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第78話 熱い視線
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一方その頃、リリアナはノヴァリア帝国の王宮へと足を運んでいた。
彼女は「声の女神」と讃えられ、今日も王妃カタリナに朗読を届けるために呼ばれていたのである。
最近では、ラファエルの取り計らいで、子供たち――リアムとエアリスも共に王宮へ招かれるようになっていた。
リリアナが王妃のそばにいる間、二人には家庭教師が付けられ、学びの時間を与えられていた。
母と子が共に王宮で過ごせるようになったことは、リリアナにとって大きな安らぎであった。
ラファエルは、そんな彼女を遠目に見守りながら、時折胸の奥に言葉にならぬ感情を抱いていた。
彼はリリアナと同じ年頃であり、本来ならば既に婚約者を持ち、家庭を築いていてもおかしくない年齢だった。
だが、長く留学や他国での修学に時間を費やしてきたため、結婚という縁を結ぶことはなかった。
第二王子として自由に学ばせてくれた両親には感謝していたし、彼自身も兄マクシミリアンの補佐として生きることを望んでいた。
だからこそ、女性との縁には背を向け、ただ知識と経験を深めることに心を砕いてきたのだ。
――それなのに。
リリアナの声に初めて触れた瞬間、胸を突き抜けるような衝撃を覚えた。
外見の美しさだけではない。彼女の声が放つ柔らかな響き、朗読の一節に宿る温もり。
その音に包まれるたび、心の奥に深い安らぎが満ち、自然と深呼吸ができる自分に気づいた。
「……こんな感覚は、生まれて初めてだ」
気づけば、彼女の姿を目で追っている自分がいた。
彼女の傍にいたい――そう思うようになっていた。
だが同時に、リリアナには既に子供たちがいる。
王族としての立場から見れば、彼女は決して「相応しい相手」とは言えない。
その現実が、ラファエルの心を締め付けるのだった。
ラファエルの胸に芽生えた想いは、すでに周囲も気づき始めていた。
王妃カタリナは、王族には相応しい血筋の女性をと考えていた。
一方、第一王子マクシミリアンは違った。
「……弟が幸せでなければ、国を支える力にはならない」
彼は旅先で、王族が血筋や形式に縛られ、結局は不幸を選んだことで国を破綻させかけた他国をいくつも見てきた。
だからこそ、血統を守るのは自分で十分だと考えていた。
ラファエルには、ただ一人の希望となる相手と共に、自由に生きてほしいと願っていたのである。
ある日のこと。
リリアナが王妃の私室に招かれ、静かに朗読の準備をしていたときだった。
扉の前に現れたのは、ラファエルだった。
「……母上。リリアナ殿。私も同席してよろしいだろうか」
不意にかけられた声にリリアナは戸惑い、視線を落とした。
「王妃様がよろしければ……」と、わずかにためらいを含んで答える。
王妃は息子の気持ちを知っているからこそ、深くため息をついた。
仕方がない、と諦めるように言葉を投げる。
「……貴方、仕事は?」
「今だけ、少し休息をと思いまして」
「そう。……リリアナさん、今日もお願いね」
王妃は「ここに居てもよい」とは一言も言わず、視線を逸らしリリアナに声をかけた。
「はい」
リリアナは小さく返事をし、渡された詩集を開いた。
ページをめくり、朗読が始まる。
柔らかく澄んだ声が室内を満たし、文字が生きた物語となって流れていく。
三ページほど読み進めただろうか――。
ラファエルは机に肘をつき、何気ないふりをしながらも、その声に全身を傾けていた。
心地よい音色が胸を揺らし、静かな幸福が満ちてくる。
リリアナの声が三頁を読み終えたところで、短い静寂が訪れた。
その余韻に包まれた室内で、王妃カタリナは静かにリリアナを見つめる。
――確かに、この声には人の心を癒す力がある。
病んでいた自らの胸を和らげ、張り詰めた心をほぐしてくれる。
だが同時に、彼女は子を持つ身……王族に相応しい相手ではない。
王妃の胸に葛藤が渦巻く。
理と心がせめぎ合い、深い皺となってその面差しを曇らせていた。
やがてリリアナは顔を上げ、王妃へと一礼する。
「……以上でございます」
「ありがとう、リリアナさん。今日も素晴らしい声でした」
王妃は穏やかに告げたが、その眼差しには微かな陰りがあった。
リリアナが詩集を閉じようとした時だった。
ふと視線を上げると、真正面からラファエルの瞳が彼女を見つめていた。
――熱を帯びた眼差し。
それに気づいた瞬間、リリアナの胸がかすかに揺らぐ。
「……殿下……」
思わず名を呼びかけそうになり、慌てて唇を閉じる。
ラファエルは何事もなかったように微笑んだ。
だがその目には、明らかに彼女への特別な想いが滲んでいた。
リリアナは顔を逸らし、胸の奥に複雑な思いを抱える。
――私はもう、母であるのに。
そのはずなのに、どうして心が揺れるのだろう。
