白狼と虎と竜神

朱々丸

文字の大きさ
40 / 93
第四章

十話

「さあ野郎ども、船を出せ! あの厚化粧した白ナマコ共に海の掟を叩き込んでやれ!」

アルティリオが野太い声を上げ、出港を命じようとしたその時。傍らにいた男が、アルティリオの肩を叩く。

「待てよ、アル。この船の強みを使わねえでどうする」

「あぁ? 何だよ、ジャック」

ジャックと呼ばれた男は細めた瞳に狡猾な光を宿した。

「この船の黒塗りは、ただのファッションか?
明かりを全て落とせ! 気配を殺して、静かに出るぞ!
サクラ様よ、天狗の連中に派手に陽動させて、あいつらの視線を空へ釘付けにしてくれ!」

ジャックは船上からサクラに声を投げる。
それを受け取ったサクラとウコンは即座に天狗達に指示を飛ばした。

「その隙に俺たちは背後へ……一番デカい奴のケツに、至近距離からズドン、だ」

ジャックの口角が、計算高い詐欺師のそれへと吊り上がる。彼は夜の海を見据え、低く、けれど確かな執念を込めて言葉を継いだ。

「奴らを転移魔法で逃がすわけにはいかねぇ。……この金づる――いや、ホムラサキの存在は、島の平和のためにも、なるべく明るみに出しちゃならねぇからな」

「っわははは! 相変わらず悪知恵の働く野郎だ。だが、最高だぜ!
野郎ども、聞いたか! 灯を消せ! 波音ひとつ立てるなよ!」

アルティリオの号令と共に、ブラッディジャガー号の灯火が次々と消えていく。漆黒の船体は、夜の海という完璧な擬態を得て、その輪郭を闇に溶け込ませた。

頭上では、天狗部隊が矢の雨を降らせ、夜空を爆発的な光と音で支配する。
教会の船団が煩わしい蝿を叩こうとするように空へと魔法を向ける。

しかし、漆黒の死神は、確実に旗艦の真後ろへと肉薄していた。

「――今だ! 接舷(よ)せろ、撃てぇ!!」

ドォォォン!!

海賊船が教会の旗艦に食らいつく。ひしゃげる木材の悲鳴を合図に、ティーガが咆哮と共に宙を舞う。

「よし!! いくぜぇ!」

着地と共に男信者を蹴散らしたティーガを追うように、その白い毛並みを海風に靡かせたウォルカが音も無く甲板に降り立つ。​ウォルカの身体がしなやかに躍動し、強靭なバネを活かした鋭い回し蹴りが空を断つ。

吹き飛ぶ男たちの隙間を縫うように、ウォルカは優雅に、かつ迅速に甲板を蹴った。指先の爪は薄氷のように鋭く光り、魔法を紡ごうとする術師の衣を切り裂いていく。

「な、なんなのです、この化け物たちは……!これでは魔法が――」

シスターたちが震える指先で妖しい光を紡ごうとするが、後に続く海賊たちの妨害と空中からの矢も合わさってことごとく霧散する。

一方、ブラッディジャガー号の甲板では、別の意味で緊迫した空気が流れていた。

「ひゃ、ひゃぁぁぁっ!来るな、来るな!ヒナタさん大丈夫!?俺、やれてる!? うわぁっ!?」

アリオスは悲鳴を上げながら、海賊船へ乗り移ろうとする敵に必死に立ち向かっていた。声は裏返っていても、その剣筋は見事なものだった。

「ご立派ですぞ、殿下。日々の鍛錬の賜物ですな」

その傍らで、シグルドは相変わらず生暖かい目をして優雅に微笑みながら、片手で投げナイフを僅かな動作で放つ。それは細く空気を裂く音を響かせて、アリオスの隙を狙う敵を牽制した。

「ふふ……ありがとうございます、お二人とも。
……竜神の加護を、ここへ!」

ヒナタの祈りから清浄な光が溢れ、海賊船全体を柔らかな障壁が包み込む。

その光に背中を押されるように、ウォルカとティーガは敵船の深部へと、さらに深く、容赦なく踏み込んでいく。

「……逃がさん。この船の誰一人としてな」

ウォルカの拳が、女達を守る男信者を最後の一人まで沈め、ついに船尾の華美な扉を粉砕した。

その奥、香煙が立ち込める部屋の主が、屈辱に震えながら振り返る。

「っ!一体シスターと肉壁は何をしているのです!この穢らわしい男共め!教会の『聖母』に仇為すなど――」

「……黙れ」

月光を背負うウォルカの、獣の眼光が女を射抜く。
船室の外では海賊達の確かな勝鬨の声が上がっていた。


―――


​夜空が白み始める頃、ホムラサキの港には静かな、けれど確かな勝利の熱気が漂っていた。海賊船からは、術を封じられ、縄を打たれた教会の信者たちが次々と引きずり下ろされていく。

その中心で、一際豪華な法衣を乱し、地面に膝を突かされた『聖母』の前に、サクラがゆっくりと歩み寄った。

「いやぁ、これは随分と賑やかになったな。我が島の平和を案じてくださったこと、竜神の名代として厚く御礼申し上げるよ」

サクラは穏やかな笑みを浮かべながらも、その空色の瞳は冷徹に聖母を見下ろした。

「おのれ……! 竜神とその神使を拐かし、あまつさえ女を使役し聖なる秩序を乱す暴虐、許されると思っているのですか! 貴様らのような汚らわしい男共が、神聖なる竜脈の地に立つこと自体が――」

聖母が顔を真っ赤にして喚き散らす。その言葉は、もはや信仰というよりは病的なまでの「憎悪」に満ちていた。ウォルカは無言のまま、ただティーガを守るようにその傍らに立ち、氷のような視線を女に投げる。

そこへ、神妙な面持ちのヒナタが進み出てきた。彼女はサクラの隣に立つと、小さく首を振って声を落とした。

「お父様……先ほど、彼女たちに術封じを施した際に、分かったことがございます。この者たち……やはり、洗脳の術がかけられているようです」

「……ふむ。やはり、か」

ヒナタの言葉に、アリオスやシグルド、そしてウォルカも僅かに眉を動かした。

「ええ。教会で育てられる過程で、教えと共に何度も刷り込まれるのでしょう……。特に、男性という存在そのものを『穢れ』として拒絶するよう、精神の深層に強力な呪縛が。彼女たちの語る『正義』は、その歪んだ呪いによって作られたものに過ぎません」

ヒナタの悲しげな言葉に、喚いていた女の表情が一瞬、虚ろに歪んだ。自分自身の意志だと思い込んでいた憎悪が、実は魔法による上書きであったという事実が困惑を生んだのだ。

「……なるほど。そうまでして男と女を分断しようとするか。教会のやり口は、想像以上に救いようがないようだね」

サクラの溜息混じりの言葉が、朝靄の港に重く響く。

​そこへ、夜明けの空を裂いて巨大な影が舞い降りた。

守護竜アカツキと、その背に乗るカグラである。彼女は軽やかに地面へ降り立つと、サクラの前に歩み寄った。

​「お待たせいたしましたね、サクラ。島全体を『目眩まし』の術で包みました。これでしばらくは外部から干渉されることはありません」

​「カグラちゃん、ありがとう。いつも無理を言ってごめんね。……それで、重ねて申し訳ないんだけど、この者たちの洗脳を解くことって、君の力でできるかな?」

​サクラの問いに、カグラは無表情ながらも、捕らえられた術師たちをじっと見据えた。

​「……わたくしならば、可能でしょう。ですが、術を解いたとしても、既に刷り込まれた価値観をすぐに変えることはできませんよ。彼女たちにとって、男性への嫌悪は魂に刻まれた癖のようなものでしょうから」

​「ああ、それで構わないさ。どうせ、この者たちを今すぐ教会へ返すわけにはいかないんだ。ホムラサキが狙われた以上はね」

​サクラは朝陽に輝く海を見据えた。その瞳には、一国の王としての深い慈愛と、未来を見通す確かな理知が宿っている。

​「せっかくなら、この島をよく知ってもらって、楽しく過ごしてもらおうか。洗脳のリハビリも兼ねて……ね」

​「……サクラ。彼女たちを、この島で『生かす』というのですか?」

​カグラが問いかけると、サクラは優しく頷いた。

​「そうだよ、カグラちゃん。彼女たちは教会の犠牲者だ。ならば、洗脳を解くだけでは足りない。男を憎むよう育てられた彼女たちが、ここでは男と女が当たり前に手を取り合い、笑い合えるのだと知ること……それが必要なんだ。ここでの暮らしが、彼女たちにとっての新しい『真実』になるように」

