白狼と虎と竜神

朱々丸

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第四章

十話

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「さあ野郎ども、船を出せ! あの厚化粧した白ナマコ共に海の掟を叩き込んでやれ!」

アルティリオが野太い声を上げ、出港を命じようとしたその時。傍らにいた男が、アルティリオの肩を叩く。

「待てよ、アル。この船の強みを使わねえでどうする」

「あぁ? 何だよ、ジャック」

ジャックと呼ばれた男は細めた瞳に狡猾な光を宿した。

「この船の黒塗りは、ただのファッションか?
明かりを全て落とせ! 気配を殺して、静かに出るぞ!
サクラ様よ、天狗の連中に派手に陽動させて、あいつらの視線を空へ釘付けにしてくれ!」

ジャックは船上からサクラに声を投げる。
それを受け取ったサクラとウコンは即座に天狗達に指示を飛ばした。

「その隙に俺たちは背後へ……一番デカい奴のケツに、至近距離からズドン、だ」

ジャックの口角が、計算高い詐欺師のそれへと吊り上がる。彼は夜の海を見据え、低く、けれど確かな執念を込めて言葉を継いだ。

「奴らを転移魔法で逃がすわけにはいかねぇ。……この金づる――いや、ホムラサキの存在は、島の平和のためにも、なるべく明るみに出しちゃならねぇからな」

「っわははは! 相変わらず悪知恵の働く野郎だ。だが、最高だぜ!
野郎ども、聞いたか! 灯を消せ! 波音ひとつ立てるなよ!」

アルティリオの号令と共に、ブラッディジャガー号の灯火が次々と消えていく。漆黒の船体は、夜の海という完璧な擬態を得て、その輪郭を闇に溶け込ませた。

頭上では、天狗部隊が矢の雨を降らせ、夜空を爆発的な光と音で支配する。
教会の船団が煩わしい蝿を叩こうとするように空へと魔法を向ける。

しかし、漆黒の死神は、確実に旗艦の真後ろへと肉薄していた。

「――今だ! 接舷(よ)せろ、撃てぇ!!」

ドォォォン!!

海賊船が教会の旗艦に食らいつく。ひしゃげる木材の悲鳴を合図に、ティーガが咆哮と共に宙を舞う。

「よし!! いくぜぇ!」

着地と共に男信者を蹴散らしたティーガを追うように、その白い毛並みを海風に靡かせたウォルカが音も無く甲板に降り立つ。​ウォルカの身体がしなやかに躍動し、強靭なバネを活かした鋭い回し蹴りが空を断つ。

吹き飛ぶ男たちの隙間を縫うように、ウォルカは優雅に、かつ迅速に甲板を蹴った。指先からは、薄氷のように鋭い爪が伸び、魔法を紡ごうとする術師の衣を切り裂いていく。

「な、なんなのです、この化け物たちは……!これでは魔法が――」

シスターたちが震える指先で妖しい光を紡ごうとするが、後に続く海賊たちの妨害と空中からの矢も合わさってことごとく霧散する。

一方、ブラッディジャガー号の甲板では、別の意味で緊迫した空気が流れていた。

「ひゃ、ひゃぁぁぁっ!来るな、来るな!ヒナタさん大丈夫!?俺、やれてる!? うわぁっ!?」

アリオスは悲鳴を上げながら、海賊船へ乗り移ろうとする敵に必死に立ち向かっていた。声は裏返っていても、その剣筋は見事なものだった。

「ご立派ですぞ、殿下。日々の鍛錬の賜物ですな」

その傍らで、シグルドは相変わらず生暖かい目をして優雅に微笑みながら、片手で投げナイフを僅かな動作で放つ。それは細く空気を裂く音を響かせて、アリオスの隙を狙う敵を牽制した。

「ふふ……ありがとうございます、お二人とも。
……竜神の加護を、ここへ!」

ヒナタの祈りから清浄な光が溢れ、海賊船全体を柔らかな障壁が包み込む。

その光に背中を押されるように、ウォルカとティーガは敵船の深部へと、さらに深く、容赦なく踏み込んでいく。

「……逃がさん。この船の誰一人としてな」

ウォルカの拳が、女達を守る男信者を最後の一人まで沈め、ついに船尾の華美な扉を粉砕した。

その奥、香煙が立ち込める部屋の主が、屈辱に震えながら振り返る。

「っ!一体シスターと肉壁は何をしているのです!この穢らわしい男共め!教会の『聖母』に仇為すなど――」

「……黙れ」

月光を背負うウォルカの、凍てつく眼光が女を射抜く。
船室の外では海賊達の確かな勝鬨の声が上がっていた。


―――


​夜空が白み始める頃、ホムラサキの港には静かな、けれど確かな勝利の熱気が漂っていた。海賊船からは、術を封じられ、縄を打たれた教会の信者たちが次々と引きずり下ろされていく。

その中心で、一際豪華な法衣を乱し、地面に膝を突かされた『聖母』の前に、サクラがゆっくりと歩み寄った。

「いやぁ、これは随分と賑やかになったな。我が島の平和を案じてくださったこと、竜神の名代として厚く御礼申し上げるよ」

サクラは穏やかな笑みを浮かべながらも、その空色の瞳は冷徹に聖母を見下ろした。

「おのれ……! 竜神とその神使を拐かし、あまつさえ女を使役し聖なる秩序を乱す暴虐、許されると思っているのですか! 貴様らのような汚らわしい男共が、神聖なる竜脈の地に立つこと自体が――」

聖母が顔を真っ赤にして喚き散らす。その言葉は、もはや信仰というよりは病的なまでの「憎悪」に満ちていた。ウォルカは無言のまま、ただティーガを守るようにその傍らに立ち、氷のような視線を女に投げる。

