『見えざる相棒(バディ)』

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かすかな光

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 捜査会議室の扉を閉め、日高光彦(ひだか みつひこ)は池内沙織(いけうち さおり)の友人・鈴村彩香(すずむら あやか)を奥のテーブルへ案内した。外の騒がしさから隔絶された狭い室内は、どこか重苦しく、鈴村の表情にも怯えが色濃く残る。

「すみません、こんなに遅い時間に押しかけて……」
 鈴村は深く頭を下げる。日高は椅子を勧めつつ、できるだけ穏やかな声音を心がけた。
「構いません。むしろよく来てくれました。あなたが危険な目に遭っている可能性を考えると、こうして直接話を聞けるのは助かります」

 テーブル越し、鈴村は深呼吸を一つ置き、意を決したように言葉を継ぐ。
「……私、沙織が何か大きな問題に関わってるとは知っていました。でも、まさか殺されるなんて想像できなくて。事件当日も連絡が取れなくなるまでは、本気で警戒していませんでした」
 声が震え、思い出したくない記憶が蘇るのか、彼女は俯き加減になる。日高はゆっくりと頷き、言葉を待つ。

「それで、最近になって私の部屋に侵入された形跡があったんです。おそらく、沙織が何かを私に預けたと勘違いしたんだと思います……」
「実際に、何か心当たりはあるんですか?」
 尋ねる日高の表情は真剣そのもの。すると、鈴村は唇をかみしめたまま、意を決してバッグから小さな封筒を取り出した。
「この前、部屋を片付けていたらクローゼットの奥に落ちていました。沙織と一緒に飲んだときの紙袋だと思ったんですが、開けてみると……」
 封筒を押し出すようにテーブルに置く。日高がそれを開けると、そこには何かのコピーらしき紙が数枚と、メモらしき断片が挟まれていた。

「これは……?」
「中身をちゃんと読めていないんです。英語や専門用語が多くて。でも、“プロジェクト”とか“提携契約”みたいな単語が並んでいて、何かの契約書コピーみたいに見えます。沙織は翻訳の仕事をしていましたから、もしかしたら――」
 日高は素早く書面に目を通す。日付や社名、そして横文字が大量に並んだ表形式のファイル。契約先らしき企業のロゴは記されていないが、「G&C」という英字の一部が複数回出現している。
(これだ……“G&C Security”に関係する契約書の一部か。池内さんが手に入れた“ヤバい資料”の断片というわけか)

「間違いなく、海外企業との契約書類のコピーらしいですね。GとC、セキュリティ関連を示す語句もちらほらある……。鈴村さん、これをずっと持っていたんですね?」
「はい。沙織が置き忘れていったか、あるいは知らないうちに紛れ込んだのか……。もし私が気づかないまま捨てていたらと思うと怖いです。部屋を荒らした人は、まさにこれを探していたのかもしれません」

 日高は書類の裏に目をやる。メモ用紙の切れ端には「取材メモと思しき走り書き」が残り、そこには“警備会社 秘密契約 政治家”などのキーワードが書かれていた。字は乱雑だが、池内が焦って書きつけた様子が伝わってくる。
(あの“バッジ”を付けた男たちは、こういう闇の警備契約を背景に動いているのかもしれない。再開発区域の利権で、政界と企業の橋渡しをする仕事……)

「鈴村さん、これは重要な証拠になります。正式に捜査資料として預かってもいいですね?」
 日高が確認すると、鈴村は少し悩んだ末、苦しげな表情で頷く。
「はい……私も怖いんです。でも、沙織が命を賭けて掴んだ何かだとしたら、無駄にしたくない。彼女が“真梨子さん”の無念を晴らそうとしていたのも知っていますから……」
 真梨子の名が出た瞬間、日高の胸が痛む。彼女が今も幽霊の姿でそばにいることを、この女性は知る由もない。
「ありがとうございます。きっと池内さんも喜んでくれるはずです。これが事件の核心に迫る手がかりになる」

 日高は決意を滲ませながら資料を慎重にファイルへ収める。が、その一方で“捜査縮小命令”と“自分の担当外し”が迫っている現状を思い出し、苛立ちと不安がこみ上げる。
(もう、俺が動ける時間はわずかしかない。これをどう活かすか……。下手に上層部へ報告したらまた揉み消されるかもしれない。まずは古川さんと連携して、メモや写真――“証拠”を世に放つ仕組みを整えておくべきか)

 ひとまず鈴村を安全な場所へ案内するべく、日高は署内で簡単な保護措置が取れないか相談する。書類手続きや主任への説明が必要だが、主任は夕方の会議で席を外していた。
「少しお待ちください。主任が戻るまでここで落ち着いてもらえますか?」
「……はい、わかりました」
 心細げな鈴村を会議室に残し、日高は廊下へ出る。するとそこには、かすかに空気を揺らめかせる気配があった。振り向くと、やはり真梨子が立っている。輪郭は相変わらず不鮮明で、今にもかき消えそうだ。

