年代記『中つ国の四つの宝玉にまつわる物語』

天愚巽五

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第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

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 どぶ板通りからさらに奥に進み、パリスの城壁を出るとその先には防御用に建てられそれが崩れた外壁が存在している。城壁と土を固めただけの城壁の間にはお世辞にも住居と呼べるようなものではないあばら小屋が密集して、貧困層を形成している。
 一年中パリス市民は練兵を行うのであるが、新兵が最初に行うのがこの崩れた外壁のさらに外をただひたすら歩くというものがある。一周で約11ヤセルド(約44キロ)を数周歩き、それが終わると次は完全防備でまた歩く。いたるところが崩れている外壁からはその様子を見ることが出来る。ただし新兵の訓練自体は春先になるため夏から秋にかけてのこの時期、貧困街は夏の暑さの名残と湿っぽさをたたえ黴臭い下水の匂いを漂わせていた。
 貧困街は建物というには粗末すぎるあばら小屋が密集してその向きも一定ではない。中には土を盛っただけの洞穴のようなものすらある。その中で半分天井部分が崩れた漆喰塗の二階建てで数人の男が蠢いていた。

 漆喰のぼろ家のなかには5人の男がいた。どの顔も皆若い。少年といってよい顔をしているが、みなどこか飢えてすべての者を欲するような眼をして一人の男を睨んでいる。ほっそりとした男はフードを頭からかぶっていた。陶器のような白い肌と薄い赤みがかった頭髪、年のころは20代の半ばであろう。自信に満ちた表情と薄ら笑いを浮かべて四人の少年を見下ろしていた。


「今回の上りです…」

 随分大人びた顔をしているが肌艶から少年なのがわかる。少し大きめの顔と胴長な体型、うっすらと髭が生えており人目には大人と見間違える。少年は麻の袋に詰めれた金貨をフードの男に差し出した。少年たちは決して納得している表情はしていない。その金貨の量は彼らが何年かかってもまともな仕事では手にすることは出来ないほどのものだった。
 フードの男は袋を受け取ると、中身を確認しもう一度少年たちに向きなおる。

「ご苦労だったな」
「それで…」
「次のブツはジロンとの取引のあとだ、西の廃村に用意する。お前らは少し大人しくしておけ」
「旦那それじゃ…」

 少年が抗議の声をあげようとすると、男の右手が動いた。容赦なく少年の鼻を殴りつける。もんどりうって倒れると鼻から大量に血を吹き出し始めた。

「毎日ただで飯を食わせてやって、寝る場所も用意してやってるんだこれ以上何を望む?それとも貴様らはパリスにきたら人間扱いしてもらえると思ってたのか?」

 倒れた少年を抱え全員が恨みがましい目を向けたいた。

「いいな?もし下手うって捕まったらノア一家の名前を出すんだぞ。そうすりゃパリスなら命までは取られねぇからな。わかったらさっさと行け」

 拒否することを許さない何かがフードの男から発せられていた。少年たちは重そうに肩を落としボロ屋から退散する。残ったフードの男はもう一度金貨をテーブルの広げ枚数を数え始めた。



 どぶ板通りをいつものようにロマとギョラが連れ立って歩いている。ロマは誰これかまわず因縁をつけ喧嘩を売って歩き恐喝のネタにしていたため、その顔を見ると皆目を伏せ顔を見せないようになっていた。最近ではノア一家の下っ端すらどぶ板通りの周りには姿を見せなくなっている。
 つまらなさそうにロマが道へ痰を吐き出した。

「汚いなぁ」
「つまんねぇな。揉め事起こせって言われても誰も逃げてやがるんじゃ揉めれないじゃねーか」
「親父が顔売りすぎちまったせいですぜ」

 苛立ちを隠すことないロマの前は、昼間だというのに猫一匹いなくなっている、最近では酒場に行っても代金を請求されなくなり、逆に用心棒まがいの願いをされることすら増えてきていた。阿り、顔色を窺い、媚びたような薄ら笑い。それらすべてがロマの苛立ちを増やしていた。マシオの喧嘩以来ますますその拍車がかかっている。
 店先からそそくさと隠れるどぶ板通りの商売人たちの間から見知った顔が、横道から姿をあらわし、ロマとギョラの姿を見つけて片手を上げた。
 ロマとそん色がないほど胸板が厚く頭一つ小さい。目は異様にぎょろぎょろと大きくモミアゲと顎髭がつながったやたらといかつい風貌をした男が、恐ろしいほどの笑顔で近づいてきた。

