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35「化け鼠の宴会」
「――というわけで、客を連れてきました」
夜の花屋の裏口を通り、幽世の遊郭へ。
そこにはイツ禍と猗と桃、そして犲がそろって食事をしていた。
「おかえりなさーい。遅くなるものだとばかり」
「あうー、あ!」
突如客を伴って帰ってきた天に、猗はもうささいな突っ込みなどしなかった。箸を持ちながら「おかえりなさい」と伝えると、傍らにいる桃の手を取って手を振る真似をする。
桃は突然触られてもいやいやをすることはなく、きゃっきゃと楽しそうにしている。
だが、のんきなのは赤子と猫又だけ。濡れた髪の天を見て、犲は不愉快そうにそっぽを向くし、イツ禍は心配と呆れの混じる声で尋ねてきた。
「よう、イツ禍さん。久しいなあ」
天が紹介する前から、山王丸はどかどかと中に入っていく。イツ禍と知り合いなのか、彼を見て豪快に笑った。
「後ろの男、拾ってきちゃったんですか――」
だが、友好的なのは山王丸だけのようだ。いつもの物静かな青年の顔は不愉快そうに歪み、「はあ」と大きなため息をついた。
「およしなさい。絶対に無理です。天さん、今からでも追い出しましょう」
「いや。でもここまで連れてきといてそれは……」
「彼は大きすぎる。相手になりません」
「え、下の話?」
イツ禍は山王丸と天を比べるように眺めた後、やめておけと忠告した。
彼らしくないあけすけな物言いに戸惑うものの、天は自分の意志で連れてきたのだからもう追い払うことはできない。
(それに、この程度ならまあ……)
確かに山王丸は大きいが、誉も長身だったのでそこまで規格外とも思わなかった。何より妖遊郭だ、人外のものを相手にしている以上、それなりの覚悟があった。
「旦那様もお止めになりますでしょう」
イツ禍の言葉に天は禁と喧嘩していたことを思い出した。
「禁さんの言いなりとちゃうよ、私は」
むっとして答えると、山王丸の手を引いて宴会室に誘った。遊女らしくない粗雑な客引きだが、山王丸はからからと笑って天の手を引くまま彼女についていった。
「おお、いい部屋だねえ」
「着替えてきますんで、ごゆっくり」
そう言って天は化け鼠たちに宴会を任せてその場を後にしようとしたが、山王丸の大きな手に止められる。
「どうせ後で脱ぐんだ。そこにいなよ」
「潮の香りが残っとるねん」
「いいねえ。よおく嗅がせてくれよ」
ぼろぼろのドレスで宴席に参加するのを天が渋っていると、山王丸は自らが来ていた羽織をかぶせた。妖の纏う衣だからか、内側が暖炉のそばにいるかのように熱を持っていた。
強引な男だ、と天は嘆息しながらも、山王丸に言われるがままに隣にしゃなりと座って、化け鼠の催しを鑑賞することにした。
べん、ぺん、べべん――
和装を纏った二足歩行の鼠たちが踊る様は、かわいらしいものだ。
イツ禍から聞いた話によると幽世でも有名な踊り子たちらしい。本人たちは至極真面目に勤務しているだけなのだが、人間の天から見ればまるで御伽の世界のような光景だ。
くすりと穏やかに微笑むと、「かわいいねえ」と山王丸が膝に手を置いて撫でまわしてきたので、ぺちんとその手を払う。
「なんだい、やらせてくれるってのに」
「作法ってもんがあるんや。不躾な人は嫌われんで」
そう注意する天の声も柔らかい。強引で、不躾で、それでもまっすぐに愛情を送る様が、まるでかつての誉のようで愛おしかった。
磯撫でと海座頭との戦いの後の大騒ぎも忘れ、穏やかな時間が流れる。
そのはずだった――
「いいねえ。イツ禍さん、あんたも舞ってくれよ」
「私が、ですか?」
山王丸の台詞で辺りにぴりっとした空気が流れる。
傍に控えていたイツ禍の眉が露骨に傾き、彼が静かに怒っているのがわかる。
「山王丸。イツ禍さんは遊女とちゃうねんよ」
「知ってるぜ、罪人だろう。大昔やらかして幽世を追われた人魚。現世じゃ、その綺麗な顔でいろいろしてたってな。踊りくらい、ちょちょっとやれるだろう」
「罪人……」
それは、天が初めて知った情報だった。
思えばイツ禍のことは何も知らない。何故希少種の人魚が鬼の配下にいるのかも、その鬼の命令で人との交わりを教えているのかも。
「いや、そんなん関係あらへん。イツ禍さんは踊らんで」
「冷てえこと言うんじゃねえよ。俺は心からイツ禍さんの舞が見たいって思ってんだぜ。聞けばかつてはお公家様の前でも舞っていたとか――」
「イツ禍さんを辱しめたいんやったら、アンタは客とちゃう。帰ってや」
「おいおい、つれねえなあ」
山王丸に悪気はなさそうな口ぶりだが、それがなおさら厄介だ。
破天荒で常識知らず、そんなところをかわいいと思っていた自分が恥ずかしい。天は毅然とした態度で山王丸を睨みつける。
「わかりました」
だが、ふたりの間の緊迫した空気を、イツ禍の溜息が遮る。
イツ禍は嘆息するとスッと着物を正して宴席の前に出る。
鼠たちは一瞬驚くが、三味線の音は鳴らしたまま。イツ禍は髪紐をほどくと、清流のごとき髪がはらりと乱れた。