​サクラの言葉に、アリオスが弾かれたように顔を上げた。

「さ、サクラ様!もしやそれは、我らが教会を倒した後を見据えてのことだろうか!?」

「教会を倒すだと……!?」

アリオスの言葉に反射的に聖母が怒りを露にし、信者達にも動揺が走る。

サクラはそのどよめきを切り裂くような凛とした声で言葉を紡いだ。

​「僕はね、いつか彼女たちが自らの意志で『ここでの暮らしは間違っていなかった』と言えるようになると確信しているんだ。君たち大陸もきっとそうなれるはず……だから、まずは手本を見せてあげないとな」

その瞳には、単なる防衛を超えた「変革」の意志が宿っている。

​一方で、その力強い宣言を聞いたウォルカの胸中には、誇らしさでは無く、重苦しい濁りに沈み込んでいた。

​(……教会を倒す、か)

​アリオスに向けられたウォルカの視線には、悲壮な哀願にも似た色が混じる。

朝陽に照らされたアリオスの背中は、相変わらず頼りないようでいて、眩しい光を放ちすぎていた。

​(あの王子は、本気だ。本気で……あの巨大な組織を相手取るつもりでいる)

ウォルカの心の奥底に澱のように溜まっているのは、大義への不安などではなかった。

ただ、ティーガを誰の目にも触れぬ場所に隠し、自分の手の中だけで、その温もりを独占していたい。戦火の届かぬ場所で、彼を自分だけのものとして閉じ込めておきたいという、昏い執着。

サクラやアリオスの掲げる「開かれた未来」は、ウォルカの抱く「閉ざされた愛」とは、どこまでも相容れないものだった。

​ティーガの大きな手が、ウォルカの肩に触れる。

​その温かな、けれどどこか外の気配を連れてくる感触を感じるたび、ウォルカの心は、大陸への野心よりも「この一瞬の安寧」を繋ぎ止めることに狂おしく執着してしまう。

​「……ウォルカ? どうした、そんなに難しい顔して。まさか、船酔いでもしたか?」

​ティーガが不思議そうに覗き込んでくる。その無防備で純粋な眼差しに、ウォルカは内心で短く溜息をついた。

​「……いや。ただ、少し疲れただけだ。……悪いが、俺は先に宿へ戻る」

​​今の自分では、ティーガを真っ直ぐに見返すことができない。

ウォルカはそう答えると、ティーガの大きな手を指先で柔らかく払い、港に集う人々――輝かしい未来を語る者たちに背を向けた。

​朝陽に照らされる背中に、言いようのない孤独を滲ませたまま、彼は独り、宿の方へと歩き出した。

感想 0

あなたにおすすめの小説

嫌われ将軍(おっさん)ですがなぜか年下の美形騎士が離してくれない

天岸 あおい
BL
第12回BL大賞・奨励賞を受賞しました(旧タイトル『嫌われ将軍、実は傾国の愛されおっさんでした』)。そして12月に新タイトルで書籍が発売されます。 「ガイ・デオタード将軍、そなたに邪竜討伐の任を与える。我が命を果たすまで、この国に戻ることは許さぬ」 ――新王から事実上の追放を受けたガイ。 副官を始め、部下たちも冷ややかな態度。 ずっと感じていたが、自分は嫌われていたのだと悟りながらガイは王命を受け、邪竜討伐の旅に出る。 その際、一人の若き青年エリクがガイのお供を申し出る。 兵を辞めてまで英雄を手伝いたいというエリクに野心があるように感じつつ、ガイはエリクを連れて旅立つ。 エリクの野心も、新王の冷遇も、部下たちの冷ややかさも、すべてはガイへの愛だと知らずに―― 筋肉おっさん受け好きに捧げる、実は愛されおっさん冒険譚。 ※12/1ごろから書籍化記念の番外編を連載予定。二人と一匹のハイテンションラブな後日談です。

限界英雄(しょうもうひん)と、独占愛の騎士団長

月岡
BL
​ 殲滅の大魔法使い、ゼノヴィア。  王の忠実な駒として戦場を一夜で焼き尽くす彼は、民からは「英雄」と称えられ、騎士団長フェリスからはその冷酷さを激しく忌み嫌われていた。 ​ しかし、フェリスが城の隅、森の奥に隠された「真実」を知った時、世界は反転する。  傲慢な英雄の仮面の下にあったのは、崩れ落ちそうなほどボロボロの身体と、人質に取られた病弱な弟、そして使い潰されるのを待つだけの孤独な日々だった。 ​「……お前、今まで一人で何を背負ってきた」 ​ 嫌悪が憐憫(れんびん)へ、そして抗いようのない猛烈な愛へと変わるのに時間はかからなかった。  英雄という名の呪縛に縛られた男と、その痛々しい背中を「独占し、守りたい」と願うようになった男。  加速する王の圧政と、刻一刻と近づくゼノヴィアの「限界」。  歪んだ忠誠が愛に塗り替えられた時、二人の男が最後に選ぶ反逆の形とは――。 ※こちらは小説家になろう様にも掲載しております

