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帰ってきたレオナルド
しおりを挟む部屋の隅、開け放たれた扉の陰から、カタリーナは静かにその光景を見守っていた。
レオナルドが子どもたちと向き合う姿。ティモシオが、リヴェルが、小さな体を彼に預けるように抱きついていく姿。
そのすべてが、カタリーナの胸に静かに沁みていった。
これが、ずっと願っていた光景だった。
怒りも、悲しみも、寂しさも、すべてを飲み込んでなお、心のどこかでこの日を夢見ていた。
だけど、それでも思う。
遅すぎた。
三年という歳月は、ただの空白ではない。
そこには、不貞も、裏切りもあった。
思いやりのかけらもない、冷たく突き放された日々だった。
それは日々積み重なった、涙と忍耐と、静かなる絶望の重さだった。
カタリーナはそっとショールを胸元で握り、目を閉じた。
涙は、もう出なかった。
けれど胸の奥に、淡い痛みと、そして小さな安堵が交じり合っていた。
家族が、ここにいる。
子どもたちの喜びと笑顔が、空気を震わせるように部屋に広がっていた。
過去は変えられない。
けれど、未来は選び取ることができるかもしれない。
「おかえりなさい、レオナルド」
心の中で、そっと呟いた。
声には出さなかった。
今は、彼と子どもたちだけの時間だから。
カタリーナはそっと背を向けた。
静かな秋風が、廊下を通り抜ける。
金色の光が、彼女の背中に柔らかく降り注いでいた。
私は、これからどうすればいいのか、答えはまだ見えない。
過去をなかったことにはできないし、傷ついた心も簡単には癒えない。
けれど、それでも歩いていくしかないのだと、カタリーナは思った。
子どもたちのために、そして、何より自分自身のために。
ひとつ深く息を吸い、彼女は静かに歩き出した。
冷たく澄んだ秋の空気が、未来へと続く小さな道を照らしているように感じられた。
****
侍女たちに手を引かれて別室へ戻っていくティモシオとリヴェルを見送り、レオナルドは静かに立ち上がった。
子どもたちのぬくもりは、まだ腕の中に確かに残っている。
けれど、それだけでは終われないと、彼は分かっていた。
伝えなければならない。
あの彼女に、カタリーナに。
探すまでもなかった。
彼女の気配は、静かに、しかし確かにこの屋敷に満ちていた。
秋の冷たい風の中に、金色の光の中に、彼女の存在があった。
レオナルドは歩き出した。
迷いは、もうない。
たとえどんな答えが返ってきても、今度こそ逃げずに受け止めると、心に誓って。
廊下を曲がった先、遠くに小さな影を見つけた。
カタリーナ。
ショールを纏い、まるで光そのものをまとったような後ろ姿。
「……カタリーナ」
呼びかけた声は、震えてはいなかった。
ただ、胸の奥からまっすぐに紡がれた声だった。
彼女がゆっくりと振り返る。
その瞳には、驚きも怒りもなかった。
けれど、簡単に許すわけではない、静かな覚悟が宿っていた。
レオナルドは、真正面からその瞳を受け止めた。
「話がしたい」
それだけを、静かに、けれど確かに告げた。
秋の風が、ふたりの間を吹き抜けた。
カタリーナは、しばしレオナルドを見つめたまま沈黙していた。
その静けさの中で、彼女は彼の瞳の奥に、本当に変わろうとしている意志を探しているようだった。
やがて、ゆっくりとカタリーナは頷いた。
「……場所を変えましょう。ここでは、話せないわ」
レオナルドは静かに頭を下げた。
ふたりは言葉少なに歩き出した。
向かった先は、かつて一緒に何度か過ごした小さな客間──今ではほとんど使われることのない静かな一室だった。
カタリーナが扉を開け、レオナルドが続く。
重たい扉が静かに閉まる音だけが、ふたりの新たな対話の始まりを告げた。
静寂の中、カタリーナが先に口を開いた。
「……あなたに会いに行ったときにも聞いたけれど。
どうして、あの三年もの間、私たちを、子どもたちを……見捨てたの?」
その声には、怒りではなく、深い痛みが滲んでいた。
淡々とした口調の裏に、何度も押し殺してきた想いが溢れている。
レオナルドは、まっすぐに彼女の瞳を見つめ返した。
逃げないと誓ったのだ。
「……言い訳はしない。すべて、俺の弱さだった。」
かすれた声で、それでもはっきりと告げる。
「家族と向き合う責任から逃げたんだ。
父として、夫としての役目を恐れて、お前たちに背を向けてしまった。
その重みと罪深さを、今になってようやく思い知った。」
カタリーナは瞳を伏せた。
胸の奥で張り詰めていたものが、わずかに震える。
「……ソフィア様とのことも、子どもたちを蔑ろにしたことも全部、なかったことにはできないわ。」
静かに、しかし確かに告げるカタリーナの言葉は、鋭くも優しかった。
レオナルドは頷いた。
「わかってる。すべてを赦してくれとは言わない。
……ただ、これから先、俺はお前たちと向き合い続けたい。」
言葉を選びながらも、彼の声は迷わなかった。
沈黙。
けれどその沈黙は、かつてのような絶望ではなかった。
