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~少年はいつも迷子~
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鏡 渉(かがみ・わたる)は途方に暮れていた。
学食でお昼ご飯を食べるつもりだったのだが、入学したてで校内の何処に学食があるのか解らないのである。
「いったいどこにあるんだ?」
新入生したばかりのせいか、クラスメートは皆弁当やコンビニで買ってきたおにぎりなどを食べていて学食の場所を訊ねてもその場所を知っている者はまだいなかった。
自分もコンビニで何か買って来れば良かったと思いながら学食を探して校内をさまよっている間にも、貴重な昼休みの時間は過ぎていく。渉はお昼ご飯抜きを覚悟した頃、前から廊下を歩いてくる白衣を着た女性が視界に入った。
「すみません。学食の場所はどこですか?」
いいタイミングで先生がいたと、渉が白衣の人物に声をかけると、その人物は足を止め、小首を傾げる。
「学食はこの本校舎じゃなく、プレハブ校舎にあるけど…新入生?」
「はい」
「ああ、それじゃわかんないね」
苦笑いを浮かべるとその女性はややこしい場所にあるから案内しようか? と訊いてきた。
「助かります」
渡りに船とばかり渉は頭を下げる。
「了解。こっちよ」
渉を促し、白衣の女性は歩き出す。渉が彷徨っていた本校舎の建物を出て、その横に並んでいる二階建てのプレハブ校舎の廊下を進む。そちらの廊下にはパンや紙パックのジュースが入った紙袋を手にした生徒たちがたくさんいた。
「あれ、はかせ。これからお昼?」
「珍しい。今日は学食で飯?
すれ違う生徒たちが次々に白衣の女性に声をかけていく。
白衣の女性に対して敬語で話しかける者はおらず、女性の方も軽く手を上げて応えるだけだったので、渉はそれが不思議な光景に映る。
「先生にみんなタメ口なんですね…」
渉が驚きながら白衣の女性に言うと、その人物は笑い始めた。
「?」
彼女が何故笑い始めたのかわからず、きょとんとしていると彼女は笑いながらその理由を口にする。
「私、先生じゃないよ。貴方と同じ生徒。2年生だけどね」
「へ⁈」
それが彼女との初めての出会いであった。
白衣の彼女は志麻 優子(しま・ゆうこ)と名乗った。普通科文系進学コースの二年生だという。
「どうして白衣を?」
彼女は制服の上から白衣を纏っていたので、渉はてっきりこの学校の教師だと勘違いしていたのである。
「この白衣は私のトレードマークみたいなものだから」
「先輩の事をはかせって呼んでたのはその白衣のせいですか?」
「理由はちょっと違うけど、はかせは私のあだ名だから」
そう言って優子は苦笑いを浮かべる。
「貴重な休み時間なのに先輩すみません」
同じ生徒なのだから、優子にとってもこの休み時間は貴重な時間のはずである。渉が恐縮して頭を下げると優子は気にするなといった様子でひらひらと手を振る。
「あんまりお昼休みの時間残ってないから、急いだ方がいいよ」
優子はそう言うと再び歩き出した。
「学食のおすすめは日替わり定食。安くてボリュームがあるから人気」
歩きながら学食の事について優子はいろいろ説明をしてくれる。この学校の学食は、放課後も営業しているので、食べ盛りの生徒たちがクラブ前にうどんやラーメン、カレーなどを食べる者も多いという話だった。
学食は立ち並ぶプレハブ校舎の一番奥にあり、途中に工事車両専用の大きな道路を渡る歩道橋の向こう側にあった為、確かにその場所はわかりにくかった。
「食べたいメニューの看板の下の窓口で注文して、食事と交換で現金払いね」
優子はそう言うと、渉に「じゃあね」と言って、食堂の端にあるパンの販売コーナーへ去っていった。
「親切な人だったな」
優しい先輩に感謝しながら、渉は日替わり定食と書かれた窓口の注文の列に並ぶ。幸い売り切れることも無く、無事昼休みが終わる前にボリューム満点の定食にありつく事が出来たのだった。
府立珠河高等学校。それが渉の進学した学校の名前だった。
普通科と看護学科がある公立校である。偏差値レベルは中ほどだが、進学率就職率とも悪くはない。現在老朽化した本校舎の一部建て替え工事が行われている為、一般授業は二階建てのプレハブ校舎で、特殊教室は本校舎内で行われるという、特殊な校舎配置となっていた。
クラブ活動も活発で吹奏楽部と野球部は強豪校で、全国大会で何度も優勝成績を残している有名校である。
「クラブ見学会かぁ」
登校時、校門の前に並んでいたクラブ勧誘の先輩たちから渡されたチラシの束を渉は眺めていた。
野球、サッカー、バスケットボール、テニス、剣道などの運動部から、写真、漫研、落研、演劇などの文化部、鉄道や特撮研究、手品の愛好会などのチラシもあり、多種多様でどれも新入生に興味を持ってもらおうと様々な文言や趣向が凝らしてある。
「クラブ活動はやってみたいけど、迷うな…」
中学時代帰宅部だった渉は、進学を機に漠然とではあるが何かクラブ活動というものをやってみたいなと考えてはいたが、特に興味を持っているものがある訳でもなかった。
「見学歓迎って書いてあるし、とりあえず見て回るか」
クラブ棟もプレハブ校舎の中にあるらしく、あてもなく渉は歩き出す。
新入生たちの顔はまだまだ中学生然としているせいか、上級生たちがクラブ棟に見学にやって来た新入生を目ざとく見分け入部の勧誘をしていて、放課後のクラブ棟はかなり賑わっている。
「君、サッカーやらない?」
「いや、紳士のスポーツ、ラクビーだよ、絶対」
「テニス男子はもてるよ」
「一緒にサイクリングに行こう!」
クラブ棟エリアに入ると早速、渉にも運動部の上級生たちが勧誘に群がる。
「僕、運動はあまり得意じゃないので…」
上級生の勢いに圧倒され怯みながら渉は勧誘を断わりの言葉を口にするが、「最初はみんな初心者。練習すれば得意になる」と断れるのに慣れている上級生たちは全く意に介す様子は無かった。そんな体育会系の勧誘をかき分け、首から映研と書かれた段ボール板を首から下げた人物が渉に声をかけてくる。
「君は文化系って顔だ。僕たちと映画を作らないか?」
「明日のスターは君だ! 演劇部へようこそ」
「スターよりヒーローだよな! 特撮はいいぞ!」
地味な印象が強い文化系クラブでもアクティブな生徒が多いのか、映研、演劇、特撮部が次々と声をかけてくる。
「…いや、その…あの」
まるで子羊に襲い掛かる猛獣の群れである。気楽な気持ちでクラブ棟エリアに足を踏み入れた事を渉は後悔し始めていた。勧誘する気満々の上級生たちに取り囲まれてしまったこの状況をどう切り抜けるか頭を悩ましていると、渉の手をいきなり掴み声をかける者がいた。
「また迷子になってるし」
渉の腕を掴んで笑いを含んだ声でそう言ったのは優子だった。
「この子、うちのお茶会に来る予定だったんだけど、迷子になっていたみたい」と勧誘の生徒たちに優子はそう言うと、渉を取り囲んでいた上級生たちは「はかせのお茶会か…」と複雑そうな表情を浮かべ解散してゆく。
簡単に突破できそうも無かった勧誘包囲網がいとも簡単に解けた事に驚いている渉に優子は笑ってみせた。
「一緒にお茶はいかが?」
状況が呑み込めないまま、渉は気が付くと頷いていた。
誘われるまま渉が案内されたのは本校舎の特殊教室——生物実験室だった。
「ではお茶会を始めます」
実験の授業で使われる実験台の席に渉が座ると、黒板の前に立った優子が両手を広げてお茶会の開会を宣言する。それを合図に奇妙なお茶会が始まった。
「これ…お茶会?」
実験台の上を見て渉が戸惑いの声を上げる。実験台の上にはアルコールランプにかけられた黒や茶色い液体が入った丸底フラスコ。シャーレに入った様々なクッキーやチョコレート、スナック菓子が並び、お茶会の雰囲気を出す為か、試験管立ての試験管には花が生けられていた。
席に座っている参加者の前にはビーカーがあり、お茶会の参加者たちはフラスコから液体をビーカーに注ぎ、それを美味しそうに飲んでいる。
「黒い液体はコーヒー、茶色の液体は紅茶——今日はオレンジペコ。コーラがいいなら三角フラスコに入っているわよ」
渉の向かいの席に座って居た髪の長い女生徒は実験台の上にあるものの説明をした後、渉に何を飲むか尋ねた。
