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第8話『観察』

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 入学式を経て一週間が過ぎる。
 入試の日に『常人に見えないもの』を消し飛ばした才明寺稀とまさか同じ学校の、同じクラスになるとは考えてもみなかった。
 幸い、才明寺は俺のことを覚えている様子はなかった。

 俺は彼女が入試の日に一体何をしたのかが気になっていた。
 そもそも才明寺は一体何者なのか。
 俺のように『常人に見えないもの』を見ることができるのかとも思ったが、それならあの日花壇のそばにいた虫のような奇妙な存在に気がついていたはずだ。
 でもそういう感じは全くなかった。
 それなら才明寺はそういうもの・・・・・・が見えるわけではないが、単に祓えるのではないか。
 ……そういうことは可能なのか。
 これまで生きてきて、俺は『除霊』という行為を見たことはない。正直眉唾な現象だ。
 でもそれを生業としている人間がいるのも事実なのも知っている。できるできないに関わらず。あの日消えたものを敢えて『霊』というならそういう人間をきっと『除霊師』というのだろう。

 才明寺はその『除霊師』なのだろうか。

 でも『見えてない』のに『祓う』ことなんてできるのか。
 考えれば考えるだけ疑問だけが湧き上がる。それは水道水のように蛇口からこぼれていくが、誰かがハンドルを捻れば水が止まるけれどこの疑問がぴたりと止まる日はやってくるのか。
 俺は、今までとは違う自分になりたい。
『常人に見えないもの』ばかり気にして自分や周りの人間との関わりを疎かにする生活はもう嫌なのだ。
 きっと、才明寺への疑問ばかりに目を向けていたら、きっとその生活から抜け出せないような気がした。

 だけど完全に無視するには、彼女が俺に見せた光景はあまりに鮮烈過ぎた。

 それなら俺が納得できる解答を見つければ良い。
 納得できればあとは関わらなくても大丈夫なのだから。
 俺は自分の中の疑問を枯らすために、才明寺を観察することとした。

 その一。
 才明寺は俺より社交的だ。
 才明寺は登校してくると隣りの席の女子と仲良くなったのか朝の挨拶を交わしてからも朝のホームルームが始まるまで雑談を続けている。
 一週間経っても周囲の席のヤツらに自分から挨拶一つできない俺とは大違いだ。何だったら前後ろ左右の席のヤツの名前だってちゃんと覚えてない。苗字を辛うじて覚えている程度だ。……多分そういうのが駄目なんだろうな。まずは周囲の席のヤツの名前を覚えなくては。
 自己改革の道のりが只管に長い。

 その二。
 勉強は苦手らしい。
 初日の自己紹介で、苦手な科目がいっぱいあると言っていたが謙遜ではなかったらしい。
 授業が始まって、殆ど教科ではまず中学で習ったことの復習から始まった。新しいことは何一つしていない。ただ過去の振り返り作業だ。
 何だったら少し前まで受験だったのだから当然頭に入っているはずのことばかりだ。だけど才明寺はその殆どの教科で、基礎は何とか、応用では躓く、という様子だった。担当教科の先生に当てられても見当違いの答えをしてしまう。
 今もそう。
「じゃあ……才明寺。三行目から一段落を訳してくれるか」
「!? は、はい!」
 先生に当てられ才明寺は立ち上がる。
 今日は英語の授業もこれまで復習ということで、教科書は使わず先生が用意したプリントで授業が進められた。A4サイズのプリントの半分には英文が並び、もう半分にはその英文に対する問が並んでいる。
 才明寺は両手でプリントを握り締めながら途切れながらも日本語訳を行う。
 けれどその横道に逸れていく訳が進むにつれ、先生は悟りを開いた菩薩のような顔になっていく。それは正しくアルカイックスマイル。
 それでも才明寺が頑張っていることは理解しているので、彼女を途中で座らせることはせず一段落最後まで続けさせる。
 最後まで何とか訳せたことに才明寺は安堵の表情を見せる。
「はい、ありがと。でもちょっと変な訳になってるところもあったな。何処がおかしかったか別の人の訳を聞いて直しておいて。じゃあもう一人……柵木、同じところ訳してくれるか」
「はい」
 当てられて俺はゆっくりと立ち、今しがた才明寺が訳した箇所を、俺なりの訳で読み上げる。
 淡々と。
 これと言って訳に変なところもないだろう。
 先生もそう思ったようで俺が訳し終えて大きく頷く。
「はい、ありがと。文句なし、完璧な訳だった。じゃあついでに、三行目の『it』は何を指してるかわかるか?」
「一行目の、『友達に貸したきり返ってこなかった本』です」
「うん、そう。才明寺は此処の『it』を『友達が置いていった写真』で訳を進めたから訳が変になったんだな。柵木、座って良いぞ」
 あっさり着席の許可が出て俺は席に着く。
 このくらい、文法も単語も中学校で出るようなものばかり。難しくはないはずなのにな。
 俺は思わず首を傾げた。

