『見えざる相棒(バディ)』

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揺れる通報

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 警視庁の捜査一課フロアに戻った日高光彦は、あまりの忙しなさに息を呑んだ。池内沙織殺害事件の捜査本部は、まるで一斉に熱が上がったような慌ただしさに包まれている。あちこちで刑事たちが電話を受け、パソコン端末を睨み、白板に追加情報を書き込んでいた。

「日高さん、どこ行ってたんですか」
 若手刑事の宮下が駆け寄り、半ば息を切らしながら声をかける。
「ちょっと所用で外回りを。何か進展があったのか?」
「ええ。新たな目撃証言が入ったそうです。池内さんが殺害される前夜、彼女の自宅近くで“奇妙な物音を聞いた”って住民が名乗り出てきて。しかも、その人物が言うには“男が争うような声を上げていた”らしいんです」
「男が? 被害者は女性だったはずだが……」
「ええ。まだ詳細は不明ですけど、密室と思われた事件に、実は何者かが侵入していた可能性が出てきました。捜査会議が開かれるんで、すぐ来てください」

 日高は宮下に促されて会議室へ足を運ぶ。十数名の刑事や鑑識がすでに席に着いていた。捜査主任の警部補が資料を配りながら、次々と口を開く。
「被害者宅の隣家に住む主婦からの通報だ。事件当夜の深夜零時前後、池内宅の方角でガラスが割れるような音を聞いたという。さらに、窓辺から外を伺ったとき、人影がさっと逃げていくのを見たそうだ」
 密室事件かと思われていたが、施錠後に侵入・脱出できる手段があったのかもしれない。主任の言葉に会議室がざわめく。
「だが、問題がある。その主婦は早い段階から“物音を聞いた”とは言っていたが、“男の声”については今日になって初めて証言を変えたんだ。警戒すべきか、あるいは本当に思い出したのか……。いずれにしろ、再度詳しく事情を聞く必要がある」

 日高は黙ってメモを取りつつ、内心で腑に落ちない思いを抱く。目撃証言が急に詳細を増すケースは珍しくないが、時として虚偽や思い込みの可能性もある。だが、このタイミングで証言が出てきたこと自体が妙にも感じられた。
「それからもうひとつ、池内のパソコン解析が進んだ件だ」
 主任がファイルのページをめくり、集まった刑事たちを見回す。
「メールソフトのバックアップフォルダに、一通だけ“下書き”が残っていたらしい。相手方のアドレスは不明。内容は“例の写真は手に入れた。思った以上にヤバい話だ”と、そう書かれていた。送信日時は空欄。どうやら送る前に下書きで止まっていたようだ」

 写真――先日、日高も見た“再開発地域でフードを被った人物”が映り込んだものだろうか。それとも別の“決定的な写真”があったのか。
「本当に“ヤバい話”が写っている写真を撮っていたのかもしれない。あるいは、それが原因で彼女は殺されたのか……」
 主任のまとめに、刑事たちは一斉に頷く。会議が終了すると、皆それぞれの持ち場へ散っていった。

 廊下に出た日高は、ひとまず自席へ戻る前にスマートフォンを確認する。新聞社の広報スタッフからはまだ折り返しの連絡はない。地方本社とのやりとりに時間がかかっているのだろう。
 ふと後ろから足音が近づく気配を感じ、顔を上げると、グレーのスーツに身を包んだ男――五十代くらいの体格のいい人物が、こっちを睨むように見据えていた。見覚えのない顔だが、警察内部の人間にしては雰囲気が違う。名札も見当たらない。
「日高巡査部長、ですね」
 男の低い声が廊下に響く。日高は訝りながらも返事をする。
「そうですが、あなたは……?」
「わたしは警察庁の“監察”に近い仕事をしている者です。ちょっとよろしいでしょうか」

 男は強引に日高の腕を取り、人のいない応接室へと連れ込んだ。扉を閉めると同時に、どこか圧のある口調で切り出す。
「あなた、最近“奇妙な捜査”をしているようですね。池内沙織の件以外に、余計な地方紙の情報を探ったり、再開発企業の動きを調べたり……。捜査本部の方針から大きく外れてはいないか?」
「捜査は正当な範囲内です。部外者に口出しされる筋合いはないと思いますが」
 日高が冷ややかに言い返すと、男は眉をひそめ、書類の束を突きつけた。
「上層部が気にしているんですよ。“再開発”だの“政治家の裏取引”だの、不確定な情報をほじくり返されるのは困る。池内の事件は単純な殺人――あるいは事故死の可能性もまだ否定できない。余計な憶測で動かないでもらいたい」