「よう、相変わらず暇そうだな。もう不景気そうな面しやがって」

 ロマに対しても遠慮がないその男はオイジョ・ナガ一家を仕切るジラであった。

「なんだジラ兄ちゃんか。最近見ねぇと思ったらこんなとこにいたのか」
「うるせぇわ。なんだ本当に暇こいてんのか?」

 ギョラは緊張で少し背筋が伸びている。ロマに親子の盃を交わす前ギョラはこの男に骨の髄まで任侠の男の喧嘩をその身に教えられていた。

「相変わらず湿気た顔してやがんが坊主。ロマ暇か?暇ならちょっと面白い事仕入れてきたんだが手伝うか?」

 ジラの話にロマの顔が急に明るくなるのがわかる。反対にギョラは少し顔色が悪くなり胃のあたりが締め付けられるような感覚に襲われていた。この二人が揃ってギョラからの提案はたいがいにして碌なことがなかった。

「なんだ?なんだ?兄ちゃん面白い事って」

 ロマの食いつきの良さにジラは満足そうな笑顔を見せる。笑った顔は愛嬌があった。二人の横を歩きながらどぶ板通りを目一杯使う。ジラは懐から小さな陶器の器を取り出して二人に見せた。

「こいつの大きな取引があるってのを掴んだんだ」
「なんですそれ?」

 ロマはそれを汚らしいものを見るような眼で睨んでいた。

「親父が探してるやつか。兄ちゃんそれどこで手に入れた?」
「ついさっきな売ってるバカをちょいとばっかり可愛がったらべらべら喋ってくれたわ。本当にこの街のチンピラどもは根性がないねぇ」

 ジラは路地裏で麻脂を売っている浮浪者風の小僧を問い詰めると、三人ほどに囲まれたという。

「全員前歯へし折ってやったら泣いて命乞いしやがってなぁ」
「パリスの市民だったのか?」
「いや。都市の外らしいわ。だたノア一家だっけ?あいつらがハサシンの元締めだってよ」
「それそのジャリどもが話したのか?」
「ああ。そういやロマ。お前ノア一家のエルポだかエルブだかなんだかってやつとやりあったろ」
「エルヴィだな。ノア一家じゃないはずだぞあいつ。半端なチンピラ」
「そうそうエルヴィだ。あいつがハサシンを浮浪児共に売らせとるらしい。わしらよりもアコギな商売しとる」

 三人はそろってどぶ板通りを通り抜け、ダルダ一家の屋敷へと向かう。ジラの話を聞いてロマは口の中に気色の悪いものを感じていた。誤魔化すために何度も唾を飲み込む。
 ロマはエルヴィを知っている。喧嘩自慢だがあまりにも短絡的で挑発に乗りやすく、おまけにその喧嘩も弱い。どうしてもあのエルヴィがハサシンを密売しているのが想像つかないのであった。それに両足を折った上にほどんど歯もなくなるほど叩きのめしたのが雨季の終わりである。流石に身体は治っているであろうが、自尊心をさんざんに傷つけられたような状態のやつが、これほど早くシノギを始めれるのかという疑問もあった。
 しかしロマは自分の疑惑を口に出さなかった。ノア一家が総出で麻脂の密売に手を出していると考えれば不自然なことでもないのである。もしかしたらエルヴィが一家と親子の盃を交わしているかもしれない。前は相手が半端者のチンピラだったこともあり命のやり取りまでする気になれなかったが、流石に一家の抗争となれば話は変わってくる。
  
「その取引ってのはいつなんだ?」

 ジラはロマの言葉にニヤリと笑顔を返した。

「乗るか?」
「乗った」
「今、オニタ一家のやつらに下準備させとる。ハサシンの売り買いにいっちょ噛みするって算段でな」
「大丈夫なのか?」
「どうかな。まぁフナミの親分が仕切っとるけぇ心配ないだろ」

 屋敷への土塀から門をくぐりジラは大きな伸びをした。その後ろ姿がわずかに小さくなったようにロマは感じた。ジラの背中に張り付いた何かを誤魔化し、感じなかったことにしようとロマは道端に痰を吐いた。



 薄暗く冷たい土間に少年が一人膝をつき座らされている。一段高くなった板場には怖い顔をした中年が二人と、奥の椅子に小柄な老人が座り肩肘をついて少年を睨んでいる。
 少年はサルビム人らしいクセのあるブラウンの頭髪をしている。体格が顔のわりにはしっかりとして1ヤルに届きそうであった。顔の左半分には消えない傷がついている。ロマに殴られたときに下顎が割れたためである。
 少年の名はエルヴィ。あの染物職人ヴィスの兄であった。エルヴィを見下ろしている二人の男はノア一家の仕切りである。背が高く痩身で冷たい目をした黒髪の男がイルノで、逆に小太りでブラウンの髪を後ろに流し、下膨れた顎と顔色が悪く目の周りのクマが酷い男がゴモトであった。置くの椅子に座る老人、それがノア一家の家長ガーシ・ノアその人だった
 ガーシは随分とやつれて見えた。一家を支えていたロヒンが殺されてから覇気がない。ロヒンに比べれば目の前の二人は三下にもならないほど能力が劣っている。ノブルが殺されてから急激にノア一家の求心力は失われていた。

 エルヴィの目の間にゴモトが陶器の器を投げてよこした。口が開いているため中身が土の上にこぼれる。緑色の粘土のようなものが土間に広がった。

「エルヴィ?どういうことだ?こりゃ」

 いかつい顔のわりに甲高い声をゴモトが発した。威厳を出そうとしているのだが、そのことが逆に小物感を際立たせてしまっている。

「旦那、何度も言ってますがおいらハサシンなんか手を出してないです。だいたい…」
「言い訳か?てめぇみてぇなジャリがわしらに言い訳か?いい身分になったな」
「でも…本当に知らねぇんだ」

 イルノがエルヴィの髪を鷲掴みにして顔を起こす。陥没して変形した頬、常に涙が出ている目もロマにやられた後遺症であった。

「泣いてんのか?てめぇが郊外の浮浪児使って売りさばいてんのは全員知ってんだよ。どう落とし前つけるんだ?」

 イルノとゴモトの様子にガーシが深くため息を吐いた。老人は立ち上がると二人の間に立った。

「エルヴィ、お前さん本当に知らないのか?お前意外の全員がお前にそそのかされて麻脂売ったって証言してるんだよ。白切れねぇのはお前さんだってわかってんだろ?」

 ガーシは諭すように語り掛ける。老人にはどうしてもこの若者が一家はもちろんパリスの宗法を犯してまで禁忌に手を出したとは信じられなかった。

「おやっさん、俺…」
「言い訳はいいんだ。俺たちはなんでこんなもんに手を出したかを知りたいんだ。ハサシンはパリスの宗法にも触れちまう。わし一人の首だけで済んだらまだましなんだよ。ノア一家全員が市場の入り口に生首晒されちまっても文句は言えねぇ。それにわしらを信じてくれたマッシュハガ家とパリスの市民にも顔向けできなねぇじゃないか。わかるだろエルヴィ」

 野太くしわがれた声には思いのほか力がこもっている、それでもエルヴィはわからないと首を横に振っていた。

「埒があかないな。おい!イルノ、ゴモト。お前さんらもう一度調べを付けてきな。今度は多少手荒くしてもかまわねぇ。そのガキどもしょっぴいて本当のとこ吐かせるんだ。ノア一家の名前騙って麻脂何ぞに手を出したらどうなるか思い知らせてやらねぇとな」

 ゴモトは不満そうな顔を見せる。

「親父、目の前にいるじゃねぇですか。そのガキ搾り上げりゃいいだけだ」

 ガーシがゴモトの目の間に立ち思いきり頬を張り倒す。甲高い音が部屋に響きゴモトが驚きの顔を向ける。

「相変わらずおめぇは頭が回んないな。これがあのローハンものの策だったらどうするんだ?一家に糞ぶちまけられた上に正義の味方面されたあげく、パリスの仕切りを全部持っていかることになる。それくらい足らない頭でもわかるだろうがボケ!」

 ガーシは一面正しくこの状況を把握していた。ノア一家が汚名の中に沈めば誰が一番得をするのか。それを考えればおのずと答えは出てくる。エルヴィに益があるとすれば単純に金だが金が理由でハサシンに手を出すようならそもそもノア一家の呼び出しに応じず、さっさと逃げ出していたであろう。ガーシの価値観からすれば、盃も交わしていない小僧の行動とはそうなるのであった。
 ゴモトはガーシの怒りの表情に卑屈な笑いを浮かべてそそくさと退散した。イルノは汚いものでも見るようにエルヴィを睨む。

「お前みたいな半端者が下手にこの世界にあこがれたりするからこんなことになるんだよ。俺たちだっていい迷惑だ。弟みたいにさっさと堅気になりゃこんな目に合わずに済んだのにな。大けがさせられて死ぬまで消えねぇ傷おわされて、挙句に人に尻ぬぐいしてもらっていい身分じゃねぇか」

 恐ろしく自己評価の高さから他人を見下しバカにすることに、何一つ迷いがない言葉であった。自分の言葉でどれだけ他人の心が傷つこうと全く動じることがない。それがイルノという男の本質である。

「はよういけ!」

 イルノはガーシの苛立つ声に背を向ける。その顔には小馬鹿にしたような笑みを浮かべていたが、ガーシは気づかなかった。芝居がかった仕草で土間から屋敷の外へイルノは姿を消した。残された少年にガーシは何も告げず部屋を後にする。その後ろ姿はいつにもまして小さくなっているようであった。



 パーリウィス神殿をすぐ見上げるパリス宗家の屋敷で、宗主テリデス・セリウィスは昨日の酒のせいで少し重たい身体と頭を持て余していた。もうすぐ冬ごもりの祭りがおこなわれる。そのための準備を月番都市代のアケドナ家の当主を呼んでいる。
 この時代のアケドナ家当主はレイヴン・アケドナであった。痩身でいつも眉間に皺を寄せた初老の男で、ブラウンの髪が斑に白髪が混じり始めていた。髭も立派で意志の強そうな口元と顔の割には背が低い。レイブンはモウラ・アケドナの大叔父にあたる。三人の息子は皆成人し兵士としての勤めを果たしていた。月番で都市代、城内警護番と門番、城外の治安維持と訓練が当番として四家には課せられている。どこか一つの家は非番にあたり五詰めとして控えるのであった。 
 この仕事の中で一番利益が多いのが城内警護と門番である。それは市の差配を任されるからである。城門を通行するときにパリスに納める通行税と、朝市へ出店するために四家に納める租税を任される。それは同時に担当する家の収入になっているのであった。もちろん四家はそれぞれの家業も持ってたし、城外には土地所有も許されている。
 都市代はこの仕事の中で一番実入りが少ない。しかし年に数回行われる祭りを滞りなく終わらせればそれだけで名誉なことでもあった。

 テリデスはレイヴンだけを呼んでいる。この年の冬ごもりの祭りは、いつも以上に滞りなく準備が進んでいるためであり、レイブンと打ち合わせするだけで事足りるからであった。レイブンが登城するまでまだしばらく時間がありテリデスは沐浴でもして気分を晴らそうかと考えていた。
 傍らには若くもない側室が控えている。マルシア・コルピンはテリデスのガウンを持っていた。

「今日は暑くなりそうでございますね」
「うむ。レイヴンはまだだな」
「いえ。もう来られておられるそうですが、早く御登城しすぎたとおっしゃられて神殿のほうまでいかれましたよ」

 テリデスは渋い顔をマルシアへ向ける。10歳ほども歳は離れているが、正妻にはないたおやかさがマルシアにはあった。
 正妻のジュザンナ・マッシュハガはもう3日も屋敷に来ていない。男系氏族を柱とするスタルメキア・サルビム人社会では妻であっても実家から呼ばれれば戻るのが普通なのである。墓にも一緒に入ることもなく氏名を変えることもない。婚姻はあくまでも男系をつなぐためのものであり。女性は結婚しても男系氏族から抜けることはなかった。相続に対する徹底した取り決めが男女間と家系に存在しているからである。極論女性は男子を産むことでしか存在価値を生み出せなかったのであった。氏族の男子につくし、結婚すれば嫁ぎ先の男子に尽くす。長男を産んでようやく発言権が生まれる。女性にとっては息苦しい時代といえた。ただし不幸であったのか、不平等であったのかと問われると、一概には断言できない。
 

「朝食でもご一緒にされたらいかがです?」
「レイヴンとか?あの堅物が誘いにのるかな」

 マルシアは笑顔を返した。そのまま部屋を後にする。改めてレイヴンを呼ぶためであった。一人残されたテリデスは背もたれに寄り掛かった。
 表情にも態度にも出さなかったが、テリデスはこのところ疲労が抜けず体の重さを常に感じている。腰を落ち着かせるたりすると、自然に深呼吸をしていた。この数年来体の衰えを感じることが増えてもいる。若いころのように無理が利かず様々のことに気を使わないといけなくなっているという実感がテリデスにはあった。
 改めて深く腰掛け、少し顎を上げる。大きく息を吸い込み目を閉じる。テリデスはどういうわけか急激に眠気に襲われていた。レイヴンが部屋に来ればマルシアが起こしてくれるであろう。倦怠感の中テリデスは静かに意識が沈んでいく感覚を持った。

 マルシアの後ろに細身で背が低く、癖の強い白髪の男がついている。穏やかそうな外見ではあったが目元が笑っていない。あまりに早く屋敷へと来てしまったのは歳のためか早くに目覚めてしまう事も理由であった。

「よろしいので?」
「ええ。宗主様も今日は随分と早く起きておられますから。朝議の前にお会いするそうですよ。お気になさらなくてよろしいのですよ」

 マルシアが先に歩き。朝議の間ではなく宗主が控える次の間の扉に手をかける。木製の扉はすこし軋み音を立てて開いた。テリデスが椅子に深く腰掛け目を閉じている。

「あら。どうしたのかしら?宗主」

 小さいがテリデスは少し鼾をかいていた。二人がテリデスに近づいていく。

「宗主、宗主。アケドナ様が来られましたよ…」

 マルシアの問いかけにテリデスは答えない。レイブンがテリデスの顔を見つめると、すっと顔色が変わった。テリデスの様子がおかしいことに気づいたのである。

「奥様…これは」
「どうしたの?宗…」

 マルシアがテリデスに手を掛けようとしたときレイブンが鋭く止めた。

「なりませぬ。奥様すぐ医者を!ロゴラス殿を」
「へ…?何故?」
「マルシア様触ってはなりませぬ。風病やもしれませぬ」

 そう告げるとレイヴンはすぐに部屋の外へ顔を出し、大声で人を呼んだ。

「誰か!誰かおらぬか!」

 わずかに動揺した声色がレイヴンの声に混じっている。何事かとすぐに数人の家人が廊下に姿をあらわす。いち早く部屋の前まで来たのはメルシゴナ家の遠縁でベッカー家のペイジという少女であった。色白で腰まである長い栗毛を束ねている少し高身長の愛らしい顔をした家人の彼女がレイヴンの前に進みでて会釈をする。

「お主はベッカー家の娘だったな。すぐにロゴラス主治医殿を呼んできておくれ。そしてメルシゴナとコルピン、そしてマッシュハガの当主殿と神官様を呼ぶんだ」

 レイブンの声には焦りの色はない。迅速にかつ的確に状況を伝える。声に強いものを感じ取ったペイジは大きく頷くとすぐに走り出した。屋敷入口の広間にでると底にいる男の家人を捕まえた。少し息を切らせながら伝える。

「すぐに、四家の当主様をお呼び出しいて、アケドナ様からのご指示。あと神官様もお願い。私は主治医様をよんでくるから」

 捕まえられた三人はただ事ではないと察し、すぐに屋敷の外へと飛び出した。ペイジは大きく息を吸うともう一度顔を上げる。三人の男が走り出るのと入れ替えに少し恰幅の良くなった貴婦人が屋敷へと向かってくるのが見えた。
 若く見える肌艶をしているが、歳の頃は40を幾分かでているであろう。切れ長の瞳と少し面長な顔、肉付きの良い身体はなまめかしくもあった。髪はサルビム人らしい栗色をして束ねあげている。一人の家人を従えて坂を上ってきたのはジュザンナ・マッシュハガであった。
 すれ違うペイジをジュザンナは呼び止めた。

「どうしたのじゃ?そんなに慌てて」

 ペイジは水気の無くなった喉に生唾を流し込む。顔は紅くなっていた。

「よくわかりません。ただロゴラス様を呼んでくるように言われて…」

 ペイジの答えに少し険しい顔になりジュザンナは屋敷へ早足で向かって行った。その後ろ姿をしばらく見つめていたがすぐに踵を返すと屋敷の外へと向かってペイジは走り始めた。



 ジュザンナは早足ではあったが焦った様子もなく宗家の屋敷の奥へと進んでいった。屋敷の中は慌ただしく人が行き来し、ジュザンナの姿を見てもわずかに会釈するだけで誰もがすぐに走りだしている。挨拶もそこそこにジュザンナの前を通り過ぎていくのであった。
 慌ただしさがジュザンナの足を速めた。奥の間の扉の前にたち大きく息を吸う。勢いよく扉を開いた。マルシアとレイブンが扉のほうに顔を向ける。

「奥様!」
「マルシア。何があったの?」
「宗主様…テリデス様が…」

 マルシアの動揺していた。レイブンは的確に指示を出していていたが、マルシアにはこの場を納める機転が回らなかった。勢いよく入ってきたジュザンナの顔を不安と動揺を隠せない言いようのない顔で振り向く。ジュザンナはすぐにレイブンに問いかけた。

「アケドナ卿。何がありましたの!?」

 レイブンは表情を消した。務めて冷静さを保ち接する。

「宗主が倒れられました、今、ロゴラス殿と四家の皆を呼びにやっております。ジュザンナ様」

 ジュザンナは目を細めた。椅子に座り目を閉じているテリデスの前に立つ。

「アケドナ卿。妾に伝える必要はなかったのですか?」

 レイブンは応じない。今だテリデスは死んだわけではなく正妻とは言えジュザンナにセリウィス家に対する発言権が無いのである。そんなことは常識でありジュザンナの言わんとしていることは曖昧さと共に多少の危険をはらんでいる。誰が宗家を継ぐかなどという事を今この場で話すことではなかった。それをジュザンナはレイブンに向かって暗に示し、それとなく圧を掛けたのである。
 レイブンはジュザンナの危うい問いかけを無視した。それはお互いのためでもあった。

「みな時期に参りましょう。ことがことですのでな。すぐにご子息も呼ばねばなりますまい」

 ジュザンナは形を整えた眉を片方だけ挙げる。これは彼女の癖で思い通りに行かぬ時にでるものであった。レイブンの意図を汲んだのかどうかもわからなかったが、この万事に隙の無い男をジュザンナは睨んだ。

「わかりました。アケドナ卿。だたし妾は正妻の身、セリウィス家の奥のことは万事まかせていただきます」

 力強く宣言するジュザンナをレイブンは少し困ったような顔をしてみていたが、表情を読まれないようにマルシアのほうへ振り向く。ジュザンナと比べるとこの背の低い側室はあまりにも覇気がなかった。
 少し顔色が悪くなっているマルシアを促しレイブンは部屋を出ようとする。次期に四家の当主とパミルタスも屋敷へと来るであろう。それまでにこの場をどう差配するかを考えなくてならなかった。マルシアの腕をとるレイブンの背中に女の声がかかった。

「アケドナ家の忠誠を期待しておりますよ」

 声は切実なものがこもっているようでもあった。しかしそれがマッシュハガの本心であると信じるほどレイブンはお人よしではない。小さく頷くと気分のすぐれないマルシアに付き従った。
 
 
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