浮雲の譜

神尾 宥人

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第二章 暗雲

(二)

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 この帰雲での住まいとして善十郎に宛行われたのは、氏綱の屋敷の近くにある小さな庵だった。以前、旅の僧がふらりとこの地に立ち寄った際に建て、二年ほど暮らしたとのことだが、また風のように立ち去ってからは空き家になっていたという。氏綱はもっと立派な屋敷を用意させると言ってくれたが、謹んで固辞させてもらった。富山の宿坊よりよほど造りがしっかりしていたし、蔦とふたりで寝起きするにも十分な広さがある。縁に出れば帰雲山が望め、どこか伊那の眺めを思い起こさせるのも気に入っていた。
 日が暮れて、その庵を訪ねてくる者があった。知らない顔ではない。それどころか、先ほどまで屋敷の裏庭でともにいた相手である。内ヶ島家の嫡男、孫次郎氏行だ。供として、長瀬小太郎を伴っている。
「これは若殿。かようなところにわざわざ……」
「やめてくれ、善十郎。先ほどまで平気で我のことを怒鳴りつけていたではないか。急にさように畏まられても困る」
 快活に笑いながら、氏行は縁に腰を下ろした。細面で女子のように色白なのは、父親によく似ている。
 小太郎は緊張した面持ちで、氏行の隣に立ったままだった。「おぬしも座らぬか」と勧められても、頑として聞かない。先日正式に氏行の馬廻に任ぜられて意気込んでいるのであろうが、まだどこか空回りしている様子だった。
「今宵は先日の話の続きを聞きに来たのだ。あのときは良いところで邪魔が入ってしまったからな」
「先日の話と言いますと……設楽原でのことですかな。あれは某としましては、まったく面白くもない話でございますが」
 何しろ武田としても完膚なきまでの負け戦だった。内藤修理、山県三郎兵衛、馬場美濃守といった、長年武田を支えてきた名将たちも多くが命を落とした。善十郎も兄ら信州先方衆とともに参陣し、散々の目に遭ったものだった。
 鶴翼中央・内藤隊の先鋒として正面突破を試み、敵陣深く誘い込まれたところで、二千とも三千ともいう鉄砲の一斉射撃を食らった。あとは傍の兵たちがばたばたと倒れる中を、死に物狂いで撤退しただけだ。おのれも肩に鉛玉を食らい、今でも冬になるとじくじく痛む。
「それに続きと言われましても、話はあれにて終わりにございます。織田の追い首狩りから逃れて、真っ暗な山の中をひたすら走った話など、聞いても何も楽しくありますまい」
「それはそうだが、もう父上や備前の自慢話にも飽いておるのだ。みな口を開けば幾年も前の、三木みつきの連中を追い返した話ばかりじゃ。戦といえば、それしか知らぬのよ」
「されど若殿も先日、魚津の戦に行かれたのではありませんか。何でも初陣であられたとか」
「あんなもの……」
 と、氏行は拗ねたように表情を曇らせた。どうやら魚津でのことは、あまり楽しいものではなかったらしい。
「城攻めに加わったのは父上と備前たちだけよ。我らはずっと手前で、荷駄の積み下ろしを見張っておっただけぞ。戦など、何もわからぬうちに終わっておったわ」
「それもまた、大事なお役目かと」
「……慰めを申すな」
 おそらく戦というものにまだ、華やかで勇ましい幻想を抱いているのであろう。若武者というのはみなそういうものだった。されどもし城攻めに参加していたとしても、三万の大軍勢の中で無力を痛感させられるだけであったはず。実際、参加した氏綱はそう言っていた。
「まことの戦というものは、おそらく我らの頭の遥か上で行われているものにございます。我らなど、所詮は小さきもの」
 善十郎は諭すようにそう言うと、中空に浮かんだ大きな月を見上げた。まだ十を過ぎたばかりの若者には酷なことであるのは、善十郎にもわかっていた。しかしいずれはこの小さき国を治める立場となるのであれば、理解していなければならないことだ。常に何者かの思惑に踊らされ、翻弄され、それでも生き抜く術を見つけるなら、まずはおのれの小ささをはっきりと悟る必要がある。
 氏行はしばらく黙り込み、善十郎と同じように月を見上げて、じっと思案を巡らせているようだった。決して物のわからない童ではない。いやむしろ、この齢にしてはきわめて聡明な若君だと感じていた。
「世は、これからどうなるのであろうか」
「さて、某ごときにはとても、さようなことはわかりませぬ」
「聞くところによれば清州にて、織田の今後の行く末についての会議が開かれたとのことだ。その結果、右府どののお孫を立てた羽柴筑前なる者が事実上の主となり、柴田どのはすっかり風下に立たされたと聞いた」
「……よくご存じで」
 氏行の言葉に、正直驚いていた。善十郎もそのことは、いつものように蔦から聞かされていたのだが。
「商人たちが、そうした話を仕入れて教えてくれるのよ。もちろん父上たちは内蔵助どのから聞いておるのであろうが、まだ我に政の話はしてくれぬのだ」
 なるほど、と頷く。こんな山奥にいながらも、若者たちはしっかりと外の世に触れ、おのれの行く末を話し合っているわけである。それは何とも頼もしいことであった。
「世はこのまま、羽柴の天下になるのかの。どう思う、善十郎」
「さて、それはどうでしょう」善十郎は曖昧に首を振った。「ほんのふた月ほど前までは、このまま織田が日の本を一統するものと思われておりました。その次に明智。そして此度は羽柴……あまりに目まぐるしく、先のことなど見通せるはずもありませぬ」
 慥かに明智を討ったことで、羽柴筑前の織田家での立場は確固たるものとなったであろう。その上蔦の仕入れた話では、領国とした播磨の街道を整備し、商いを活発にすることで、相当の財力も蓄えているという。
 されど今も織田家筆頭である柴田の力は強大で、北陸の諸将を従えている。また武田の旧領である信濃・甲斐を手中にし、押しも押されぬ大大名となった徳川もいる。このまますんなりと、世が羽柴のものになるとも思えなかった。
「では、我らはどうすればよい。このままただ内蔵助どのとの盟約を守っているだけでよいのか。もしも柴田どのが羽柴と戦になれば、我らも否応なく巻き込まれることになる。それで柴田どのが勝てればよいが……」
 それは当主たる氏理が考えること、と突き放すのは容易かった。実際氏行たちが何を言おうと、氏理も家老たちも耳を貸しはしないであろう。しかしそれでも、考えるななどと言う気はなかった。思えば若き日の善十郎もまた、世の行く末について、武田の今後について、弟たちと唾を飛ばしながら論を戦わせたものだった。おのれの言葉など、父や兄に聞き入れられぬことなど百も承知で。
「では、どうされますか。佐々と手を切り、羽柴に頭を垂れまするか」
「わかっておる。さようなことも、できるわけがない」
 北には富山に佐々、西は大野の金森かなもり、東は鍋山に姉小路あねこうじ、そして南の郡上に遠藤。この内ヶ島家は今や、親柴田派の大名に囲まれている。ひとたび戦となり、敵に回ろうものなら、忽ちのうちに孤立してしまうであろう。
「小太郎、おぬしはどうじゃ。何か考えはあるか?」
 氏行は不意にそう尋ねた。無言のまま直立していた小太郎は、いきなりの問いに戸惑い、目を泳がせる。
「そ、某などには、何も申すことなど……」
「よい。思ったことを好きに申せ。我らに遠慮など無用じゃ」
 優しげな声で氏行は言った。小太郎はしばらくぱちぱちと瞬きを繰り返したのち、背筋を伸ばしてきっぱりと言い切る。