「コーヒーを…」
渉が答えると、髪の長い生徒は頷いてフラスコからビーカーに黒い液体を注ぎ入れる。
「ミルクは小さいビーカーに入ってる白い液体で、お砂糖はこの薬瓶に…薬さじを使ってね」
「…」
コーヒーが入ったビーカーを受け取ったまま困惑の表情を浮かべて固まっていると、それを見た優子が笑い出した。
「心配しなくても大丈夫。お茶会で使っている実験用具は全部新品の奴を専用食器として使ってるから」
どうやら新品の専用の用具を使っているのは、実験で使用している用具類は残留薬品があった場合危険という理由のようである。
「そう言う問題では…」
渉がビーカーに口をつける行為に抵抗感を覚えていると、髪の長い生徒が笑顔でシャーレに入ったクッキーを差し出す。
「遠慮なく食べてね――私が作った奴だからお口に合うかわからないけど」
「ども…」
小さく会釈する渉に優子が髪の長い生徒の紹介をする。
「彼女は青木 香奈子(あおき・かなこ)。私と同じ二年生。みんな香奈子さんって呼んでいるわ」
紹介された香奈子は「よろしくね」と言いながら渉に微笑む。お茶会には香奈子の他には長身の男子生徒が一人いて、先ほどからスナック菓子をつまみながらチラチラと渉を見ていた。
「あの背の高いのは三年生の岡部 衛(おかべ・まもる)先輩…」
「志麻…俺に先輩付けは要らないって——俺の事はべーさんでよろしく」
気さくな様子で岡部はそう言うと、にかっと笑顔を見せる。
「今日のお茶会の参加者はまだ増えると思うけど、何か聞きたい事とかある?」
説明しながら渉の隣の席に座った優子が渉に訊く。その言葉を聞いて渉は思い切った様子で口を開いた。
「訊きたい事はたくさんあるんですが――まず、このお茶会はいったい…?」
その質問に岡部が噴き出す。
「これは生物部のお茶会——放課後はこの部屋、生物部の部室として使ってるから」
「生物部のお茶会⁈」
それを聞いた渉の表情は鳩が豆鉄砲をくらった様であった。
「…そ。府立珠河高等学校生物部主催のお茶会」
通称はかせのお茶会と呼ぶ者もいるという。このお茶会、シュールな趣向のお茶会のせいか、参加した者の話から噂が噂を呼び、いつからかこの学校の一種の名物扱いとなっているらしい。
「そりゃ噂にもなるよな…」
実験台の上を見て、渉は正直な感想を口にする。このお茶会を怪しくないという者がいるとは思えなかった。
「誰かに迷惑かけている訳じゃないんだしねぇ」
香奈子さんがそう言いながらビーカーに入った茶色い液体に口をつける。
「そうそう。誰かに迷惑をかけていないし、面白いんだから問題なし」
楽しそうな優子の言葉を聞きながら、渉はそういう問題か? と心の中で密かにツッコミを入れずにはいられなかった。
「クラブ棟にいたけど、どこか見学に行くつもりだったの?」
ようやく奇妙なお茶会の雰囲気に慣れてビーカーに口をつけ始めた渉に優子が思い出したように尋ねる。
入部希望のクラブはなかったが、高校生になったので何か部活をしたいと考えていたので見学の為にクラブ棟に行ったという説明を渉がすると、優子がなるほどとうなずく。
「今の時期、クラブ棟は新入生を勧誘する為にみんな手ぐすね引いて待ち構えてるからねぇ――案の定、君捕まってたし」
「正直、先輩が声をかけてくれてなきゃ今頃どうなっていた事やら…」
恐らく強引に何処かのクラブに入部させられていたであろうと渉は思う。
「新入生が勧誘チラシの束を手にクラブ棟に来るなんて、カモがネギ背負って歩いている様なもんだからね」
「…で、先輩はどうして僕に声をかけてくれたんですか?」
「ん? 私も新入生の勧誘」
優子はそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべるのだった。
「先輩が勧誘って事は生物部の?」
恐る恐る渉が訊くと優子は大きく頷く。
「はかせはここの部長だから」と香奈子が説明加えるのを聞いて、渉はしまったという表情を浮かべた。
「何その顔、別に取って食おうって訳じゃないんだから」
そう言って優子はケタケタと笑う。
「生物部って何をやっているかイメージがつかみにくいみたいで、入部を希望する新入生って毎年ほとんどいないんだよな」
そう説明する岡部はクラブ顧問に勧誘されて入部したクチだったらしい。
「生物部で今飼育しているのはアフリカツメガエルとグリーンイグアナだけだけど、生物に関する活動なら何でもOK――このお茶会の裏テーマは招待客の人間ウォッチング。人間だって生物の一種だから」
「こじつけくさいなぁ」
「人生楽しんでなんぼよ」
何の迷いも無く優子はそう断言するのをあきれ顔で渉が聞いていると、生物実験室の中に一人の女生徒が入って来た。
実験台を囲みお茶会をしていたメンバーを見回した後、女生徒は「はかせ先輩。来ましたよ~」と元気いっぱいといった感じで声を張り上げる。
「あおい⁈」
女生徒を見て優子は驚いた表情を浮かべると、女生徒は走り寄り優子の腕にしがみつくと「私、入部します」と笑顔を見せる。
「…この子は?」
香奈子が説明を優子に説明を求めると、優子は苦笑いを浮かべながらこの女生徒は中学時代の後輩だと説明する。
「古江 あおい(ふるえ・あおい)です。よろしくお願いします」
そう言ってあおいはペコリと頭を下げる。
「先輩と同じ学校に通いたかったから、私、勉強頑張ったんです~」
優子に褒めてもらいたいといった様子のあおいに、優子は「わかったから、しがみつくのやめれ」と言いながら腕から彼女を振りほどく。
「先輩、冷たいですぅ」
不満げなあおいに香奈子が開いている椅子に座る様に勧め、飲み物を訊ねる。
「紅茶下さい。レモンティが好きなんですけど、大丈夫ですか?」
「冷蔵庫にレモン果汁の瓶あるから大丈夫」
そう言って香奈子は生物準備室に置いてある冷蔵庫からレモン果汁の瓶を持ってきた。
「先輩ありがとう」
あおいはビーカーに注がれたレモンティに口をつける。
「…すげぇ」
全く躊躇する事無くビーカーに口をつけたあおいの様子を見て、渉は感嘆の声を上げた。
「何がすごいんですか?」
「…いや、一切の迷いが無くビーカーに口をつけたから」
「はかせ先輩のお茶会なんですから普通の事ですけど」
そう言ってあおいは不思議そうな表情を浮かべる。
「先輩の中学時代の後輩って言ってたけど…もしかして中学校の頃も実験器具のお茶会を?」
恐る恐る訊ねた渉にあおいは笑顔で大きく頷いた。
「…」
こんな怪しい趣向のお茶会を中学時代からやっていた事を聞いて渉は衝撃を受けてる。
――こいつら普通そうに見えて、絶対おかしい
心の中で渉は強くそう思っていた。
「…俺、用事があるんで、そろそろ帰らないと」
あまり関わりにならない方がいいと判断した渉はそう言いながら立ち上がる。
「え、もう帰るの? じゃあ、じゃんけんしよう」
「じゃんけん?」
てっきり帰るのを止められると思っていたので、意外な優子の言葉に渉は首を傾げる。
「——そ。君がじゃんけんに勝ったらこのまま帰っていいし、今後一切こちらから声はかけない。私が勝ったら生物部の入部届にサインをする事」
「…俺、じゃんけん強いっすよ?」
これといった自慢はない渉であったが、唯一、じゃんけんだけは自信があったので、優子の突拍子もない提案を受け入れる。
「約束ですからね。俺が勝ったら今後一切関わらないっての」
「もちろん」
優子は微笑みを浮かべ大きく頷く。
「じゃあ、最初はグーで一発勝負」
渉は頷き、優子と向き合った。
「最初はグー! じゃんけんポン!」
二人ともチョキを出したので、相子となり、じゃんけんは続く。
「相子でしょ」
二人ともチョキ。
「…しょ!」
その次の瞬間、勝負は決する。
渉がグーを出し、優子はパー。
「私の勝ちっ!」
優子が嬉しそうにガッツポーズを取る。
「…マジか」
渉は信じられないといった表情を浮かべ呟きを漏らす。
「ようこそ府立珠河高等学校生物部へ!」
その場にいた先輩たちが笑顔で口を揃える。
「こんなはずでは…」
自信を持っていたじゃんけんに負け、怪しげな生物部に入部する事になってしまった事にショックを受ける渉の顔を優子は覗き込んでにっこりと微笑む。
「男に二言は無いわよね?」
「…うぅ」
渉は小さな唸り声を上げる。
