お嬢様は悪事がお嫌い——とある公爵令嬢と執事の華麗なる成敗譚——

夜宵 蓮

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第1章 高慢令嬢成敗編

第4話 違和感とすれ違い

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 そうしてリズがアンナと親しい仲になり、何日かが経った。そんなある日、二人は次の授業の準備のために、各生徒に一つずつ与えられる個人ロッカーへと向かっていた。

「そういえば、まだ言ってませんでしたね。実はあたし、科学研究会に入ってみたんですよ」
「そうなの、いいじゃない。アンナ、科学が得意って言ってたものね」

 科学研究会とは、学園にいくつもある部活動や同好会の一つで、放課後に課外活動として授業では取り扱わないような高度な研究をしている。生徒は、基本部活動や同好会への参加は自由となっている。リズはというと、まだどこにも入っていなかった。

「とっても楽しい所ですよ! 複雑な実験がし放題で、顧問はルイス先生ですし——」

 その時、嬉々と話していたアンナの顔が強張った。リズは、ロッカーの中に必死に何かを探すアンナの様子に気づくと、僅かに首を傾げた。

「どうしたの?」
「いえ——なんだか、古典の教科書が見当たらなくて。失くしてしまったのかもしれません……」
「そうなの? 大変じゃない」

 顔を曇らせたリズを見て、アンナは心配させまいと微笑んだ。

「でも、これはあたしのミスですから。どうかお気になさらず」
「それはできないわ。今日は私の教科書を見て」

 リズがそう言うと、アンナは目を丸くした。

「えっ、いいんですか?」
「えぇ、もちろん。私たち——」

 リズはそこまで言うと、その後の言葉を飲み込んだ。『友達でしょう?』リズにはまだ、そう言える自信がなかった。

「いえ、何でもないわ。とりあえず、この後の授業は私の教科書を見て」
「本当にありがとうございます……すみません」
「いいのよ」
 
 そうしてその日の古典の授業は、リズの教科書を二人で見る形でどうにか乗り切った。
 そこまでは良かったのだが、アンナはその次の日も、また次の日も、何かしらの教科書を失くしたと言うのだ。

「本当にごめんなさい……」
「謝らなくていいのよ。……でも、大丈夫? 何かあったのなら、言ってちょうだい」
「あ、いえ……本当に何でもないんです。ただの不注意ですから」

 リズは不審に思いつつも、「そう」とだけ言ってその話を終わらせた。

 ただ、運が悪いことに、この日アンナが失くしたのは歴史の教科書だった。歴史の授業が始まり、学園でも厳しいことで有名な女性教師は生徒たちに「教科書を開いて」と言った。リズはアンナに目配せをして、彼女との間に教科書を開いて置いた。すると、その痩せ型の女性教師は目ざとくもそれを見つけた。

「貴方たち、それはどういうこと? もう一人の教科書はどうしたのかしら」

 リズが立ち上がって弁解しようとすると、アンナがそれを制して立ち上がり口を開いた。

「ゴールドスタイン先生——あの、実は……あたしが教科書を失くしてしまったんです」
「——失くした? 物の管理がなっていないんじゃなくて、アンナ・レイシー?」

 アンナの告白を聞いて、ゴールドスタインの声色が明らかに変わった。氷よりも冷たく、刺すように鋭いその声に、アンナの手は微かに震えていた。

「申し訳ありません。以後気をつけます」
「……二度目はないですよ」

 ゴールドスタインがアンナに冷たい一瞥を投げると、授業は再開された。アンナは静かに席に座った。彼女は至って平然を保とうとしていたが、リズには彼女の心情が手に取るように分かった。リズはアンナをちらりと見遣った。その唇は、震えを堪えるかのように引き結ばれていた。


 その翌日、体力育成の授業にて。他の生徒たちと共に運動場へ出たリズは、アンナの姿を探していた。ところが、いくら探しても彼女の姿は一向に見当たらない。
 リズが眉をひそめていると、ふと少女たちの笑い声が耳に入った。リズはその令嬢たちを見たことがなかったので、侯爵家以下の身分だろうと思われた。笑っている彼女たちの視線の先を追うと、そこにはなんと制服姿のままのアンナがいた。他の全ての生徒が運動着に着替えている中で、彼女は当然のことながら目立っていた。

