異世界転生 剣と魔術の世界

小沢アキラ

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第二部・四章 虚なる存在

第二十七話

 最小限の動きによる、最大限に効率的な剣。
 カズヤは、これまで見たどんな流派とも異質な邪教神の剣技を、そのように感じた。
 まず、ほとんど足が動かない。こちらの攻撃を避ける時は、ごくわずかに地面を滑るだけ。また、攻撃に際しても予備動作がないに等しい。右手に緩く握られた剣が、突然ゆるりと最短距離を飛んでくる。
 つまり、動きの予想が不可能に近い。瞳の動きを見ても、底無しの闇しか広がらない瞳孔は何も捉えていない。
 決して素早くも力強くもない攻撃だが、既にカズヤは、実に七回も反撃を許さなかったのだ。
 しかし、七回で充分だった。
 膨大な戦闘経験から、邪教神の技の呼吸さえもおおよそ摑んだカズヤは、八回目で初の反撃に転じた。
「ハッ!」
 こちらも最低限の気合を放ちつつ、邪教神の上段斬りの先を取って、同じく上段斬りを繰り出す。
 激しい金属音を、青白い火花が彩った。
 二本の剣が空中で交差する。ここからは力勝負だ。さしたる抵抗もなく、敵の剣が沈んでいく。圧力に耐えかねたかのように、長身の邪教神が膝を曲げる。
 ──好機!!
 カズヤは、練り上げた意思力を愛剣に注ぎ込んだ。使い込まれた漆黒の刀身が、眩い燐光を帯びる。邪教神の長剣をじわじわと押し下げた焔天剣の切っ先が、敵の肩に触れ、鎧の表面に食い込み──。
 瞬間、邪教神の剣が怪しく輝いた。
 青紫色の燐光が生き物のように蠢き、焔天剣に絡みつく。同時に、力強く漲っていた輝きが、萎れるように消えていく。
 ──なんだ、これ。
 いや……。
 そもそも、俺は、何を……している……。
 ビシッ、という鋭い音とともに左肩に凍るような冷たさを感じ、カズヤはハッと両眼を見開いた。大きく飛び退き、大きく呼吸して、一瞬遠ざかりかけた意識を立て直す。
 ──あいつ、俺の中に直接。
 負の因子を流し込みやがった。
 恐ろしい効力だ。まるで、自分がなぜこの場所にいるのか、自分が誰なのかすらも解らなくなったかのような、強制的な空白が意識を侵食してきた。
「お前……舐めた真似してくれるじゃないか」
 低い唸り声でカズヤは言い放った。
 答えは、ごく淡い無音の微笑だった。
 舌打ちして、左肩を一瞥する。炎素で形成した鎧と、元から着てる鎧のお陰で、かすり傷で済んでいる。
「剣も撃ち合えない、魔術も効かない。ったく、面倒な戦いだな」
 にやりと笑いながらカズヤが嘯くと、邪教神は逆に笑みを消し、呟いた。
「……そろそろ、黙らせるか」
 直後、右手の長剣を、無造作に突き出してくる。しかし完全に間合いの外だ。刃が届くはずはない──。
 空中で止まった切っ先から、青黒い粘液めいた光がそのまま伸びた。
 ……まさか、遠間から。
 という思考が閃いたのと、光がカズヤの胸に触れたのは同時だった。
 蝋燭の炎が立ち消えるように、意識がふうっと遠ざかった。
 カズヤは、するすると近づいてきた長剣が、左腕の下に忍び込むのを棒立ちのままただ眺めた。
 剣は、無造作に跳ね上げられ。
 重く湿った音を響かせて、カズヤの腕が付け根から切り落とされた。

