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第46話『障り』

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 漸く三留たちと合流すると、俺は彼らの横にある二十段程の石階段が視界に入る。その階段は小高い丘にある古びた塀に続いている。
 利部が「じゃあ行こうか」と皆に確認するように呟くと三留を先頭に石階段を登りだす。見上げると階段の先には塀くらい古めかしい瓦屋根のある木造の門扉があった。
 俺たちの身長を超える大きな観音開きの門扉だったが、こちらも塀同様に老朽化が進んでいるようで表面がボロボロになって木目が削れている部分が目立つ。
 もしかしたら昔はこの土地有数の金持ちが住んでいたのかもしれない。
 俺が門の佇まいに驚いているが、ここまでずかずか遠慮なくやってきた彼らが門を開けて中に入らないことに驚き前方を見ると、何故か門の外側に・・・・・真新しい閂《かんぬき》がされていた。鉄製の鍵などがあるわけではなく、ただ一メートル程の角材で簡単に留められているだけのもの。そしてその閂にはA4サイズの紙が貼られており、そこには『膨張展開中 出入り注意』と書かれている。
 書かれている言葉の意味が不明で、俺もそうだけど意味が分からずその紙を見つめる。
 膨張展開? 膨張? 何か膨れているのか。
 早島は三留に「四月に来たときもあったのか?」と訊くと、三留は困惑しきった顔で「いや? 閂すらなかったけど」と答える。
 俺はそのやりとりを聞きながら、三留を始め、この場所には学校の生徒が頻繁に出入りすることがあるのを漸く察する。きっと此処の所有者も学生の不法侵入を知っているのかもしれない。
 それ故のさっきのロープであると理解できるが、この閂は正直意図がわからない。侵入できないようにするなら、こんなすぐに外れるような簡単な閂ではなく、鍵付きのものにすべきではないのか? 思い出すと、ロープもかなり雑だったし。
 そんなことを考えながら、俺は肌寒さにまた腕を摩る。
 気のせいか、さっきよりも気温が下がっているような……。なんだろう。ただ単に夜が近いからという感じじゃない。
 途轍もない不安が押し寄せる。
 だけどこのどうしようもない感覚に囚われているのはこの場では俺だけのようで、三留は躊躇なく角材を掴みあっさりと閂を外してしまう。
「よし」
 そう言いながら角材を地面に置き、やっぱり躊躇なく扉を開ける。
 木の扉は重く固くなっているのか、三留の力だけでは開かず早島たちも扉を引っ張る。徐々に扉が開いていくのだけれど、扉の隙間が大きくなるにつれ何だかひんやりとした真冬のような空気が流れてくる。
 この扉の先が真冬だと言われても納得できてしまうような冷たい空気。大型の冷凍庫の扉が開くような錯覚があった。

 扉はものの数秒で開かれると、扉の向こうにあやっぱり老朽化の激しい日本家屋が見える。その日本家屋は壁や屋根にびっしりと青っぽい蔦が張り巡らされている。古い民家でこういう光景は見たことがあるが、あまりに手入れされなさすぎて植物がやりたい放題しているらしい。
 ……だけど、この蔦、既視感あるな。
 どっか近所に生えてる植物かなんかだろうか。
 不思議に思っていると、三留は俺たちを振り返り楽しそうに笑う。

「じゃあルール説明な。今から二人ずつ家に入って奥の離れを目指す。つっても離れは火事があって焼け落ちてるからその手前まで行ったらそれ以上進めないようにロープがあるからその前で写真を撮って戻ってくること」
 三留はそう言い放つが、皆がそれに同意する。だけど俺だけはぽかんとしてしまう。そして汗がだらだらと噴き出る。だけどその汗は、この場の気温に一気に冷やされて凍えるような寒さを感じる。

 これはまるで『肝試し』のようではないか。
 俺は思わず隣りに立つ貴水を見る。貴水は俺の視線に気が付くと笑う。
 そして俺にだけ聞こえるような小さな声で「柵木くんと来たら、絶対楽しいと思って」と言い放つ。その言葉にただただ血の気が引く。
 何だろう、この場所、絶対良くない場所だ。こんなにも寒いのは、もう絶対気温のせいじゃない。
 俺は震える指先を握り込む。奥歯がガチガチと音を立てた。

