30 / 38
四方山話:食えない後輩のバイト事情
6.遷り変わる色
しおりを挟むはじめは次々と登場する見たこともないような洒落た料理にうろたえ気味だったおれも、その素朴で優しい味わいにすっかり骨抜きにされてしまった。こんなに舌を肥やしてしまって、この先大丈夫なんだろうかという、貧乏学生全開の心配も微かに頭をよぎったが、それでも箸は止まらない。あったかい茶粥を啜る段階に差し掛かったときには、おれの身体はすっかり生き生きとしたエネルギーの色に染め変えられていた。
蘇芳はおれが黙々と食事を始めたあとは、皿を下げたり水を注ぎに来たりする程度でそれほど話しかけてくるでもなく、ぱらぱらと現れる客の相手をそつなくこなし、てきぱきとオーダーを捌いて店を回していた。食事の合間に眺めている限りでは、非常に有能なウェイターのようだ。なんとなく女性の客が多いのも、最初は偶然か店の雰囲気のせいかと思ったのだが、どうもそれだけではないらしい。蘇芳がオーダーを取るついでに二、三言葉を交わし談笑していたテーブルの女の子たちは、蘇芳がテーブルに背を向け厨房に向かった姿をどこか熱っぽい、うっとりとした視線で眺め、そのあと何やら楽しそうにきゃいきゃいとはしゃいでいた。
「? どうかしました?」
茶粥を綺麗に平らげ、心地の良い満腹感に満たされたおれに、テーブルの前を通った蘇芳は首を傾げる。なんとなく、蘇芳の姿を眺めていたのに気づいたのだろう。
「まぁ……たしかに格好いいよな」
「?」
思わずぽつりと零れた感想に、蘇芳は怪訝そうに首を傾げる。いつもの鋭すぎる毒舌が発動しなければ、蘇芳は涼しげで、スマートな美青年だ。こうして給仕をしてもらう中でなら、彼女たちの憧れの視線の意味は充分に理解ができた。
「あ、ごちそうさまでした。ほんとーーーに、美味しかった。生き返りました」
そう言って丁寧に手を合わせ、ぺこりと頭を下げると、蘇芳は赤茶色の趣深い茶碗を下げながらにっと笑った。
「それはそれは。命の恩人として、おれを崇め奉る気になりましたか?」
「なりました。末代まで、崇め奉らせていただきます」
「その言葉、忘れないでおきましょう」
この場所用の「営業スマイル」なのか、いつもよりもずっと柔らかく見える表情でそう言った蘇芳と、奥さんの温かい笑顔に見送られ、おれはレストランを出た。
いつの間にかすっかり日は落ち、ずいぶんと体感温度の下がった風が、さっきまでとは違う幸せな重みを詰め込んだ身体を撫でる。信号待ちで立ち止まった拍子にふと頭上を見上げると、澄んだ夜空にまばらに浮かんだ星がきらきらと輝いているのが見えた。綺麗だな、とぼんやりと思いながら眺める角度が新鮮で、このところ、ずっと俯いて歩いていたことに気づく。
夏が暑いのは、仕方のないことだというくらいにしか思っていなかった。四季折々、刻一刻と遷り変わっていく色彩は、どんなときでも周りに散りばめられている。それは目に見える色味だけじゃなくて、こんな風に美味しいもので満たされたり、誰かの意外な姿に触れたり、いつもの道でちょっと違う景色を見つけたりすることでも気づかされる。
この先、どんなに長い時間を越えようとも、今日の美味しい食事と、この景色をおぼえていようと思った。そして、そういう時間をくれた蘇芳に、もう一度心の中で「ありがとう」を言って、家路についた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる