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五章 開戦前夜
三十一話
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町中の人々は変わらない日常の中にいた。僕一人がこの重荷を持ち寄ったとしても相手にされないような日常だ。絶えず行き交う人混みの中を時折馬車が進んでいく。
大通りは一層賑やかで、むせてしまいそうだ。今日は休日だったか。あまりの人混みがさすがに辛くなって、僕は端の方を歩いた。
端にはたくさんの店が並んでいるが、顔馴染みの店主もいくらかできていた。
「あら、タイセイさん。ごきげんよう。」
官庁近くの肉屋のおばさんもその一人だ。今日は一段と元気そう。
「こんにちは。お元気そうですね。」
「当たり前よ! 私はあと十年はバリバリ働くんだから。」
十年か……。十年後はどうなっているのかな? ホルンメランはちゃんとあるのかな? さっきまでのことがあまりに重くて、そんな当たり前に信じられそうなことが浮ついて聞こえてしまう。
そうか、もし戦争に負けたら、ホルンメランは無くなるんだ。その場限りで考えてしまっていた。僕の命か兵士の命か? いや、違う。ホルンメラン全体の命が天秤のもう一方にかかっているんだ。
僕はホルンメランの全員を知っているわけではない。むしろ、新参者だ。それでも僕によくしてくれている人がいる。フィリムや、ポワムさんは来たばかりの僕によくしてくれた。
そんな彼らを守りたい。散々心の中で揺れた天秤は一気に無用のものになった。僕が、僕の知ってるあの人たちをただ守りたいんだ。
僕はヒーローじゃない。そんなガラじゃないし、力もない。けれどもし僕にこの優しいホルンメランの町を守ることが出来るのなら、怖いけれど頑張ってみようかな。
行っては過ぎる人の流れに逆らって、また官庁に歩き出した。
「本当ですか! 」
ピオーネは今まで一緒にいた中で一番大きな声だった。
「正気なの? あなた。」
アイラは正反対にテンション低めだが。ピオーネは高揚のまま、僕の肩を揺すった。
「本当についてきてくれるんですね! 」
僕と一緒に彼女の緑髪までふわふわ揺れている。
「ちょっと落ち着きなさいよ、パゴスキー。」
「……はあ、すいません。取り乱しました。」
パゴスキーは後ろに下がると襟を正した。
「そうと決まれば、さっそく準備をしていただきましょう。」
「準備? 」
「そうです。まずは生物開発課の他の二人を呼んでいただけませんか? 」
あら、ピオーネは最初から三人で連れて行くつもりだったのか。
僕はライアンくんと兵士くんを呼んでからまた首長室に戻った。
「早速ですけれど、今回の生物開発課の従軍計画です。」
ピオーネは設計図のようなものを広げた。彼女が端のスイッチを押すと、たちまち立体図が浮かびあがった。
「な……! 」
「これは……。」
とにかく、凄かった。それは言ってみれば、生物開発課の研究室を丸ごと馬車で引っ張っているような感じだった。
「ここまでするか? 普通。」
超巨大な車を引く馬の数は二十頭! そんなにここに割いちゃって大丈夫なのか。
「機材ももちろん全て積み込める仕様です。」
「え、全部? 」
「もちろん。だって研究できなかったらあなた方は素人でしょう? 」
「ちょっと! 僕は違いますよ! 」
兵士くんは不満げに反論した。
「そうでしたね、レイン元・一等兵。」
兵士くんはなおさら不満そうだったけれど、ピオーネは構わずに続けた。
「まあそんなわけであなたたちが何時でも研究ができるように、研究室を丸ごと持っていくと思ってもらえたら結構です。もうすでに作ってる最中ですからあと二日で完成、機材の搬入まで完了しますよ。」
ピオーネは設計図を丸めた。
「それとね。」
アイラが奥の方から口を挟んだ。
「あなたたち、まあレインくんは元軍人だから大丈夫だとは思うけど。他の二人は馬には乗れるのかしら? 」
「え、でも馬車に乗っていくんじゃ? 」
「行くのは戦場よ。もし攻撃されて逃げることになったら、馬車じゃ遅すぎるわ。馬に乗れないとダメよ。」
え、マジか。馬なんて牧場でポニーに乗ったのと、この前アイラの後ろに乗ったのくらいだぞ。当然乗れるわけなんてない。すると横のライアンくんが
「僕は乗れます。幼いころからある程度は習ってたので。」
嘘、え、じゃあ乗れないのは僕だけ?