 ***

 俺たちは三組に分かれて、家屋に入ることになった。
 さっさと先へ進む三留たちとは裏腹に、俺の足は全く奥へ進むことはなかった。まだ玄関近くで立ち往生していた。
 強がりを言うつもりはないが、俺は別に怖いわけではない。何か居たとして、見て見ぬ振りをすればいいのだ。そういうスキルは此処数年で格段に上手くなっているはずだ。
 だけど玄関に踏み入った瞬間の衝撃に足が竦んだ。

 何だこれ。

 一番最後に家屋に入ったのだが、誰もこの異常に対して言及しない。既に一度来ている様子の三留がスルーするのはともかく他のヤツは何も言わずに奥へ行ってしまった。
 俺が玄関から奥へと続く廊下を見たまま動かない様子に貴水は「凄い煤だね」とぼやく。その声に俺は跳ねるように貴水を見る。
「離れが焼け落ちてるって言ってたけど、天井も廊下も、至るところ煤だらけだ。でもこんなところにまで真っ黒だと流石に驚くね」
 天井を見上げて呟く貴水に、俺は『これ』が良くないものであること、そして俺と貴水にしか見えていないことを理解する。
 だけど俺を貴水が見ているものにも明確な違いがあった。
「俺には……蔦に見える」
 家の外壁を伝う蔦が、屋内の壁や天井にもびっしりと張り巡らされている。
 いくら放置されているからってこんなことあるのかと、驚いていた。誰もそれに対して一言も感想を漏らさないのにも驚いた。
 こんなにもびっしりと蔦が張っていたら驚くだろう普通。
 だけど貴水の言葉で、これが彼らには見えていないことがわかった。

 青い蔦がただ壁と天井を埋めていた。
 まるでこの家全体が『障り』を受けているようだ。そしてこれが『障り』であることを理解して蔦への既視感の正体を思い出した。
 何処かで見たと思ったら、中間試験直後の休みに才明寺を追いかけて行った神社で同じものを見た。
 若い女性の身体中にびっしりこの蔦が張っていた。
 それを思い出していると、貴水は「柵木くんにはこれは蔦に見えているんだ……」と呟きながらその蔦に手を伸ばす。
 だけど俺は慌てて貴水の腕を掴んで制止する。
 神社に来ていた女性はあの蔦に苦しんでいる様子だった。もしそれがこの蔦に触れて引き起こったことならこれには触ってはいけないのだ。
「良くないものだってお前もわかるだろ、触ろうとするなよ」
 焦りながらそう言うが、貴水は俺を一瞥すると怪訝そうな顔をする。何だその顔は、と思うが、貴水は躊躇なく俺の手を振り払うと、そしてまた躊躇なく蔦に触れる。
 その瞬間、貴水の腕に絡みつく。制服の袖で手首から上は見えないが、きっと腕まで蔦は続いているに違いない。

「あぁ……!」

 思わず俺は貴水から後退る。
 意味がわからない。どうしてこんなことをしたんだ……!
 貴水は蔦の絡みついた腕をじっと見つめる。その表情は、本当にどういうわけか、微笑みを浮かべていた。その表情の意味がわからず血の気が引く。
「ど、ど、うして」
 理由が知りたかった。
 何故自ら『障り』を引き込むようなことをしたのか。
 俺は『あの女』に『障り』を食らって僅かな時間だったが、苦しく辛い時間だった。それがどうして……。知らなかったのか?
 ただ愕然と俺は貴水を見つめる。
 貴水は漸く顔を上げると、俺を見て緩やかに笑った。

「ねえ、柵木くん。柵木くんは自分の目で見たものの中で一番美しいものって何?」

 この状況と、貴水の言葉の関連性がわからず、一瞬貴水の言った言葉が耳を入っても理解できなかった。
 美しいものって何だ、何を言いたいんだ。
 ただただ呆然と俺は貴水を見るしかできなかった。
 俺が何と返すべきか言葉を探していると、それは突然始まった。

 廊下の奥から何かが倒れるような落ちるような、ドンという音が響く。まるで家屋全体を揺らすような衝撃が足元を駆け抜ける。
 直後廊下をドタドタを駆けてくる複数の足音が聞こえてきて、俺はこの家屋で何が起こっているのか理解できずただ震え上がるしかできなかった。
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