「見えたよ……あの書類」
 彼女は小さく微笑もうとしたが、その表情はどこか儚げだ。
「池内さん、わたしよりも先にこんな手掛かりを掴んでいたのね。……もしかしたら、わたしがここまで辿り着けずに死んだことを、池内さんが悔やんでいたのかも」
「君の意志を、池内さんは受け継いでくれた。そして今度は俺が二人の遺志を背負っている。……でも安心しろ、鈴村さんも覚悟を決めてくれている」
 日高がそう告げると、真梨子の瞳には微かに光が宿る。だが同時に、その姿はふわりと薄れてしまう。

「日高さん……もう、時間がないかもしれない。わたし、思い出すたびに苦しくなって、もう消えそう。今回の書類が……最後のチャンスかも」
「最後だなんて言うな。何とか方法はあるはずだ」
 半ば自分に言い聞かせるように語気を強めたところで、廊下の突き当たりから主任が足早に戻ってくるのが見えた。周囲に人が増えていくと、真梨子の姿はまた霧散するように消えていく。

「日高、どういうことだ? 鈴村彩香さんという女性が事件の重要証言を持って来ているらしいな」
 主任は険しい顔で問いただす。日高は簡潔に状況を説明した。
「実は池内さんに繋がる“海外警備会社の契約書コピーらしきもの”を持参してくれまして。捜査資料として保管しようと思うんですが……」
「大事じゃないか! で、鈴村さんの保護はどうする? 下手に公的に保護すると、上層部が嫌がるかもしれん。逆に彼女を危険にさらす可能性もある」
 歯がゆそうに主任は頭を掻く。さすがに“保護しない”という選択肢はないが、公的な手続きにのせると組織の目に止まるのは必至。
「一課の“管理外”で安全に匿える場所……ないだろうか。何なら俺のツテを使ってもいい」
 日高の真剣な口調に、主任は少し考え込んだ末、苦々しく唇を噛む。
「かつて裏社会から通報者を守るため、非公式の“保護施設”を使った前例があるにはある。だが、それを勝手に使えば上からの処分は避けられんぞ」
「処分されるのは、もうほぼ確定みたいなものです。今さら何を怖がる必要があるんですか」
 日高は自嘲気味に笑ったが、その目は本気だった。主任は短く息を吐き、「わかった。そこまで言うなら俺も腹を決めよう」と低く呟く。

 署内の廊下は、いつになくあわただしく人々が行き交っている。日高は主任とともに、鈴村彩香を個別に保護する段取りを急ぎ、手配に奔走した。
 「一晩でいいんです。まずは安全を確保し、その間に俺が資料の確認や解析を進めます。もし“G&C Security”と政治家の癒着が証明できれば、一気に動きを取れる……」
 そう熱をこめる日高に主任は渋い顔をしながら、「ほどほどにしろよ」と釘を刺す。
「本部長室はお前を完全に外す気だ。せめて、明日いっぱいが限界だろう。正攻法で足りないなら裏技でも何でも使うしかないが……分かるな?」
「はい。やれるだけやってみます」

 決断を固める日高の脳裏に、半透明の相棒の姿が浮かぶ。いつ消えてしまうかわからない幽霊の存在。それでも、彼女の魂が繋ごうとした“真実”が間違いなくここにある。
(このまま引き下がったら、真梨子も池内さんも浮かばれない――。必ず、この書類と“例の写真”を繋ぎ合わせ、黒幕を暴いてみせる。たとえ組織を辞めることになっても構わない)

 夜の気配がビルの窓を濃く染め始める頃。日高は用意を整え、鈴村を連れて署を出た。裏口から外へ出ると、風に湿り気が混じっている。再び雨が降る予感がした。
 車で移動する道中、日高はバックミラーの奥に目をやる。かつて感じた“尾行”の視線を思い出すと、油断ならない。鈴村も助手席で不安げに縮こまっている。
「大丈夫。すぐに安全な場所に案内しますから」
 そう言いつつ、日高は別の意味でも焦っていた。――幽霊の真梨子は、もう限界が近い。事件の解決を見届ける前に彼女が完全に消えてしまえば、日高が守りたいと思った“魂”はどうなるのか。
(急がなければ。時間はわずか。だが、最後まで足掻いてやる――)

 ヘッドライトに照らされる夜道を、車は静かに加速する。ビルの谷間に差し掛かった頃、サイドミラーに映る遠方の車影が一瞬だけ不自然に揺れたように見えた。
 (やはり……誰かが追ってきているのか?)
 日高の心臓が鼓動を早める。この戦いはもう後戻りできない。だが、彼は決して目を逸らさない。真梨子や池内、そして鈴村を守るために、最後まで生者としての使命を全うする――その覚悟を込め、ハンドルを握り締めた。
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