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第一章
五話
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自室での激しい余韻から二日後――。
リザルフを迎え入れ、主君の新たな門出を見守ったウォルカは、ようやく己の時間を取り戻しつつあった。
邸宅は、主君とリザルフが醸し出す穏やかな幸福に満ちていた。
だがウォルカの胸の奥では、あの夜の衝撃が、いまだ消えぬ火として燻っている。
『セクション』の舞台で見たティーガの姿。義足を晒し、欲望にまみれた客を誘うあの逞しい肉体が、網膜に焼き付いて離れない。
今夜こそ、行かねばならない。
主君の幸せは、リザルフという伴侶を得て揺るぎないものとなった。だからこそ――。
「おい、ウォルカ」
邸宅のエントランスに、リザルフが唐突に姿を現した。
「ハクラの身の回りは、明日からは俺に任せてくれないか。
お前もこれまで一人で大変だったろう。これからは、自分の時間を大切にするといい」
黒豹の大きな体躯を、勝ち誇るように張り詰める。それは、縄張りを誇示する獣特有の、無意識の仕草だった。
瞳の奥には、ハクラの隣はもう俺のものだ、という明確な牽制の光が宿っている。
ウォルカは内心で小さく息を吐いた。
リザルフは今朝この邸宅に来てから、隙あらば主君の世話を焼こうと首を突っ込んでくる。
三日前の自分なら、その無遠慮な態度に苛立ちを覚えただろう。
だが、今は違う。
ティーガへの執着が心を支配している今、リザルフのこの独占欲は、むしろ好都合ですらあった。
「リザルフ様、お気遣い感謝いたします」
ウォルカは穏やかな微笑を浮かべ、優雅に一礼した。
「しかし、主様の護衛は私の役目であり、長年の習慣でもあります。突然すべてをお任せするのは、主様にとっても混乱を招くでしょう」
そして、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで言葉を継ぐ。
「まずは主様の外出や管理について、私から詳しくご説明しましょう。分担を決めるのはそれからです」
リザルフは拍子抜けしたように鼻を鳴らした。
執務室へ誘い、ウォルカが事務的な説明を始めると、リザルフは意外なほど熱心に耳を傾けた。
この黒豹の、ハクラを支えたいという想いだけは本物なのだと、ウォルカは再確認する。
説明が一区切りついたところで、ウォルカは紅茶を淹れ、リザルフへと差し出した。
「今日はお疲れになったでしょう。不慣れなことばかりで、さぞ神経をすり減らされたはずです」
リザルフは紅茶を受け取りながら、値踏みするような視線をウォルカに向けた。
「……お前、何かあったのか? 今までは、俺が口を出すたびに食って掛かってきていただろう。
ハクラへの恋心は、そんなにあっさり消えるものなのか?」
ウォルカは、その直球すぎる問いに、少しばかりの可笑しさを感じた。
リザルフの声音には、先ほどまでの威圧感はなく、純粋な困惑が滲んでいる。
どうやらこの黒豹は、恋敵であったはずのウォルカを心配しているらしい。存外、可愛らしい男だ。
気まずさを覚えつつも、ウォルカは正直に答えることにした。
「主様に対する恋慕の情は、否定しません。しかしそれ以上に、主様の幸せを願う気持ちが勝ったのです」
言葉を選びながら、紅い瞳をリザルフへと向ける。
「リザルフ様と主様が、共に歩むと決められた。その事実が何よりも尊いのです。それに……」
視線をわずかに逸らし、低い声で続けた。
「正直に申し上げれば、私自身、別のことで頭がいっぱいでして。リザルフ様と些細な衝突を繰り返している余裕がないのです」
リザルフは驚いたように目を丸くし、それから気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「……大人げなくて悪かった。お前と協力してハクラを支えていきたい。できれば、友人として……よろしく頼む」
差し出された黒豹の手は、荒事とは無縁な、むっちりとして柔らかいものだった。
ウォルカは優雅な所作で、その温かく力強い手を握り返した。
「こちらこそ。よろしくお願いします、リザルフ様。友人として……喜んで」
これで、主君の背後を少しは任せられる。
