白狼と虎と竜神

朱々丸

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第三章

一話

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翌朝、まだ日が昇りきらない柔らかな光が、宿の厚いカーテンの隙間から差し込んでいた。

その淡い光が部屋の隅々を白く浮かび上がらせる頃、ウォルカは大きなベッドの上で静かに目を覚ました。

隣からは、穏やかで規則正しい寝息が聞こえてくる。

ティーガの広い胸元には、リューゴが小さな身体を丸めて、さも当然のように寄り添って眠っていた。

それを見た瞬間、昨夜の出来事が鮮やかに、そして重く脳裏に蘇る。
王子の教育係という、あまりにも分不相応で厄介な役目を押し付けられた事実。

リュゴニア王家を巡る国家規模の騒動に、自分たちは今、どっぷりと足を踏み入れてしまったのだ。

ウォルカはベッドの端にゆっくりと腰を下ろし、深く、重い溜息を吐き出した。

「……まったく、とんでもないことになったな」

独り言のように呟きながら、隣で眠るティーガの寝顔にそっと指を這わせる。

ウォルカの白い尻尾が、シーツの上でゆったりと揺れた。昨夜の疲れを癒やすように、ティーガの持つ独特の温もりに惹きつけられる。

胸元で丸まっているリューゴの姿にはわずかに眉を寄せたものの、今はその静かな寝息を乱す気にはなれなかった。

ウォルカは身を乗り出し、ティーガの額に軽く唇を寄せた。

鼻先をくすぐるティーガ特有の匂いは、昨日の熱く甘い余韻を鮮明に呼び起こした。

「シグルドのやつ、随分とやり手だった。あの羊皮紙の印章……あれを出されては、拒否などできるはずもない」

紅い瞳を細め、窓の外を眺める。

ヴェルガルドの朝の光はどこまでも優しく、ウォルカの白い毛並みを銀色に照らしていた。

外では雪がしんしんと舞い、部屋の静けさをより一層深いものにしている。

「……だが、お前のためなら仕方ない。この騒動を片付ければ、お前はあのトカゲとの契約から解放され、本当の自由の身になれるんだからな」

その未来を掴み取るため、ウォルカはティーガの肩を軽く揺すり、優しく声をかけた。

「ティーガ、起きろ。いつまで寝ている。今日はアリオス殿下との親睦を深めるとか、情報の整理だとか……とにかく面倒な一日になりそうだぞ」

「んん……、……ぁ……」

ティーガは揺すられながらも、重い瞼を持ち上げようとはしなかった。

それどころか、むにゃむにゃと夢見心地な声を出しながらウォルカの腰を力強く引き寄せ、そのまま腕の中に抱え込んでしまったのだ。

ゴロゴロと猫のように機嫌良げに喉を鳴らす音。

それはティーガが完全に心を許し、リラックスしている証だった。

包み込まれるような温かな体温、そして耳元で響く力強い心臓の鼓動。ウォルカは抗いがたい安心感に包まれる。

「……おい、まだ寝ぼけているのか」

声こそ低く制するような響きを持たせたが、ウォルカの身体は正直だった。

抵抗することなくその腕に身を任せ、白い尻尾はいつの間にかティーガの腰に甘えるように絡みついている。

ウォルカはティーガの喉元に顔を埋め、深く、深くその匂いを吸い込んだ。

「……お前は昔からいつもこうだな。
起きろ、こんなところでじゃれ合っている場合じゃないんだ」

言葉とは裏腹に、ウォルカはティーガの首筋に頬を擦りつけた。

我慢できずに舌を出し、その熱い肌をゆっくりと舐め上げる。ほんのりと滲んだ汗の塩気と、ティーガの雄としての香りが舌に広がり、鼻腔を抜けていった。

「ぅ、……ン、……くすぐってぇ……。まだ……日が昇ったばかりじゃねぇか……。もう少しだけ、こうさせてくれよ……」

首筋への愛撫に、ティーガはようやく薄く目を開けた。寝起き特有の掠れた、そして笑いを含んだ甘い声。