——これから自分はどんな人生を歩むのか? 変なこのクラブに入部して人生の迷子になるのではないかという不安を感じて渉は頭を抱えた。
学食でお昼ご飯を食べるつもりだったのだが、入学したてで校内の何処に学食があるのか解らないのである。
「いったいどこにあるんだ?」
新入生したばかりのせいか、クラスメートは皆弁当やコンビニで買ってきたおにぎりなどを食べていて学食の場所を訊ねてもその場所を知っている者はまだいなかった。
自分もコンビニで何か買って来れば良かったと思いながら学食を探して校内をさまよっている間にも、貴重な昼休みの時間は過ぎていく。渉はお昼ご飯抜きを覚悟した頃、前から廊下を歩いてくる白衣を着た女性が視界に入った。
「すみません。学食の場所はどこですか?」
いいタイミングで先生がいたと、渉が白衣の人物に声をかけると、その人物は足を止め、小首を傾げる。
「学食はこの本校舎じゃなく、プレハブ校舎にあるけど…新入生?」
「はい」
「ああ、それじゃわかんないね」
苦笑いを浮かべるとその女性はややこしい場所にあるから案内しようか? と訊いてきた。
「助かります」
渡りに船とばかり渉は頭を下げる。
「了解。こっちよ」
渉を促し、白衣の女性は歩き出す。渉が彷徨っていた本校舎の建物を出て、その横に並んでいる二階建てのプレハブ校舎の廊下を進む。そちらの廊下にはパンや紙パックのジュースが入った紙袋を手にした生徒たちがたくさんいた。
「あれ、はかせ。これからお昼?」
「珍しい。今日は学食で飯?
すれ違う生徒たちが次々に白衣の女性に声をかけていく。
白衣の女性に対して敬語で話しかける者はおらず、女性の方も軽く手を上げて応えるだけだったので、渉はそれが不思議な光景に映る。
「先生にみんなタメ口なんですね…」
渉が驚きながら白衣の女性に言うと、その人物は笑い始めた。
「?」
彼女が何故笑い始めたのかわからず、きょとんとしていると彼女は笑いながらその理由を口にする。
「私、先生じゃないよ。貴方と同じ生徒。2年生だけどね」
「へ⁈」
それが彼女との初めての出会いであった。
白衣の彼女は志麻 優子(しま・ゆうこ)と名乗った。普通科文系進学コースの二年生だという。
「どうして白衣を?」
彼女は制服の上から白衣を纏っていたので、渉はてっきりこの学校の教師だと勘違いしていたのである。
「この白衣は私のトレードマークみたいなものだから」
「先輩の事をはかせって呼んでたのはその白衣のせいですか?」
「理由はちょっと違うけど、はかせは私のあだ名だから」
そう言って優子は苦笑いを浮かべる。
「貴重な休み時間なのに先輩すみません」
同じ生徒なのだから、優子にとってもこの休み時間は貴重な時間のはずである。渉が恐縮して頭を下げると優子は気にするなといった様子でひらひらと手を振る。
「あんまりお昼休みの時間残ってないから、急いだ方がいいよ」
優子はそう言うと再び歩き出した。
「学食のおすすめは日替わり定食。安くてボリュームがあるから人気」
歩きながら学食の事について優子はいろいろ説明をしてくれる。この学校の学食は、放課後も営業しているので、食べ盛りの生徒たちがクラブ前にうどんやラーメン、カレーなどを食べる者も多いという話だった。
学食は立ち並ぶプレハブ校舎の一番奥にあり、途中に工事車両専用の大きな道路を渡る歩道橋の向こう側にあった為、確かにその場所はわかりにくかった。
「食べたいメニューの看板の下の窓口で注文して、食事と交換で現金払いね」
優子はそう言うと、渉に「じゃあね」と言って、食堂の端にあるパンの販売コーナーへ去っていった。
「親切な人だったな」
優しい先輩に感謝しながら、渉は日替わり定食と書かれた窓口の注文の列に並ぶ。幸い売り切れることも無く、無事昼休みが終わる前にボリューム満点の定食にありつく事が出来たのだった。
府立珠河高等学校。それが渉の進学した学校の名前だった。
普通科と看護学科がある公立校である。偏差値レベルは中ほどだが、進学率就職率とも悪くはない。現在老朽化した本校舎の一部建て替え工事が行われている為、一般授業は二階建てのプレハブ校舎で、特殊教室は本校舎内で行われるという、特殊な校舎配置となっていた。