小っちゃくたって猛禽類!〜消えてしまえと言われたので家を出ます。父上母上兄上それから婚約者様ごめんなさい〜

れると
BL
【第4部完結!】 第5部誠意執筆中。平日なるべく毎日更新を目標にしてますが、かなり四苦八苦してますのでぶっちゃけ不定期更新です!いつも読みに来てくださってありがとうございます!いいね、エール励みになります! ↓↓あらすじ(?) 僕はツミという種族の立派な猛禽類だ!世界一小さくたって猛禽類なんだ! 僕にあの婚約者は勿体ないって?消えてしまえだって?いいよ、消えてあげる。だって僕の夢は冒険者なんだから! 家には兄上が居るから跡継ぎは問題ないし、母様のお腹の中には双子の赤ちゃんだって居るんだ。僕が居なくなっても問題無いはず、きっと大丈夫。 1人でだって立派に冒険者やってみせる! 父上、母上、兄上、これから産まれてくる弟達、それから婚約者様。勝手に居なくなる僕をお許し下さい。僕は家に帰るつもりはございません。 立派な冒険者になってみせます! 第1部 完結!兄や婚約者から見たエイル 第2部エイルが冒険者になるまで① 第3部エイルが冒険者になるまで② 第4部エイル、旅をする! 第5部隠れタイトル パンイチで戦う元子爵令息(までいけるかな?) ・ ・ ・ の予定です。 不定期更新になります、すみません。 家庭の都合上で土日祝日は更新できません。 ※BLシーンは物語の大分後です。タイトル後に※を付ける予定です。

黒豹陛下の溺愛生活

月城雪華
BL
アレンは母であるアンナを弑した獣人を探すため、生まれ育ったスラム街から街に出ていた。 しかし唐突な大雨に見舞われ、加えて空腹で正常な判断ができない。 幸い街の近くまで来ていたため、明かりの着いた建物に入ると、安心したのか身体の力が抜けてしまう。 目覚めると不思議な目の色をした獣人がおり、すぐ後に長身でどこか威圧感のある獣人がやってきた。 その男はレオと言い、初めて街に来たアレンに優しく接してくれる。 街での滞在が長くなってきた頃、突然「俺の伴侶になってくれ」と言われ── 優しく(?)兄貴肌の黒豹×幸薄系オオカミが織り成す獣人BL、ここに開幕!

竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて暮らしてます【完結】

ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。

最強騎士団長の養子になったエルフ。遊び相手の王子は、僕にだけ重すぎる愛を注ぐ

えの
BL
突然知らない森に飛ばされたエルフの少年リュカ。 驚くことも無く「まぁ、森だし」で片付けてしまう。 そんなマイペースなリュカが傷心した獣人女性に出会ったことから物語が動き出す。 攻めが出てくるの少し遅いです。 執着王子×マイペースエルフ

番を強制解消され離縁された訳ありΩですが、初恋のαに愛されて幸せになります。

社菘
BL
政略結婚で第一王子の番となったオメガのサーシャは、ある日突然『フェロモンが臭い』という理不尽な理由で番を強制解消され、離縁。実家からも絶縁され、娼館に捨てられた。 すべてを失った彼は娼館で働きながら新たな人生を歩み始めるが、そこでかつて想い合っていた初恋のアルファ・ヴィラードと再会する。 しかし番を解消された代償として、サーシャの身体は他者を拒絶するようになっていて――。 それでも互いを想い続ける二人は、共に生きる道を探し始める。 ※オメガバース特殊設定あり ※性描写がある話数には『*』をつけています ✧毎日8時+19時更新予定✧ ✧ブクマ・各話いいね・感想など作者大歓喜します✧

黒豹拾いました

おーか
BL
森で暮らし始めたオレは、ボロボロになった子猫を拾った。逞しく育ったその子は、どうやら黒豹の獣人だったようだ。 大人になって独り立ちしていくんだなぁ、と父親のような気持ちで送り出そうとしたのだが… 「大好きだよ。だから、俺の側にずっと居てくれるよね?」 そう迫ってくる。おかしいな…? 育て方間違ったか…。でも、美形に育ったし、可愛い息子だ。拒否も出来ないままに流される。