その美しさに天は息を呑んだ。
夜の花屋の裏口を通り、幽世の遊郭へ。
そこにはイツ禍と猗と桃、そして犲がそろって食事をしていた。
「おかえりなさーい。遅くなるものだとばかり」
「あうー、あ!」
突如客を伴って帰ってきた天に、猗はもうささいな突っ込みなどしなかった。箸を持ちながら「おかえりなさい」と伝えると、傍らにいる桃の手を取って手を振る真似をする。
桃は突然触られてもいやいやをすることはなく、きゃっきゃと楽しそうにしている。
だが、のんきなのは赤子と猫又だけ。濡れた髪の天を見て、犲は不愉快そうにそっぽを向くし、イツ禍は心配と呆れの混じる声で尋ねてきた。
「よう、イツ禍さん。久しいなあ」
天が紹介する前から、山王丸はどかどかと中に入っていく。イツ禍と知り合いなのか、彼を見て豪快に笑った。
「後ろの男、拾ってきちゃったんですか――」
だが、友好的なのは山王丸だけのようだ。いつもの物静かな青年の顔は不愉快そうに歪み、「はあ」と大きなため息をついた。
「およしなさい。絶対に無理です。天さん、今からでも追い出しましょう」
「いや。でもここまで連れてきといてそれは……」
「彼は大きすぎる。相手になりません」
「え、下の話?」
イツ禍は山王丸と天を比べるように眺めた後、やめておけと忠告した。
彼らしくないあけすけな物言いに戸惑うものの、天は自分の意志で連れてきたのだからもう追い払うことはできない。
(それに、この程度ならまあ……)
確かに山王丸は大きいが、誉も長身だったのでそこまで規格外とも思わなかった。何より妖遊郭だ、人外のものを相手にしている以上、それなりの覚悟があった。
「旦那様もお止めになりますでしょう」
イツ禍の言葉に天は禁と喧嘩していたことを思い出した。
「禁さんの言いなりとちゃうよ、私は」
むっとして答えると、山王丸の手を引いて宴会室に誘った。遊女らしくない粗雑な客引きだが、山王丸はからからと笑って天の手を引くまま彼女についていった。
「おお、いい部屋だねえ」
「着替えてきますんで、ごゆっくり」
そう言って天は化け鼠たちに宴会を任せてその場を後にしようとしたが、山王丸の大きな手に止められる。
「どうせ後で脱ぐんだ。そこにいなよ」
「潮の香りが残っとるねん」
「いいねえ。よおく嗅がせてくれよ」
ぼろぼろのドレスで宴席に参加するのを天が渋っていると、山王丸は自らが来ていた羽織をかぶせた。妖の纏う衣だからか、内側が暖炉のそばにいるかのように熱を持っていた。
強引な男だ、と天は嘆息しながらも、山王丸に言われるがままに隣にしゃなりと座って、化け鼠の催しを鑑賞することにした。
べん、ぺん、べべん――
和装を纏った二足歩行の鼠たちが踊る様は、かわいらしいものだ。
イツ禍から聞いた話によると幽世でも有名な踊り子たちらしい。本人たちは至極真面目に勤務しているだけなのだが、人間の天から見ればまるで御伽の世界のような光景だ。
くすりと穏やかに微笑むと、「かわいいねえ」と山王丸が膝に手を置いて撫でまわしてきたので、ぺちんとその手を払う。
「なんだい、やらせてくれるってのに」
「作法ってもんがあるんや。不躾な人は嫌われんで」
そう注意する天の声も柔らかい。強引で、不躾で、それでもまっすぐに愛情を送る様が、まるでかつての誉のようで愛おしかった。
磯撫でと海座頭との戦いの後の大騒ぎも忘れ、穏やかな時間が流れる。
そのはずだった――
「いいねえ。イツ禍さん、あんたも舞ってくれよ」
「私が、ですか?」
山王丸の台詞で辺りにぴりっとした空気が流れる。
傍に控えていたイツ禍の眉が露骨に傾き、彼が静かに怒っているのがわかる。
「山王丸。イツ禍さんは遊女とちゃうねんよ」
「知ってるぜ、罪人だろう。大昔やらかして幽世を追われた人魚。現世じゃ、その綺麗な顔でいろいろしてたってな。踊りくらい、ちょちょっとやれるだろう」
「罪人……」
それは、天が初めて知った情報だった。
思えばイツ禍のことは何も知らない。何故希少種の人魚が鬼の配下にいるのかも、その鬼の命令で人との交わりを教えているのかも。
「いや、そんなん関係あらへん。イツ禍さんは踊らんで」
「冷てえこと言うんじゃねえよ。俺は心からイツ禍さんの舞が見たいって思ってんだぜ。聞けばかつてはお公家様の前でも舞っていたとか――」
「イツ禍さんを辱しめたいんやったら、アンタは客とちゃう。帰ってや」
「おいおい、つれねえなあ」
山王丸に悪気はなさそうな口ぶりだが、それがなおさら厄介だ。
破天荒で常識知らず、そんなところをかわいいと思っていた自分が恥ずかしい。天は毅然とした態度で山王丸を睨みつける。
「わかりました」
だが、ふたりの間の緊迫した空気を、イツ禍の溜息が遮る。
イツ禍は嘆息するとスッと着物を正して宴席の前に出る。
鼠たちは一瞬驚くが、三味線の音は鳴らしたまま。イツ禍は髪紐をほどくと、清流のごとき髪がはらりと乱れた。
その美しさに天は息を呑んだ。
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