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50.一度だけ言うことを聞いてもらえる権利
しおりを挟むアイラが完治するまでの間、第一騎士団の団員たちに補助魔術をかける日々が続いた。
団員たち全員に、順に補助魔術をかけ終えることができると、初めてかけられた団員は感動の声を漏らした。
「……うおぉぉ~!これが魔術をかけられるという感覚…!」
「ようやく体験できたなぁ!体がすっげぇ軽い!」
わいわいと喜びながら剣を振る先輩騎士を見て、アイラはずっと笑顔を浮かべていた。
剣を振るえなくても、皆の訓練に参加することができて嬉しかったのだ。
「どう?アイラ、疲れ具合は」
フィンに問い掛けられ、アイラは笑顔のまま首を横に振った。
「まだまだいけます!」
「そう?……じゃあ、試してみたかったことやってもいい?」
「はい!なんですか?」
フィンは一度、全員に集合をかけた。
整列した団員たちをぐるりと見回す。
「じゃ、今から全員で混戦ね」
にこりとフィンがそう言うと、ざわりと動揺が走る。
混戦…つまり、敵味方なしに戦うということだ。
「それで、アイラには全員に補助魔術をかけてもらう」
「……全員に、ですか?」
アイラが聞き返すと、フィンは頷いた。
「アイラが俺を含めた第一騎士団全員に補助魔術をかけた場合、どの程度の力が出せるのか把握しておきたいんだ」
「……分かりました」
補助魔術は、かける対象が増えるほど、一人当たりにかけられる効果は減っていく。さらに持続時間も、数が増えればそれだけ短くなる。
アイラの魔力も、集中力も重要となるため、フィンはそれも含めて確かめておきたいのだろう。
「まあ、実戦ではいろいろと条件は変わるだろうけど。今回はそれぞれが力の確認をするのが目的ということで…アイラ、無理だけはしないでね?」
魔力が切れそうになったらすぐに止めること、とフィンに念を押され、アイラは目を輝かせて「はい」と返事をする。
自分の補助魔術の限度を知れることに、少しわくわくしてしまっていたのだ。
「フィン副団長~、混戦で何かルールはありますかー?」
ギルバルトが片手を挙げ、のんびりと質問を口にする。
フィンは考えるように空を見上げてから、視線を団員たちに戻した。
「基本ルールはいつもの試合と同じで。……でもそこに、遊びを追加しよう」
フィンはそこで、にやりと悪魔の笑みを浮かべる。
「最後まで勝ち残った者は、この中の誰かに一度だけ言うことを聞いてもらえる権利を獲得する、なんてどう?」
その言葉に、すぐに反応を示したのはギルバルトだった。
「いいですね副団長~!オレが勝ち残ったら、アイラちゃんにデートしてもらお」
「えっ」
「では、俺が勝ち残ったらお前を一日こき使ってやろう、ギルバルト」
「やだなぁオーティス先輩。冗談がおもしろ…え、本気?」
ざわざわと騒がしくなり、皆がそれぞれ誰に何をお願いしようかと話し合っている中、アイラはポツンと取り残される。
―――ええと。これって私は参加できないから、なにもご褒美はなしってことよね?それに…。
フィンに視線を向ければ、ちょうどアイラを見ていたのか笑顔を返される。
その笑顔を見て、アイラは確信犯だなと思った。
先ほど、フィンはこう言っていた。
“俺を含めた第一騎士団全員に“―――と。
そしてアイラが思ったとおり、勝ち残ったのは副団長であるフィンだった。
***
「ずっりーよなぁ!」
食堂の席に着くなり、デレクがそう言って嘆く。
「副団長に勝てるわけないじゃんか…。くそ、次やるときはハンデつけてもらおう」
「ハンデつけてもらっても変わらないんじゃない?あの人涼しい顔して勝ってたし、全然本気出してないと思うけど」
リアムがフォークにくるくるとパスタを巻き付けながら言った言葉に、アイラは頷いて同意した。
「副団長が全力出したら、もっとすごいわよ」