 あからさまな圧力。警察内部からの横槍か、それとも背後に政治や企業が絡んでいるのか。日高は怒りと不信感を覚えつつも、努めて冷静を保つ。
「あなたの素性を証明するものは? 監察官か何かの階級証明はありますか」
 男は不敵に笑みを浮かべ、ポケットから名刺らしきカードを出した。ただし、肩書きには“内務調整室”と書かれているだけで、具体的な身分はわからない。
「公にはできない組織です。悪く思わないでください。あなたにとっても、これ以上の深入りは得策じゃありませんよ」
 脅しとも取れる言葉を最後に、男は踵を返して出て行った。応接室に残された日高は、静かに拳を握りしめる。
(やはり何かある……。こんな形で圧力をかけてくるのは、それだけ“再開発”絡みの不正を知られたくないという証拠だろう)

 廊下へ出ると、さっきの男の姿は既に見当たらない。まるで影のように警視庁の廊下から消え失せていた。

 席に戻って程なく、日高のスマートフォンが振動した。画面には着信番号の表示だけが出ている。見知らぬ番号だが、どこかで見覚えがあるような気もする。
「はい、日高です」
 応対すると、受話器越しに低い声が響いた。
「……お忙しいところ失礼します。あなた、平沢真梨子という人物を探しているそうですね」
 日高は息を詰まらせる。まさか新聞社の広報がこんな直接的な切り出し方をするだろうか。相手はどこでこの情報を掴んだのか。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
 恐る恐る問い返すと、相手は微かにため息をつくような気配を漏らした。
「名乗るほどの者ではありません。……ただ、あなたに伝えたいことがある。彼女は数年前、地方紙の特ダネを掴みかけて死にました。事故として扱われましたが、実際には……」
 そこまで言ったところで、相手は言いよどむように言葉を切る。

 日高はスマホを握りしめたまま、周囲に聞かれないよう身体を斜めに向ける。
「彼女の死因は何ですか? 誰が関わったのか、ご存じなんですね?」
「……わたしにも詳しいことはわからない。ただ、彼女の“取材メモ”が存在する。そこには、再開発事業の背後に潜む大きな闇が書かれていると聞いています。それを巡って――多分、彼女は殺された」
「そのメモは今どこに?」
「わからない。だが、警察だけでなく、政治家や企業の関係者も必死で探しているようです。池内沙織さんが殺されたのも、そのメモを手に入れたから……という噂を聞きました」

 池内の下書きメール――“例の写真は手に入れた。思った以上にヤバい話だ”――と結びついていく。彼女は写真だけでなく、真梨子の取材メモに関する何かを知った可能性が高い。
 相手の話が真実かどうかは別として、状況は確実に“ただの殺人事件”を超えた闇を示唆していた。
「あなたは一体、誰なんです? 関係者か、それとも記者仲間か……」
 日高が再度問いかけても、相手は答えを濁したまま電話を切った。無機質な通話終了音が耳に残る。
「……取材メモ、か」

 電話を切ってすぐ、書類の山を抱えた宮下がやって来た。
「日高さん、すぐ来てください。例の目撃証言者が署に来てます。主任が呼んでますよ」
「わかった、すぐ行く」
 資料やスマホをまとめ、日高は立ち上がる。気づけば背後の空気にかすかな気配を覚えた。振り向くと、廊下の壁際に幽霊の真梨子が立っている。彼女は悲しげに俯きながら、うっすらとこちらを見上げた。
「取材メモ……やっぱり、わたしが追っていた話が関係してるのね。池内さんを巻き込んでしまったのかもしれない」
「君のせいじゃない。むしろ、このまま謎を放置していたら被害はもっと広がったかもしれない。……君は何も悪くない」
 日高の言葉に、真梨子はわずかに唇を噛むような仕草を見せ、静かに目を閉じる。
「それでも、わたしが生前に知りすぎたせいで、こんなことに……」

 彼女の体は相変わらず半透明のまま。その姿を認識できるのは日高だけだ。だが、その表情の苦しみは現実の人間と変わらないほど鮮明だった。
「一緒に突き止めよう。池内さんの死と君の死の真相を。たとえ上から圧力がかかろうと、俺は引くつもりはない」
 その瞬間、真梨子の瞳に一瞬だけ光が宿った。まるで生の感情がよみがえったかのように。
「ありがとう……。日高さんがそう言ってくれるだけで、少し勇気が湧いてくるよ」

 廊下を急ぎ足で通り過ぎていく刑事たちは、もちろんその会話に気づかない。そこにはただ、孤独な刑事と幽霊の“相棒”だけが交わす言葉があった。
 遠からず、この奇妙なバディを取り巻く状況は一気に熱を帯びるだろう。取材メモの行方、謎の圧力をかけてくる影、そして池内沙織が最後に手にした“写真”――すべてが絡み合い、やがて一つの巨大な闇が姿を現す。
 日高は、真梨子の視線を受け止めるように静かにうなずくと、再び前を向いて歩き出した。彼女もその背中を追いかけるように、柔らかな空気の揺らぎとなって寄り添う。
 この事件の結末に、どんな真実が待ち受けているとしても――もう、後戻りはできない。
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