引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す

天瀬 澪

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6.合否の知らせと雨と恐怖

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 その日、アイラはいつもより早く目が覚めた。


 のそのそとベッドから降りると、紺色のカーテンを開く。
 残念ながら、天気はあまり良くなかった。どんよりとした雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうだ。

 けれど、アイラは気にしない。カーテンを開く、という行為そのものが、今のアイラの小さな自信につながるのだ。


 魔術学校に通い、部屋に引きこもってしまった以前の人生。
 全てのものから自分を覆い隠したくて、カーテンは閉め切り、ベッドに潜り込んで過ごしていた。

 今の人生が始まってから、できるだけカーテンはアイラ自身で開けるようにしていた。最初の頃は手が震えていたのを思い出す。


 アイラはクローゼットから、今日の服を選ぶ。毎日の服を選ぶことも、以前のアイラは放棄していた。
 けれど、今のクローゼットにはたくさんの服がある。


 タルコット男爵家は、決して裕福な家庭ではない。

 父のラザールは魔術師を引退して、今はたまに講師として魔術の指導をしている。
 母のセシリアは魔力はあるものの、魔術師は目指さずに得意の刺繍を手仕事にしていた。

 それでも、アイラは幼い頃から愛情いっぱいに育てられていた。
 誕生日には毎年アイラが喜ぶ贈り物をくれたし、お茶会や夜会に参加するためのドレスも毎回用意してくれていた。

 魔術学校に通っていた時の入学費用や制服などの費用は、兄のクライドのものと合計すれば相当なものだっただろう。
 それでも両親は、当たり前のように用意してくれていた。


 今の人生でも、それは同じだった。
 騎士を目指すアイラのために、二人は訓練で動きやすい服を何着も用意してくれたのだ。

 クローゼットに並ぶ、そのうちの一着の服を手に取る。シンプルな白いシャツだが、襟に刺繍が施されていたり、ボタンが花の形だったりと女性らしさがあるものだった。


 ―――お母さまは、私にもっと令嬢らしい服を着て欲しいはずよね…。


 アイラは申し訳なく思いながらも、シャツに着替え始める。

 本来なら、男爵家の令嬢として夜会などに参加し、貴族の令息と結婚して繋がりを持つことがアイラの役目だった。

 以前の引きこもっていた時は、もちろん参加を拒否していたし、魔術学校に通っていた時は何かと理由をつけて断っていた。魔術を極めることの方が楽しかったからだ。


 そして、今回は。
 蜂蜜色の髪は肩まで切ってしまっているし、騎士になれたら騎士団の宿舎で生活することになる。
 招待を受ければ参加はできるが、騎士となる道を選んだ令嬢を、妻に欲しがる貴族がいるとはアイラには思えなかった。

 アイラは再度申し訳なく思いながら、黒のボトムスに足を通す。伸縮性があり、とても動きやすい。


 髪を一つに束ねようか迷っているところで、扉がノックされた。


「アイラお嬢さま、おはようございます。ベラです。入ってもよろしいですか?」

「おはようベラ。どうぞ」


 部屋に入ってきた侍女のベラは、既に身支度を終えたアイラに寂しそうな視線を送った。
 できるなら自分がお嬢さまに可愛い服を着せたい、でもお嬢さまが決めた道の邪魔はしたくない…そんな考えが分かる表情だ。

 アイラはそんなベラを見て苦笑すると、化粧台の前に座る。


「ベラ、良ければ髪を結ってくれる?」

「!……もちろんです!」


 顔を輝かせたベラは、幼い顔立ちだが二十代後半だ。侍女としての経歴も長く、テキパキとアイラの髪を結っていく。


「一つに纏める前に、編み込んでおきますね。髪飾りはお嬢さまの瞳と同じ、瑠璃色のもので!」

「ありがとう、ベラ」


 化粧も軽く整えてもらい、アイラはベラと別れて玄関へと向かう。雨が降り出す前に、今日の鍛錬をしようと思っていた。

 中央の階段を降りていると、玄関の扉が開いた。使用人に促されて邸宅へ入ってきた人物を見て、アイラは目を丸くする。


「……フィンさま?」

「お、アイラ。おはよう~」


 フィンはアイラを見つけると、へらりと笑った。今日も見目麗しい。
 だがアイラはこの二年指導を受けて、フィンの中身はとんだ鬼畜だということを身を持って知っている。

 アイラは階段を降りながら、フィンの元へ駆け寄った。


「どうされました?父は今、母と一緒に外出中ですが…」

「いや、俺が会いたかったのは君だよ、アイラ。ほら」


 そう言って渡されたのは、一通の封筒だ。
すぐにそれが何か分かったアイラは、緊張で震える手で封を開ける。

 どくんどくん、とうるさいくらいに脈を打つ音が頭に響いた。
 アイラは開いた手紙に書かれた文字に目を走らせると、ぎゅっと真一文字に結んでいた唇を徐々に緩ませていく。

 そして、アイラはポツリと呟いた。


「ごう、かく………?」


 手紙の真ん中あたりに、綺麗な字で書かれた【合格】の二文字が見える。
 アイラが視線を上げると、にこにこと笑みを浮かべているフィンがいた。


「うん、合格だよ。言ったでしょ、君なら大丈夫だって」

「~~~っ、フィンさまぁ…!」


 アイラは感激のあまり、フィンに抱きついた。兄のクライドが魔術学校の寮に入っているのが寂しいアイラは、勝手にフィンを兄のように思っていたからの行動だった。
 小さな衝撃を受け止めたフィンは、蜂蜜色の頭を見下ろしている。


「えっと……アイラ?」


 フィンの戸惑いを感じ、アイラは抱きついたまま顔を上げる。いつも飄々としているフィンが、珍しく視線を彷徨わせて動揺しているようだった。


「どうしました?…まさか、合格が冗談だとか言いませんよね…?」

「言わない言わない。言わないからちょっと離れてもらえる?」

「あっ、すみません」


 アイラは慌てて離れると、ぺこぺこと頭を下げる。


「フィンさまと兄を重ねてしまって、つい…」

「……へえ、お兄さんと。なら仕方ないね、うん」

「でも、フィンさまはてっきり女性に慣れていると思っていました。うろたえたりするんですね!」

「………それを笑顔で言うあたり、君はなかなかの強者つわものだと思うよ」


 フィンは呆れたようにため息を吐くと、アイラの額を中指で弾いた。アイラは「いたっ」と小さな悲鳴を上げる。


「何するんですかフィンさま!」

「いーのいーの、気にしない。それより、俺は君の上司になるんだから、呼び方変えてもらわないと」

「……フィン副団長?」

「うん。大変よろしい」


 唇が綺麗な弧を描く。いつものフィンに戻ったようだった。


「副団長、まだお時間はありますか?お茶を飲んでいかれませんか?」

「ああ、そうしようかな。まだ話すこともあるし」


 アイラは使用人にフィンを客間へ案内してもらい、その間にベラを呼びに行く。
 試験に合格したことを伝えると、ベラは飛び上がって喜んでくれた。


「お嬢さま、おめでとうございます!早速旦那さまと奥さまにお伝えしないと!」

「ありがとう。でも、二人には私から直接伝えたいの。今はフィンさ…副団長にお茶を淹れてもらえるかしら?簡単に摘めるお菓子もお願い」

「はい、すぐに!」


 ベラが嬉しそうに厨房へ向かった。アイラもすぐに客間へ行き、ソファに腰掛けていたフィンの向かいへ座る。
 程なくして、準備を終えたベラが入室してきた。フィンに稽古を付けてもらっていたとき、ベラが見守っていたことが多かったため、二人は普通に会話できる仲になっている。


「やあ、ベラ。アイラの合格の話は聞いた?」

「はい。フィンさま、どうかアイラお嬢さまをよろしくお願いします」


 ベラが深々と頭を下げる様子を見て、アイラは目頭が熱くなった。
 見習いからではあるが、騎士になれる。けれど近い内に、騎士団の宿舎で過ごすことになるため、この家を出なくてはならない。

 アイラは炎に包まれた部屋を思い出してしまい、そっと目を伏せた。
 当時の体の痛みが蘇り、思わず自身の体を抱きしめる。


「……アイラ?」


 ベラと話していたフィンが、アイラの様子がおかしいことに気付いて声を掛ける。
 しかし、アイラの耳には届かない。とある考えが脳裏を掠めたからだ。


 ―――私が命を落としたのは、十七の年。そして今は十六で、あと数ヶ月で十七を迎える。
 ここがやり直しの世界だとして、未来に起こる事件や事故を変えることってできるの…?


 ぞわり、とアイラの肌が粟立つ。せっかく騎士になれるというのに、またあの爆発で火事が起こり、命を落としたらと思うと、急に体が冷えてきた。


 ―――待って。そういえば爆発はどうして―――…。


「アイラ!!」


 大きな声で名前を呼ばれ、両肩を揺すられた。ハッと我に返ったアイラの前に、心配そうに眉を寄せるフィンと、おろおろと動揺しているベラの姿があった。


「―――わ、たし…」

「落ち着いて。ゆっくり呼吸をするんだ…そう、その調子」


 フィンが今まで聞いたことのない優しい声でそう言い、震えるアイラの背中を撫でる。
 呼吸を繰り返し落ち着いたアイラの瞳から、ポロポロと涙が溢れた。目の前の二人が息を飲む。


「お嬢さま…どこか、痛むのですか?」

「………」


 ベラの問いに、アイラは首を横に振る。


「どうしたの?騎士になるのが嫌になった?」

「………」

 フィンの問いに、もっと強く首を横に振る。

 今、アイラの体のどこにも焼け付くような痛みや、押し潰される痛みはない。騎士になる道の、歩みを止めたいとも思わない。……ただ。


「………こわい…」


 涙と共に零れ落ちた感情は、アイラの胸にストンとはまった。
 そうだ、怖いのだ。あの時感じなかった…否、感じないようにしていた恐怖が、今になってアイラを襲ってきた。

 痛い、怖い、熱い、怖い。死にたくない―――。


 飲み込まれてしまいそうな恐怖の波が、スッと凪いだのは、優しい温もりに体を包まれたからだった。


「……フィン、さま…」

「そうだね。今は副団長じゃない俺だから…お兄さんだと思って、このまま落ち着くまで泣けばいいよ」


 とん、とん、と規則的に背中を叩いてくれる。フィンの胸元に顔を埋めながら、アイラはゆっくり瞼を閉じた。
 心臓の鼓動を感じ、少しずつ気持ちが落ち着いていくのが分かる。

 今、間違いなくアイラは生きているのだ。
 アイラは静かに体を離すと、涙に濡れた瞳でフィンを見て微笑む。


「ありがとうございます…もう、大丈夫です」

「………本当に?」


 疑わしそうにじとっとした目付きを返され、アイラは拳を握ってみせた。


「はい!ちょっとこの先が不安で仕方なくなってしまいました。……ベラも、心配かけてごめんね」

「お嬢さま……」


 ベラは真っ青な顔をしていたが、唇をきゅっと結ぶとフィンとの間に割って入る。


「では、フィンさまはアイラお嬢さまから離れてくださいっ!」

「あれー、俺はお兄さんの代わりのはずなんだけどなぁ」

「違います、た・に・んです!」

「ええ、ひどくない?これから同じ騎士団に所属するのにー」


 フィンをぐいぐいと両手で押し、元の座っていたソファへ促すベラ。それが可笑しくて、アイラは自然と笑みが浮かんだ。


 ふと窓の外を見ると、雨が降り始めていた。アイラはじっと雨を見つめる。

 心に燻る火種を、この雨が流してくれればいいのにと思いながら。





***


 雨足が強くなってきた。
 片手で頬杖をつき、もう片手で書類を持って眺めながら、エルヴィスは降りしきる雨の音を聞いていた。


 全部で三十枚程ある書類は、今回の騎士の試験に合格した者のデータをまとめたものである。
 出身や家族構成などの個人情報と、試験の採点結果と評価が記載されていた。


 この国レイシャールでは、騎士団への入団に出自は問われない。
 平民であろうが貴族であろうが、意志と実力があれば騎士になれる。

 団長であるエルヴィスが孤児院出身だということは、騎士団の誰もが知っていた。


 けれど、自分の部下となる人間の情報は、最低限知っておかなければならない。エルヴィスは他人を見る目に自信があるが、万が一のことがあっても困るからだ。


「………」


 パラパラと書類をめくる。何度見ても、一枚の書類に目が留まってしまう。


 アイラ・タルコット。
 今回の合格者の中で、唯一の女性である。

 “男爵家の令嬢。魔力が高く、代々魔術師を輩出している家系。両親と、兄が一人。兄は魔術学校在学中”

 エルヴィスはその下に書かれた、試験の評価を目で追う。

 “総合評価S。判断力、瞬発力共に優れている。女性のため、体力と腕力が懸念事項ではあるが、総合的に申し分なし”

 そして欄外に、崩れた字でこうあった。

 “どう?俺の教え子”

 この書類をまとめたのは、副団長であるフィンだった。エルヴィスは、以前からフィンが気に入っているという教え子の存在は聞いていた。……聞いていたのだが。


「当たり前に男だと思ってたな…」


 思わずため息が漏れ、書類をバサリと机の上に置くと、エルヴィスは座り心地の良い椅子の上で格好を崩した。

 目にかかる前髪を掻き上げる仕草は、フィンが見たら「色っぽーい」と茶化すだろう。
 そんな小憎たらしい性格のフィンは、教え子が女性だということを、敢えて隠していたに違いない。


 エルヴィスは瞼閉じて思い出す。
 輝く蜂蜜色の髪。長いまつ毛の下に縁取られた、大きな瑠璃色の瞳。

 アイラを見た瞬間、時が止まったかのように思えた。
 次いで、思考が一斉に動き出した。

 他人の空似ではないか。人違いじゃないのなら、どうして騎士の試験を受けているのか。
 エルヴィスは―――アイラのことを、


「……さて、どうするかな…」


 ポツリと呟きながら、エルヴィスは窓の外に視線を向けた。紅蓮の瞳に灰色の空が映る。

 しばらく、雨は止みそうになかった。

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