も返ってこない。不審に思い振り返ると、
「……なんだよ。もう寝てんのか」
ため息を吐きながら、幸せそうに眠っているサヤと、膝の上で眠る月兎を交互に見る。
長旅で疲れたのは分かるが、せめて宿まで耐えてくれよ。などと肩を竦めながら、本を片手に座り込む。
何故俺たちは気ままに本を読んでいるのか。それには理由があった。
二日掛けて到着したアースリアで、俺たち二人と一匹は衝撃の事実を知らされた。
中都行きの便は現在、運休中だった。
どうやら最近、中都までの道のりに魔獣が出るようになってしまい、進路を大きく変更しているらしい。
魔獣が相手なら俺たちで……と思ったが、前の街では偶然勝てたようなもの。相手の規模が分からない内に戦うのは無謀だ。
街の衛士に討伐を依頼しているため、俺たちは仕方なく街に滞在することを決め、その間に観光でもしようということになった。
そして現在に至る。
最初は楽しそうに尻尾を振っていたサヤは、三軒目で完全に寝てしまった。
俺は昨晩熟睡していたのと、本に夢中になっているため眠気はない。
今読んでる本は、人界創世紀に関する書物でなく、北の山に住む守護竜・戴天についての書物だった。
と言っても、人界全土に浸透しているのか、教会で見た記述となんら変わらない。
剣の銘を決めるヒントがあるかと期待していたが、特に意味はなかった。強いて言うなら、戴天の二つ名が《炎熱竜》という事ぐらいだ。
ため息をつきながら本を元あった場所に戻そうとした、次の時。
誰かの手が、本を持つ腕を掴んできた。
顔を向けると、そこには一人の男性が立っていた。
「あの……どうかしましたか?」
同年代と思える男性は、両目を輝かせながら言った。
「その本、貸してもらえませんか?」
その本……? 戴天の本のことか。理解すると同時に腕が解放される。
男性に本を手渡すと、表情を明るくしはっきりした声で言った。
「ありがとうございます!」
男はぺこりと頭を下げ、小走りで遠くへ行ってしまった。
「……なんだったんだ、さっきのは」
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気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
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※この小説は小説家になろうとカクヨムにも投稿しています
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