 意識が戻る。
 重心が狂い、よろめいたカズヤは、地面に転がった、かつて左腕だったものを踏みつけた。
「く……う……うぅッ!!」
 カズヤは、喉から溢れ出しかけた悲鳴を、どうにか低い呻き声に押し留めた。痛い、なんてレベルじゃない。高温のバーナーで焼かれ続けてるような、許容量を超える痛覚の爆発。
 再び大きく飛んで距離を取る。
 左肩の傷口から零れた血が、大地に深紅の弧を描いた。
 ──なんだよ、今の。
 剣を向けられただけで、意識を停止させられた……だと。
 焔天剣を握ったままの右手──炎素の鉤爪を装着したまま、左肩の傷口にかざす。強引で危険な治療だが、傷口を完璧に塞ぐだけの空間魔素もなければ、治癒術を詠唱する暇もない。
「が……あぁ……あぁぁぁ──ッ!!」
 何十倍もの激痛に悲鳴を零しながら、傷口を焼いて塞いでいく。二、三度気絶しかけるも、舌を噛み無理矢理意識を引き戻す。
 地獄の激痛が収まり、朦朧とする意識の中、カズヤは思考を回転させた。
 ──どう対抗する。
 魔術も駄目、剣技も駄目。おまけに左腕は文字通り使い物にならない。いや、例え使えたとしても意味はない。
 残る奥の手は、焔天剣の解放術しかない。しかしあの技を発動するには、困難な問題がある。悠長な攻撃動作を敵が黙って見ていてはくれないということ。
 カズヤは、額から流れてきた汗を、瞬きで振り払った。
 そして、不意に気付いた。
 俺の死地は、ここだ。生死の際の際に、今立たされている。
「……ふっ」
 絶対絶命の状況を正確に認識してなお、カズヤは笑みを浮かべた。
 意識を、ゆるゆると近づいてくる邪教神から、遥か遠くにいるセレナへと動かす。
 ──セレナ。
 君と一緒にいられて、俺は幸せだったよ。違う人格だったとしても、君の意思が変わっていなくて、凄く嬉しかった。
 結局、最後の最後まで自分の気持ちが分からなかったよ。
 でも、これだけは解る。
 俺は最後まで、君のために戦い続ける。
「愛する人の未来を守るために……絶対に倒す!!」
 叫び、カズヤは地を蹴った。
 策も何もなく、ただ己の全てを愛剣に込めて、特異点はまっすぐに走った。

「が……はっ……」
 荒い呼吸とともに吐き出された大量の血液が、足許に飛び散った。
 空間に直接干渉する魔術は、肉体にも過大な負荷を与える。既に十分以上もの間、索敵魔術を維持しているため、精神を合わせて尋常じゃなく消耗している。
 それでも創世神は、索敵魔術でカズヤを探し続けた。
 ──カズヤくんを助けるまで、倒れるわけにはいかない。
 全身の感覚はもうないに等しい。灼けるような熱だけが神経を駆け巡り、視界を歪ませる。
 ──あの子の命の重さに比べれば……私の体なんて!! 
 異世界から偶然迷い込み、運命に翻弄され続けながらも、決して諦めることなく戦い続けた彼は、私が絶対に助け出す!
 その願いは、彼が特異点という理由ではなく、水樹和也という少年を案じての願いだった。
 索敵範囲を魔界全体にまで広げた時、それは反応した。
 魔界と人界の最南部、ギリギリの境界線から、微弱な反応と強大な反応が、二つ感じ取れる。微弱な反応からは、微かながら空間魔素を纏っているのも解る。
「見つけたッ!」
 すぐに座標を設定した転送魔術を詠唱し、高位魔術で構築された特殊な光素に呼びかける。
「手の空いてる騎士は今すぐ、神の庭園に来なさい!」
 本来なら私自身が今すぐ赴きたいが、過剰なまでの空間干渉魔術の影響で体に限界が来ている。今の状態で邪教神の対峙すれば、生き残る可能性はゼロに等しい。
 それだけは避けなければならない。私にはまだやらねばならない使命が残されているのだから。
 苦悩を断ち切ったのは、部屋の大扉が開く音だった。
 振り返ると、先程の伝達を聞いた二人の騎士が立っていた。
「騎士セレナ、騎士カムイ。来てくれたのですね」
 既に鎧を完璧に着込んだ二人は、疲れを一切感じさせない表情で創世神に歩み寄り、忠義の姿勢を即座に取った。
「創世神。御用とは一体」
 頭を下げながらも凛々しい雰囲気を崩さないカムイは、創世神の言葉を待っていた。隣のセレナも同様に、頭を下げたまま動かない。
 口許に垂れる血を拭いながら、創世神は口を開いた。
「細かい話をしている暇はありません。あなたたち二人の任務は、邪教神に連れ去られたカズヤくんの救出です」
「なっ!?」
 驚愕の声を上げたカムイが、勢いよく顔を上げた。だが創世神は、全く気に留めずに続けた。
「今から二人をある座標に転送させます。カズヤくんを救出したのち、私の名を叫びなさい。私はここであなたたちとカズヤくんを見ています」
「……了解」
 カムイとセレナは、煮え切れない表情のまま承諾した。本当は聞きたいことが山程あるというのに、創世神の命令には一切の迷いを持てない《偽りの人格》の作用によって、物申すという行為に制限がかかっている。
 だが、セレナは違うというのに、何故反論してこないのだ。
 そんな思考を片隅に、既に転送魔術の範囲に入った二人に告げた。
「無茶な真似はしないでください。あなた方は、人界の希望なのですから」
 それを最後に、創世神は転送魔術を作動させた。一際強い輝きを放ち、範囲内の物質を指定した座標──邪教の間へ転送されていった。

