23 / 33
メアリジェーン
しおりを挟む
子供部屋に入り、メアリがビリー君を寝かしつけて、やっと静かになったところでサンルームへ案内された。
僕は帰るタイミングを失って、仕方なくなぜか彼女に付き合っている。
「"一番かわいい時期なのかもしれないけどね、二歳から三歳の時期って一番手がかかる年代でもあるの。毎日振り回されてるわ"」
先程よりは落ち着いた様子でメアリは話しかけてきた。
ビリー君はまさに天使のような子供だと思うが、育てている母親はそれだけではない苦労があるんだろう。そうですかとただ相槌を打つ。
育児に追われて、自分の時間が自由に持てない女性にかける言葉を僕は知らなかった。
「”ビリーは父親がいないの、可哀想でしょう。まだあんなに小さいのに……”」
父親がいない子供は可哀想なのだろうか。
子供の話を聞くために僕は連れてこられたんだろうか。
篤実は困り果てたように黙ってしまった。
彼女に対してはあいまいな言い方はしないよう、気を付けなければいけない。
下手に同意するのも、反論するのも無意味な争いの種になりそうだ。
今はもう、解放されるまで耐えるしかないのかもしれない。
「”貴方には聞いてもらわなければならない話があるの。それは私と大樹、そしてビリーの関係ことよ”」
なぜ僕がその話を聞かなければならないのか。
メアリは僕と藤原さんの過去の関係を知っているのか。言いかけて口を閉ざした。
「”私が離婚した時、ビリーはまだ生後三カ月だった。完璧主義だった私は、ちゃんとママしなくちゃと頑張っていた。人に頼らず自分でこの子をちゃんと育てようってね。でも疲労が蓄積して育児に対する不安や環境の変化に伴うストレスは半端なかった”」
女性の産後鬱状態だったのだろう。僕にはわからない事だ。
「”その時に、うちの実家の庭園を造っている大樹を見たの。ちょうど子供部屋の窓から庭が見えるようになっていた。本来の仕事の他にうちの仕事も引き受けてくれていた。彼も忙しかったのね。空いた時間にしか作業ができないらしく、来る時間もバラバラだったし、休日に作業していることも多かった””」
毎日黙々と仕事をこなす藤原さんを見る事が励みになったらしい。最初は労働者階級の外国人というひとくくりで彼の事を見ていたが、真面目に仕事をこなす藤原さんの姿にいつしか夢中になっていたと言った。
「”出来上がっていく日本庭園は素晴らしい物だったわ。自然の風景を美しく、限られた範囲で纏める日本の技術に感動した。そこに静かな落ち着いた空間を創造していく彼はまさにマイスターだったわ”」
思い出しているのか、彼女の目が楽しそうに輝いている。
彼女は藤原さんと自分がどうやって出会ったかを話した。そして自分が苦しんでいる時に彼に助けてもらい、精神的な支えになってくれたと言った。
当時、藤原さんも慣れない土地と通じない言葉に随分苦労したようだった。
家の中から出ない彼女にとって、外との接点は藤原さんだけだったのだろう。
「”メアリと藤原さんは共につらい時期を乗り越えたんですね。私から見て、ビリー君も含めて今のあなた達はとても幸せそうなファミリーに見えます”」
彼女は僕の言葉を聞きバカにしたようにフッと笑った。
「”本当にあなたってお気楽な脳みそをしているのね。何もわかってないわ”」
なんだろう……喧嘩を売られているのか。
「”それこそ、先程メアリさんがおっしゃっていたように、あいまいな言い方や説明不足で話を理解しろと言われても無理です。あなた達がイギリスで出会いお互いに助け合って、今現在日本に来ている。それは分かりました。僕には幸せそうに見えますが、あなたの言葉から察するに、今あなたは何か問題を抱えているんですね”」
そうだと彼女は深く頷く。
「”彼は失恋をしてイギリスに来たと言っていた。当分恋愛はこりごりだし、今は英語の勉強とガーデンの仕事に打ち込みたいって言ってた。勿論私も離婚したばっかりだったし彼とどうこうなろうなんて考えてなかった。けど、何年か経つうちに気持ちが抑えられなくなった”」