「ふうん、じゃあ乗れないのはタイセイだけね。」
聞かれもしなかった。まあアイラには馬に乗れないのが知れているからな。
「じゃあタイセイさん、練習しないといけないじゃないですか! せめて走れるくらいには。」
ピオーネもアイラもちょっと焦っている。当の僕が焦ってないのはおかしな話かしら。
アイラは内線を使用した。
「こちら首長。エデルハン中将、今から首長室に来てもらえる? 」
「ええ、分かりました。すぐに向かいましょう。」
ほどなくしてエデルハン中将が首長室をノックして入ってきた。
「エデルハン、ただいま参上しました。」
「よく来てくれたわ。さっそくだけど、頼みがあるのよ。」
「はい、何でしょうか? 」
エデルハン中将は突然呼び出されて頼み事をされそうなのに全く動じていない。これが歳の功というものなのだろう。
「タイセイに乗馬を教えてやってほしいの。」
「あら、馬に乗れないんですか? タイセイさん。」
中将は振り返って僕の方を見た。
「ええ、恥ずかしながら。」
「それなら私が喜んで教えてあげましょう。」
中将はいかつい顔をちょっと柔らかくしながら笑顔になった。
「三日で走れるくらいにはしてほしいの。」
「ええ、分かりました。」
え、そんな安請け合いしていいの? 僕は三日で走れるようになる自信なんてないのに。
そのあと、行軍についてピオーネからいろいろと説明を受けたが、全然頭に入ってこなかった。頭の中は馬だらけだ。馬に乗らなきゃならないんだ。しかも全力で逃げられるくらいに。
全て終わったあとで、僕はエデルハン中将と話した。
「今日この後から練習を始めましょうか。」
「ええ、よろしくお願いします。」
自分の身を守るためだから、僕も必死にならざるを得ない。
「じゃあ厩舎にあとで来てください。あなたの愛馬を決めましょう。練習もその子とやった方が息が合ってきますから。」
一旦中将と別れて首長室から出たところだった。
「タイセイさん、愛馬にするんだったら、うってつけがいるじゃないですか。」
ライアンくんがそう言った。
「え、どの馬? まさかギャロップマリンなんて言わないよね? 」
「ハハハ、まさか。」
ライアンくんは僕を直接厩舎に連れて行った。
列に連なった厩舎の一番奥まで進んだ。途中大量のウイングレーたちがひしめいていた。こうして見ると、グレーなんて名付けたくせに、実に多くの毛色がある。
一番奥には一際大きな馬房が、並んでいた。その一つにはギャロップマリンが一頭入っている。アイラの馬だ。彼には蛮族に襲われたときに助けてもらったから、感謝しないとな。
その隣の馬房のまえで、ライアンくんは立ち止まった。
「こいつですよ。」
「なるほどな。」
馬房の中にいたのは、一際体の大きな青毛の馬。白く燃えるタテガミはゆっくりとたなびいていた。光源氏と名付けた、かの馬である。
「名前は確か、ヒカルゲンジって言いましたっけ。こいつなら速さも十分だし、なにより気性が落ち着いてます。初心者のタイセイさんにぴったりですよ。幸いこいつは僕たちが作り出したんですから、タイセイさんが乗っても誰にも文句は言われません。」
僕はライアンくんの指示に従って、ゲンジを馬房から出した。ライアンくんが言った通り、ゲンジは綱で引いても大人しくついてきた。
調教場の場所は前にも行ってるから分かる。迷わずそこまで向かうと、すでに中将が待っていた。
「おや、もう決めましたか。にしてもいい馬ですな、その子は。」
「ええ、ほんとに。僕が乗るのが申し訳ないくらい。」
「おっといけないよ、タイセイさん。乗り手が卑屈になっては馬にもそれが伝わってしまう。」
調教場を使って訓練が始まった。調教というが、今回は馬ではなくて僕の訓練だ。訓練中のエデルハン中将はなかなか厳しかった。泥地になっているところで馬を走らせるのだが、そのまわりから指示を出してくるのだ。
訓練の間、僕は何回も落馬した。ヒカルゲンジは僕の拙い指示にもよく従ってくれた。僕が勝手に落ちまくっただけなのだ。
もしかしたら僕は今全ての受験生のために代わりに落ちてるんじゃないかと、下らないことを考えたくなるほどに鞍から滑り落ちるのを繰り返した。