そこへ、神妙な面持ちのヒナタが進み出てきた。彼女はサクラの隣に立つと、小さく首を振って声を落とした。

「お父様……先ほど、彼女たちに術封じを施した際に、分かったことがございます。この者たち……やはり、洗脳の術がかけられているようです」

「……ふむ。やはり、か」

ヒナタの言葉に、アリオスやシグルド、そしてウォルカも僅かに眉を動かした。

「ええ。教会で育てられる過程で、教えと共に何度も刷り込まれるのでしょう……。特に、男性という存在そのものを『穢れ』として拒絶するよう、精神の深層に強力な呪縛が。彼女たちの語る『正義』は、その歪んだ呪いによって作られたものに過ぎません」

ヒナタの悲しげな言葉に、喚いていた女の表情が一瞬、虚ろに歪んだ。自分自身の意志だと思い込んでいた憎悪が、実は魔法による上書きであったという事実が困惑を生んだのだ。

「……なるほど。そうまでして男と女を分断しようとするか。教会のやり口は、想像以上に救いようがないようだね」

サクラの溜息混じりの言葉が、朝靄の港に重く響く。

​そこへ、夜明けの空を裂いて巨大な影が舞い降りた。

守護竜アカツキと、その背に乗るカグラである。彼女は軽やかに地面へ降り立つと、サクラの前に歩み寄った。

​「お待たせいたしましたね、サクラ。島全体を『目眩まし』の術で包みました。これでしばらくは外部から干渉されることはありません」

​「カグラちゃん、ありがとう。いつも無理を言ってごめんね。……それで、重ねて申し訳ないんだけど、この者たちの洗脳を解くことって、君の力でできるかな?」

​サクラの問いに、カグラは無表情ながらも、捕らえられた術師たちをじっと見据えた。

​「……わたくしならば、可能でしょう。ですが、術を解いたとしても、既に刷り込まれた価値観をすぐに変えることはできませんよ。彼女たちにとって、男性への嫌悪は魂に刻まれた癖のようなものでしょうから」

​「ああ、それで構わないさ。どうせ、この者たちを今すぐ教会へ返すわけにはいかないんだ。ホムラサキが狙われた以上はね」

​サクラは朝陽に輝く海を見据えた。その瞳には、一国の王としての深い慈愛と、未来を見通す確かな理知が宿っている。

​「せっかくなら、この島をよく知ってもらって、楽しく過ごしてもらおうか。洗脳のリハビリも兼ねて……ね」

​「……サクラ。彼女たちを、この島で『生かす』というのですか?」

​カグラが問いかけると、サクラは優しく頷いた。

​「そうだよ、カグラちゃん。彼女たちは教会の犠牲者だ。ならば、洗脳を解くだけでは足りない。男を憎むよう育てられた彼女たちが、ここでは男と女が当たり前に手を取り合い、笑い合えるのだと知ること……それが必要なんだ。ここでの暮らしが、彼女たちにとっての新しい『真実』になるように」

​サクラの言葉に、アリオスが弾かれたように顔を上げた。

「さ、サクラ様!もしやそれは、我らが教会を倒した後を見据えてのことだろうか!?」

「教会を倒すだと……!?」

アリオスの言葉に反射的に聖母が怒りを露にし、信者達にも動揺が走る。

サクラはそのどよめきを切り裂くような凛とした声で言葉を紡いだ。

​「僕はね、いつか彼女たちが自らの意志で『ここでの暮らしは間違っていなかった』と言えるようになると確信しているんだ。君たち大陸もきっとそうなれるはず……だから、まずは手本を見せてあげないとな」

その瞳には、単なる防衛を超えた「変革」の意志が宿っている。

​一方で、その力強い宣言を聞いたウォルカの胸中には、誇らしさでは無く、重苦しい濁りに沈み込んでいた。

​(……教会を倒す、か)

​アリオスに向けられたウォルカの視線には、悲壮な哀願にも似た色が混じる。

朝陽に照らされたアリオスの背中は、相変わらず頼りないようでいて、眩しい光を放ちすぎていた。

​(あの王子は、本気だ。本気で……あの巨大な組織を相手取るつもりでいる)

ウォルカの心の奥底に澱のように溜まっているのは、大義への不安などではなかった。

ただ、ティーガを誰の目にも触れぬ場所に隠し、自分の手の中だけで、その温もりを独占していたい。戦火の届かぬ場所で、彼を自分の所有物として閉じ込めておきたいという、昏い執着。

サクラやアリオスの掲げる「開かれた未来」は、ウォルカの抱く「閉ざされた愛」とは、どこまでも相容れないものだった。

​ティーガの大きな手が、ウォルカの肩に触れる。

​その温かな、けれどどこか外の気配を連れてくる感触を感じるたび、ウォルカの心は、大陸への野心よりも「この一瞬の安寧」を繋ぎ止めることに狂おしく執着してしまう。

​「……ウォルカ? どうした、そんなに難しい顔して。まさか、船酔いでもしたか?」

​ティーガが不思議そうに覗き込んでくる。その無防備で純粋な眼差しに、ウォルカは内心で短く溜息をついた。

​「……いや。ただ、少し疲れただけだ。……悪いが、俺は先に宿へ戻る」

​​今の自分では、ティーガを真っ直ぐに見返すことができない。

ウォルカはそう答えると、ティーガの大きな手を指先で柔らかく払い、港に集う人々――輝かしい未来を語る者たちに背を向けた。

​朝陽に照らされる背中に、言いようのない孤独を滲ませたまま、彼は独り、宿の方へと歩き出した。

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