年代記『中つ国の四つの宝玉にまつわる物語』

天愚巽五

文字の大きさ
61 / 66
第二夜

年代記『五公国記 盆地の王と獅子の歌姫』

しおりを挟む
 冷たい地下牢にタイロンは一人置かれている。一緒に入っていたメルシゴナ家の男たちは先だって何処かへと連れ去られタイロン一人が残されていた。冷たい牢獄は若いタイロンにもこたえる。粗末な筵しかなくそれだけでは体の冷えを抑えることは出来ない。食事も一日一回白湯のような粥が与えられるだけであった。
 そのような状況であってもこの少年の心は折れていない。しかし情報を入れる手段が無かったため何もすることが出来ないことが歯痒さを生んでいた。
 薄暗い地下牢の冷たい岩肌を足を組んだまま睨んでいる。牢番たちが声をかけることはない。メルシゴナの男たちや同年代の少年がいたときはマッシュハガ兵たちがあれやこれやと罵詈雑言を吐きかけていたが、タイロン一人になるとそれもなくなっていた。全員を連れて行くとマッシュハガ兵たちは地下牢に来ることもなくなり、日番の牢番が一人いるだけである。

 地下牢の階段を降りてくる音がタイロンの耳に聞こえてくる。一人ではなく数人の足音で木材の軋む音が連続して聞こえてきていた。タイロンは振り返り入口の方へ顔を向ける。
 四人の少年。もはや少年と言っていい格好ではなくなっていた彼らは薄笑いを浮かべている。一番前にいるのはいつものようにバルツ・ナージであった。

「よう手無し生きてたか」

 タイロンは表情を変えない。一番後ろに控えていたバータ・マッシュハガは幾分か顔色が優れなかったがどこかいつもと雰囲気が変わっていた。
 バータがバルツを押しのけて前に出る。右手にはタイロンがシエラ・コルピンに贈った歌集が握られている。

「手無し、こいつをコルピン家の小娘にやったそうだな?」

 タイロンはバータの瞳から視線を切らなかった。バータの目の奥は何かに怯えている。それを隠し誤魔化すかのように弱者に対している。バルツが促しバータは牢の中に入ってくる。タイロンの目のまで歌集をパラパラとめくる。全て絹と刺繍で作られた手の込んだ歌集をバータは眺めていた。バータはローハン周辺のスタルメキア語を半分くらいしか理解できない。歌集の歌はローハンの言葉で紡がれている。

「お前これ読めるのか?」

 タイロンは問いかけを無視した。バータが自分の取り巻き以外興味がないかの証明であった。タイロンはローハン周辺言語だけでなくサウル盆地中部の言語、さらには読むだけであれば青の文字や黄の文字すら理解することが出来る特異な能力を持っている。

「お前みたいな 奴隷・・がこんなもん読めるわけないか。そうだな?」

 タイロンの表情がわずかに変わる。バータの言った意味が一瞬理解できなかった。バルツがしゃがみ顔を覗き込んできた。

「お前は奴隷身分に…いや最初からだな。ザウストラと売国奴のメルシゴナが宗家を誤魔化してお前を開放奴隷とかぬかしてやがったんだよ。ずっと奴隷のままパリス市民扱いしてたんだそうだ。まったくあいつらのやることはパリスの政道を歪めまくりやがって」

 生臭い息をタイロンの顔に吐きかけながらバルツの加虐的な性質があらわになっている。バルツはタイロンを地面に押さえつけた。

「よく聞け奴隷! メルシゴナ家の男たちは全員反逆者として死刑が言い渡された。お前は奴隷身分から解放されていなくてよかったな。マッシュハガ家が差配する市奴隷として今後は生きていくことになる。すぐに外に出てるメルシゴナと戦がはじまる。お前には関係ない話だな。メルシゴナやつらの首が街道沿いに並ぶのを楽しみしとけ!」

 バルツの罵声を背中で受ける。流石にタイロンにも受け入れがたい内容を加減もなく吐き捨てている。石の床に頭を押さえつけられたまま後頭部を踏まれた。

「手無しの奴隷。読めもしないものを市民に渡すとは言語道断だ。貴様のやったことは万死に値する」

 絹を引き裂く音がタイロンの頭上で聞こえる。バラバラと引き裂かれた歌集が頭の上に落ちくるのがわかった。床に散らばった歌集をバータは踏みつけた。

「良い事を教えてやろう手無しの奴隷。お前のような使い道のない奴隷だがマッシュハガ家付になった。本来ならこの場で首をはねてやってもいいんだがな。わが父ヴリンがモサ鉱山の鉱山奴隷として使えとおおせだ。その価値のない命をマッシュハガのためにつくせ」

 バルツがタイロンの頭に唾を吐きかける。取り巻きの三人が各々タイロンの背中を踏みつける。 

「貴様の親父の首も街道に並ぶぞ。母親はお前を捨てて実家に帰った。そして大好きなねぇちゃんは奴隷身分でマッシュハガ家の付け奴隷だ。嬉しいだろ泣いて喜べこの豚が! そうだ。コルピン家のボケだが宗主様に盾突いて兵役に行くことになったぞ。生きてパリスに帰ってくることはないだろうな」

 バルツの唾がタイロンの頭に降りかかってくる。声を張り上げたためかバルツの息が上がる。バータは表紙だけになった歌集をタイロンの頭にめがけ投げつけた。バータは芝居がかった声を作った。

「コルピンのボケの妹。あれは俺がもらってやる。ありがたく思え。お前は死ぬまでモサ鉱山でマッシュハガとパリスのためにつくすんだ」

 バータの宣言に取り巻き共が作ったような笑い声をだす。タイロンの細い身体は怒りと悔しさに耐えて震えた。バータたちはその姿に満足したのかバカ笑いをしながら牢を出て行く。
 タイロンは顔を上げない。全てを失った少年は冷たい床に顔を突っ伏したまま声もなく哭いた。



 夜の闇が牢を底冷えさせていた。岩肌が剥き出しになっている床はタイロンの身体を容赦なく責め立てているように体温を奪っている。マッシュハガ兵の見張りが一人椅子に座ったまま船をこいでいた。
 タイロンはすでに時間の感覚が無くなっている。見張りも常にいるわけではない。牢は一つではないため巡回しているのであろう。見張りの兵が見えるところで椅子に座っているところを見ると、まだ就寝の時間にはなっていないことだけはわかった。

 冷気が孤独と絶望を膨らませている。昼間にバータから受けた仕打ちが頭の中で回り怒りと屈辱がタイロンの身体の周りにまとわりついていた。
 切り裂かれ散らばった歌集はそのままで土に汚れてしまっていた。どれだけ文字が読めたとしてもこれからのタイロンには必要が無くなった。そんなことをパリスは求めもしないであろう。パリスは都市奴隷しか認められない。すべては宗主の所有物でありそれを借り受けるという形になる。バータの話が本当であればモサ銅山の労役に貸し出されることになるが、本当のところはどうなるかはわからなかった。貸し出された先が所有者となり、その人物次第で待遇は大きくことなってくることになるであろう。

 タイロンは大きく息を吐き出した。散らばった絹の刺繍をようやく集める気になった。刺繍を一か所に集めようと手を伸ばす。一枚一枚集め表紙に挟んでいく。汚れを落とし順番を確認する。どうにか読める状態にしようと目を通しながら文章を読む。改めて読んでいくと、一枚の刺繍に奇妙な厚みがある。指先に違和感があり絹を摘まんで擦ってみるとその一枚だけが二重になっていた。丁寧に四方を縫われているが、取れないことはなさそうだった。タイロンがその一枚を左右に開こうとする。その刹那牢の空気が一気に冷えてくる。 

