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28.舞踏会は死の香り
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さて、先日は異世界の悪魔と呼ばれる存在と邂逅したわけですが、その後は特に何も周囲に異変は生じてはいません。
あの悪魔が何者なのか分かりませんが、ビンタをもう一発喰らわせる必要がありそうです。
そんな訳で、私はビンタの素振りを毎日10回するようになっていました。日に日にキレが良くなっている気が致します。
そのことを殿下たちに言うと、かなり引きつった笑顔を浮かべていましたが、なぜでしょうか?
ともかく、そんな風に私が最大限の努力を積み重ねていたある日のこと、
「アイリーン、ちょっといいかな?」
「はい、お父様、もちろんですわ」
私は突然お父様に書斎に呼ばれたので赴きました。
「実は王室主催の舞踏会が来月あるそうだ。少し急だね、あの王様らしくもない。そのせいで、本当なら当主の儂が何をしてでも出席するべきなのだが、隣国の公爵家との会合があってね」
「それはお父様でないと務まりませんでしょうね」
外交には色々細かい儀礼があるが、ともかく相手に意図しない誤解を与えないことがとかく大事だ。例えば、会う相手との格は出来るだけ合わせておいた方がもめごとが少なくて良いとか。例えばこちらが相手より下位の爵位の者を出せば、そのつもりが無くても相手は気を悪くするかもしれないし、こちらが格上の……例えば王室の者を出してしまったりすると、身内から「舐められる!」と文句が出る可能性がある。もちろん、そんなケースばかりではないのだけど、とにかく面倒事を避けたいなら、格を合わせておくことは結構外交上大事なことなのである。
「うむ。だが、さすがに王室主催の舞踏会にリスキス家から誰も出ないというわけには行かない。王室がというよりも、事情を知らぬ他の貴族どもが騒ぎかねんしなぁ。不仲だとか勝手に奴らは騒ぐので困るよ。というわけでな、アイリーン。お前に出席を頼みたいのだが、良いかね? バスクにも出てもらうが、将来子爵家に戻すことを考えると、お前に名代として出てもらっておいた方がいいだろう」
「確かにそうですね。分かりましたわ、お父様……。んっ?」
私は快諾してから、しまったー⁉ と思ったが、後の祭りだ。
「ああ、ありがとう。王室にはその旨連絡をしておくらからね。じゃあ、私はこれから少し用事があるのでね」
「あっ、ちょ、あっ、へっ」
「ふむ。最近の若者言葉か何かかね? だが、余り洗練されたものではないような気がするな。すぐに廃れそうだ」
そう言ってお父様は、私が断りたいけど断る上手い理由が思いつかず発する意味不明な言葉を、善意100%で解釈しながら扉を開けて出て行ってしまった。
私はその瞬間叫んだ。
「断罪シーンきちゃったあああああああ⁉」
1周目の人生でも舞踏会で冤罪を押し付けられて婚約破棄され、そして国外追放の際に馬車が事故に遭って死亡したのだ。
もちろん、1周目の死亡時点は更に今から3年先のことなので、時間軸は違う。だけどシチュエーションは極めて酷似しているのだ! 死亡フラグ四人衆とは出会っているし、恐らく王室の舞踏会ともなれば全員出席することだろう。
先日の買い物でも、ミーナリアさんが他の裏切り三人衆たちとかなり親密になっていて、男どもがメロメロであったことは疑いようがない!
「うううう! せっかくカフェを開いて独立したのに。まさに今から『私は自由に生きていくんだ。自分の人生を取り戻すんだ』大作戦を開始しようっていう矢先だったのにぃ!」
とは言え、私が出ないという選択肢はありえない。病気でも顔くらいは出さないと公爵家としての立場が悪いものになるだろう。つまり逃げ場はない。
私は頭を抱えて、オロロローン! と嘆きの声を上げたのでした。
と、そのようにアイリーンが屋敷の中心で哀《あい》を叫んでいた頃。死亡フラグ四人衆と呼ばれた者たちはそれぞれの反応を見せていた。
「ああ、アイリーンが舞踏会に出てくれるんですか!」
その知らせを聞いたキース王太子は、これほどうれしいことは無いとばかりに微笑んだ。
「では、出来るだけ気合を入れていかなければいけませんね。そして、ぜひエスコートをして差し上げなくては。何せ、最近は僕の婚約者にまとわりつこうとする、邪魔者が多くて仕方ありませんから。ねえ、クライブ?」
そう問われたのは、知らせを持ってきた副騎士団長のクライブである。
「はい。おっしゃる通りです。特に将来的には婚約者になる可能性があるというだけで、婚約者を名乗る殿方もいるようです。押し過ぎては相手は引いてしまう。そうした女性の機微に疎いというのはなんとも言いようのない気持ちになりますな、殿下」
「はっはっは。そうですね。まあ彼女が将来僕の婚約者になるわけなので、あなたの言葉に腹を立てる道理はありません。ありませんが、もうこいつ減給とか謹慎処分にしてやろうかと思わざるを得ませんね」
「なるほど、彼女を守護るために、わが身の犠牲を払うことを厭《いと》うつもりはありませんので、どうぞお好きになさってくださいませ。そして、今度アイリーン様が経営する喫茶『エトワール』に行って、我が武勇伝としてお聞かせするとしましょう、はっはっは」
「ほう。となると、あなたの評判が上がるとともに、僕の評判を同時に落とせるというわけですね? さすが、騎士団ではそういった権謀術数《けんぼうじゅっすう》まで教わるのですか?」
「ははは。これはただの恋の手練手管《てれんてくだ》というだけですとも」
「そんな邪悪な恋の手練手管《てれんてくだ》があってたまるものですか! ……でもいいんですか? あなたの女性遍歴を王室諜報部に調べ尽くさせて、アイリーンに伝えてもいいんですよ?」
「ふっ、私は口は軽いですが、手は出しませんので無駄ですとも。うん、……えーっと? あれもぎりぎり大丈夫ですな……。大丈夫、まあまあ大丈夫ですが、ふっ、しかし、微妙な部分もありますので、やめておきませんかな⁉」
はぁ、とキース王太子は嘆息をつく。
「やれやれ、そうですね。それに、なんだかお互い共倒れになりそうな気がします。そうなれば、漁夫の利を得るものがいますからね。彼らも侮れません」
「ええ、そうですね……」
そして、二人は同時に思った。ライバルたちよりも一刻も早くプロポーズするべきなのではないか、と。そしてそれは、王室主催の舞踏会こそふさわしいのではないかと。
王太子と副騎士団長の昼休憩は終わることなく続いた。
一方その頃、
「へっくしょん! 誰かが僕の噂でもしてるのかな?」
「ふふふ、アイリーン様かもしれませんよ、バスク様。ふえ、へっくしょん」
「ミーナリア様こそ、誰かに噂されてるのかもね。案外、殿下たちだったりしてね」
「? 私たちのことを噂する暇などあるのでしょうか? 普段からお忙しそうですし」
場所は学院で、話しているのはバスクとミーナリアの二人である。今日はアイリーンやキース王太子、クライブ副騎士団長は公務があり休みである。貴族が通う学院での欠席は珍しいことではない。その代わりテストは普通にあるので、欠席しがちな貴族子弟は後日、泣きを見ることになるのだが。
「それよりも聞いたかい? 今度、王室主催で舞踏会があるだろう? アイリーン姉さんも出るらしくてさ」
「まぁ、それは楽しみですね! 今からアイリーン様の美しいドレス姿が瞼《まぶた》に浮かぶようです」
そう言うとミーナリアは本当に瞼の裏に、彼女の艶《あで》やかで品のあるドレス姿を思い浮かべて幸せな気持ちになった。
学院にある精霊の森の、湖の畔《ほとり》に自分がいたのは、とある事情で落ち込んでいたからだった。それが突然、正体不明の異世界の悪魔に襲われたのだ。あの悪魔は明らかに良くないものだった。まるで自分の意識が乗っ取られるかのような感覚だった。そして、なぜだか分からないが、もしそうなっていたら、将来大変な事態を巻き起こしていたような確信があるのだ。自分ではなく、他人が傷つく方が怖い、自分のような小心者にとって、周囲を巻き込んで不幸にさせるような事態は、本当の意味で悪夢以外の何物でもない。
でも、そんな絶望を私のアイリーン様はためらいもなく打ち払い、助けてくれたのだ。その上、お礼もいらないとばかりに颯爽と立ち去られた。後で調べれば公爵令嬢という雲の上の存在だという。なんという立派な振る舞いだろう。(なお、足早に立ち去ったのは、もちろん自分の助けた相手が死亡フラグのミーナリアだったからである)
先日は一緒にショッピングに出かけてお揃いのブレスレットをプレゼントして頂いた。以来、肌身離さず持っていて、思い出しては指で撫でてしまう。お守り代わりだ。何があっても、これがあれば勇気を出して立ち向かえる気がする。
そうミーナリアは思った。
「ミーナリア様は姉さんが好きだねー」
「ええ、とても。あ、もちろん他の皆さんのことも好きですよ」
「僕だってアイリーン姉さんも、みんなのことも好きだよ? ただ、ちょっと譲りたくない点があってさ。今度の舞踏会なんだけど」
「エスコートの件ですね。はぁ、残念です。私も男性だったら、ぜひエスコートをさせて頂きたいのですが……」
「あまり競争率は変わらないかもしれないけどね。何せ、キース様にクライブ様も立候補するだろうからさ」
「ああ、確かにそうですね。でもあのお二人はお互いに牽制しあって、結局どちらもエスコートできないような気がしますけどね、うふふ」
「ははは。確かにね。二人ともやり手なだけに、チェスで言う千日手って言うの? 決着がつかずに結局どちらもエスコートできないみたいなね」
「だから、バスク様にもチャンスはあるのではないでしょうか?」
「そうだね。ちょっと言うだけ言ってみるか。ところで、どうしてミーナリア様は僕のことを応援してくれるんだい? 僕の勘違いじゃなければ、君も……」
彼女は頬を染めて微笑むと、
「私は一生、アイリーン様と一緒に居られればそれでいいので……。ですので、私ともちろん一緒になってくだされば嬉しいし、諦めているわけではないのですが……。何はともあれ、王室に入ってしまわれますと、今のように、なかなかお会いできない本当に雲の上の御方になってしまいますから。あ、もちろん、今でもずいぶん身分が上の方ではあるのですが、もうその比ではありませんので」
「なるほど……。だから消去法で言うと僕なわけか……」
「あ、す、すみません。失礼でしたよね」
「ううん」
バスクは別に気にせず首を振る。
ただ、しっかり考えている分、かなり愛が重いことに気づくバスクであった。そして、案外、この大らかで優しい気質のミーナリア様こそが、アイリーン姉さんのハートを射止めそうな気がしたりもした。さらっと、一緒になる可能性を諦めていないと告白もしていたりするし……。とにかく、この子に対しても油断しないようにしようと固く心に誓うバスクであった。
そして、二人は同時に思った。
ライバルたちよりも一刻も早く、自分の気持ちを伝えるべきなのではないか、と。
そしてそれは、王室主催の舞踏会こそふさわしいのではないかと。
こうして、死亡フラグに怯えるアイリーンとは裏腹に、死亡フラグ四人衆たちは、彼女に対する熱い気持ちを胸に秘め、舞踏会の日を迎えたのであった。
あの悪魔が何者なのか分かりませんが、ビンタをもう一発喰らわせる必要がありそうです。
そんな訳で、私はビンタの素振りを毎日10回するようになっていました。日に日にキレが良くなっている気が致します。
そのことを殿下たちに言うと、かなり引きつった笑顔を浮かべていましたが、なぜでしょうか?
ともかく、そんな風に私が最大限の努力を積み重ねていたある日のこと、
「アイリーン、ちょっといいかな?」
「はい、お父様、もちろんですわ」
私は突然お父様に書斎に呼ばれたので赴きました。
「実は王室主催の舞踏会が来月あるそうだ。少し急だね、あの王様らしくもない。そのせいで、本当なら当主の儂が何をしてでも出席するべきなのだが、隣国の公爵家との会合があってね」
「それはお父様でないと務まりませんでしょうね」
外交には色々細かい儀礼があるが、ともかく相手に意図しない誤解を与えないことがとかく大事だ。例えば、会う相手との格は出来るだけ合わせておいた方がもめごとが少なくて良いとか。例えばこちらが相手より下位の爵位の者を出せば、そのつもりが無くても相手は気を悪くするかもしれないし、こちらが格上の……例えば王室の者を出してしまったりすると、身内から「舐められる!」と文句が出る可能性がある。もちろん、そんなケースばかりではないのだけど、とにかく面倒事を避けたいなら、格を合わせておくことは結構外交上大事なことなのである。
「うむ。だが、さすがに王室主催の舞踏会にリスキス家から誰も出ないというわけには行かない。王室がというよりも、事情を知らぬ他の貴族どもが騒ぎかねんしなぁ。不仲だとか勝手に奴らは騒ぐので困るよ。というわけでな、アイリーン。お前に出席を頼みたいのだが、良いかね? バスクにも出てもらうが、将来子爵家に戻すことを考えると、お前に名代として出てもらっておいた方がいいだろう」
「確かにそうですね。分かりましたわ、お父様……。んっ?」
私は快諾してから、しまったー⁉ と思ったが、後の祭りだ。
「ああ、ありがとう。王室にはその旨連絡をしておくらからね。じゃあ、私はこれから少し用事があるのでね」
「あっ、ちょ、あっ、へっ」
「ふむ。最近の若者言葉か何かかね? だが、余り洗練されたものではないような気がするな。すぐに廃れそうだ」
そう言ってお父様は、私が断りたいけど断る上手い理由が思いつかず発する意味不明な言葉を、善意100%で解釈しながら扉を開けて出て行ってしまった。
私はその瞬間叫んだ。
「断罪シーンきちゃったあああああああ⁉」
1周目の人生でも舞踏会で冤罪を押し付けられて婚約破棄され、そして国外追放の際に馬車が事故に遭って死亡したのだ。
もちろん、1周目の死亡時点は更に今から3年先のことなので、時間軸は違う。だけどシチュエーションは極めて酷似しているのだ! 死亡フラグ四人衆とは出会っているし、恐らく王室の舞踏会ともなれば全員出席することだろう。
先日の買い物でも、ミーナリアさんが他の裏切り三人衆たちとかなり親密になっていて、男どもがメロメロであったことは疑いようがない!
「うううう! せっかくカフェを開いて独立したのに。まさに今から『私は自由に生きていくんだ。自分の人生を取り戻すんだ』大作戦を開始しようっていう矢先だったのにぃ!」
とは言え、私が出ないという選択肢はありえない。病気でも顔くらいは出さないと公爵家としての立場が悪いものになるだろう。つまり逃げ場はない。
私は頭を抱えて、オロロローン! と嘆きの声を上げたのでした。
と、そのようにアイリーンが屋敷の中心で哀《あい》を叫んでいた頃。死亡フラグ四人衆と呼ばれた者たちはそれぞれの反応を見せていた。
「ああ、アイリーンが舞踏会に出てくれるんですか!」
その知らせを聞いたキース王太子は、これほどうれしいことは無いとばかりに微笑んだ。
「では、出来るだけ気合を入れていかなければいけませんね。そして、ぜひエスコートをして差し上げなくては。何せ、最近は僕の婚約者にまとわりつこうとする、邪魔者が多くて仕方ありませんから。ねえ、クライブ?」
そう問われたのは、知らせを持ってきた副騎士団長のクライブである。
「はい。おっしゃる通りです。特に将来的には婚約者になる可能性があるというだけで、婚約者を名乗る殿方もいるようです。押し過ぎては相手は引いてしまう。そうした女性の機微に疎いというのはなんとも言いようのない気持ちになりますな、殿下」
「はっはっは。そうですね。まあ彼女が将来僕の婚約者になるわけなので、あなたの言葉に腹を立てる道理はありません。ありませんが、もうこいつ減給とか謹慎処分にしてやろうかと思わざるを得ませんね」
「なるほど、彼女を守護るために、わが身の犠牲を払うことを厭《いと》うつもりはありませんので、どうぞお好きになさってくださいませ。そして、今度アイリーン様が経営する喫茶『エトワール』に行って、我が武勇伝としてお聞かせするとしましょう、はっはっは」
「ほう。となると、あなたの評判が上がるとともに、僕の評判を同時に落とせるというわけですね? さすが、騎士団ではそういった権謀術数《けんぼうじゅっすう》まで教わるのですか?」
「ははは。これはただの恋の手練手管《てれんてくだ》というだけですとも」
「そんな邪悪な恋の手練手管《てれんてくだ》があってたまるものですか! ……でもいいんですか? あなたの女性遍歴を王室諜報部に調べ尽くさせて、アイリーンに伝えてもいいんですよ?」
「ふっ、私は口は軽いですが、手は出しませんので無駄ですとも。うん、……えーっと? あれもぎりぎり大丈夫ですな……。大丈夫、まあまあ大丈夫ですが、ふっ、しかし、微妙な部分もありますので、やめておきませんかな⁉」
はぁ、とキース王太子は嘆息をつく。
「やれやれ、そうですね。それに、なんだかお互い共倒れになりそうな気がします。そうなれば、漁夫の利を得るものがいますからね。彼らも侮れません」
「ええ、そうですね……」
そして、二人は同時に思った。ライバルたちよりも一刻も早くプロポーズするべきなのではないか、と。そしてそれは、王室主催の舞踏会こそふさわしいのではないかと。
王太子と副騎士団長の昼休憩は終わることなく続いた。
一方その頃、
「へっくしょん! 誰かが僕の噂でもしてるのかな?」
「ふふふ、アイリーン様かもしれませんよ、バスク様。ふえ、へっくしょん」
「ミーナリア様こそ、誰かに噂されてるのかもね。案外、殿下たちだったりしてね」
「? 私たちのことを噂する暇などあるのでしょうか? 普段からお忙しそうですし」
場所は学院で、話しているのはバスクとミーナリアの二人である。今日はアイリーンやキース王太子、クライブ副騎士団長は公務があり休みである。貴族が通う学院での欠席は珍しいことではない。その代わりテストは普通にあるので、欠席しがちな貴族子弟は後日、泣きを見ることになるのだが。
「それよりも聞いたかい? 今度、王室主催で舞踏会があるだろう? アイリーン姉さんも出るらしくてさ」
「まぁ、それは楽しみですね! 今からアイリーン様の美しいドレス姿が瞼《まぶた》に浮かぶようです」
そう言うとミーナリアは本当に瞼の裏に、彼女の艶《あで》やかで品のあるドレス姿を思い浮かべて幸せな気持ちになった。
学院にある精霊の森の、湖の畔《ほとり》に自分がいたのは、とある事情で落ち込んでいたからだった。それが突然、正体不明の異世界の悪魔に襲われたのだ。あの悪魔は明らかに良くないものだった。まるで自分の意識が乗っ取られるかのような感覚だった。そして、なぜだか分からないが、もしそうなっていたら、将来大変な事態を巻き起こしていたような確信があるのだ。自分ではなく、他人が傷つく方が怖い、自分のような小心者にとって、周囲を巻き込んで不幸にさせるような事態は、本当の意味で悪夢以外の何物でもない。
でも、そんな絶望を私のアイリーン様はためらいもなく打ち払い、助けてくれたのだ。その上、お礼もいらないとばかりに颯爽と立ち去られた。後で調べれば公爵令嬢という雲の上の存在だという。なんという立派な振る舞いだろう。(なお、足早に立ち去ったのは、もちろん自分の助けた相手が死亡フラグのミーナリアだったからである)
先日は一緒にショッピングに出かけてお揃いのブレスレットをプレゼントして頂いた。以来、肌身離さず持っていて、思い出しては指で撫でてしまう。お守り代わりだ。何があっても、これがあれば勇気を出して立ち向かえる気がする。
そうミーナリアは思った。
「ミーナリア様は姉さんが好きだねー」
「ええ、とても。あ、もちろん他の皆さんのことも好きですよ」
「僕だってアイリーン姉さんも、みんなのことも好きだよ? ただ、ちょっと譲りたくない点があってさ。今度の舞踏会なんだけど」
「エスコートの件ですね。はぁ、残念です。私も男性だったら、ぜひエスコートをさせて頂きたいのですが……」
「あまり競争率は変わらないかもしれないけどね。何せ、キース様にクライブ様も立候補するだろうからさ」
「ああ、確かにそうですね。でもあのお二人はお互いに牽制しあって、結局どちらもエスコートできないような気がしますけどね、うふふ」
「ははは。確かにね。二人ともやり手なだけに、チェスで言う千日手って言うの? 決着がつかずに結局どちらもエスコートできないみたいなね」
「だから、バスク様にもチャンスはあるのではないでしょうか?」
「そうだね。ちょっと言うだけ言ってみるか。ところで、どうしてミーナリア様は僕のことを応援してくれるんだい? 僕の勘違いじゃなければ、君も……」
彼女は頬を染めて微笑むと、
「私は一生、アイリーン様と一緒に居られればそれでいいので……。ですので、私ともちろん一緒になってくだされば嬉しいし、諦めているわけではないのですが……。何はともあれ、王室に入ってしまわれますと、今のように、なかなかお会いできない本当に雲の上の御方になってしまいますから。あ、もちろん、今でもずいぶん身分が上の方ではあるのですが、もうその比ではありませんので」
「なるほど……。だから消去法で言うと僕なわけか……」
「あ、す、すみません。失礼でしたよね」
「ううん」
バスクは別に気にせず首を振る。
ただ、しっかり考えている分、かなり愛が重いことに気づくバスクであった。そして、案外、この大らかで優しい気質のミーナリア様こそが、アイリーン姉さんのハートを射止めそうな気がしたりもした。さらっと、一緒になる可能性を諦めていないと告白もしていたりするし……。とにかく、この子に対しても油断しないようにしようと固く心に誓うバスクであった。
そして、二人は同時に思った。
ライバルたちよりも一刻も早く、自分の気持ちを伝えるべきなのではないか、と。
そしてそれは、王室主催の舞踏会こそふさわしいのではないかと。
こうして、死亡フラグに怯えるアイリーンとは裏腹に、死亡フラグ四人衆たちは、彼女に対する熱い気持ちを胸に秘め、舞踏会の日を迎えたのであった。
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