 斬りかかる。
 意識が薄れる。
 受傷の痛みで覚醒する。
 それを何度繰り返したのか、もう解らなかった。
 邪教神は、まるで戦いを長引かせ、絶望を楽しむかのように致命傷を与えてこないが、無数の傷から流れ出た血液、消えかかった炎熱竜鎧が、そろそろ限界に達しつつあることをカズヤは知覚していた。
 もう、戦うだけの気力はない。というのに、カズヤは愚直な攻撃を繰り返した。時には、挑発的な台詞までをも吐きながら。
「……どうやら……剣技の方は、大した腕じゃないようだな……。これだけ当てて、倒せないなんて……初等修剣士にも劣るぜ」
 ぼやける視界で必死に邪教神を捉えながら、なおも剣を振り続ける。
「おら、まだまだ行くぜ」
 気合と共に、真正面から斬りかかる。
 皇帝の周囲に広がる、青紫色の光に体が触れる。
 意思を吸われて、ふっと思考が途切れる。
 気付くと、地面に片膝を突いていて、左頬に増えた傷から音を立てて血が滴る。
 ──諦める、な。
 もう少しだけ保ってくれ。
 ゆらりと立ち上がり、カズヤは背後の皇帝に向き直った。
 これまでほとんど感情を露わにしなかった邪教神の顔に、かすかな嫌悪の色が浮かんでいた。先刻の攻撃でカズヤが飛散させた血の一滴が、白い頬に当たったかららしい。
 指先で赤い染みを擦り落とし、邪教神は囁いた。
「……下らん」
 カズヤが作った血溜まりを踏んで、一歩前に出る。
「君の魂は不味い。意思も、我を殺すことしか考えていない」
 平板な声で言葉を連ねながら、皇帝はさらに一歩近づいた。
「消えろ」
 音もなく持ち上げられた黒い剣が、粘液質の光をまとった。
 カズヤは表情を変えることなく、わずかに奥歯を噛み締めた。
 ──まだ、死ぬわけにはいかない。
「冷めるようなこと、言うなよ。俺は、まだまだ……やれる、ぜ」
 よろよろと、誰もいない空間に向かって数歩踏み出す。右手の剣を頼りなく持ち上げる。
「どこだ……どこに隠れてやがる。そこか……?」
 かつん、と剣先で見当外れな場所を叩き、大きくよろめく。
「あれ……こっち、か……?」
 再び、風切り音すらしない一撃。ずるずると片足を引き摺り、なおも動き続ける。
 大量出血により視力を喪失し、思考すらも混濁している。
 ──何も、見えない。……音も、聞こえない。
 まるで、一人孤独に暗闇を彷徨っている気分だ。怖いという負の感情も、生きたいと思う正の感情すら沸き起こらない。あるのはただ、無限に続く虚無だけ。
「……見つけた……ぜ……、そこに、いたのか……」
 カズヤは弱々しく呟き、左右にふらつきながら、偶然にも邪教神のいる空間に向けて焔天剣を振りかぶった。
 難なく受け止められ、再び、青黒い光が体を掠めた。
 ふっ、と意識が途切れ──。
 再び眼を見開いたカズヤが見たのは、二重の鎧を容易く貫き、己の心臓に深々と突き立った邪教神の長剣だった。

「カズ……ヤ……?」
 騎士セレナは、眼前に広がる異質な光景を前に、短く呟いた。
 最初に見えたのは、半壊した鎧と弱々しい魔術をまとった、カズヤ。鎧で保護されていない箇所からは、真新しい刀傷が刻まれている。
 セレナは、カズヤが受けている傷が顔や胸元だけに留まらないことに気付き、息を呑んだ。
 左腕は、肩口から斬り落とされている。切断面は血で視認できないほど崩壊している。そして、露わになった胸の下には、恐ろしいほど深く、惨たらしい傷が。
 その上、彼の心臓に位置する箇所を貫く、一本の長剣。
 途端、何も考えられなくなった。
 隣に立つカムイは、蒼白な顔に怒りを刻んでいる。既に《激凍剣》を抜刀しており、今すぐにでも斬りかかる気でいる。
 私も、今すぐ彼を助けなきゃいけないのに。創世神様のめいを、真っ当しなきゃならないのに。
 カズヤの惨憺とした姿が目に入った瞬間、全身に力が入らなくなり、何も考えられなくなっていた。
「……ふざけないで、下さい」
 両眼から溢れ出るものと共に、口から不意に零れた。
「あなたの使命は、私を守ることなのでしょう! なら最後まで、責任を持って使命を遂行しなさい!」
 無残な姿で座り込むカズヤに向かって、叫んだ。しかし黒髪の若者は、血の気が失せた顔を動かそうとはしなかった。
 その時、セレナは無意識に叫んだ。

「愚かな者たちだ」
 転送されてきた騎士二人を横目で見ながら、邪教神は呟く。
 自ら死にに来るとは、愚かを通り越して嘆かわしいな。
 まして、既に死んだ特異点に呼びかけるとは。現実も受け止められないほど、哀れな存在に成り果てたな、天界の騎士よ。
 我の目的は特異点の奪取にある。本来ならば、騎士の相手などする必要はないが──。
 奴等は後々障害となり得る存在。消せる内に消しておいた方がいいだろう。
 心臓を貫かれた特異点も、もはや手の打ちようも……。
 瞬間、邪教神を不自然な感覚が襲い掛かった。
 剣を引き抜こうとする右腕が、何かに掴まれる感覚。
 視線を戻すと、腕を力強く摑む手があった。

 俺は自分の体に深々と突き立った金属の輝きを無感動に見つめた。さして何を思うでもない。これで何もかも終わったという無色の諦観があるだけだ。
 全身を苛む激痛が気絶すら許さない。だから俺は、意識が消失するその瞬間まで、この世界で過ごした思い出を思い浮かべていたい。
 視界が暗闇に閉ざされても、黄金のように輝く記憶は鮮明に捉えられる。サヤにワタル、ヒサカゲに創世神、キクノとカムイなど、異世界で出会った人たちとの記憶が、走馬灯のように流れてくる。
 全身に激しい冷気が侵入してきた。体の感覚が薄れていく。冷気は背筋から首を這い登り、頭の中にまで入り込んでくる。皮膚感覚、音、光、何もかもが遠ざかる。
 
 無明の世界へと誘われる俺の意識を呼び止めたのは、ある少女の声だった。

『死なないで! カズヤくん!!』

 聞こえた。俺を勇気づけてくれる、一人の少女──セレナの声が。

 俺は眼を見開いた。見える。まだ見える。俺の胸に剣を突き刺したままの邪教神の顔、油断しているのが分かる。
 体の感覚が薄れているお陰か、激痛を一切感じない。だが、動かない。既に体自身が死を認識している。
 そうはいくものか!
 まだ俺は生きている。まだ俺はここにいる。ならば、今の俺に出来ることをする。
 引き抜こうとする腕を、残された右手で握り締める。邪教神の顔が、驚愕の表情が見える。
「待ってたぜ、この瞬間をッ!」
「なに!?」
「お前が油断したこの一瞬、無駄にはしない!」
 限界に達した喉元から声を絞り出し、立ち上がる。それだけで、口から血が吐き出され、己を貫く長剣を赤黒く染め上げる。
「馬鹿な! 何故動ける! 貴様の体は、死んでいるんだぞ!」
 戦闘中は一切感情を露わにしなかった邪教神が、慌ただしい声を上げた。それだけ俺の身に起きている事象は、不可解なモノなんだろう。
「自分の、能力を忘れたのか……邪教神!!」 
 叫び、弱々しかった炎熱竜鎧の両翼を、一際大きくする。そのまま、邪教神を連れて深紅の空へと飛び立つ。
「お前の負の因子マイナスいんし、それは……あらゆる事象を逆転させる作用を持つ。俺は、それを利用してるんだよ!」
「何だとッ!?」
「死の直前まで追い詰められた意思は、貴様の因子によって! 流石に傷が治るとまではいかないが、意思が戻るだけでも充分だ!!」
 一気に上昇し、先ほどまでの窪地の全貌を見渡せる高さに到達すると、邪教神を下にする形で一気に降下を始めた。全身が砕け散るほどの衝撃と鈍痛が絶え間なく襲い掛かり、わずかな油断で魔術が消失しそうだ。
 それでもカズヤは、光の戻った両眼で、邪教神を睨み続けた。
「ふざけるな! それだけで、死ぬ寸前だった貴様が蘇るはずがない!」
 なお喚き続ける邪教神の顔には、余裕の色は無くなっていた。
 対してカズヤは、口許をかすかに緩めながら、言った。
「それだけじゃない……」
 視線を、地上に立つ一人の少女に向ける。遠目からでもはっきりと分かるほど綺麗な金髪に、凛としていながら、まだ幼さを残す彼女の両眼からは、透き通った涙が今も流れていた。
 カズヤは、蒼白な顔で自分を見上げる少女に、全精神力を振り絞って微笑みかけた。
「人なら誰しもが持つ、当たり前の力……。愛する人からの応援は、無限の力を生み出すんだよ」
 消えようとした意識を呼び止める、セレナの声。たったそれだけで、胸の内側から力が湧いてくる。
 この力の正体を、俺は知らない。だが、決して不快なものではない。
 彼女を思えば、無限に力が湧いてくる。消えかけた戦う意思も、生きようとする意思ですら、絶え間なく湧き出てくる。
「人の魂を喰らう貴様には、一生分からない感情だろうがな!」
 叫び、更に速度を上げる。ギリギリまで繋ぎ止められていた右翼が引きちぎれ、意識も同時に途切れんばかりの激痛が襲いかかるも、カズヤは勢いを止めなかった。
 絶対絶命という状況の中、余裕を取り戻したように、邪教神は余裕の笑みを浮かべながら言った。
「貴様の発想は敬服に値するが、それだけだ! このまま我を叩きつけた所で、さしたる消耗はしない!」
「そんなの、分かってるさ。……だが俺は、結構用心深いんでな……」
「なに……? どういう意味だ」
「後ろを見てみろ……」
 促された邪教神が、背後に顔を向けた。そして、その存在に気づく。
 二人が落下する地点、そこには、焔天剣が突き立っていた。
 あそこは、朦朧とする意識の中、意味もなく切った場所。空虚な場所に出来上がった、わずかな亀裂。そこに剣を立てかけたのだ。
「仕留めるまではいかなくても、動けなくすることは出来る!!」
 その後は、きっと彼らが、邪教神を仕留めてくれる。
 視界の端に映る二人を最後まで捉えながら、カズヤは念じた。
「事象を逆転させようとしても無駄だ! お前の力でも、! 今俺が落下しているのを変えられないように、既に地面に突き立った焔天剣にも、貴様の因子の力は作用されない!」
「や、やめろ。貴様、死ぬ気か!!」
「生憎、お前に一回殺されてるからな。今更、死を恐れる気はない! それに、俺一つの命で貴様を葬る機会があるなら、悔いはない!!」
「ふ、ふざけるな! 我が、邪教神である我が、人間如きに────ッ!!」
 堕天の神の絶叫を聞き流し、焔天剣が突き刺さる地点に向けて更に加速する。心臓に突き刺さる長剣が更に喰い込むも、勢いを一切緩めることはなかった。
 ──終わりだ、邪教神!!

 カズヤが上空に飛び立った時点で、カムイは彼の行動の意図を察した。
 ……身を挺してまで、相打ちを狙うつもりか。
 自分はもう助からないと分かっていながら、最後まで諦めずに戦い続けるなんて。
 だが恐らく、邪教神はそれだけじゃ倒せない。少しのダメージしか与えられない。
 しかし、そのチャンスを無駄にはしない。彼の命を賭してまで残した機会は、絶対に価値があったものにしてみせる。
 両眼に彼の生き様をしっかりと焼き付け、邪教神と共に、焔天剣の突き立つ箇所に激突する。物凄い勢いでの落下もあり、土煙が一気に立ち昇り、二人の姿が見えなくなる。
 静かに、激凍剣を構える。
 ──煙が晴れた瞬間に決める。
 カズヤくん。最後まで、立派な戦士だったよ。失うのは惜しいが、君という存在は、これから人界全土に知れ渡る筈だ。
 邪教神を倒した、英雄として。
 亡き者となったカズヤに冥福を祈り、土煙が薄れ始めた途端、カムイは突撃した。
 十メルの距離を疾駆し、煙の中にひっそりと見える影を捉えた。
 やはり邪教神は死んでいなかった。
 だが、これで終わりだ。姿は見えないが、かなり消耗している上に、隙だらけだ。ここからなら、一秒もかからずに首を斬れる。
 殺意の念を剣に宿し、影に向かって横薙ぎしようとした、寸前──。