クラブ活動も活発で吹奏楽部と野球部は強豪校で、全国大会で何度も優勝成績を残している有名校である。
「クラブ見学会かぁ」
登校時、校門の前に並んでいたクラブ勧誘の先輩たちから渡されたチラシの束を渉は眺めていた。
野球、サッカー、バスケットボール、テニス、剣道などの運動部から、写真、漫研、落研、演劇などの文化部、鉄道や特撮研究、手品の愛好会などのチラシもあり、多種多様でどれも新入生に興味を持ってもらおうと様々な文言や趣向が凝らしてある。
「クラブ活動はやってみたいけど、迷うな…」
中学時代帰宅部だった渉は、進学を機に漠然とではあるが何かクラブ活動というものをやってみたいなと考えてはいたが、特に興味を持っているものがある訳でもなかった。
「見学歓迎って書いてあるし、とりあえず見て回るか」
クラブ棟もプレハブ校舎の中にあるらしく、あてもなく渉は歩き出す。
新入生たちの顔はまだまだ中学生然としているせいか、上級生たちがクラブ棟に見学にやって来た新入生を目ざとく見分け入部の勧誘をしていて、放課後のクラブ棟はかなり賑わっている。
「君、サッカーやらない?」
「いや、紳士のスポーツ、ラクビーだよ、絶対」
「テニス男子はもてるよ」
「一緒にサイクリングに行こう!」
クラブ棟エリアに入ると早速、渉にも運動部の上級生たちが勧誘に群がる。
「僕、運動はあまり得意じゃないので…」
上級生の勢いに圧倒され怯みながら渉は勧誘を断わりの言葉を口にするが、「最初はみんな初心者。練習すれば得意になる」と断れるのに慣れている上級生たちは全く意に介す様子は無かった。そんな体育会系の勧誘をかき分け、首から映研と書かれた段ボール板を首から下げた人物が渉に声をかけてくる。
「君は文化系って顔だ。僕たちと映画を作らないか?」
「明日のスターは君だ! 演劇部へようこそ」
「スターよりヒーローだよな! 特撮はいいぞ!」
地味な印象が強い文化系クラブでもアクティブな生徒が多いのか、映研、演劇、特撮部が次々と声をかけてくる。
「…いや、その…あの」
まるで子羊に襲い掛かる猛獣の群れである。気楽な気持ちでクラブ棟エリアに足を踏み入れた事を渉は後悔し始めていた。勧誘する気満々の上級生たちに取り囲まれてしまったこの状況をどう切り抜けるか頭を悩ましていると、渉の手をいきなり掴み声をかける者がいた。
「また迷子になってるし」
渉の腕を掴んで笑いを含んだ声でそう言ったのは優子だった。
「この子、うちのお茶会に来る予定だったんだけど、迷子になっていたみたい」と勧誘の生徒たちに優子はそう言うと、渉を取り囲んでいた上級生たちは「はかせのお茶会か…」と複雑そうな表情を浮かべ解散してゆく。
簡単に突破できそうも無かった勧誘包囲網がいとも簡単に解けた事に驚いている渉に優子は笑ってみせた。
「一緒にお茶はいかが?」
状況が呑み込めないまま、渉は気が付くと頷いていた。
誘われるまま渉が案内されたのは本校舎の特殊教室——生物実験室だった。
「ではお茶会を始めます」
実験の授業で使われる実験台の席に渉が座ると、黒板の前に立った優子が両手を広げてお茶会の開会を宣言する。それを合図に奇妙なお茶会が始まった。
「これ…お茶会?」
実験台の上を見て渉が戸惑いの声を上げる。実験台の上にはアルコールランプにかけられた黒や茶色い液体が入った丸底フラスコ。シャーレに入った様々なクッキーやチョコレート、スナック菓子が並び、お茶会の雰囲気を出す為か、試験管立ての試験管には花が生けられていた。
席に座っている参加者の前にはビーカーがあり、お茶会の参加者たちはフラスコから液体をビーカーに注ぎ、それを美味しそうに飲んでいる。
「黒い液体はコーヒー、茶色の液体は紅茶——今日はオレンジペコ。コーラがいいなら三角フラスコに入っているわよ」
渉の向かいの席に座って居た髪の長い女生徒は実験台の上にあるものの説明をした後、渉に何を飲むか尋ねた。
「コーヒーを…」
渉が答えると、髪の長い生徒は頷いてフラスコからビーカーに黒い液体を注ぎ入れる。
「ミルクは小さいビーカーに入ってる白い液体で、お砂糖はこの薬瓶に…薬さじを使ってね」