 異常であった。タイロンは刺繍を持つ手を離す。岩肌の露が氷そうなほどの気温の変化がタイロンを包んでいる。鳥肌が立ち身震いした。目線の先にいる見張りのマッシュハガ兵が椅子にもたれかかったまま音を立てて崩れ落ち、聞こえるほどの寝息を立て始めた。
 タイロンは警戒し、入り口の階段をジッと睨んだ。

 ヒタヒタと露が落ちる音。そこに音もなく小さな人影が現れる。少女のように見える人影、手には青石が取り付けられた杖が握られていた。青石は鮮やかに輝いていたが、少女が地下牢へ降りる頃には深い藍色に変化している。同時にタイロンの周りの冷気が晴れて行く。
 牢にはタイロンの他にも幾人か入れられていたはずであったが、全員反応が無くなっていた。少女はゆっくりと歩きタイロンの入る牢の目の前で止まった。
 この世のものとは思えないような違和感。見た目は完全な少女である。しかし確実に彼女はそこにいた。タイロンを少し離れた位置から見つめている。

 悲し気だが、はっきりと慕情がそこにはあった。同情などではない感情が女の瞳から見て取れる。不思議な感覚になりタイロンは女から目が離せなかった。唐突に女が口を開く。

「メルシゴナ氏族、タイロン・メルシゴナ様でございますね?」

 少女の声は顔に似合わず少し低い。体の線がわかるほっそりとしたワンピースの胸にはシルバファーンの紋章がある。ファルカオンの音の学園。タイロンにもそれはすぐに分かった。テリデス・セリウィスの相談役というか話相手のような青の石の歌い手が長らくパリスに逗留していることをタイロンは思い出した。

「テリセス宗主の…」

 青の歌い手ビョークは笑顔を見せた。冷たい牢獄のなかでその顔だけがタイロンの荒んだ心を一瞬和ませる。

 ビョークは座込むタイロンをジッと見つめていた。少年から発せられる王器がビョークの気を飲み込むほどの強さを持っている。それも青の石の導きを受けた王器であった。粗削りだが大きさも底も感じられないほどの王器。ほの暗く冷たい牢獄でビョークはうっすらと熱を帯びたように背中に汗を流している。
 離れてみたときよりもはるかにその王器を感じる。西に向かえという神託は確かにあった。パーリウィスの導きでありパリスの都市に骨を埋め。パーリウィスに使えよと解釈した神託はこのような形で目の前に現れ。ビョークの使命を指し示している。
 
 この王を…目の前にいるこの少年に命を捧げ支え仕えよ。
 目の間にするとパーリウィスがはっきりとビョークにその使命を告げているのが理解できた。

(星だ…星の導き。私は私の星を見つけた…)

 ビョークは泣いていた。パーリウィスに感謝をしていた。星を見出すことはほとんどの歌い手たちは出来ない。それが自分には生涯をかけることが出来る星が目の間にいる。
 ビョークは溢れ出すものをぬぐい。突然タイロンの前に膝をつき掌を上にした格好で頭を下げる。石床に額をつけ顔を見ないようにした。それは王に対する平伏の作法であった。

 突然のビョークの行動に流石のタイロンも戸惑う。

「我が導きの星…我が主…我が王。お耳汚しとはございますが妾の名はサンサガのビョークと申します」

 静かな、それでいて力強く冷たいビョークの名乗り。それを受けられる者はローハンにもサウル盆地にも最早はいない。強いて言えばローハンの玉座に座る者だけであろう。それが冷たい牢獄の石床に座らされた少年に向かっていうのである。

「ちょっ…ちょっと待ってくれ。何の真似ですか」

 ビョークは顔を上げない。上げることはない。

「あなたは私の王、私の主なのです。これは運命。運命に抗い逆らうことは歌い手にはできません」
「いや…わかった。わかりましたから。ビョークさんでしたっけ? 顔を上げてください。かまいませんからその恰好やめてください」