王妃のため息が、静かな室内に落ちた。
その響きは、彼女の心情を誰よりも雄弁に物語っていた。
彼女は「声の女神」と讃えられ、今日も王妃カタリナに朗読を届けるために呼ばれていたのである。
最近では、ラファエルの取り計らいで、子供たち――リアムとエアリスも共に王宮へ招かれるようになっていた。
リリアナが王妃のそばにいる間、二人には家庭教師が付けられ、学びの時間を与えられていた。
母と子が共に王宮で過ごせるようになったことは、リリアナにとって大きな安らぎであった。
ラファエルは、そんな彼女を遠目に見守りながら、時折胸の奥に言葉にならぬ感情を抱いていた。
彼はリリアナと同じ年頃であり、本来ならば既に婚約者を持ち、家庭を築いていてもおかしくない年齢だった。
だが、長く留学や他国での修学に時間を費やしてきたため、結婚という縁を結ぶことはなかった。
第二王子として自由に学ばせてくれた両親には感謝していたし、彼自身も兄マクシミリアンの補佐として生きることを望んでいた。
だからこそ、女性との縁には背を向け、ただ知識と経験を深めることに心を砕いてきたのだ。
――それなのに。
リリアナの声に初めて触れた瞬間、胸を突き抜けるような衝撃を覚えた。
外見の美しさだけではない。彼女の声が放つ柔らかな響き、朗読の一節に宿る温もり。
その音に包まれるたび、心の奥に深い安らぎが満ち、自然と深呼吸ができる自分に気づいた。
「……こんな感覚は、生まれて初めてだ」
気づけば、彼女の姿を目で追っている自分がいた。
彼女の傍にいたい――そう思うようになっていた。
だが同時に、リリアナには既に子供たちがいる。
王族としての立場から見れば、彼女は決して「相応しい相手」とは言えない。
その現実が、ラファエルの心を締め付けるのだった。
ラファエルの胸に芽生えた想いは、すでに周囲も気づき始めていた。
王妃カタリナは、王族には相応しい血筋の女性をと考えていた。
一方、第一王子マクシミリアンは違った。
「……弟が幸せでなければ、国を支える力にはならない」
彼は旅先で、王族が血筋や形式に縛られ、結局は不幸を選んだことで国を破綻させかけた他国をいくつも見てきた。
だからこそ、血統を守るのは自分で十分だと考えていた。
ラファエルには、ただ一人の希望となる相手と共に、自由に生きてほしいと願っていたのである。
ある日のこと。
リリアナが王妃の私室に招かれ、静かに朗読の準備をしていたときだった。
扉の前に現れたのは、ラファエルだった。
「……母上。リリアナ殿。私も同席してよろしいだろうか」
不意にかけられた声にリリアナは戸惑い、視線を落とした。
「王妃様がよろしければ……」と、わずかにためらいを含んで答える。
王妃は息子の気持ちを知っているからこそ、深くため息をついた。
仕方がない、と諦めるように言葉を投げる。
「……貴方、仕事は?」
「今だけ、少し休息をと思いまして」
「そう。……リリアナさん、今日もお願いね」
王妃は「ここに居てもよい」とは一言も言わず、視線を逸らしリリアナに声をかけた。
「はい」
リリアナは小さく返事をし、渡された詩集を開いた。
ページをめくり、朗読が始まる。
柔らかく澄んだ声が室内を満たし、文字が生きた物語となって流れていく。
三ページほど読み進めただろうか――。
ラファエルは机に肘をつき、何気ないふりをしながらも、その声に全身を傾けていた。
心地よい音色が胸を揺らし、静かな幸福が満ちてくる。
リリアナの声が三頁を読み終えたところで、短い静寂が訪れた。
その余韻に包まれた室内で、王妃カタリナは静かにリリアナを見つめる。
――確かに、この声には人の心を癒す力がある。
病んでいた自らの胸を和らげ、張り詰めた心をほぐしてくれる。
だが同時に、彼女は子を持つ身……王族に相応しい相手ではない。
王妃の胸に葛藤が渦巻く。
理と心がせめぎ合い、深い皺となってその面差しを曇らせていた。
やがてリリアナは顔を上げ、王妃へと一礼する。
「……以上でございます」
「ありがとう、リリアナさん。今日も素晴らしい声でした」
王妃は穏やかに告げたが、その眼差しには微かな陰りがあった。
リリアナが詩集を閉じようとした時だった。
ふと視線を上げると、真正面からラファエルの瞳が彼女を見つめていた。
――熱を帯びた眼差し。
それに気づいた瞬間、リリアナの胸がかすかに揺らぐ。
「……殿下……」
思わず名を呼びかけそうになり、慌てて唇を閉じる。
ラファエルは何事もなかったように微笑んだ。
だがその目には、明らかに彼女への特別な想いが滲んでいた。
リリアナは顔を逸らし、胸の奥に複雑な思いを抱える。
――私はもう、母であるのに。
そのはずなのに、どうして心が揺れるのだろう。
王妃のため息が、静かな室内に落ちた。
その響きは、彼女の心情を誰よりも雄弁に物語っていた。
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