「…」
コーヒーが入ったビーカーを受け取ったまま困惑の表情を浮かべて固まっていると、それを見た優子が笑い出した。
「心配しなくても大丈夫。お茶会で使っている実験用具は全部新品の奴を専用食器として使ってるから」
どうやら新品の専用の用具を使っているのは、実験で使用している用具類は残留薬品があった場合危険という理由のようである。
「そう言う問題では…」
渉がビーカーに口をつける行為に抵抗感を覚えていると、髪の長い生徒が笑顔でシャーレに入ったクッキーを差し出す。
「遠慮なく食べてね――私が作った奴だからお口に合うかわからないけど」
「ども…」
小さく会釈する渉に優子が髪の長い生徒の紹介をする。
「彼女は青木 香奈子(あおき・かなこ)。私と同じ二年生。みんな香奈子さんって呼んでいるわ」
紹介された香奈子は「よろしくね」と言いながら渉に微笑む。お茶会には香奈子の他には長身の男子生徒が一人いて、先ほどからスナック菓子をつまみながらチラチラと渉を見ていた。
「あの背の高いのは三年生の岡部 衛(おかべ・まもる)先輩…」
「志麻…俺に先輩付けは要らないって——俺の事はべーさんでよろしく」
気さくな様子で岡部はそう言うと、にかっと笑顔を見せる。
「今日のお茶会の参加者はまだ増えると思うけど、何か聞きたい事とかある?」
説明しながら渉の隣の席に座った優子が渉に訊く。その言葉を聞いて渉は思い切った様子で口を開いた。
「訊きたい事はたくさんあるんですが――まず、このお茶会はいったい…?」
その質問に岡部が噴き出す。
「これは生物部のお茶会——放課後はこの部屋、生物部の部室として使ってるから」
「生物部のお茶会⁈」
それを聞いた渉の表情は鳩が豆鉄砲をくらった様であった。
「…そ。府立珠河高等学校生物部主催のお茶会」
通称はかせのお茶会と呼ぶ者もいるという。このお茶会、シュールな趣向のお茶会のせいか、参加した者の話から噂が噂を呼び、いつからかこの学校の一種の名物扱いとなっているらしい。
「そりゃ噂にもなるよな…」
実験台の上を見て、渉は正直な感想を口にする。このお茶会を怪しくないという者がいるとは思えなかった。
「誰かに迷惑かけている訳じゃないんだしねぇ」
香奈子さんがそう言いながらビーカーに入った茶色い液体に口をつける。
「そうそう。誰かに迷惑をかけていないし、面白いんだから問題なし」
楽しそうな優子の言葉を聞きながら、渉はそういう問題か? と心の中で密かにツッコミを入れずにはいられなかった。
「クラブ棟にいたけど、どこか見学に行くつもりだったの?」
ようやく奇妙なお茶会の雰囲気に慣れてビーカーに口をつけ始めた渉に優子が思い出したように尋ねる。
入部希望のクラブはなかったが、高校生になったので何か部活をしたいと考えていたので見学の為にクラブ棟に行ったという説明を渉がすると、優子がなるほどとうなずく。
「今の時期、クラブ棟は新入生を勧誘する為にみんな手ぐすね引いて待ち構えてるからねぇ――案の定、君捕まってたし」
「正直、先輩が声をかけてくれてなきゃ今頃どうなっていた事やら…」
恐らく強引に何処かのクラブに入部させられていたであろうと渉は思う。
「新入生が勧誘チラシの束を手にクラブ棟に来るなんて、カモがネギ背負って歩いている様なもんだからね」
「…で、先輩はどうして僕に声をかけてくれたんですか?」
「ん? 私も新入生の勧誘」
優子はそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべるのだった。
「先輩が勧誘って事は生物部の?」
恐る恐る渉が訊くと優子は大きく頷く。
「はかせはここの部長だから」と香奈子が説明加えるのを聞いて、渉はしまったという表情を浮かべた。
「何その顔、別に取って食おうって訳じゃないんだから」
そう言って優子はケタケタと笑う。
「生物部って何をやっているかイメージがつかみにくいみたいで、入部を希望する新入生って毎年ほとんどいないんだよな」
そう説明する岡部はクラブ顧問に勧誘されて入部したクチだったらしい。