「うへぇー…アイラは全力の副団長と戦ったことあるのか?」
「一度だけね。お互い本気でやってみようってことになって…全く刃が立たなかったけれど」
稽古をつけてもらい始めて数日後の出来事だったので、今ならもう少しまともな動きができそうだなと考えながら、アイラはもぐもぐと口を動かす。
混戦が終わり、今は昼食の時間だ。
このあとはそれぞれ任務で分かれるが、アイラはフィンに呼ばれていた。
「……フィン副団長、絶対アイラに何か言うこと聞いてもらうつもりでいるぞ」
「そうかしら?」
「それで午後呼ばれてるんじゃないの?どうする、デートかもよ?」
デレクとリアムにそう言われ、アイラは目を瞬いてから笑った。
「私とデートしても、副団長には何のメリットもないと思うわよ?」
「……デートに相手のメリットとか考えるあたり、君って恋愛下手だよね」
「ゔ…」
その指摘に動きを止めながら、アイラは話を変えることにした。
今までまともに恋愛をしてこなかったアイラには、この手の話はどうもついていけないのだ。
「そ、それより、二人はさっきの混戦のとき、補助魔術についてはどう感じたの?」
「あ、誤魔化した。……そうだね、劇的に効果が薄いとは思わなかったかな」
「いつもより体は動きやすかったぞ?先輩たちもいつもより強く感じたし」
リアムとデレクはそれぞれ感想を述べると、じっとアイラを見つめてきた。アイラは首を傾げる。
「どうかした?」
「……魔力は平気なの?前に魔力切れで倒れたでしょ?」
「傷に障ったりしてないか?」
どうやら二人は、アイラの心配をしてくれているようだった。
それが嬉しいと同時に、申し訳なくも思う。
「もう、心配しすぎよ二人とも。無茶はしないから安心して?」
「いや、君といる限り安心はできないね」
「ちょっとリアム…」
「俺も。アイラはそのうち絶対無茶する」
「デレクまで…」
あまりの信用のなさに、アイラは苦笑してしまった。
それも仕方がないなと思いながら、自分の体の状態を確認する。
―――思っていたより、魔力は消費していないのよね。大勢に補助魔術をかけるのは始めてだったから、少し心配だったけれど…これなら、もう少し一人あたりの効果を上げられるわ。
手のひらを閉じたり開いたりしながら見つめていると、リアムの呆れたような視線に気付く。
「……ほら。もう無茶を考えてる気がする」
アイラはぎくりと肩を震わせ、また苦笑した。リアムの方が年下なのに、これではアイラが年下のようだ。
「そういえば、あの人は平気なのか?」
デレクがふと思い出したようにそう口にする。
「あの人?」
「ほら、アイラに弟子入りしたって言ってた……」
そこまでデレクが言ったところで、食堂がざわりと騒がしくなった。
アイラは今までの経験から知っている。
食堂が騒がしくなるときは、大抵このあとに何かが起こるのだ。
そして、その予感は当たる。
リアムが面倒くさそうにため息を吐いた。
「……来たけど、君の弟子が」
クローネが、颯爽とアイラの元へ向かって歩いて来た。
アイラは今まで食堂でクローネを見かけたことはなく、それは周囲の騎士たちも同じようだった。どしてここへ?と言うように目を見張っている。
クローネはスラリとして身長が高く、容姿も整っているため一斉に注目を浴びている。
もう一人の女騎士のカレンは色気のある美人だが、クローネは洗練された空気を纏う美人だ。
この前カレンにクローネのことを訊ねてみたところ、返ってきた言葉は「男嫌いで少し変わった子」だった。
男性が嫌いで、宿舎ではなく自宅から城まで通い、昼食は持参しているようで、休憩時間は一人でどこかへ消えるという。
どうりで今まで会ったことがないはずだ、とアイラはそれを聞いて思った。
男性に対する態度はとても冷ややかで、“氷の女騎士”という二つ名もあるらしい。
今も、周囲から向けられる視線や声には一切反応していない。
「……こんにちは、クローネ」
近くまで来たクローネに、アイラはとりあえず挨拶をした。すると、クローネの表情が一気に明るくなる。
「アイラさま…!」
アイラの周囲で食事をしていた騎士たちは、そのクローネの表情を見て衝撃が走ったような顔をしている。
男嫌いで常に冷ややかな態度のクローネしか知らないならば、この笑顔にはよほど驚くだろう。
クローネはにこにことアイラに近付く。
「お食事中にすみません。そろそろお約束の件はどうかと…我慢ができなくて」
「体はもう大丈夫よ。そうね、明日の仕事が終わってからはどう?」
「わあ、嬉しいです…!」
両手を合わせて喜ぶクローネは、アイラから見たらとても“氷の女騎士”とは言い難い。
デレクがちらちらとクローネの様子を伺いながら、口を開いた。
「あの、あまりアイラに無理はさせないでくださ…」
「は?誰ですか貴方は」
途端に凍てつくような眼差しを向けられたデレクは、顔が引きつっている。
「お、俺はアイラの同期で友人の…」
「友人?はっ、弟子の私の方がアイラさまとの距離は近いですね」
「……何だと?言っとくが、俺の方がアイラといる時間は長いんだからな?」
デレクの何かのスイッチが入ってしまったらしい。
先輩に対する敬語が消え、クローネとの間に火花が散っているのが見える。
アイラが止めようとする前に、リアムが大きなため息を吐いた。
「……ちょっと、ゆっくり食事もできないわけ?デレク、噛みつかない。先輩も…」
「リアム・オドネルさま?」
「え?」
クローネの綺麗な唇から、ポツリとリアムの名前が漏れる。
リアムの水色の瞳が向けられると、クローネの顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。
その反応を見て、リアムは目を丸くする。
「君は……」
「ア、アイラさま!では明日、よろしくお願いしますね!さようなら!」
そう言うと、ものすごい早さでクローネが食堂を去って行く。
周囲はしばらく呆然としていたが、やがて生暖かい視線をリアムに向けた。
それはデレクも同じで、リアムの肩をポンと叩く。
「……リアム。お前も罪な男だな…」
「この手、捻ってもいい?」
「ぎゃあ!それはやめろっ!」
デレクの手の甲をつねり始めたリアムが、アイラの視線に気付くと嫌そうに顔を歪める。
「……君までそういう顔をするの?やめてくれない?」
「えっ?」
アイラは無意識の内に頬が緩んでいたようだった。両手でぴしっと頬を伸ばす。
「ごめんなさい、リアム。でも、恋愛下手な私でも、クローネのあの表情の意味が分かったのが嬉しくて」
「………」
「クローネとは、どこかで会ったことがあるの?」
アイラの問いに、リアムは少し考えるように眉を寄せた。
「……あの人の、家名は分かる?」
「ええと…ファーガスよ。……あれ?ファーガス?」
アイラはハッとして口元に手を添えた。とても聞き覚えのある家名であることに気付いたのだ。
それはリアムも同じようで、「なるほど」と呟いた。
「ファーガス伯爵家の令嬢だね」
***
昼食を終え、アイラはフィンとの待ち合わせ場所である城門付近に立っていた。
門番がちらちらとこちらを見ているが、気にしないことにしている。
やがて現れたフィンに、アイラは駆け寄った。
「フィン副団長!」
「お、どうしたアイラ。そんなに早く俺に会いたかったのかな?」
「はい!クローネは伯爵家の人間なのですか!?」
「……ああ、なんだそっちね」
フィンはつまらなさそうにそう言うと、門番に片手を挙げて合図を送る。
アイラはそれを見て不思議に思った。
「……どこかへ行くのですか?」
「そう、馬車を呼んだから。君も一緒にね、アイラ」
「私もですか?」
フィンは頷くと、人差し指を唇に当ててニヤリと笑った。
「行き先は内緒だよ。……あ、一度だけ言うことを聞いてもらえる権利を、今使うからね。アイラは俺と一緒に馬車に乗るしかないから」
「……その権利を使わなくても、断ったりはしませんけど…」
何かの任務で馬車に乗るのだと思ったアイラがそう言えば、フィンは「そう?」と首を傾げた。
「俺と…というか、男と馬車に二人きりは嫌かなーと思ったんだけど」
「え?どうしてですか?」
「……それ、本気で言ってる?」
「?よく分かりませんが、問題ありません。この前はリアムと一緒に乗りましたし」
「まあ…それもそうか。アイラは疎いんだったね」
フィンは振り返ると、どこかに向かって両手を合わせた。
「……と、いうわけで、本人の許可も出たので同じ馬車に乗ります。呪わないでくださいね」
「………誰に話し掛けているのですか?」
「はい、気にしない気にしない。馬車が来たからさぁ乗ってー」
促されるまま馬車に乗り込んだアイラは、目の前に座ったフィンを見る。
行き先は教えてもらえないようなので、クローネの話題を再び口にした。
「副団長、クローネですが…」
「ああ、そうだったね。彼女はファーガス伯爵家の一人娘だよ」
知らなかった?とフィンに言われ、アイラは頷きながらも気持ちが逸っていた。
貴族の令嬢でありながら、騎士となった女性が他にもいるとは思っていなかったのだ。
「カレンがもう話しているかと思ってたけど…」
「カレンは、その…どうやらクローネとはあまり仲良くないみたいで」
「ああ、そういうこと。クローネ嬢は気難しいからねー……見たでしょ?この前の俺への態度。たぶん団長にもあんな感じだよ」
「エルヴィス団長にも、ですか?」
アイラが目を丸くすると、フィンが面白そうに笑う。
「男嫌いらしいからね。騎士団の女騎士は三人とも、全然俺に見向きもしてくれないからなぁ」
「………」
「あれ、無視?」
アイラは俯きながら、別のことを考えていた。男嫌いのクローネが、リアムを認識はしていて、さらに顔を真っ赤にしていた。
それはやはり、リアムに好意を持っているということなのだろう。
「……では、私に対してとても好意的なのは…同じ貴族の令嬢であるからでしょうか?」
顔を上げると、フィンは「んー…」と言いながら足を組んだ。
「それは本人に聞かないと分からないね。アイラの友人じゃなくて弟子になりたがるなら、令嬢だからっていうより、騎士としての実力を見たからじゃない?言われたんでしょ、尊敬してるって」
「……はい」
アイラはそう言われたときのことを思い出し、ふふっと笑った。
そんなアイラを、フィンがじっと見ている。
「まぁ、いいんじゃない?好意的な相手なら弟子にしても。君に危険が及ばないならね」
フィンは窓の外に視線を移した。頭の後ろで結ばれている銀髪がさらりと揺れる。
その横顔は、男性ながらとても綺麗だった。
「……ふふ。フィン副団長が、女性に人気な理由が分かります」
「ん?」
「こんなに綺麗で、剣が強くて、それに…気配り上手ですよね」
フィンが通れば、すれ違う女性の使用人たちが頬を染めて振り返る様子を、アイラはよく見ていた。
「剣の師匠が人気者で、私は鼻が高いです」
「……ふぅん?」
アイラを見る真珠色の瞳が、すうっと細められる。
「どんなに女性に人気でも、アイラにとっての俺は、師匠であり副団長…それだけでしょ?」
フィンが伸ばした手が、アイラの髪に触れる。ウェルバー侯爵家の夜会の日に、髪を解かれたときのことを、アイラは不意に思い出した。
「気に入らないね」
「………フィン、副団長…?」
いつもと違う雰囲気に戸惑っていると、フィンがアイラの髪からパッと手を離した。
「きーめた。一度だけ言うことを聞いてもらう権利、こっちで使う」
「……え?」
「今この瞬間から、俺の恋人になること」
悪戯に笑うフィンを見て、アイラは再び「……え?」と繰り返した。
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