もう服は泥々だ。馬の体はほとんど汚れていないっていうのに……。
大通りは一層賑やかで、むせてしまいそうだ。今日は休日だったか。あまりの人混みがさすがに辛くなって、僕は端の方を歩いた。
端にはたくさんの店が並んでいるが、顔馴染みの店主もいくらかできていた。
「あら、タイセイさん。ごきげんよう。」
官庁近くの肉屋のおばさんもその一人だ。今日は一段と元気そう。
「こんにちは。お元気そうですね。」
「当たり前よ! 私はあと十年はバリバリ働くんだから。」
十年か……。十年後はどうなっているのかな? ホルンメランはちゃんとあるのかな? さっきまでのことがあまりに重くて、そんな当たり前に信じられそうなことが浮ついて聞こえてしまう。
そうか、もし戦争に負けたら、ホルンメランは無くなるんだ。その場限りで考えてしまっていた。僕の命か兵士の命か? いや、違う。ホルンメラン全体の命が天秤のもう一方にかかっているんだ。
僕はホルンメランの全員を知っているわけではない。むしろ、新参者だ。それでも僕によくしてくれている人がいる。フィリムや、ポワムさんは来たばかりの僕によくしてくれた。
そんな彼らを守りたい。散々心の中で揺れた天秤は一気に無用のものになった。僕が、僕の知ってるあの人たちをただ守りたいんだ。
僕はヒーローじゃない。そんなガラじゃないし、力もない。けれどもし僕にこの優しいホルンメランの町を守ることが出来るのなら、怖いけれど頑張ってみようかな。
行っては過ぎる人の流れに逆らって、また官庁に歩き出した。
「本当ですか! 」
ピオーネは今まで一緒にいた中で一番大きな声だった。
「正気なの? あなた。」
アイラは正反対にテンション低めだが。ピオーネは高揚のまま、僕の肩を揺すった。
「本当についてきてくれるんですね! 」
僕と一緒に彼女の緑髪までふわふわ揺れている。
「ちょっと落ち着きなさいよ、パゴスキー。」
「……はあ、すいません。取り乱しました。」
パゴスキーは後ろに下がると襟を正した。
「そうと決まれば、さっそく準備をしていただきましょう。」
「準備? 」
「そうです。まずは生物開発課の他の二人を呼んでいただけませんか? 」
あら、ピオーネは最初から三人で連れて行くつもりだったのか。
僕はライアンくんと兵士くんを呼んでからまた首長室に戻った。
「早速ですけれど、今回の生物開発課の従軍計画です。」
ピオーネは設計図のようなものを広げた。彼女が端のスイッチを押すと、たちまち立体図が浮かびあがった。
「な……! 」
「これは……。」
とにかく、凄かった。それは言ってみれば、生物開発課の研究室を丸ごと馬車で引っ張っているような感じだった。
「ここまでするか? 普通。」
超巨大な車を引く馬の数は二十頭! そんなにここに割いちゃって大丈夫なのか。
「機材ももちろん全て積み込める仕様です。」
「え、全部? 」
「もちろん。だって研究できなかったらあなた方は素人でしょう? 」
「ちょっと! 僕は違いますよ! 」
兵士くんは不満げに反論した。
「そうでしたね、レイン元・一等兵。」
兵士くんはなおさら不満そうだったけれど、ピオーネは構わずに続けた。
「まあそんなわけであなたたちが何時でも研究ができるように、研究室を丸ごと持っていくと思ってもらえたら結構です。もうすでに作ってる最中ですからあと二日で完成、機材の搬入まで完了しますよ。」
ピオーネは設計図を丸めた。
「それとね。」
アイラが奥の方から口を挟んだ。
「あなたたち、まあレインくんは元軍人だから大丈夫だとは思うけど。他の二人は馬には乗れるのかしら? 」
「え、でも馬車に乗っていくんじゃ? 」
「行くのは戦場よ。もし攻撃されて逃げることになったら、馬車じゃ遅すぎるわ。馬に乗れないとダメよ。」
え、マジか。馬なんて牧場でポニーに乗ったのと、この前アイラの後ろに乗ったのくらいだぞ。当然乗れるわけなんてない。すると横のライアンくんが
「僕は乗れます。幼いころからある程度は習ってたので。」
嘘、え、じゃあ乗れないのは僕だけ?
