上 下
21 / 30
龍のうたげ編

結論を出す!

しおりを挟む

 翌朝。天楼で一晩過ごしたモリカは廊下の足音で目を覚ます。寝ぼけ眼を擦りながら襖を開くと、既に身支度を整えた者達がせっせと動いていた。

「やっと起きたですの。もう一日は始まってるですの」
「早い……うう、着替え……」

 部屋へ視線をやればピュノが卓で茶を飲んでいた。
 身支度を整え部屋を出る。少し向こうに丁度テイエンの姿があり、モリカを認めると足早に近付いてきた。

「おはよう。昨日はすまなかったな」
「う、ううん。わたしこそ声掛けてごめんね……あの、大丈夫だった?」

 モリカの問いにテイエンはさり気なく周囲の気配を窺う仕草を見せ、顔を近付けて潜めた声を出した。

「何、ここへは危害を加えに来た訳じゃないから心配するな。深追いする必要もない。あのまま逃したよ」
「そ、そうなんだ」

 ならば何が目的だ。訊きたかったがピュノの手前深追いはやめたモリカ。

「朝餉の誘いに来たんだ。食べられるか?」

 食パンじゃなくてすまないが、と続く。既に空腹を訴えていた健康優良児なモリカの腹の為に何度も頷き、階下の大広間へ向かう。
 和一色な食事の後は自由時間を告げられた。

「悪い、用事が出来た。タクとリクは学問の時間でな……案内出来ないが、鍵さえ開いてりゃどこでも好きに見て良いぜ。ただ個人の部屋だけは許可を取ってくれ」

 申し訳なさそうにテイエンは言った。経営者が忙しいのは当然かと思い、気にしないで欲しい旨を伝えモリカはピュノと共に大広間を後にする。
 当てもなく天楼の中を歩いた。大人達が朝食を摂ったり、体操したり、庭の手入れや店の掃除と朝ならではの光景が広がっていた。夜と違い皆ゆったりと動いている。

「朝は流石にお客さん来ないんだね」
「いいえ、あと数時間もしたら開店ですの。夜に働いて朝に飲みたいお客さんもいるですの!」
「そっかぁ。じゃあ天楼ってほとんど開いてるんだね」
「だからこそのシフト制ですの。あと、人手が足りなくなったら客も働かされるですの!」
「え」
「楽しみたけりゃ手伝え精神ですの! あくまでここの主役は天楼の住人ですの!」
「そこは変わってないんだね……」

 一緒に楽しみたければどうぞというスタンスなのだろう。よって行き過ぎた客は容赦なくぶっ叩かれる。ここの本質はあくまで住人の家なのだ。だから上質そうな柱に偶に迷いのない掘りで身長を測った跡が、落書きがあるのだ。誰かの相合傘があるのだ。
 懐かしく甘酸っぱい想いを抱えながら適当に廊下を彷徨うモリカ。味噌汁の良い匂いから遠ざかると、高い声がさわさわと騒めく場所に出る。その声が楽しそうで。そっと近付くと、一室に卓上の本と向き合う子供達の姿が在った。規則的に並ぶ卓一つにつき一人の子供。一番前には初老の男。

「これ討論はお終いと言うとろうが。前を向きなさい」
「だってじいちゃん、ぺんぺん草の合奏が……!」
「ぺんぺん草の話は終わりじゃと言うとろうが!! あと今は先生と呼べ!」
「先生! モーモーチャーチャーは……」
「モーモーチャーチャーの話もお終いぢゃあ!!」

 生徒と師が和気藹々と、和やかな光景だった。

「ああ、お勉強してるんだね。楽しそう。いいな……」

 モリカとて今は今で楽しいが、彼等の頃にはもう二度と戻れない。尊い時を家族と幸せそうに過ごす様が、その幼さが、少しだけ羨ましかった。

「モリカは昔に戻りたいですの?」
「うーん。ちょっとだけ、戻ってみたいかもね」

 麗らかな風。草木の匂い。先生の声を遠く捉えながら教室の窓から眺めた景色、空。手元には買ってもらったキャラクター物の文具。身を包む、清潔に洗われた服。
 まだ何にでも成れた小さな自分。
 あの何をするにも不自由で、けれど夢みたいに自由だった時間はもう終わったのである。