「生物部で今飼育しているのはアフリカツメガエルとグリーンイグアナだけだけど、生物に関する活動なら何でもOK――このお茶会の裏テーマは招待客の人間ウォッチング。人間だって生物の一種だから」
「こじつけくさいなぁ」
「人生楽しんでなんぼよ」
何の迷いも無く優子はそう断言するのをあきれ顔で渉が聞いていると、生物実験室の中に一人の女生徒が入って来た。
実験台を囲みお茶会をしていたメンバーを見回した後、女生徒は「はかせ先輩。来ましたよ~」と元気いっぱいといった感じで声を張り上げる。
「あおい⁈」
女生徒を見て優子は驚いた表情を浮かべると、女生徒は走り寄り優子の腕にしがみつくと「私、入部します」と笑顔を見せる。
「…この子は?」
香奈子が説明を優子に説明を求めると、優子は苦笑いを浮かべながらこの女生徒は中学時代の後輩だと説明する。
「古江 あおい(ふるえ・あおい)です。よろしくお願いします」
そう言ってあおいはペコリと頭を下げる。
「先輩と同じ学校に通いたかったから、私、勉強頑張ったんです~」
優子に褒めてもらいたいといった様子のあおいに、優子は「わかったから、しがみつくのやめれ」と言いながら腕から彼女を振りほどく。
「先輩、冷たいですぅ」
不満げなあおいに香奈子が開いている椅子に座る様に勧め、飲み物を訊ねる。
「紅茶下さい。レモンティが好きなんですけど、大丈夫ですか?」
「冷蔵庫にレモン果汁の瓶あるから大丈夫」
そう言って香奈子は生物準備室に置いてある冷蔵庫からレモン果汁の瓶を持ってきた。
「先輩ありがとう」
あおいはビーカーに注がれたレモンティに口をつける。
「…すげぇ」
全く躊躇する事無くビーカーに口をつけたあおいの様子を見て、渉は感嘆の声を上げた。
「何がすごいんですか?」
「…いや、一切の迷いが無くビーカーに口をつけたから」
「はかせ先輩のお茶会なんですから普通の事ですけど」
そう言ってあおいは不思議そうな表情を浮かべる。
「先輩の中学時代の後輩って言ってたけど…もしかして中学校の頃も実験器具のお茶会を?」
恐る恐る訊ねた渉にあおいは笑顔で大きく頷いた。
「…」
こんな怪しい趣向のお茶会を中学時代からやっていた事を聞いて渉は衝撃を受けてる。
――こいつら普通そうに見えて、絶対おかしい
心の中で渉は強くそう思っていた。
「…俺、用事があるんで、そろそろ帰らないと」
あまり関わりにならない方がいいと判断した渉はそう言いながら立ち上がる。
「え、もう帰るの? じゃあ、じゃんけんしよう」
「じゃんけん?」
てっきり帰るのを止められると思っていたので、意外な優子の言葉に渉は首を傾げる。
「——そ。君がじゃんけんに勝ったらこのまま帰っていいし、今後一切こちらから声はかけない。私が勝ったら生物部の入部届にサインをする事」
「…俺、じゃんけん強いっすよ?」
これといった自慢はない渉であったが、唯一、じゃんけんだけは自信があったので、優子の突拍子もない提案を受け入れる。
「約束ですからね。俺が勝ったら今後一切関わらないっての」
「もちろん」
優子は微笑みを浮かべ大きく頷く。
「じゃあ、最初はグーで一発勝負」
渉は頷き、優子と向き合った。
「最初はグー! じゃんけんポン!」
二人ともチョキを出したので、相子となり、じゃんけんは続く。
「相子でしょ」
二人ともチョキ。
「…しょ!」
その次の瞬間、勝負は決する。
渉がグーを出し、優子はパー。
「私の勝ちっ!」
優子が嬉しそうにガッツポーズを取る。
「…マジか」
渉は信じられないといった表情を浮かべ呟きを漏らす。
「ようこそ府立珠河高等学校生物部へ!」
その場にいた先輩たちが笑顔で口を揃える。
「こんなはずでは…」
自信を持っていたじゃんけんに負け、怪しげな生物部に入部する事になってしまった事にショックを受ける渉の顔を優子は覗き込んでにっこりと微笑む。
「男に二言は無いわよね?」
「…うぅ」
渉は小さな唸り声を上げる。
——これから自分はどんな人生を歩むのか? 変なこのクラブに入部して人生の迷子になるのではないかという不安を感じて渉は頭を抱えた。
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