 生徒たちの視線に囲まれながら決まり悪そうに運動場に入ってきたアンナは、真っ直ぐに体育教師の元へ向かった。リズが遠くから見ていると、彼女は体格の良い男性教師に何やら深刻な表情で話し出した。男性教師はアンナの話を聞くと、難しい顔で頭をかいた。
 リズは、いてもたってもいられずに、二人の元へ早足で歩き出した。アンナは、リズに気づくと気まずそうに俯いた。リズはアンナの側に辿り着くと、険しい表情で尋ねた。

「どうしたの?」

 何も言わないアンナに代わり、体育教師が答えた。

「嬢ちゃん、どうやら運動着を失くしちまったみたいでな」
「そんな……」

 リズは息を呑み、アンナを見た。アンナは一瞬リズの目を見たが、それもすぐに逸らしてしまった。リズは瞬時に考えると、体育教師に提案をした。

「もしよろしければ、彼女に私の替えの運動着を貸してもいいでしょうか?」
 
 それを聞くなり、アンナは顔を上げると勢い良く首を横に振った。

「そんなこと、させられません」
「でも——」
「これはあたしの責任ですから。これ以上、リズ様に迷惑をかけるわけにはいきません」

 リズに反論させる隙も与えず、アンナはきっぱりとそう言った。

「先生、今日は見学させてもらえませんか? 次の授業までには、必ず探してきますから」
「あぁ、分かった。それじゃ、そこに座ってな」

 体育教師は、人の良い笑顔でそう言うと、運動場の隅の石段を指さした。アンナは「はい」と頷くと、リズを振り返ることなく歩いていった。リズには、ただその後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 授業後、アンナはリズを引き止め、「話があるんです」と告げた。リズは、嫌な予感がしつつも彼女と向き合った。

「……どうしたの?」
「——もう、私はリズ様と一緒にはいられません」

 アンナの突然の吐露に、リズは耳を疑った。リズは混乱した頭で必死に考えようとしながら、口を開いた。

「そんな、どうして——?」
「これ以上、私の失敗でリズ様の手を煩わせることはできませんから。自分勝手ですみません。でも、これがお互いのためなんです。……どうか、分かってください」

 リズは何と言うべきか分からず、その青い瞳を僅かに揺らした。その瞬間、アンナが苦しそうに顔を歪ませるのを、リズは確かに見た。しかし、アンナは「ごめんなさい」とだけ言うと、そのままリズの元を足早に去っていった。後には、呆然と立ち尽くすリズだけが残された。


「……ってことがあってね」

 放課後、リズは自室でシリルにこれまでの出来事を伝えていた。シリルは話を聞き終えると、顎に手を当て神妙な面持ちで考え込んだ。

「そうですね……何か、違和感を覚えますね。アンナ様は、そんなに不注意な人だとは思えませんし……」
「やっぱり、貴方もそう思うわよね」
 
 リズは溜息をついた。その脇の猫足テーブルに置いてあるティーセットは、まだ手を付けられることなく放置されている。

「……アンナ、何があったのかしら」

 リズの呟きを聞くと、シリルは数秒考えた後に口を開いた。

「……私とお嬢様が初めて彼女に出会った時、彼女は嫌がらせを受けていましたよね。もし、仮に、ですが——」
「嫌がらせが、まだ続いていたとしたら……」

 シリルの言葉を聞くと、リズはハッとしたようにその言葉の後を継いだ。シリルは重々しく頷く。リズはその顔を曇らせ、膝の上でぎゅっと手を握った。

「————シリル」

 少しの沈黙の後、リズは静かに彼の名を呼んだ。

「何でしょう」
「貴方に、アンナの身に何が起きているのか調べてほしいの。私もできる限り調べてみるけど、そういうことは貴方の方が得意でしょう?」
「畏まりました。もちろんでございます」

 シリルは少し微笑み、胸に手を添えて礼をした。リズはそれを確かめると、重々しく「ありがとう」と言う。
 彼女がようやく手を伸ばしたカップの中の紅茶は、既に冷めていた。それに気づいたシリルは、すぐにリズに尋ねた。

「お茶、淹れ直してきましょうか?」
「いえ、いいわ。勿体ないから」

 そう断ると、リズはそっと生ぬるい紅茶を口にした。
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