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孤独な少女と皇子様編

別れる!

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 ――結論として、楼内にさくらを知る者はいなかった。

『すまない。気に掛けておくから、何かあったら伝える』

 別れ際、真摯な面持ちでテイエンはそう言った。それに礼を告げて天楼を後にしたモリカ達。
 すっかり星で満たされた空に、モリカはどことなく消沈していた。
 一日掛けて何も有益な情報が得られなかった。さくらがこうなった原因は己にあるのに。

「さくら、また明日も探すからね」

 モリカの言葉に前を歩いていたさくらは驚いた表情で振り返り、ネオンライトにたおやかな微笑みを浮かび上がらせた。

「ううん。もういいの」

 いいって、そんな訳ない。言葉を続けようとしたモリカより早く、さくらは再び口を開いた。

「わたし、虹と一緒にいるわ」
「え!」

 驚いた声はモリカのもの。当の虹も虚を突かれた表情をしていたが、黙ってさくらの続きを待っている様子にモリカも倣う。

「わたし達、同じなんでしょう。良いでしょ。ね、虹」

 さくらは先頭を歩いていた虹に歩み寄り、彼の手に己の手を絡める。黙ってされるがままになっていた虹は少しの沈黙の後、微笑んでさくらの手を握り返した。

「それは、素敵な提案ですね」
「そいつぁ良かった。虹が一緒なら安心だな。なぁ? モリカ」
「あ、う、うん」

 到底昼間と同じ喉から発せられているとは思えぬ低く渋い趣きのある声。様子のおかしい謎マスコットに震えるモリカだったが、確かにその通りだと思い直す。
 それにしてもピュノという生き物、口調だけに飽き足らず、いつの間にかあざとい筈の顔までもがハードボイルドなおやじ顔と化していた。確か食事を終えた直後はまだあのあざとい顔だった筈だが、よく思い出せない。
 いや、今は意識から追い出そうとモリカは首を振る。

「色々とありがとう。ピュノ、モリカ」
「世話になりました。またどこかで」

 本来彼等が存在する物語では決して一緒になれなかった二人が、今こうして幸せそうに肩を並べている。その尊さをモリカは一人噛み締めた。

「またね。虹、さくら」

 目一杯手を振れば虹とさくらも返してくれた。そして二人は手を繋いだまま夜の喧騒の中へ消えていく。それぞれ主張する風貌がひしめき合う人波の中で、モリカには、それでも二人だけが特別煌めいて見えるのだった。

「……解決、はしてないけど良いの? ピュノ」
「本人達が納得したならそれは解決とも言えるだろうよ。嬢ちゃんと坊やは記憶を代償に互いを手にいれた。幸せそうに笑ってたろう」
「あんた誰なの!? ピュノは!?」
「切ないねぇ。ちょいと変わったくらいで相棒が分からなくなるのかい。アンタの可愛いオツムは」
「あんた誰よ!?」

 フランスパンの煙を吸っては吐く極太眉の奇怪な生き物。自称ピュノ(夜のすがた)はフランスパンをあの星形のステッキに変え、振った。

「そぉ~れそぉい!」

 可愛くもあざとくもない掛け声と共に星から煌めきが現れる。ファンシーな光にモリカは否が応でも包まれ、気付くと見知らぬ狭い一室にいた。
 室内はランプに照らされている。暗めな木の色をそのまま活かしたそこは正面と左右に背の高い窓があり、外側の窓枠から花籠が吊るされ、その向こうに無数の灯りで飾られた階下の街並みを見下ろせる。
 左手側に二つの扉、右手側には小さな棚。その上に数種類の柄を継ぎ合わせた布の入った籠。正面窓の前には行李が一つ。後ろには簡易な寝台があった。

「何ここ。どうやって来たの!?」
「寝床は必要だろぃ。この俺直々に用意しておいたぜ。移動なんざ俺っちのステッキにかかりゃあ一瞬さ」
「嘘でしょ? あんなに走り回ったのに。最初からそれ使えば良かったじゃない!」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。人ってのはすぐ便利な物に依存する。堕落ってのは一瞬なのさ。アンタが生み出した存在の為に一肌脱ぐってのは、不思議な力でパッと解決すりゃあ良いってモンじゃないのさ」

 正論が過ぎて逆にモリカは受け入れ難かった。この顔と身体で言われているのも大きな理由の一つである。奴がフランスパンの煙を吸っては吐いているのも大きく影響する。

「シャワーは左側の扉の奥だ。俺はもう寝るぜ。もちぷるのキュートなお肌が傷んじまうからな。良い夢見ろよ、モリカ」

 何か言っている謎マスコットを他所に開いた棚の中には、超小型の冷蔵庫が入っていた。生活感を出さない造りに小さな感動を覚えるモリカ。おかげで室内のファンタジーな雰囲気が保たれている。
 顔を上げるとピュノが籠の中で丸くなっていたので窓の方へ身体を寄せる。静かになった部屋で思い起こされるのは今日出逢った懐かしい顔ぶれ。もう描いてやれることはないと思いながらも、心の奥で眠り続けていた情景。

「記憶喪失とか、天涯孤独とか、重い過去って……もっと考えた方が良いのかもな」

 己の匙加減一つで、彼等の人生は決まる。その重さをモリカは薄っすらと感じ始めていた。
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