「ふうん、じゃあ乗れないのはタイセイだけね。」
聞かれもしなかった。まあアイラには馬に乗れないのが知れているからな。
「じゃあタイセイさん、練習しないといけないじゃないですか! せめて走れるくらいには。」
ピオーネもアイラもちょっと焦っている。当の僕が焦ってないのはおかしな話かしら。
アイラは内線を使用した。
「こちら首長。エデルハン中将、今から首長室に来てもらえる? 」
「ええ、分かりました。すぐに向かいましょう。」
ほどなくしてエデルハン中将が首長室をノックして入ってきた。
「エデルハン、ただいま参上しました。」
「よく来てくれたわ。さっそくだけど、頼みがあるのよ。」
「はい、何でしょうか? 」
エデルハン中将は突然呼び出されて頼み事をされそうなのに全く動じていない。これが歳の功というものなのだろう。
「タイセイに乗馬を教えてやってほしいの。」
「あら、馬に乗れないんですか? タイセイさん。」
中将は振り返って僕の方を見た。
「ええ、恥ずかしながら。」
「それなら私が喜んで教えてあげましょう。」
中将はいかつい顔をちょっと柔らかくしながら笑顔になった。
「三日で走れるくらいにはしてほしいの。」
「ええ、分かりました。」
え、そんな安請け合いしていいの? 僕は三日で走れるようになる自信なんてないのに。
そのあと、行軍についてピオーネからいろいろと説明を受けたが、全然頭に入ってこなかった。頭の中は馬だらけだ。馬に乗らなきゃならないんだ。しかも全力で逃げられるくらいに。
全て終わったあとで、僕はエデルハン中将と話した。
「今日この後から練習を始めましょうか。」
「ええ、よろしくお願いします。」
自分の身を守るためだから、僕も必死にならざるを得ない。
「じゃあ厩舎にあとで来てください。あなたの愛馬を決めましょう。練習もその子とやった方が息が合ってきますから。」
一旦中将と別れて首長室から出たところだった。
「タイセイさん、愛馬にするんだったら、うってつけがいるじゃないですか。」
ライアンくんがそう言った。
「え、どの馬? まさかギャロップマリンなんて言わないよね? 」
「ハハハ、まさか。」
ライアンくんは僕を直接厩舎に連れて行った。
列に連なった厩舎の一番奥まで進んだ。途中大量のウイングレーたちがひしめいていた。こうして見ると、グレーなんて名付けたくせに、実に多くの毛色がある。
一番奥には一際大きな馬房が、並んでいた。その一つにはギャロップマリンが一頭入っている。アイラの馬だ。彼には蛮族に襲われたときに助けてもらったから、感謝しないとな。
その隣の馬房のまえで、ライアンくんは立ち止まった。
「こいつですよ。」
「なるほどな。」
馬房の中にいたのは、一際体の大きな青毛の馬。白く燃えるタテガミはゆっくりとたなびいていた。光源氏と名付けた、かの馬である。
「名前は確か、ヒカルゲンジって言いましたっけ。こいつなら速さも十分だし、なにより気性が落ち着いてます。初心者のタイセイさんにぴったりですよ。幸いこいつは僕たちが作り出したんですから、タイセイさんが乗っても誰にも文句は言われません。」
僕はライアンくんの指示に従って、ゲンジを馬房から出した。ライアンくんが言った通り、ゲンジは綱で引いても大人しくついてきた。
調教場の場所は前にも行ってるから分かる。迷わずそこまで向かうと、すでに中将が待っていた。
「おや、もう決めましたか。にしてもいい馬ですな、その子は。」
「ええ、ほんとに。僕が乗るのが申し訳ないくらい。」
「おっといけないよ、タイセイさん。乗り手が卑屈になっては馬にもそれが伝わってしまう。」
調教場を使って訓練が始まった。調教というが、今回は馬ではなくて僕の訓練だ。訓練中のエデルハン中将はなかなか厳しかった。泥地になっているところで馬を走らせるのだが、そのまわりから指示を出してくるのだ。
訓練の間、僕は何回も落馬した。ヒカルゲンジは僕の拙い指示にもよく従ってくれた。僕が勝手に落ちまくっただけなのだ。
もしかしたら僕は今全ての受験生のために代わりに落ちてるんじゃないかと、下らないことを考えたくなるほどに鞍から滑り落ちるのを繰り返した。
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