安堵したウォルカは、友人となったリザルフへ、早速協力を仰いだ。
「実は、リザルフ様。少し伺いたいことがあるのですが……『セクション』という店について、何かご存知ではありませんか?」
リザルフの表情が、一瞬で険しいものに変わった。
「……それが、お前の言っていた『頭がいっぱいな話』か。あそこは、場末の歓楽街の中でもかなり特殊な場所だぞ」
黒豹の瞳に、探るような光が宿る。
ウォルカは静かに息を吐き、二十年前の過去を、そしてあの夜見た真実を打ち明けた。
「二十年前の、傭兵時代の仲間がいるのです。
彼が……ティーガが、あそこで身を売っていると知り、居ても立ってもいられなくなりました」
リザルフは苦々しい顔で、その店の内情を語り始めた。
「あそこは一夜をオークションで競るだけじゃない。プレイの制限がほとんどないことで有名だ。流血沙汰以外は何でもあり、と聞く。
そんな場所であえて働いているなら、ただの金の問題じゃない。根っからの好き者か、あるいは、どこかが壊れているのかだ」
リザルフの言葉が、ウォルカの拳を強く握らせる。
「……それでも、確かめなければならない。
彼は、誇り高い男でした。あんな屈辱を好むはずがない。何か深い事情があるはずです」
ウォルカが立ち上がろうとした時、リザルフがその腕を掴んだ。
「ウォルカ。一筋縄ではいかないだろうが……本当に大切な相手なら、何度断られても強引に粘れ。俺はハクラにそうされて、落ちた。
効果は保証するぞ。……そして、今、俺は幸せだ」
照れ臭そうに視線を逸らす黒豹の耳が、わずかに後ろに倒れる。
「リザルフ様。……ありがとうございます。
主様のそんな強引なお姿は意外ですが、それが今のお幸せに繋がっているのですね」
ウォルカは優しくその手を外し、深く頭を下げた。
「大切な相手……ええ、そうです。
二十年越しの想いを、ただの懐かしさで終わらせるつもりはありません」
部屋を後にするウォルカの背中には、抑えきれない渇望が漂っていた。
リザルフとの和解。そして主君の安泰。
すべての準備は整った。あとは、あの黄金の虎を、 自分の腕に奪い返すだけだ。
(待っていろ、ティーガ。今夜、お前をその泥沼から、力ずくで引きずり出してやる)
夜の帳が下りる中、ウォルカの紅い瞳には、一切の迷いなき決意が宿っていた。
リザルフを迎え入れ、主君の新たな門出を見守ったウォルカは、ようやく己の時間を取り戻しつつあった。
邸宅は、主君とリザルフが醸し出す穏やかな幸福に満ちていた。
だがウォルカの胸の奥では、あの夜の衝撃が、いまだ消えぬ火として燻っている。
『セクション』の舞台で見たティーガの姿。義足を晒し、欲望にまみれた客を誘うあの逞しい肉体が、網膜に焼き付いて離れない。
今夜こそ、行かねばならない。
主君の幸せは、リザルフという伴侶を得て揺るぎないものとなった。だからこそ――。
「おい、ウォルカ」
邸宅のエントランスに、リザルフが唐突に姿を現した。
「ハクラの身の回りは、明日からは俺に任せてくれないか。
お前もこれまで一人で大変だったろう。これからは、自分の時間を大切にするといい」
黒豹の大きな体躯を、勝ち誇るように張り詰める。それは、縄張りを誇示する獣特有の、無意識の仕草だった。
瞳の奥には、ハクラの隣はもう俺のものだ、という明確な牽制の光が宿っている。
ウォルカは内心で小さく息を吐いた。
リザルフは今朝この邸宅に来てから、隙あらば主君の世話を焼こうと首を突っ込んでくる。
三日前の自分なら、その無遠慮な態度に苛立ちを覚えただろう。
だが、今は違う。
ティーガへの執着が心を支配している今、リザルフのこの独占欲は、むしろ好都合ですらあった。
「リザルフ様、お気遣い感謝いたします」
ウォルカは穏やかな微笑を浮かべ、優雅に一礼した。
「しかし、主様の護衛は私の役目であり、長年の習慣でもあります。突然すべてをお任せするのは、主様にとっても混乱を招くでしょう」
そして、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで言葉を継ぐ。
「まずは主様の外出や管理について、私から詳しくご説明しましょう。分担を決めるのはそれからです」
リザルフは拍子抜けしたように鼻を鳴らした。
執務室へ誘い、ウォルカが事務的な説明を始めると、リザルフは意外なほど熱心に耳を傾けた。
この黒豹の、ハクラを支えたいという想いだけは本物なのだと、ウォルカは再確認する。
説明が一区切りついたところで、ウォルカは紅茶を淹れ、リザルフへと差し出した。
「今日はお疲れになったでしょう。不慣れなことばかりで、さぞ神経をすり減らされたはずです」
リザルフは紅茶を受け取りながら、値踏みするような視線をウォルカに向けた。
「……お前、何かあったのか? 今までは、俺が口を出すたびに食って掛かってきていただろう。
ハクラへの恋心は、そんなにあっさり消えるものなのか?」
ウォルカは、その直球すぎる問いに、少しばかりの可笑しさを感じた。
リザルフの声音には、先ほどまでの威圧感はなく、純粋な困惑が滲んでいる。
どうやらこの黒豹は、恋敵であったはずのウォルカを心配しているらしい。存外、可愛らしい男だ。
気まずさを覚えつつも、ウォルカは正直に答えることにした。
「主様に対する恋慕の情は、否定しません。しかしそれ以上に、主様の幸せを願う気持ちが勝ったのです」
言葉を選びながら、紅い瞳をリザルフへと向ける。
「リザルフ様と主様が、共に歩むと決められた。その事実が何よりも尊いのです。それに……」
視線をわずかに逸らし、低い声で続けた。
「正直に申し上げれば、私自身、別のことで頭がいっぱいでして。リザルフ様と些細な衝突を繰り返している余裕がないのです」
リザルフは驚いたように目を丸くし、それから気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「……大人げなくて悪かった。お前と協力してハクラを支えていきたい。できれば、友人として……よろしく頼む」
差し出された黒豹の手は、荒事とは無縁な、むっちりとして柔らかいものだった。
ウォルカは優雅な所作で、その温かく力強い手を握り返した。
「こちらこそ。よろしくお願いします、リザルフ様。友人として……喜んで」
これで、主君の背後を少しは任せられる。
安堵したウォルカは、友人となったリザルフへ、早速協力を仰いだ。
「実は、リザルフ様。少し伺いたいことがあるのですが……『セクション』という店について、何かご存知ではありませんか?」
リザルフの表情が、一瞬で険しいものに変わった。
「……それが、お前の言っていた『頭がいっぱいな話』か。あそこは、場末の歓楽街の中でもかなり特殊な場所だぞ」
黒豹の瞳に、探るような光が宿る。
ウォルカは静かに息を吐き、二十年前の過去を、そしてあの夜見た真実を打ち明けた。
「二十年前の、傭兵時代の仲間がいるのです。
彼が……ティーガが、あそこで身を売っていると知り、居ても立ってもいられなくなりました」
リザルフは苦々しい顔で、その店の内情を語り始めた。
「あそこは一夜をオークションで競るだけじゃない。プレイの制限がほとんどないことで有名だ。流血沙汰以外は何でもあり、と聞く。
そんな場所であえて働いているなら、ただの金の問題じゃない。根っからの好き者か、あるいは、どこかが壊れているのかだ」
リザルフの言葉が、ウォルカの拳を強く握らせる。
「……それでも、確かめなければならない。
彼は、誇り高い男でした。あんな屈辱を好むはずがない。何か深い事情があるはずです」
ウォルカが立ち上がろうとした時、リザルフがその腕を掴んだ。
「ウォルカ。一筋縄ではいかないだろうが……本当に大切な相手なら、何度断られても強引に粘れ。俺はハクラにそうされて、落ちた。
効果は保証するぞ。……そして、今、俺は幸せだ」
照れ臭そうに視線を逸らす黒豹の耳が、わずかに後ろに倒れる。
「リザルフ様。……ありがとうございます。
主様のそんな強引なお姿は意外ですが、それが今のお幸せに繋がっているのですね」
ウォルカは優しくその手を外し、深く頭を下げた。
「大切な相手……ええ、そうです。
二十年越しの想いを、ただの懐かしさで終わらせるつもりはありません」
部屋を後にするウォルカの背中には、抑えきれない渇望が漂っていた。
リザルフとの和解。そして主君の安泰。
すべての準備は整った。あとは、あの黄金の虎を、 自分の腕に奪い返すだけだ。
(待っていろ、ティーガ。今夜、お前をその泥沼から、力ずくで引きずり出してやる)
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