さっきから問題の根源が何なのか分からない。彼女にとって藤原さんはかけがえのない存在なのだろうことは理解した。それを聞かせてどうしたいんだ。
「”それで、あなたは僕に何を望んでらっしゃるのですか?”」
「”大樹はイギリスにいる間、ずっと恋人を作らなかった。勉強も大変だったし仕事も一生懸命頑張っていたわ。忙しくて恋愛どころじゃないのかと思っていたけどそうじゃなかった。日本にいた時の恋人、イギリスに逃げてくるような原因を作った人の事をずっと忘れられなかったのよ”」
そんな馬鹿な……三年も前の話だ。彼が僕に対してそこまで深い思いを持っているとは思えない。彼女は何を勘違いしているんだろう。
「”彼があなたに僕の事を何か話したんですか?”」
「”いいえ、先生の事は有名な彫刻家で日本にいる時に絵を教えてもらってたと言っただけ。でも、私にはわかった、あなたは大樹の特別な人よ”」
彼女は僕と藤原さんの関係を怪しんでいる。彼が浮気するんじゃないかと心配しているようだ。でもそれは杞憂に終わるだろう。
心配しすぎだ、僕たちの間には何もないといって安心させればいいのだろうか。
正直、僕は藤原さんの事を好きだった。そして数年ぶりに彼を見て、また気持ちが揺れたのも事実だ。
けれど愛し合っている二人の間に割り込んで、彼を奪おうなんて思っていない。
そう伝えたら彼女は納得してくれるのだろうか。
いや……そうじゃないかもしれない。
彼女ははっきりものを言っているのだろうか?彼女は自分がどれだけ藤原さんの事を慕っているかを僕に伝えている。けれど肝心なことは言っていない。
「”メアリジェーンさん。一つだけ質問に答えてほしい。藤原さんはあなたの恋人ですか?”」
彼女は僕をキッと睨んだ。
みるみる顔が赤くなり、爆発寸前のような怒りでいっぱいの形相に変わった。
僕は帰るタイミングを失って、仕方なくなぜか彼女に付き合っている。
「"一番かわいい時期なのかもしれないけどね、二歳から三歳の時期って一番手がかかる年代でもあるの。毎日振り回されてるわ"」
先程よりは落ち着いた様子でメアリは話しかけてきた。
ビリー君はまさに天使のような子供だと思うが、育てている母親はそれだけではない苦労があるんだろう。そうですかとただ相槌を打つ。
育児に追われて、自分の時間が自由に持てない女性にかける言葉を僕は知らなかった。
「”ビリーは父親がいないの、可哀想でしょう。まだあんなに小さいのに……”」
父親がいない子供は可哀想なのだろうか。
子供の話を聞くために僕は連れてこられたんだろうか。
篤実は困り果てたように黙ってしまった。
彼女に対してはあいまいな言い方はしないよう、気を付けなければいけない。
下手に同意するのも、反論するのも無意味な争いの種になりそうだ。
今はもう、解放されるまで耐えるしかないのかもしれない。
「”貴方には聞いてもらわなければならない話があるの。それは私と大樹、そしてビリーの関係ことよ”」
なぜ僕がその話を聞かなければならないのか。
メアリは僕と藤原さんの過去の関係を知っているのか。言いかけて口を閉ざした。
「”私が離婚した時、ビリーはまだ生後三カ月だった。完璧主義だった私は、ちゃんとママしなくちゃと頑張っていた。人に頼らず自分でこの子をちゃんと育てようってね。でも疲労が蓄積して育児に対する不安や環境の変化に伴うストレスは半端なかった”」
女性の産後鬱状態だったのだろう。僕にはわからない事だ。
「”その時に、うちの実家の庭園を造っている大樹を見たの。ちょうど子供部屋の窓から庭が見えるようになっていた。本来の仕事の他にうちの仕事も引き受けてくれていた。彼も忙しかったのね。空いた時間にしか作業ができないらしく、来る時間もバラバラだったし、休日に作業していることも多かった””」