「……って、なんかおセンチになっちゃった」

 学舎を通り抜け階段を上がると、今度は更に幼い声が聞こえてきた。開け放たれた襖から見えたのは年端もいかない幼子達とその面倒を見る大人達。
 手を差し出す者のところへ、よちよちと歩く白くてぽってりとした魔物の赤ちゃんが、途中で尻餅を突いて泣き出した。待っていた大人はそれを見て笑いながら抱き上げにいく。

「泣くな、泣くな。大丈夫だから」

 母を思わせる、むず痒くなる程に甘く慈しみに溢れた声だった。

「にぃー!」

 別の場所で人の子が何か言っている。それを聞いて大人達は顔を綻ばせた。

「にぃはお勉強だから、終わったらみんなで遊びましょうね」

 はたまた別の場所では部屋を出ようとする年若い青年が女達に裾をむんずと掴まれていた。

「どこ行くのー!? アンタ暇でしょうが! いつも喜んで面倒見てるじゃない!」
「ある程度の年齢の奴らだ! ここまで幼いとどうして良いか分からん!」
「勉強なさい!」

 嗚呼、テイエンの好きな光景だとモリカは思った。心のままに話せる関係。甘えを晒せる仲。平穏な日常を、あの龍は愛しているのだ。

「天楼っていいな」

 ここにいる者全てが遊幻廓のように悲しい過去を背負っているのか、モリカには分からない。けれどいずれにしても天楼の住人は異形になることはないのだろう。モリカが良いと思って考えた、残酷な結末を迎えずに済むのだ。
 ずっと、皆が幸福の中にいられるのなら、それは救いだ。
 ここはテイエンの世界。与えられた時を楽しく過ごそうと笑い合う穏やかな世界だ。自ら苦しみや戦いの中へ身を投じることにこそ価値を見出し、遥か先を見据えるシャンプーとは違う。苦しさも戦いもなるべく遠くへ追いやって、二度と戻らない現在(いま)を楽しんでこそというテイエンの考え。
 彼の寿命に対し、他種の命の日暮はあまりに早い。彼にしてみれば夜明けがきたかと思えばあっという間に日没を迎えているのだろう。その短い生でわざわざ苦しむ様は、優しい龍には辛いのだ。モリカだって小動物を想えば如何なる痛みも苦しみもなく生を全うして欲しいと望む。
 シュンプーとテイエン。どちらの価値観が良いというものでも、優れているというものでもないとモリカは思った。
 だから教団と天楼、二つの間の通りで二人の瞳を交互に見つめ、晴れやかな心地で伝えた。

「どっちにも良いところがある。だから、お互いにそこは認め合って尊重するべきだと思ったよ」

 モリカの答えを聴いて、彼等の瞳が見開く。モリカを見て、互いを見て、そして――。

「そんな訳がない!」

 筋肉のぶつかり合いをおっ始めたのでモリカとピュノは黙って退散する。愛のゆりかご(余波)がきては大変だと。あれはもはや、範囲魔法である。

「そもそも体験するべきってあの人達だったんじゃないの!?」
「気付くのが遅いですの!」
「わーん! 言ってよー!!」

 しっかり堪能した後である。もう何もかもが遅かった。裏表通りを駆け抜けて、二度と来るものかと誓うモリカ。裏通りの壁に手を突けば昨日から蓄積された疲労が一気に溢れた。

「なんか疲れた……ちょっとだけお昼寝したい。ピュノ、あの部屋に連れてってよ」
「しょうがないですの。休んだらまた再開ですの」
「うん」

 あの部屋とは、ピュノが用意していた木の温もりを感じる一室のことである。モリカが頷くとピュノは星形のステッキを振るい呪文も唱えた。

「ぴゅのぴゅのぱんだふる~!」

 モリカからのコメントは特になかった。
しおりを挟む

処理中です...