ふたりの間に漂うのは、壊れかけたものを、もう一度繋ぎ直そうとする、かすかな祈りだった。
レオナルドが子どもたちと向き合う姿。ティモシオが、リヴェルが、小さな体を彼に預けるように抱きついていく姿。
そのすべてが、カタリーナの胸に静かに沁みていった。
これが、ずっと願っていた光景だった。
怒りも、悲しみも、寂しさも、すべてを飲み込んでなお、心のどこかでこの日を夢見ていた。
だけど、それでも思う。
遅すぎた。
三年という歳月は、ただの空白ではない。
そこには、不貞も、裏切りもあった。
思いやりのかけらもない、冷たく突き放された日々だった。
それは日々積み重なった、涙と忍耐と、静かなる絶望の重さだった。
カタリーナはそっとショールを胸元で握り、目を閉じた。
涙は、もう出なかった。
けれど胸の奥に、淡い痛みと、そして小さな安堵が交じり合っていた。
家族が、ここにいる。
子どもたちの喜びと笑顔が、空気を震わせるように部屋に広がっていた。
過去は変えられない。
けれど、未来は選び取ることができるかもしれない。
「おかえりなさい、レオナルド」
心の中で、そっと呟いた。
声には出さなかった。
今は、彼と子どもたちだけの時間だから。
カタリーナはそっと背を向けた。
静かな秋風が、廊下を通り抜ける。
金色の光が、彼女の背中に柔らかく降り注いでいた。
私は、これからどうすればいいのか、答えはまだ見えない。
過去をなかったことにはできないし、傷ついた心も簡単には癒えない。
けれど、それでも歩いていくしかないのだと、カタリーナは思った。
子どもたちのために、そして、何より自分自身のために。
ひとつ深く息を吸い、彼女は静かに歩き出した。
冷たく澄んだ秋の空気が、未来へと続く小さな道を照らしているように感じられた。
****
侍女たちに手を引かれて別室へ戻っていくティモシオとリヴェルを見送り、レオナルドは静かに立ち上がった。
子どもたちのぬくもりは、まだ腕の中に確かに残っている。
けれど、それだけでは終われないと、彼は分かっていた。
伝えなければならない。
あの彼女に、カタリーナに。
探すまでもなかった。
彼女の気配は、静かに、しかし確かにこの屋敷に満ちていた。
秋の冷たい風の中に、金色の光の中に、彼女の存在があった。
レオナルドは歩き出した。
迷いは、もうない。
たとえどんな答えが返ってきても、今度こそ逃げずに受け止めると、心に誓って。
廊下を曲がった先、遠くに小さな影を見つけた。
カタリーナ。
ショールを纏い、まるで光そのものをまとったような後ろ姿。
「……カタリーナ」
呼びかけた声は、震えてはいなかった。
ただ、胸の奥からまっすぐに紡がれた声だった。
彼女がゆっくりと振り返る。
その瞳には、驚きも怒りもなかった。
けれど、簡単に許すわけではない、静かな覚悟が宿っていた。
レオナルドは、真正面からその瞳を受け止めた。
「話がしたい」
それだけを、静かに、けれど確かに告げた。
秋の風が、ふたりの間を吹き抜けた。
カタリーナは、しばしレオナルドを見つめたまま沈黙していた。
その静けさの中で、彼女は彼の瞳の奥に、本当に変わろうとしている意志を探しているようだった。
やがて、ゆっくりとカタリーナは頷いた。
「……場所を変えましょう。ここでは、話せないわ」
レオナルドは静かに頭を下げた。
ふたりは言葉少なに歩き出した。
向かった先は、かつて一緒に何度か過ごした小さな客間──今ではほとんど使われることのない静かな一室だった。
カタリーナが扉を開け、レオナルドが続く。
重たい扉が静かに閉まる音だけが、ふたりの新たな対話の始まりを告げた。
静寂の中、カタリーナが先に口を開いた。
「……あなたに会いに行ったときにも聞いたけれど。
どうして、あの三年もの間、私たちを、子どもたちを……見捨てたの?」
その声には、怒りではなく、深い痛みが滲んでいた。
淡々とした口調の裏に、何度も押し殺してきた想いが溢れている。
レオナルドは、まっすぐに彼女の瞳を見つめ返した。
逃げないと誓ったのだ。
「……言い訳はしない。すべて、俺の弱さだった。」
かすれた声で、それでもはっきりと告げる。
「家族と向き合う責任から逃げたんだ。
父として、夫としての役目を恐れて、お前たちに背を向けてしまった。
その重みと罪深さを、今になってようやく思い知った。」
カタリーナは瞳を伏せた。
胸の奥で張り詰めていたものが、わずかに震える。
「……ソフィア様とのことも、子どもたちを蔑ろにしたことも全部、なかったことにはできないわ。」
静かに、しかし確かに告げるカタリーナの言葉は、鋭くも優しかった。
レオナルドは頷いた。
「わかってる。すべてを赦してくれとは言わない。
……ただ、これから先、俺はお前たちと向き合い続けたい。」
言葉を選びながらも、彼の声は迷わなかった。
沈黙。
けれどその沈黙は、かつてのような絶望ではなかった。
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