「たとえ戦になったとて、我らには帰雲の城がございます。また荻町おぎまち向牧戸むかいまきとの城も鉄壁、恐れることなどございませぬ!」
 その勇ましい物言いに、善十郎と氏行は揃って笑みを漏らした。荻町城と向牧戸城とは、帰雲の南北を固める支城で、氏綱と並んで三家老と呼ばれる山下大和守時慶ときよし・川尻備中守氏信うじのぶがそれぞれ守っている。特に川尻備中守は家中随一とも言われる猛将で、恐れられると同時に敬われてもいた。
「何か……おかしなことを申しましたか?」
「いや、よい。おぬしはそのままでよいのだ」
 そう言って、氏行はくっくっと笑い続ける。その顔に、今しがたまでの迷いはもう見えなかった。なるほど、少し思い悩み過ぎる氏行と、真っ正直な小太郎とは、なかなかいい組み合わせなのかもしれぬ。善十郎はそう思った。
「もちろん、我とて父上の考えに異を唱えたいわけではないのだ。内蔵助どのとの盟は友誼に基づくもの。それを簡単に覆しては、信義に悖ると言うものよ」
「しかしこの乱世にございます、若殿。生き残るためにはさようなことも言ってはおられぬもの」
 慥かに善十郎もかつては、武田を裏切って織田方に付いた者たちに蔑みの情を抱いたものだった。されどその者たちも、多くは惨めな末路を辿ったものだ。
 戦わずして城を捨てて逃げた逍遥軒信廉のぶかどは、しばらくして信濃の山中にて捕らえられ、処刑された。最後に勝頼を売った小山田兵衛尉信茂は、寝返りを認められず織田方の手で一族郎党首を刎ねられた。穴山梅雪斎はいったんは徳川に召し抱えられたものの、本能寺の変にて堺から脱出する際に、山中にて討たれた。仔細は不明だが、用済みになったゆえ徳川の手で始末されたとの風聞もある。今となってはかの者らにも、ただ哀れみを覚えるばかりだ。
「主家を裏切り、信義を破った者たちも、止むに止まれずそうしたにすぎませぬ。誰が好き好んで、裏切りや返り忠などいたしましょうや」
「いや、世には好き好んでする者もおるぞ。例えばかの三木中納言めを見よ。我は、あのようにだけはなりたくはないのだ」
 三木中納言自綱よりつな。その男の悪評は、この地に来てから何度も聞かされていた。その祖父直頼なおよりはかつて国司・姉小路家の一家臣であったが、主君を弑逆し家を乗っ取った梟雄である。さらに代を継ぎながらも本質は変わることなく、仕物(暗殺)や闇討といった奸計を用いて、徐々に勢力を広げていった。そうして自綱の代に至ってついに、最大の敵であった江馬氏を追い詰め、飛騨をほぼ手中にしつつある。
 その自綱はかつて、この内ヶ島にも手を伸ばしてきたことがある。天正六年のことだ。ひとたび飛騨侵攻に躓いた上杉の支援を受けて、鍋山から牧戸へと兵を進めてきたのだ。しかしそれも、川尻備中守の奮戦によって跳ね返された。すると一年と経たぬうちに此度は織田にすり寄り、何事もなかったのごとく盟を結びにやって来た。その変わり身の早さはある意味見事と言うべきだが、一本気な内ヶ島家の者たちからは、今でも侮蔑の対象となっている。
 自綱は姉小路家の名跡を継ぎ、また朝廷より従三位の宣下を受けたと吹聴して、姉小路大納言と自称しているが、誰もその名で呼ぶ者はいない。この地においてかの者は今も、「三木の中納言め」なのだ。
「されどそれもまた、乱世の生き様にございましょう。若殿にも、いずれわかることにございます」
 そう諭すようなことを言うと、庵の隅で黙っていた蔦がくすくすと笑った。可笑しいのはおのれでもわかっておる。善十郎はこころの中でそう毒づいたが、口には出さずに黙っていた。
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