 カムイは、手を止めた。
 
 左腕が、ない。
 ひっそりとたたずむ影には、左腕が肩口から無くなっている。
「まさか……」
 カズヤくんは、死んでいなかった。あれだけの負傷と衝撃を受けてなお、奇跡的に助かったというのか。
 有り得ない、とは考えなかった。
 元より彼は、奇想天外な行動で常に周囲を驚かせてきた。柔軟な発想と行動力を持つ彼なら、あの状況でも自分だけが助かる方法を見出し、実行したのかもしれない。
 土煙の向こうから見える影が、少しずつ姿を明らかにしていく。
 大人しいスタイルの、黒い髪。長めの前髪の下の、柔弱そうで、どこか強い意思を宿した両眼。女性と間違えられそうなほど線の細い顔。
 見間違いようがない。彼は紛れもなく、カズヤだ。
 左腕の損傷を何とも思わないほどの凛々しい顔つきを見れば分かる。いくら傷つこうが、最後まで諦めずに戦い続けたのが。
 更に目に入るのは、彼の傍らに倒れ込む、邪教神の亡骸。焔天剣に胸を貫かれており、ピクリとも動かない。
 途端、こみ上げてくるものがあった。
 カズヤが生きていたことも嬉しいが、それ以上に、邪教神が倒されたことの方が大きかった。
 これで、絶望しか残されたいなかった人界に、確かな希望の兆しが出てきた。
「まさか、君が人界を救った英雄になるなんて、思いもしなかったよ」
 傷ついたカズヤに歩み寄り、右肩に手を置く。信じられないほど冷たくなっているが、まだ微かに体温はある。
 今すぐ創世神様の力で教会に帰還し、高位治癒術を施さなければ。
「まずは帰ろう。詳しい話は、教会に戻ってから聞かせてもらうから」
 彼の手を取り、セレナの元に連れて行こうとした、直前。
 カズヤが、口許を微かに緩めた。
 次に、掴んだ手を振り払った。
 不意の行動に一瞬だけ唖然としたが、すぐに我に帰った。
「ごめん。痛かったかい?」
「………………」
「……カズヤくん。何故、さっきから黙っているんだい?」
 目覚めてから一言も発さない彼の不可解な行動を尋ねる。
 しかしカズヤは一切反応を示さず、胸に刺さる剣を引き抜いた。刃が引き抜かれると、深紅の液体が一気に噴き出した。
 次に彼は、ひどく寒々しい、生きた人間の気配を感じられない声で、言った。
「──中々、興味深い体だな」
 それは、カズヤの声とは程遠いものだった。
 カムイは、反射的に後ろへ飛び退いた。そして、離れてから気付く。カズヤが放つ気配が、禍々しいことに。
 見覚えのある気配に、無意識に呟いた。
「……邪教神……」
 この気配は、間違いなく邪教神のものだった。
 だが、信じられない。奴の亡骸は足元に転がっているのに、何故カズヤ本人から気配が放たれているんだ。
 まさか、彼自身の精神に干渉し、肉体を支配したのか。
 不可能な芸当だが、これも否定することが出来ない。
 邪教神も、創世神と同じ世の理から逸脱した存在。空間に干渉できるのだから、人の精神を支配することもできて当然。
 ましてや、今のカズヤは疲弊しきっている。今の彼を支配するのは、邪教神からすれば容易い芸当だ。
 考え込んでいると、邪教神に支配されたカズヤの双眸が赤く光り、不敵な笑みを浮かべた。

「特異点であるこいつの体が手に入った時点で、既に用はない。……だが、今は虫の居処が悪くてな。少し、八つ当たりさせてもらうぞ、騎士共」
 

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