 ビョークは顔を上げる。涙は止まっていたが、瞼がうっすらと赤くなっていた。どう見ても十代中ごろぐらいにしか見えないがファルカオンの学園を出て歌い手として生きているということはタイロンよりも歳上になる。そのことがタイロンを恐縮させる。

「我が…」
「それも。そんな呼ばれ方するとこっちのほうが気にしちまいますよ。タイロンでいいですから」
「タイロン様、タイロン様、パリスはメルシゴナ家を反逆者としました。この街にあなた様のいる場所はもはやありません。私が手引きをいたします。どうかパリスを抜けだし私と共にローハンへ赴きましょう」

 ビョークは訥々と事実だけを伝えた。
 パリスにいてもタイロンの身は雁字搦めにされてしまうだけであろう。そしてあの凄惨な処刑劇を目の前で見たビョークは、このままパリスはマッシュハガの想う通りの政治が行われ依怙贔屓と理不尽がまかり通ることが目に見えていた。テリデスがいたビョークの愛したパリスは死んだも同然だったのである。だがビョークはその暗闇の中に生きる指針を見出してしまった。そして行動したのであった。
 ビョークの言葉にタイロンは天井を見上げ、何かを耐えるように大きく息を吸い込んだ。

「あいつらの言ったことは本当だったのですね」

 ビョークはタイロンの悲しみを感じ取る。

「はい間違いありません。パリス新宗主カシアスはメルシゴナ家の男子を全員死刑にと宣言されました。今パリスはメルシゴナ反乱の鎮圧に準備を整えております。緑の月の兵役当番であったこともありメルシゴナの兵は外にいますが、氏族の方々に罪は問わぬと触れがでています。氏族はメルシゴナ家との縁戚を捨て切りっています。明後日にはコルピン家を先陣に討伐軍が出陣されることでしょう」

 タイロンは驚かない。彼の脳裏に浮かんだ不安は別にあった。

「メルシゴナの女と子供たちはどうなったのでしょう?」

 ビョークの顔が暗く沈む。途端に伝えずらそうになった。

「縁戚を切り実家に戻る者は罪に問われませんが、メルシゴナの娘、十歳以下の男子は奴隷とされました。これは決定事項ですでに対象となる方々はパリス下層に移されております。人数が多いので都市奴隷だけでなくローハンに売られる者と分けられているのでしょう」

 タイロンの表情がこの時ばかりは変わっていた。ケイラ、姉のケイラが奴隷に落とされるなどあってはならなかった。感情的になり手に持った歌集を床にたたきつけてしまう。
 歌集は地面に散らばり美しい刺繍が広がる。数枚がビョークの足元まで届いた。その文字をビョークは目で追う。格子の隙間から手を入れその切れ端を手に取った。

「これは…」
「僕の叔父が送ってきたものだ。もうこんなもの何の価値もないのに…」

 ビョークはその一枚を左手をかざす。文字を見つめていたが、不意に口の中で小さく節を刻んだ。一部の文字が青く浮かび上がり、縫い付けられていた部分に極小の文字が浮かび上がってくる。その文字が空中に浮かび上がったあとゆっくりと回り始めた。
 文字は絹の上で円を作りやがて勢いよく弾けると空中で消える。ビョークはその絹を左右に広げた。青の文字で封印された糸は簡単に千切れて二つに割かれる。中からもい一枚羊皮紙が出てくる。

『親愛なる手無しのタイロンと我が兄弟へ』

 羊皮紙にはそう書かれていた。ビョークはタイロンにトラーガルからの手紙を差し出した。

「歌の封印がなされておりました。タイロン様への言付けが入っています」

 目の前で青石の技を見せられ、タイロンは動揺していた。恐る恐る羊皮紙を受け取る。折りたたまれた羊皮紙を開き中に目を通していく。
 文字を読むタイロンの顔が怒りの色を帯びていき、そして段々と青くなっていった。何が綴られているかはビョークにはわからない。しかし少年のやるせなさのようなものは伝わってきていた。

 全てを読み終えた少年の顔には表情が消えていた。何かを悟ったかのように座込むとわずかに思案し始める。ビョークは黙りこくったタイロンを見守った。
 決断をしたのは突然だった。タイロンは改めてビョークの瞳を見ると、頭を下げた。

「あなたにしか頼めないようです。どうか僕の願いを聞き届けてもらえますか?」

 ビョークはかしこまり、しかしはっきりと拒否した。

「タイロン様は私に頼みなどしなくてよいのです。ただ命令すればそれでいいのです」
「そうですか。ですが僕は頼みたいのですよビョークさん。だからお願いします。僕…私には二人の義兄弟がいます。今パリスにいる人間で信用できるのはこの二人だけです。彼らに私の義理の姉ケイラ・メルシゴナのことをお願いしたいと思います。今私の叔父トラーガルはどうやらコルネス家というところに厄介になっているみたいなので、そちらに姉を連れて行ってもらえないでしょうか? コルネス家というお家がどのような方々かはわかりませんがローハンにいるようです」

 ビョークは意外な名前を聞き目を見開く。都市国家スパキオの宗家コルネス。ローハンに住むサルビム人宗族の中でもかなり大きな宗族の名が出てきたことに彼女は戸惑いを覚えた。

「コルネス家…そうですかわかりました。私はあなた様のタイロン様の元を離れなければならないのですね…」
「お願いします。私の身より姉の身を。そしても一つこの手紙をどうにか従兄弟のオグナルに渡してもらえないでしょうか? こちらはおそらく難しいと思います。戦になればオグナル従兄さんもどうなるかわからない。渡せないのであればカズンズ・コルピンとユーラ・アボットの二人に隠し持っていていて欲しいと伝えてください」

 ビョークは離れがたさを覚えていた。タイロンからの命を受けたこととはいえ。主の身を気遣えぬことを心の底より悲しみそれが顔に浮かび上がっている。

「私は死ねなくなりました。きっと大丈夫。ビョークさんが私に運命を見出したのであれば、私の運命はまだ続くってことですよ」

 ようやくタイロンにも生気が戻ってきていた。手紙に書かれていた内容は彼に希望のようなものを与えたのであろう。ビョークはそれを知ろうとは思わない。そんな考えも浮かばない。時が来れば自ずと知れることであった。

「カズンズとユーラに任せると告げてください。だたこの手紙は読まないこと。オグナル従兄の手元にあれば意味を持つかもしれないけど、従兄さんがどういう使うかわからないから。ビョークさん実はあまり時間がないかもしれない。戦はすぐにでも始まる。私のことは心配せず義兄弟に言付けてください」

 タイロンの瞳を見つめる。少年の決意が固まったのをビョークは感じ取っていた。小さく祈りの言葉を唱える。それは青の力を持ったものではなく。パーリウィスに勝利を祈る言葉であった。




 陽が高くなっていた。何処から入ってきたかもわからない少女のような歌い手はカズンズ・コルピンとユーラ・アボットの前で自ら仕えることを決めたタイロンの言付けを伝えていた。兵が歩く音はもう聞こえていない。地下牢でタイロンに頼まれた話を二人に告げると、羊皮紙を手渡した。

「なにが書かれていたのかはわかりません。ただオグナル様に渡してほしいと言われました。しかし今の状況でメルシゴナの野営地までいくことは不可能。お二人にお預けします。私はタイロン様の命。いや約束を守るためにお二人に力をお借りしたいと思ってまいりました」

 カズンズは丸くなった頭部を摩る。形の良い頭は毛が短くジョリジョリと音がしていた。

「ケイラさんのことですか…しかし俺らも今動くことはできなくなっちまってて」

 ユーラが腕を組み背筋を伸ばしたままビョークを見ている。

「悪いけど俺らにも監視がついてるんだよ。マッシュハガだけじゃねぇ。アケドナのやつらもたぶんどっかでこの家を監視してるはずさ。ビョークさんがここに来たのもバレてるかもしれない」

 ビョークは表情を変えなかった。二人の監視は合計で13人いた。カズンズの部屋に入るまでに二人術にかけている。密談はバレてはいないことは自信があった。そのことを二人に伝える必要はない。ビョークにとって主人はタイロンだけである。その主人が頼みにした人物であるから信じることにしたのであった。
 良い返事がないのであれば一人でするしかない。出来なければ命を絶つだけのことである。運命の星を見つけた歌い手にとって惜しむものは何もなかった。

 カズンズはビョークを観察している。ユーラもまた彼女の異能に気づいていた。冷たい空気が常にビョークの周りに漂っている。
 カズンズは息を吐いた。

「一つ方法がある。ただ俺たちには出来ないんだ。ビョークさんあんたにしか無理だ」
「なんなりと申し付けください。主の頼みのためであればどのような困難でも」

 カズンズは机から一枚の木簡を取り出すと、何やら文字をしたためる。癖があり綺麗な文字ではない。そこに自分の名を書きこむとユーラにも何か書かせた。それをビョークに羊皮紙と共に渡した。

「あんたのことを保証するっていう俺と兄弟の念書だ。ヴィスという男がパリスにいるあいつに頼むしか手はない。もしオグナルさんに手紙が渡せそうにないなら俺たちのとこに持って帰ってくれれば、その時はテルベの頼みは女神パーリウィスとコルピンの宗祖に誓って守ることをビョークさんに誓う」

 さらりと当たり前のようにカズンズは重要なことを言ってのけた。自然すぎて一瞬ビョークは言葉の重さを理解できないほどである。彼がビョークに誓った言葉を守らなければカズンズだけでなくその一族末代まで信用をなくすことになる。
 ビョークはその言葉だけで主の義兄弟を信用していた。もう一度深く平伏をしようとする。

「まだ何にも成功はしちゃいないんだ。俺たちにできる事なんて何にもない。それだけはわかってくれ」

 カズンズとユーラはこの一件に関して無力を痛感していた。カズンズが宗主に反抗してくれたおかげで、ユーラは冷静になれている。ユーラ一人だけであったらあの場にいたマッシュハガの気色の悪い作り笑いを全部胴体から切り離していたかもしれなかった。

 顔を上げたビョークには決意が宿っていた。もう一度頭を下げると念書と羊皮紙を麻袋にいれ窓際に立つ。木戸は開いていない。口の中で歌を紡いだ。歌声は二人にもはっきりと聞こえている。少し野太く高さもありユーラは随分上手に歌うものだと場違いなことを考えていた。ビョークが木戸を開け放つと一瞬にして姿が消える。下でカズンズを監視していたマッシュハガ兵が驚いて目を見開いていた。少し遅れてカズンズが顔を出し男のほうに顔を向ける。目が合ったマッシュハガ兵はカズンズの顔を見るなり鼻で笑い視線を外した。




 紅に月にはいり、パリスは寒さと共に乾燥した風が吹き始めていた。雪もほとんど降らないパリスではあるが冬になると空気が乾いてくる。大地は埃がまいあがり鼻孔の中に入り込んでくるのであった。秋口のこの時期でこれほど空気が乾くことは普段なく、冬の訪れが速いとゴルヴィは感じている。
 コルピン家の戦車が目の前で並び整然と東北へと進んでいく。あの惨劇から三日たっていた。シャルキンがゴルヴィの天蓋へと姿を現す。

「宗主のとった策があたったようだな兄者」

 報告は受けている。カシアスの宣言はメルシゴナ氏族の分断に成功していた。すでに数百人の帰還兵がゴルヴィに繋ぎを依頼している。斥候がもたらす情報では東の本隊だけでなく北の兵士たちもすでに戻ってきていることがわかっていた。

「1000か…」
「メルシゴナ家だけでならな。ヴァルドの義理があるもう少し残るだろうよ。北のやつらは合流も遅れとる。足並みはそろってないな」
「北の新兵どもはアケドナが抑えるだろうよ兄者。ダルダンの息子が大将はモッサリア街道にいるんだろう?」

 すでにシャルキンは戦場の顔になっている。矢継ぎ早に斥候を放ち逐次情報を更新しているが、どうやらメルシゴナはまとまりに欠けているようであった。シャルキンは鈍いメルシゴナが集まる前に各個に撃つことを主張している。

「やはり動きは鈍いぞ兄者。特に北の新兵どもはほとんど動いてもいない」

 ゴルヴィは北の兵士の動きに違和感を抱いている。北の新兵を率いているのが老バルシアである。パリスでは知らぬものがない知恵者で、長らく戦場に身を置いている変わり者でもあった。
 北の新兵が合流してようやく1000の兵になり体裁は整うであろう。このままシャルキンの考え通り戦うことができれば、東の600の古参兵を先に叩いたほうがよいということになる。迷うことは全くなかったが、ゴルヴィの感は北の兵士に向けられていた。

「気に入らんな。ケツの青い若いもんなら血相かえて東の古参兵と合流するのが定石だろ」
「率いてんのはバルシア爺か…」
「癖が強すぎて何してくるかわからんぞシャルキン。鬱陶しいことこの上ないな。あの爺何が狙いだ…」

 ゴルヴィの指がモッサリア街道から北へ向かう道をなぞる。合流地点は都市モッサリアの南にあるアル・エリンと街道が交わる地点に見える。北からの進路は一度山岳地帯に入らなければならず、そこを抜けるとモッサリア街道で一番広い平原にでるのであった。
 ゴルヴィはこの地点で東の本隊を叩くことを考えている。広くコルピンの戦車が生きる地形。合流地点を何度も苛立ったようにゴルヴィは指で叩いた。

「アケドナは真っすぐ南から新兵共の抑えに入る…マッシュハガは後詰め」

 シャルキンが状況を確認するように声にだす。ゴルヴィの指が止まった。

「なるほどな、あの爺やはり食わせ物だ」
「どういうことだ?」
「東の本隊とわしらをぶつけておいて、新兵使って山岳地帯からマッシュハガを狙う気だ」
「なんじゃそら?兵力分散させてまでか?」
「方法がないんだろうよ。メルシゴナにしてみればわしらともアケドナともやりあう意味がない。後詰めでやる気が薄いマッシュハガに突っ込んでそのままパリスまで駆け抜ける。あとは宗主を盾にすれば立場は逆になるわな」

 悪い手ではない。しかしダルダンの処刑を決めたのはほかならぬ宗主テリデスであった。そのことまでメルシゴナはわかっていないのであろう。あくまでも大義は獅子身中の虫マッシュハガであるという理屈がそこにあった。

「ゆっくりだが、モサの山地に向かっているのも誘っとるんだろう。アケドナの裏をかくためにな。あのあたりならいくらでも身を隠すところがある」
「アケドナは追いかけて山地に向かいそのまま合流地点まで追っていくが、そこにはおとりの古参兵しかいないという寸法か…」
「博打だな。かまわんわしらはこのまま東のやつらとやりあうことにするぞ。幸いトゥールーズが遅れ取るらしいからな。あの間抜け面がいるといないのでは状況がかわってくる」


 ゴルヴィは勢いよく立ち上がった。バルシアの策がどうなっていようと、新兵ばかりの軍がガイウスのいるマッシュハガを簡単に抜けるとは思えなかった。東のオグナルを生け捕りにすればこの戦は終わりである。コルピン家の作戦は決まった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

異世界転生~チート魔法でスローライフ

玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...