 その三。
 どうやら運動も苦手らしい。
 最初の体育の授業は男女に別れたものの、共にグラウンドで身体能力測定が行われた。
 短距離走、長距離走、高跳び、幅跳び等。
 放課後は外で遊ぶよりも家に避難するこれまでの生活が祟ってか当然俺の身体能力は平均以下。長距離走に至ってはクラスどころか学年でも下から数える方が早いタイムを叩き出した。……これでも頑張ったんだ。走りきったことをまず褒めて欲しい。
 ちなみに男子の長距離走と短距離走の一位は貴水だった。化物か。というか、身体能力測定において尽く上位の記録を出していた。その体力と運動センスを一割ほど分けて欲しいと心底思った。
 才明寺も俺と大差ない感じだ。
 才明寺も何とか長距離を走り終えるともう息も絶え絶えという様子でぜえぜえと重い呼吸を繰り返して今にも倒れそうだった。
 俺も口の中が血の味がして気持ち悪いのに、俺よりも酷い呼吸を繰り返す彼女に心底同情した。

 その四。
 やはり俺が見えているものは見えてないようだった。
 学校という場所は多かれ少なかれそういうもの・・・・・・が集まる。
 中学校でも小学校でも。昔住んでいたマンションの公園でも。
 この学校は改修したからか、『常人に見えないもの』が少ないが形のないモヤのようなものは廊下の隅にいた。
 この一週間で校内で見かけた一番大きいものでも小学生のランドセル程のものだ。
 俺は見ないように努める。
 才明寺もそうなんじゃないかと心の中で少しばかり考えた。俺のように見えるものを見ないようにしている。でもそういうわけではないようだ。
 見えてない。
 でも祓える。
 そういうことなのか。そう思うようにした。

 それは午後の授業中のことだった。
 古典の授業中で、先生は教科書の文章を黒板に書き出していた。
 コツコツとチョークが削れる音が静かな教室に響く中、ソイツ・・・は宙を漂う埃のように徘徊していた。丸く黒い透けるような何か。まっくろくろすけを連想したが、あんな愛嬌のある顔はついていない。ただの黒い塊。
 目障りだ。だけど幸いこちらにはまだ来てない。
 頼むからこっちには来るな。開いた窓から外へ出て行ってくれないか。
 俺は黒板の文を書くことに集中して、できるだけソレに気が付いていない振りを続けた。

 そんな時、ソレは鼻先を掠めるくらい才明寺に近づいた。
 才明寺は見えないものの何かを感じる様子で、ソレが鼻を掠めた瞬間、何かが当たったと勘違いして才明寺は鼻を手で拭うように擦る。
 彼女の手がソレに当たると、入試の日に見たように光を放って霧散する。
 丸く黒い塊は瞬く間に光を散らして消えた。

 触ると消えるのか。
 どういう仕組みなんだそれ。
 あの女、アイツらに対しての発火材か何かか。

 今回のヤツは小さいものだったからあっと言う間に消えてしまったが、まるで線香花火のようだった。
 小さな火花が咲いて消える。
 最初に見たときはあまりの衝撃にそれどころではなかった。
 今も確かに驚きはしたが、でもそれ以上にその光景を綺麗だと思った自分に驚く。

 アイツらはこれまでの俺の人生に影を落としてきた暗く、恐ろしいもの。
 だけどあんな風に光を放って消えるなんて誰が想像するだろう。
 少なくとも、消えることがあるならもっと風化するように寂しく消えれば良いと思っていた。
 だから花火のように、燃え尽きるように消えていく様子はカルチャーショックにも似ていた。

 だからその光は見ていて嫌ではないと思ってしまった自分にも驚きを隠せなかった。
 本当に花火のように綺麗だった。
 今が夜ならもっと綺麗だろうと思ってしまう程に。
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