毎日黙々と仕事をこなす藤原さんを見る事が励みになったらしい。最初は労働者階級の外国人というひとくくりで彼の事を見ていたが、真面目に仕事をこなす藤原さんの姿にいつしか夢中になっていたと言った。
「”出来上がっていく日本庭園は素晴らしい物だったわ。自然の風景を美しく、限られた範囲で纏める日本の技術に感動した。そこに静かな落ち着いた空間を創造していく彼はまさにマイスターだったわ”」
思い出しているのか、彼女の目が楽しそうに輝いている。
彼女は藤原さんと自分がどうやって出会ったかを話した。そして自分が苦しんでいる時に彼に助けてもらい、精神的な支えになってくれたと言った。
当時、藤原さんも慣れない土地と通じない言葉に随分苦労したようだった。
家の中から出ない彼女にとって、外との接点は藤原さんだけだったのだろう。
「”メアリと藤原さんは共につらい時期を乗り越えたんですね。私から見て、ビリー君も含めて今のあなた達はとても幸せそうなファミリーに見えます”」
彼女は僕の言葉を聞きバカにしたようにフッと笑った。
「”本当にあなたってお気楽な脳みそをしているのね。何もわかってないわ”」
なんだろう……喧嘩を売られているのか。
「”それこそ、先程メアリさんがおっしゃっていたように、あいまいな言い方や説明不足で話を理解しろと言われても無理です。あなた達がイギリスで出会いお互いに助け合って、今現在日本に来ている。それは分かりました。僕には幸せそうに見えますが、あなたの言葉から察するに、今あなたは何か問題を抱えているんですね”」
そうだと彼女は深く頷く。
「”彼は失恋をしてイギリスに来たと言っていた。当分恋愛はこりごりだし、今は英語の勉強とガーデンの仕事に打ち込みたいって言ってた。勿論私も離婚したばっかりだったし彼とどうこうなろうなんて考えてなかった。けど、何年か経つうちに気持ちが抑えられなくなった”」
さっきから問題の根源が何なのか分からない。彼女にとって藤原さんはかけがえのない存在なのだろうことは理解した。それを聞かせてどうしたいんだ。
「”それで、あなたは僕に何を望んでらっしゃるのですか?”」
「”大樹はイギリスにいる間、ずっと恋人を作らなかった。勉強も大変だったし仕事も一生懸命頑張っていたわ。忙しくて恋愛どころじゃないのかと思っていたけどそうじゃなかった。日本にいた時の恋人、イギリスに逃げてくるような原因を作った人の事をずっと忘れられなかったのよ”」
そんな馬鹿な……三年も前の話だ。彼が僕に対してそこまで深い思いを持っているとは思えない。彼女は何を勘違いしているんだろう。
「”彼があなたに僕の事を何か話したんですか?”」
「”いいえ、先生の事は有名な彫刻家で日本にいる時に絵を教えてもらってたと言っただけ。でも、私にはわかった、あなたは大樹の特別な人よ”」
彼女は僕と藤原さんの関係を怪しんでいる。彼が浮気するんじゃないかと心配しているようだ。でもそれは杞憂に終わるだろう。
心配しすぎだ、僕たちの間には何もないといって安心させればいいのだろうか。
正直、僕は藤原さんの事を好きだった。そして数年ぶりに彼を見て、また気持ちが揺れたのも事実だ。
けれど愛し合っている二人の間に割り込んで、彼を奪おうなんて思っていない。
そう伝えたら彼女は納得してくれるのだろうか。
いや……そうじゃないかもしれない。
彼女ははっきりものを言っているのだろうか?彼女は自分がどれだけ藤原さんの事を慕っているかを僕に伝えている。けれど肝心なことは言っていない。
「”メアリジェーンさん。一つだけ質問に答えてほしい。藤原さんはあなたの恋人ですか?”」
彼女は僕をキッと睨んだ。
みるみる顔が赤くなり、爆発寸前のような怒りでいっぱいの形相に変わった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
29
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる