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大抜擢
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「新作ゲームの世界設定とシナリオ、担当してもらいたいんだけど」
その言葉は、小椋文見(おぐらふみ)の人生の中で一番嬉しかったかもしれない。
テストで満点を取ったこと、短距離走で一位を取ったことより嬉しい。大学の合格発表を見に行ったとき、企業から内定の電話があったときより嬉しい。高校生のとき、好きな男子から告白された言葉より……たぶん嬉しい。
文見はその言葉を会社の会議室で聞かされた。
相手は自分の務める会社の社長。
社長といっても、従業員が5、60人ほどの小さい会社で、とても若い。
なので出会ったら90度の角度でお辞儀して通り過ぎるまで頭を上げてはならない、といった威圧感を持つ億万長者社長との面談ではない。大学の教授ぐらいの気持ちで、毎日のように顔を合わせ、気さくに会話をしながら仕事をしている。
「あたしがやってもいいんですか!? シナリオなんて書いたことないですよ?」
「やりたくないならいいんだけど、やりたい人はいっぱいいるだろうし」
「やります! やらせてください! やらせていただきます!」
文見は三段活用で即答した。
重要な面談なのに、社長がいたずらっぽいことを言うのはこの会社ならではだ。
そう、ここは普通の会社ではない。
ゲーム会社。スマホゲームやアプリを作るベンチャー企業である。
会社名はノベルティアイテム。
ほとんど歴史のない会社ながら、主力タイトルであるスマホゲー「エンゲージケージ」は絶好調で、会社の顔とも言えるオフィスをオタクの聖地・秋葉原の綺麗な高層ビルに移すことができた。そして、さらに売り上げを伸ばすため、「エンゲージケージ」に続く新作ゲームを作ろうとしていた。
文見はその新作ゲームの世界観や設定を作ってほしいと言われたわけだ。
それはゲーム業界において「シナリオライター」と呼ばれる職種の仕事。
下流ではキャラのセリフやト書きを書き起こしたり、会話イベントのスクリプトを打ったりする。上流はそのキャラ自体を生み出したり、キャラの住まう世界を設定したりする。世界の創造主ポジションで、文見は今まさに神になれといわれている。
文見はまだ入社三年目の若手に過ぎない。これまで下積みで、データやスクリプトを打ったり、ゲームをモニターしてバグ報告したりなど、雑務しかやってなかったから、上流の仕事がやれるとは夢にも思わなかった。
いや、夢にまで見た憧れの仕事である。
「そうか、よかった。若い層に響くゲームにしたくてね。若者文化に造詣が深い君に任せたかったんだ」
「は、はあ……」
文見は頬を赤く染める。
大抜擢された理由に思い当たるものがあったからだ。
先月の人事評価面談で、オタクであることを猛烈アピールしてしまったのである。
ゲーム会社に入社しているのだから、社員はだいたいオタクである。だから、社内でオタトークなんて珍しくないし、恥ずかしくもない。
しかし、文見はちょっと上を行っている。
ゲームやアニメが好きなのはもちろんとして、自作衣装でイベントに参加するコスプレイヤーなのだ。
文見は大学のころ、とあるスマホゲーにのめり込んでしまった。
世界の各地から召喚された美男美女が地球を救うファンタジー作品で、月商何十億と言われるほどのビッグタイトルである。
推しのゲームキャラが好きすぎて、販売されているグッズを買い占めるだけでは飽き足らず、自分で衣装を作り、自分でそのキャラになりきってしまった。
もともと裁縫が上手だったり、美術が好きだったりしたわけではない。ネットで調べながら裁縫を手探りで始めたら、思いのほかはまってしまい、大学生活の大部分を使ってしまった。今ではかなり慣れたもので、時間とお金さえかければ全身フル装備を作れるほどになっている。凝り性だったのは元来のものかもしれない。
また、これまでオシャレとは縁が遠かったが、コスプレから化粧やヘアメイクを学び、キャラに合わせて体作りもしている。
それは実生活にも応用され、女子力上がったね、と古い友達に言われるようになったのはよい効能といえるかもしれない。
はじめは人前に出るのがかなり恥ずかしかった。背は高いほうなので、衣装を着て立っているだけでも見栄えがして、通りかかった人が「すごいね」「かっこいいね」と褒めてくれた。
ちなみに、もっぱら男性キャラのコスプレをしている。自分ではそんなに女っぽくないと思っているからだ。それに可愛くなりたいという思いよりも、自分の好きなキャラになりたいという思いが強いのもある。
慣れてしまえばコスプレするのが快感となっていった。そこにいるのは自分ではなくて、アニメキャラ。まったく別の自分なのだ。もしかすると、役者の人たちもその感覚があまりにも爽快で人前に立っているのかもしれない。
しかし、アニメやゲームのキャラになれたり、みんなに見られて褒められたりする、というコスプレ体験はすごく斬新で嬉しいものだったが、誰にでも話せることではなかった。
そう、一般人には絶対言えない趣味。変に興味を持たれたり、奇異の目で見られたりして、人間関係が激変してしまうはずだ。
エントリーシートや入社面接のお決まりの質問で、「大学のときに取り組んできたこと」というのがある。特定のことに熱意を持って最後までやりきったことが、企業に評価されるのだ。
文見の場合、これは間違いなくコスプレだった。コスプレを通じて、物作りやデザインを学んだり、人と協力して一つのことに取り組んだりしたのは、他では得られない貴重な経験だ。
就職活動で話そうか思ったが、ドン引きされてしまうリスクを考えて、結局話せなかった。日本の会社は奇抜な人より、忠実な人を好むものだ。
文見ももちろんそう思っていた。
オタトークは人事評価面談という申請な場所ではすべきでないとしっかり認識していたが、社長に乗せられてつい、ポロっとカミングアウトしてしまったのだ。
元証券マンでまだぎりぎり三十代の社長は、誠実でありながら愛嬌もあって、なんでも話してしまいそうになる。そして一時間にわたって自分の好きなゲームについて熱く語ってしまった。
世界観のこだわり、キャラの造詣、イベントの作り込み。そして、ゲーム内に広がる世界を現実で表現するために努力しているのかを語ることになる。その世界にある素材がどんなものか解釈して、現代のものに置き換えていく。お金や時間には限りがあるから、再現するのにできるだけ安く、そして簡単に加工できるように工夫していく必要がある。
……などなど。話しているときは楽しくて仕方なかったが、今思い返すと恥ずかしくて死んでしまいそうだ。どう考えても社長に話す内容ではない。
「私ももちろんゲームは好きだが、さすがに若い人のセンスとは違ってくる。売れるゲームを作るには、どうしても若者の意見が必要だ。私は前の面談で確信したんだ。若手で小椋ほど、ゲームに対して情熱を持っている人はいないと」
べた褒めである。
社長が非常に恥ずかしいことを言ってくるので、文見はさらに顔を赤くする。
ようは「君はすばらしいオタクだね」と。普通の会社では、部下をこんな風に褒めることはないだろう。
「でも、あたしなんかがやっていいんですか……?」
社会人歴2年、ゲームクリエイター歴2年、シナリオ未経験。ゼロからゲームのシナリオを作ってほしいと言われて嬉しいが、やはり荷が重いのではないかと思ってしまう。
それに社長が冗談で言っていたけれど、シナリオをやりたいという人はけっこう多い。やっぱりみんな、ゲーム世界の神様になりたいのだ。
「こういうのは経験より、愛とかやる気だよ。私も真面目な証券会社で働いていて、ゲームなんて専門外だったわけだし、こうやって会社を大きくできたのも、それがあったからだ。小椋には、他の人にも勝る熱意も愛があるんだと思ったんだが、やる気はどうかな?」
社長の歯がきらっと光ったように文見には見えた。
いろいろとまぶしい。一般的には恥ずかしいとされる文句を年下の若手社員に語って聞かせる社長の誠実さと器の大きさを思い知らされる。
社長は自分を高く買ってくれている。あとは私が意志を示すだけ。
「もちろんです! やる気あります!!」
文見は腹の底から大声を出した。
つばが社長の高そうスーツに飛んでしまうが、社長には気にすることなく、
「じゃあ、よろしく頼むよ。あとで企画書送っておくから目通しておいて」
気さくな感じで片手を上げ、椅子から立ち上がった。
「はい! 勉強しておきます!!」
文見は愛とやる気が感じられるよう、精一杯答える。
社長は会議室を出ようとしたところで、振り向いて言う。
「次は何のコスプレするの?」
「はひっ!? あ、いえ……。け、検討中です!」
文見は声が裏返って思いっきり、きょどってしまう。
「じゃあ、うちのゲームのキャラなんてどう? 宣伝になるし、お金も出していい」
「か、考えておきます!」
趣味を上司に知られるのは諸刃の剣だと文見は思った。
さすがに自分が開発しているゲームのキャラになるのは、ちょっと違う気がする。
(それより、コスプレしてるのを社員みんなに見られるとか、マジ無理だから……)
ともかく、恥ずかしいカミングアウトが功を奏した。
文見がただオタクやゲーマーというわけではなく、世界観を深く理解し、楽しんでいることが社長に伝わり、大役をゲットすることができたわけだった。
「なんかいいことあった?」
文見が席に戻ってくるなり、隣席に座る同期の久世京祐(くぜけいすけ)に話しかけられた。
「え?」
「その顔」
「ああ……」
きっと嬉しすぎてアホづらしているだろうから、一回トイレに行って浮かれる気持ちを抑えたつもりだったが、顔に出ていたようだ。
感情が顔に出やすいとは昔からよく言われた。本人は必死に隠そうとするけど、そういうのは隠せないものだ。もしかすると、社長との面談でも、返答する前からなんて答えるかバレていたかもしれない。
「実は……大きな仕事、任されちゃった」
「もしかして新プロジェクト?」
「え? 情報早いね」
「まあな」
久世は大きな目をパチンとウインクしてみせる。
割とサマになっているから、文見はちょっとそれがムカつく。
久世は背が高くて顔も整っていて、イケメンの部類に入る。
でも、ゲーム会社に就職していることもあって、中身はちゃんとオタク。机にはゲームやアニメキャラのグッズでいっぱいだ。
いわゆる、残念なイケメンかもしれない。
チャットコミュニケーションの申し子で、仕事中よく社内チャットツールでいろんな社員とやりとりをしている。そのため、こういうニュースのキャッチが早い。
元来、人なつっこい性格で、面と向かったコミュニケーションもなかなかのもの。楽観的でお調子者で信用されないこともあるが、気軽に話せるやつとして社内外で人気者だ。
かっこよくて人もよい。天は二物を与えるものなのかもしれない。
「私にシナリオやらせてくれるんだって」
「シナリオ!? すごいじゃん! 新プロジェクトってことは、始めから書かせてもらえんの?」
「そう。世界観担当だって」
「うわっ! いいなあ、うらやましい! 俺も大きな仕事やりてえ!」
下積みで共に苦労してきた同期に言われると、自分がどれだけ恵まれているかが分かり、文見は素直に嬉しくなる。
「そんなことないよ。新しいプロジェクトなんて絶対大変だし、シナリオも書いたことないからなあ」
謙遜で言ってみるが、嬉しさはきっと隠せていない。
「小椋は頑張ってたし、みんな期待してるんじゃない? 俺もうまく行くと思ってるぜ」
「そうかな、そうだといいんだけど……」
久世はいつもこうして図ることなく褒めてくるから、照れてしまう。
なかなか人を褒めるのは難しいなって思う。同性だと意味もなく褒め合ってしまうけれど。
「そういう大抜擢があるのは、小さい会社ならではだよな」
「あー、そうかも。大手のゲーム会社だと、シナリオはベテラン社員がやってて、若い人は全然関われないとか聞いたことある」
「シナリオがキャラとか設定とか、ゲーム全体に影響するから大変だというのもあるんだろうけど、そういうの独占したがるよなー」
「ああね……。『自分がこのゲームのお話書きました。なんでも聞いてください』ってインタビューで自慢できるおいしい仕事だから、手放したくないのかなぁ?」
三年目社員がシナリオを書けるのは、業界全体からすると相当ラッキーなことだ。久世の言うとおり、小さい会社だから起きることだろう。
当初、小さいゲーム会社に就職するのにやっぱり不安があった。
ゲーム会社という、夢を追って夢を食べて生きている人が集まるところ。薄給に耐えてやりがいだけで乗り切っているという噂はたくさん聞いた。
そして新興のベンチャーと来た。将来があるとも言えるし、来年にはなくなっている可能性もある。
でも、チャンスを掴んだことで、改めてこの会社に入社してよかったと文見は思った。
「ところでさ、土曜日暇?」
「えっ?」
急に同期の男性に予定を聞かれてびっくりしてしまう。
「ど、土曜日? ええーっと……」
「デートとか入ってるならいいんだけどー」
もったいぶった返事。
ドキドキしてたけど、ちょっとデジャブを感じてむっとしてしまう。
「別にないけど」
「そっかー、そうだよなー! 小椋に限ってデートなんてないよな! 一応、礼儀として聞いてみた」
「なんだよ、それ……。暇だけどさぁ……」
あいにく文見に付き合っている人はいなかった。
高校時代、文見にも彼氏がいたが、大学が違ったので別れてしまった。その後、コスプレにはまってしまったり、入社して忙しかったりで、恋人とはまるで縁がなかった。
久世とはただの同期でただの友達でしかないが、このタイミングで誘われると、密かに好意を持っていたのかと少し勘ぐってしまうではないか。
「佐々里が会社やめるんだって。久しぶりに同期で集まらない?」
「え? 佐々里君?」
やはり自分へのデートのお誘いはなかった。
佐々里裕太(ささりゆうた)。一緒に入社した同期だったが、数ヶ月前にノベルティアイテムをやめていた。
「ちょっ! 待ってよ、転職したばっかじゃん!」
「そうなんだけど、いろいろあったんだってよー」
「ふーん」
同期は小椋文見、久世京祐、佐々里裕太、そして木津観月(きづみつき)の四人。ノベルティアイテム創業以来初の新卒採用で、大切に育てられた。
他の社員はすべて中途採用で少し年が離れていることもあり、四人は公私ともに関わることが多く、とても仲が良かった。
それぞれ好きなゲームや趣味も聞いていて、文見がコスプレをやっていることは同期も知っている。
「暇だし行くよ。観月は?」
「木津も来るって。これで久しぶりに四人揃うな」
「久しぶりと言っても、佐々里君がやめたとき以来だから……三ヶ月前?」
「いいだろー、何回集まったってー」
「それは別にいいんだけど、なんでやめるんだろ。さすがに早すぎない? 有名なゲームをやらせてもらえるとか言ってなかったっけ」
「『ブレイズ&アイス』な。今週もセルラン50位内キープ!」
「すごいじゃん!」
スマホゲームはストアごとにセールスランキング(セルラン)が公表されている。100位内に入っているゲームはかなり売れていて、社会的に認知度が高く、それを開発しているゲームはかなり儲かっていることを指す。
売り上げのほとんどはガチャだという。
好みのキャラを得るためにガチャを引くが、10連ガチャでだいたい2000円から3000円ぐらいかかる。しかし当たるとは限らず、多くのユーザーが繰り返しガチャを引くことになり、1キャラのために10万円近くかけるのも珍しくない。
テレビゲームの相場が6000円から1万円程度で、一人のユーザーが一年に数本購入するといわれている。平均するとテレビゲームの売り上げは、一人あたり一年で数万円だろうか。
スマホゲームは一ヶ月で10万円、テレビゲームは一年で数万円。圧倒的にスマホゲームのほうが儲かる構図になっているのだ。
セールスランキングのトップは、月商数十億だと言われている。
ゲームも映画も製作費が10億を超えると超大作と言われる。だが、トップゲームは一ヶ月でその製作費を上回る売上を上げてしまう。しかも、それが毎月のように続くのだから、儲かって仕方ない。
とあるアニメ監督の作った実写映画は、一ヶ月で興行収入が20億円だったという。テレビゲームのパッケージが1本8000円とすると、20億円売り上げるには25万本販売する必要がある。
比較すればスマホゲームがどれだけ儲かるかが分かるだろう。
ガチャの上に建てられた楼閣は、どんな老舗企業よりも高くそびえる。ガチャの前には、積み上げた歴史など足もとにも及ばないのだ。
ノベルティアイテムも同様にスマホゲームで大きな利益を上げている。歴史の浅い会社が、すぐに利益を上げることができないお荷物の新入社員を採るのは非常にリスクが高い。けれど、四人新人採用しても問題ないぐらい、儲かっている。だからこそ、文見にシナリオを任せる余裕もあるのかもしれない。
「なんか事情があるみたいなんだよ。みんなで聞いてやろうぜ!」
「そりゃね」
仕事をやめると宣言したからには、けっこうな理由と愚痴があるはずだ。
佐々里が関わっている「ブレイズ&アイス」は、プレイしたことない文見もよく知っているゲームだ。知名度のあるゲームを開発できるのは楽しいだろうし、友達にも自慢できる。そしてきっと給料もいいことだろう。どうしてその会社をやめることになったのか非常に気になった。
その言葉は、小椋文見(おぐらふみ)の人生の中で一番嬉しかったかもしれない。
テストで満点を取ったこと、短距離走で一位を取ったことより嬉しい。大学の合格発表を見に行ったとき、企業から内定の電話があったときより嬉しい。高校生のとき、好きな男子から告白された言葉より……たぶん嬉しい。
文見はその言葉を会社の会議室で聞かされた。
相手は自分の務める会社の社長。
社長といっても、従業員が5、60人ほどの小さい会社で、とても若い。
なので出会ったら90度の角度でお辞儀して通り過ぎるまで頭を上げてはならない、といった威圧感を持つ億万長者社長との面談ではない。大学の教授ぐらいの気持ちで、毎日のように顔を合わせ、気さくに会話をしながら仕事をしている。
「あたしがやってもいいんですか!? シナリオなんて書いたことないですよ?」
「やりたくないならいいんだけど、やりたい人はいっぱいいるだろうし」
「やります! やらせてください! やらせていただきます!」
文見は三段活用で即答した。
重要な面談なのに、社長がいたずらっぽいことを言うのはこの会社ならではだ。
そう、ここは普通の会社ではない。
ゲーム会社。スマホゲームやアプリを作るベンチャー企業である。
会社名はノベルティアイテム。
ほとんど歴史のない会社ながら、主力タイトルであるスマホゲー「エンゲージケージ」は絶好調で、会社の顔とも言えるオフィスをオタクの聖地・秋葉原の綺麗な高層ビルに移すことができた。そして、さらに売り上げを伸ばすため、「エンゲージケージ」に続く新作ゲームを作ろうとしていた。
文見はその新作ゲームの世界観や設定を作ってほしいと言われたわけだ。
それはゲーム業界において「シナリオライター」と呼ばれる職種の仕事。
下流ではキャラのセリフやト書きを書き起こしたり、会話イベントのスクリプトを打ったりする。上流はそのキャラ自体を生み出したり、キャラの住まう世界を設定したりする。世界の創造主ポジションで、文見は今まさに神になれといわれている。
文見はまだ入社三年目の若手に過ぎない。これまで下積みで、データやスクリプトを打ったり、ゲームをモニターしてバグ報告したりなど、雑務しかやってなかったから、上流の仕事がやれるとは夢にも思わなかった。
いや、夢にまで見た憧れの仕事である。
「そうか、よかった。若い層に響くゲームにしたくてね。若者文化に造詣が深い君に任せたかったんだ」
「は、はあ……」
文見は頬を赤く染める。
大抜擢された理由に思い当たるものがあったからだ。
先月の人事評価面談で、オタクであることを猛烈アピールしてしまったのである。
ゲーム会社に入社しているのだから、社員はだいたいオタクである。だから、社内でオタトークなんて珍しくないし、恥ずかしくもない。
しかし、文見はちょっと上を行っている。
ゲームやアニメが好きなのはもちろんとして、自作衣装でイベントに参加するコスプレイヤーなのだ。
文見は大学のころ、とあるスマホゲーにのめり込んでしまった。
世界の各地から召喚された美男美女が地球を救うファンタジー作品で、月商何十億と言われるほどのビッグタイトルである。
推しのゲームキャラが好きすぎて、販売されているグッズを買い占めるだけでは飽き足らず、自分で衣装を作り、自分でそのキャラになりきってしまった。
もともと裁縫が上手だったり、美術が好きだったりしたわけではない。ネットで調べながら裁縫を手探りで始めたら、思いのほかはまってしまい、大学生活の大部分を使ってしまった。今ではかなり慣れたもので、時間とお金さえかければ全身フル装備を作れるほどになっている。凝り性だったのは元来のものかもしれない。
また、これまでオシャレとは縁が遠かったが、コスプレから化粧やヘアメイクを学び、キャラに合わせて体作りもしている。
それは実生活にも応用され、女子力上がったね、と古い友達に言われるようになったのはよい効能といえるかもしれない。
はじめは人前に出るのがかなり恥ずかしかった。背は高いほうなので、衣装を着て立っているだけでも見栄えがして、通りかかった人が「すごいね」「かっこいいね」と褒めてくれた。
ちなみに、もっぱら男性キャラのコスプレをしている。自分ではそんなに女っぽくないと思っているからだ。それに可愛くなりたいという思いよりも、自分の好きなキャラになりたいという思いが強いのもある。
慣れてしまえばコスプレするのが快感となっていった。そこにいるのは自分ではなくて、アニメキャラ。まったく別の自分なのだ。もしかすると、役者の人たちもその感覚があまりにも爽快で人前に立っているのかもしれない。
しかし、アニメやゲームのキャラになれたり、みんなに見られて褒められたりする、というコスプレ体験はすごく斬新で嬉しいものだったが、誰にでも話せることではなかった。
そう、一般人には絶対言えない趣味。変に興味を持たれたり、奇異の目で見られたりして、人間関係が激変してしまうはずだ。
エントリーシートや入社面接のお決まりの質問で、「大学のときに取り組んできたこと」というのがある。特定のことに熱意を持って最後までやりきったことが、企業に評価されるのだ。
文見の場合、これは間違いなくコスプレだった。コスプレを通じて、物作りやデザインを学んだり、人と協力して一つのことに取り組んだりしたのは、他では得られない貴重な経験だ。
就職活動で話そうか思ったが、ドン引きされてしまうリスクを考えて、結局話せなかった。日本の会社は奇抜な人より、忠実な人を好むものだ。
文見ももちろんそう思っていた。
オタトークは人事評価面談という申請な場所ではすべきでないとしっかり認識していたが、社長に乗せられてつい、ポロっとカミングアウトしてしまったのだ。
元証券マンでまだぎりぎり三十代の社長は、誠実でありながら愛嬌もあって、なんでも話してしまいそうになる。そして一時間にわたって自分の好きなゲームについて熱く語ってしまった。
世界観のこだわり、キャラの造詣、イベントの作り込み。そして、ゲーム内に広がる世界を現実で表現するために努力しているのかを語ることになる。その世界にある素材がどんなものか解釈して、現代のものに置き換えていく。お金や時間には限りがあるから、再現するのにできるだけ安く、そして簡単に加工できるように工夫していく必要がある。
……などなど。話しているときは楽しくて仕方なかったが、今思い返すと恥ずかしくて死んでしまいそうだ。どう考えても社長に話す内容ではない。
「私ももちろんゲームは好きだが、さすがに若い人のセンスとは違ってくる。売れるゲームを作るには、どうしても若者の意見が必要だ。私は前の面談で確信したんだ。若手で小椋ほど、ゲームに対して情熱を持っている人はいないと」
べた褒めである。
社長が非常に恥ずかしいことを言ってくるので、文見はさらに顔を赤くする。
ようは「君はすばらしいオタクだね」と。普通の会社では、部下をこんな風に褒めることはないだろう。
「でも、あたしなんかがやっていいんですか……?」
社会人歴2年、ゲームクリエイター歴2年、シナリオ未経験。ゼロからゲームのシナリオを作ってほしいと言われて嬉しいが、やはり荷が重いのではないかと思ってしまう。
それに社長が冗談で言っていたけれど、シナリオをやりたいという人はけっこう多い。やっぱりみんな、ゲーム世界の神様になりたいのだ。
「こういうのは経験より、愛とかやる気だよ。私も真面目な証券会社で働いていて、ゲームなんて専門外だったわけだし、こうやって会社を大きくできたのも、それがあったからだ。小椋には、他の人にも勝る熱意も愛があるんだと思ったんだが、やる気はどうかな?」
社長の歯がきらっと光ったように文見には見えた。
いろいろとまぶしい。一般的には恥ずかしいとされる文句を年下の若手社員に語って聞かせる社長の誠実さと器の大きさを思い知らされる。
社長は自分を高く買ってくれている。あとは私が意志を示すだけ。
「もちろんです! やる気あります!!」
文見は腹の底から大声を出した。
つばが社長の高そうスーツに飛んでしまうが、社長には気にすることなく、
「じゃあ、よろしく頼むよ。あとで企画書送っておくから目通しておいて」
気さくな感じで片手を上げ、椅子から立ち上がった。
「はい! 勉強しておきます!!」
文見は愛とやる気が感じられるよう、精一杯答える。
社長は会議室を出ようとしたところで、振り向いて言う。
「次は何のコスプレするの?」
「はひっ!? あ、いえ……。け、検討中です!」
文見は声が裏返って思いっきり、きょどってしまう。
「じゃあ、うちのゲームのキャラなんてどう? 宣伝になるし、お金も出していい」
「か、考えておきます!」
趣味を上司に知られるのは諸刃の剣だと文見は思った。
さすがに自分が開発しているゲームのキャラになるのは、ちょっと違う気がする。
(それより、コスプレしてるのを社員みんなに見られるとか、マジ無理だから……)
ともかく、恥ずかしいカミングアウトが功を奏した。
文見がただオタクやゲーマーというわけではなく、世界観を深く理解し、楽しんでいることが社長に伝わり、大役をゲットすることができたわけだった。
「なんかいいことあった?」
文見が席に戻ってくるなり、隣席に座る同期の久世京祐(くぜけいすけ)に話しかけられた。
「え?」
「その顔」
「ああ……」
きっと嬉しすぎてアホづらしているだろうから、一回トイレに行って浮かれる気持ちを抑えたつもりだったが、顔に出ていたようだ。
感情が顔に出やすいとは昔からよく言われた。本人は必死に隠そうとするけど、そういうのは隠せないものだ。もしかすると、社長との面談でも、返答する前からなんて答えるかバレていたかもしれない。
「実は……大きな仕事、任されちゃった」
「もしかして新プロジェクト?」
「え? 情報早いね」
「まあな」
久世は大きな目をパチンとウインクしてみせる。
割とサマになっているから、文見はちょっとそれがムカつく。
久世は背が高くて顔も整っていて、イケメンの部類に入る。
でも、ゲーム会社に就職していることもあって、中身はちゃんとオタク。机にはゲームやアニメキャラのグッズでいっぱいだ。
いわゆる、残念なイケメンかもしれない。
チャットコミュニケーションの申し子で、仕事中よく社内チャットツールでいろんな社員とやりとりをしている。そのため、こういうニュースのキャッチが早い。
元来、人なつっこい性格で、面と向かったコミュニケーションもなかなかのもの。楽観的でお調子者で信用されないこともあるが、気軽に話せるやつとして社内外で人気者だ。
かっこよくて人もよい。天は二物を与えるものなのかもしれない。
「私にシナリオやらせてくれるんだって」
「シナリオ!? すごいじゃん! 新プロジェクトってことは、始めから書かせてもらえんの?」
「そう。世界観担当だって」
「うわっ! いいなあ、うらやましい! 俺も大きな仕事やりてえ!」
下積みで共に苦労してきた同期に言われると、自分がどれだけ恵まれているかが分かり、文見は素直に嬉しくなる。
「そんなことないよ。新しいプロジェクトなんて絶対大変だし、シナリオも書いたことないからなあ」
謙遜で言ってみるが、嬉しさはきっと隠せていない。
「小椋は頑張ってたし、みんな期待してるんじゃない? 俺もうまく行くと思ってるぜ」
「そうかな、そうだといいんだけど……」
久世はいつもこうして図ることなく褒めてくるから、照れてしまう。
なかなか人を褒めるのは難しいなって思う。同性だと意味もなく褒め合ってしまうけれど。
「そういう大抜擢があるのは、小さい会社ならではだよな」
「あー、そうかも。大手のゲーム会社だと、シナリオはベテラン社員がやってて、若い人は全然関われないとか聞いたことある」
「シナリオがキャラとか設定とか、ゲーム全体に影響するから大変だというのもあるんだろうけど、そういうの独占したがるよなー」
「ああね……。『自分がこのゲームのお話書きました。なんでも聞いてください』ってインタビューで自慢できるおいしい仕事だから、手放したくないのかなぁ?」
三年目社員がシナリオを書けるのは、業界全体からすると相当ラッキーなことだ。久世の言うとおり、小さい会社だから起きることだろう。
当初、小さいゲーム会社に就職するのにやっぱり不安があった。
ゲーム会社という、夢を追って夢を食べて生きている人が集まるところ。薄給に耐えてやりがいだけで乗り切っているという噂はたくさん聞いた。
そして新興のベンチャーと来た。将来があるとも言えるし、来年にはなくなっている可能性もある。
でも、チャンスを掴んだことで、改めてこの会社に入社してよかったと文見は思った。
「ところでさ、土曜日暇?」
「えっ?」
急に同期の男性に予定を聞かれてびっくりしてしまう。
「ど、土曜日? ええーっと……」
「デートとか入ってるならいいんだけどー」
もったいぶった返事。
ドキドキしてたけど、ちょっとデジャブを感じてむっとしてしまう。
「別にないけど」
「そっかー、そうだよなー! 小椋に限ってデートなんてないよな! 一応、礼儀として聞いてみた」
「なんだよ、それ……。暇だけどさぁ……」
あいにく文見に付き合っている人はいなかった。
高校時代、文見にも彼氏がいたが、大学が違ったので別れてしまった。その後、コスプレにはまってしまったり、入社して忙しかったりで、恋人とはまるで縁がなかった。
久世とはただの同期でただの友達でしかないが、このタイミングで誘われると、密かに好意を持っていたのかと少し勘ぐってしまうではないか。
「佐々里が会社やめるんだって。久しぶりに同期で集まらない?」
「え? 佐々里君?」
やはり自分へのデートのお誘いはなかった。
佐々里裕太(ささりゆうた)。一緒に入社した同期だったが、数ヶ月前にノベルティアイテムをやめていた。
「ちょっ! 待ってよ、転職したばっかじゃん!」
「そうなんだけど、いろいろあったんだってよー」
「ふーん」
同期は小椋文見、久世京祐、佐々里裕太、そして木津観月(きづみつき)の四人。ノベルティアイテム創業以来初の新卒採用で、大切に育てられた。
他の社員はすべて中途採用で少し年が離れていることもあり、四人は公私ともに関わることが多く、とても仲が良かった。
それぞれ好きなゲームや趣味も聞いていて、文見がコスプレをやっていることは同期も知っている。
「暇だし行くよ。観月は?」
「木津も来るって。これで久しぶりに四人揃うな」
「久しぶりと言っても、佐々里君がやめたとき以来だから……三ヶ月前?」
「いいだろー、何回集まったってー」
「それは別にいいんだけど、なんでやめるんだろ。さすがに早すぎない? 有名なゲームをやらせてもらえるとか言ってなかったっけ」
「『ブレイズ&アイス』な。今週もセルラン50位内キープ!」
「すごいじゃん!」
スマホゲームはストアごとにセールスランキング(セルラン)が公表されている。100位内に入っているゲームはかなり売れていて、社会的に認知度が高く、それを開発しているゲームはかなり儲かっていることを指す。
売り上げのほとんどはガチャだという。
好みのキャラを得るためにガチャを引くが、10連ガチャでだいたい2000円から3000円ぐらいかかる。しかし当たるとは限らず、多くのユーザーが繰り返しガチャを引くことになり、1キャラのために10万円近くかけるのも珍しくない。
テレビゲームの相場が6000円から1万円程度で、一人のユーザーが一年に数本購入するといわれている。平均するとテレビゲームの売り上げは、一人あたり一年で数万円だろうか。
スマホゲームは一ヶ月で10万円、テレビゲームは一年で数万円。圧倒的にスマホゲームのほうが儲かる構図になっているのだ。
セールスランキングのトップは、月商数十億だと言われている。
ゲームも映画も製作費が10億を超えると超大作と言われる。だが、トップゲームは一ヶ月でその製作費を上回る売上を上げてしまう。しかも、それが毎月のように続くのだから、儲かって仕方ない。
とあるアニメ監督の作った実写映画は、一ヶ月で興行収入が20億円だったという。テレビゲームのパッケージが1本8000円とすると、20億円売り上げるには25万本販売する必要がある。
比較すればスマホゲームがどれだけ儲かるかが分かるだろう。
ガチャの上に建てられた楼閣は、どんな老舗企業よりも高くそびえる。ガチャの前には、積み上げた歴史など足もとにも及ばないのだ。
ノベルティアイテムも同様にスマホゲームで大きな利益を上げている。歴史の浅い会社が、すぐに利益を上げることができないお荷物の新入社員を採るのは非常にリスクが高い。けれど、四人新人採用しても問題ないぐらい、儲かっている。だからこそ、文見にシナリオを任せる余裕もあるのかもしれない。
「なんか事情があるみたいなんだよ。みんなで聞いてやろうぜ!」
「そりゃね」
仕事をやめると宣言したからには、けっこうな理由と愚痴があるはずだ。
佐々里が関わっている「ブレイズ&アイス」は、プレイしたことない文見もよく知っているゲームだ。知名度のあるゲームを開発できるのは楽しいだろうし、友達にも自慢できる。そしてきっと給料もいいことだろう。どうしてその会社をやめることになったのか非常に気になった。
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