その声音はウォルカの下腹部にじりじりと熱い刺激を与え、恋人同士のじゃれ合いは一気に情欲の疼きへと変わっていく。

ティーガの腕がさらに力を増し、二人の身体が隙間なく密着した。

ウォルカの紅い瞳に、濃い熱が宿る。

ティーガの腰を強く引き寄せ、自身の昂りを押し当てた。

白い尻尾は興奮を隠せず激しく揺れ、尖った耳がピンと立つ。

「だからこそ、余計に時間を無駄にできないと言っているんだが……。
お前がそんな声を出すなら、俺だって……」

抗うことを諦め、ウォルカはティーガの唇を塞いだ。深く、溺れるようなキスを交わす。

静かな部屋の中に、湿った唾液の音だけが、やけに生々しく響き渡った。

「殿下の教育は後回しだ。少しだけ……いいな」

「……はぁ、……ふ、……好きにしろよ、ウォルカ……」

ウォルカがティーガの寝間着の中へと、熱を孕んだ手を滑らせた、その時。

自分たちの呼吸以外に、やけに湿り気を帯びた鼻息が聞こえていることに気づいた。

二人の身体に挟まれ、押し潰されそうになりながら、あのトカゲ――竜神が目を輝かせていたのだ。

「フスーー……フンンーー……。
ほう、今日は朝からか、良いぞ。もっと激しくやれ。
我も特等席で観賞してやる……フフンーー……」

その邪悪な期待に満ちた息遣いに、ウォルカは冷や水を浴びせられたような心境になり、顔を激しくしかめた。

紅い瞳には隠しきれない苛立ちが走り、白い尻尾がベッドを苛立たしげに叩く。

「……リューゴ。お前は本当に、本当にタイミングの悪いやつだ」

ティーガの首に回していた腕を断腸の思いで解き、ウォルカはベッドから身を起こした。

乱れた寝間着を整え、何度も咳払いをして下腹部の熱を鎮めようとする。

「ティーガ、続きは後だ。
殿下の教育係なんて面倒な役目を負った以上、朝から私情にふけっている暇はない」

自分に言い聞かせるように吐き捨て、ティーガの肩を叩く。

「お前も、さっさと起きろ」

「……ふあぁーあ……。そういや、そんな話だったなぁ……。マジでやるのか、教育係……」

ティーガは大きな欠伸をしながら頭を掻き、のそりと起き上がった。

その拍子に、胸の上に乗っていたリューゴがシーツの上へころんと転がり落ちる。

ベッドには乱れたシーツと、二人の甘い残り香が微かに漂っていた。

「くっ! 貴様に潰されても文句を言わずにおったというのに! つい心の声が漏れてしまったか……」

リューゴが残念そうに恨み言を並べる。

しかし、その声をかき消すような騒がしさが、壁一枚隔てた隣の部屋から聞こえ始めた。

昨夜、アリオスとシグルドが移ってきた部屋だ。防音のはずだが、何かが激しくぶつかるような振動さえ伝わってくる。

「……殿下か。朝から随分と元気なことだ」

ウォルカは寝間着を脱ぎ捨て、手早く着替えを始めた。

引き締まった白い体躯が朝の光に照らされ、余韻が残る肌が服の下に隠れていく。

「お前は準備をしていろ。俺は少し様子を見てくる」

「放っておけ。行かん方がいいぞ~……ろくなことにならんからな……」

リューゴの不吉な忠告を無視して、ウォルカは廊下へと出た。

隣の部屋の前まで来ると、騒音はさらにひどくなっていた。

ノックをしても返事はない。不審に思ったウォルカがドアノブを回すと、鍵はかかっておらず、そのままゆっくりと扉が開いた。

「ふんっ! ふんっ! シグ! これでどうだ!? 今日はなかなか腰のキレが良いんじゃないか!? ふんっ! ふんっ!」

「いやはやまだまだですぞ、殿下。そのように独りよがりな突きでは、相手を満足させることなどできませぬ」

目に飛び込んできた光景に、ウォルカはその場に凍りついた。

隣室のベッドの上、アリオスが全裸で四つんばいの姿勢で必死に腰を前後に振っている。

そしてシグルドは、その傍らで一糸乱れぬ執事の姿勢を保ち、生温い眼差しで見守っていた。

アリオスの荒い息遣いと共に、腰を振るたびに股間からぶら下がったモノが重い鐘の振り子のように左右に跳ね回っている。

汗で濡れて光り、時折ベッドシーツを「ペチ、ペチ」と叩く生々しい音まで響いていた。

真剣な顔で虚空に向かって腰を使うアリオスと、その下で下品に踊り狂うイチモツ。

そのあまりのギャップに、ウォルカの思考は一瞬停止した。

「殿下……。失礼ですが、これは一体、何をなさっているのですか」

声は冷静さを装ったが、低く引き攣っていた。

「おはよう、ウォルカ! これは、俺の毎朝の鍛練なんだ! やがて来る俺の童貞卒業に向けてのな! ふんっ! 熟練者のお前から見てどうだ!? 俺のこの腰使いは合格か!? ふんっ! ふんっ!」

アリオスは顔を真っ赤にしながら腰を振り続ける。

その一振りのたびに汗の雫を周囲に撒き散らしてシーツを濡らしていた。

「殿下……おはようございます。ですが、そのような……鍛練は、教育係として申し上げますが、決して適切とは思えません」

ウォルカはシグルドに鋭い視線を向けた。

「シグルド殿。このような朝の習慣は、王家の風習なのですか? それとも、殿下の独自の……努力ですか?」

シグルドは相変わらず生温かい笑みを浮かべている。

「殿下独自の鍛練でございます。王家には適切な時期に実践教育がございますが、殿下もそちらはお受けになっておられます。なにせ殿下は今年で三十になられます。一通りの課程は修了しておいでです」

「三十……だと……!?」

ウォルカは内心で絶叫した。

三十歳。自分とたった五つしか違わない男が、朝から一体何をしているというのだ。

外見も中身も遥かに若く見える王子に驚愕しつつも、ウォルカは必死に騎士の表情を保つ。

「殿下、その意欲は認めますが、隣室の客にも迷惑です。実践的な……その、鍛練は、適切な場所で、適切な相手と行うべきです」

「適切な場所だって!? くっ、ウォルカには正直に言うぞ。俺は本番では毎度さっぱり勃たないんだ! 緊張してしまってな! 
おかげでフラれてばっかりなんだ! なんとかしてくれ! 俺の覇気のないモノを鍛えてくれるんだろ!?」

アリオスは汗だくの身体でウォルカに飛びつき、泣きついた。

ライオンの躯体は重く、汗の匂いが鼻を突く。

ウォルカは狼狽してシグルドに助けを求めたが、老執事は楽しげに眺めるだけだった。

(この狡猾な執事め……! 最初からこれを俺に押し付けるつもりだったのか!)

「殿下、まずは離れてください! 汗だくで飛びつくのは衛生的にも……っ! 悩みは理解しましたが、俺の教育には精神的な修行も含まれます!」

アリオスの肩を押し返した、その時。準備を終えたティーガが部屋に入ってきた。

「おぉ……、えーっと……。邪魔、したか……?」

素っ裸の王子をウォルカが押し返している光景に、ティーガはぽかんと口を開けた。

その肩からリューゴが飛び上がる。

「ぎゃははは! だから言ったろう、行かん方がいいと!なんだウォルカ、お主が手取り足取り実践してやるのか?」

「ティーガ、誤解だ! 殿下の……その、特殊な習慣に遭遇しただけだ!見せる訳がない!」

「えっダメなの!? 見本見せてくれねーの!? ティーガとの熱々えっち見たいんだけど!」

「私も後学のためにぜひ拝見したい。リューゴ様が認められた尊い営み……ふふ。おや失礼、つい本音が」

シグルドは肩を震わせて笑いを堪えている。

ウォルカは耳を真っ赤にしてティーガに視線を向けた。

「っふ……。あー、まぁ、落ち着けよ。とりあえず朝飯行こうぜ。殿下も早く服を着ねぇと、風邪ひくぞ」

ティーガまで笑いを耐えているのを見て、ウォルカは深く、深く肩を落とした。

「……教育は、段階的に進めます。まずは身支度を。殿下の……悩みについては、後ほど、正式に相談を受けます」

ウォルカは一刻も早くこの混沌とした空間を脱出するべく、ティーガの腕を引いて廊下へと向かった。
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