花嫁は王を選ぶ。そして死を告げる

ヤマザキ

文字の大きさ
11 / 28

溢れたのは果汁か涙か

しおりを挟む

 エルリックを探して、もうどれくらい経っただろうか。

 控えの間にも中庭にも、書庫にもいなかった。神殿の裏廊にも厨房にも姿はなく、使用人たちも「今日は見かけていません」と首を横に振るばかりだった。

 (いったい、どこに……?)

 アヴェリンはそっとため息をつき、廊下の窓辺に手をかけた。すでに日は傾き、空は紫色に染まりつつある。

 あきらめかけて踵を返したそのとき、視界の端に、柱の陰からぬるりと出てくる細い人影が見えた。

 (あれは――!)

 咄嗟に身を隠して様子を伺う。黒髪に控えめな銀飾り、深緑の上衣。間違いない。第四王子、エルリック・ヴァレリアンドだった。

 だが、その姿はどこか様子がおかしかった。周囲をきょろきょろとうかがい、背中を丸めて廊下の端をこそこそと歩いている。まるで衛兵に追われる悪戯小僧のようだった。

 (……なにをしてるの?)

 思わず声をかけようとして、アヴェリンはそっと足を踏み出した。

 「エルリック殿下?」

 ピクリと肩が跳ねる。だが振り返ることなく、エルリックは足早に歩き出した。

 「ちょ、ちょっと待ってください!」

 アヴェリンは慌てて追いすがる。狭い廊下に靴音が響いた。

 「あなたに少し、お話が……! 今朝からずっと探していて――」

 無視だった。

 「どうしてそんなに急いで……? 私、なにか……」

 それでもエルリックは立ち止まらず、彼女の言葉をすべてかき消すように、黙々と足を進める。後ろ姿には普段の陰のある静けさではなく、なにか――焦りのような、拒絶のような気配が滲んでいた。

 「……どうして、そんなに……避けるんですか……」

 そう問いかけた瞬間だった。

 「……付きまとうな!」

 突き刺すような怒声が、廊下に響いた。

 アヴェリンは足を止めた。

 エルリックが振り返っていた。目は伏せられたままだったが、表情には確かな苛立ちと、怒りがあった。どこか――怯えにも似た色が混ざっていた。

 「……っ」

 エルリックに怒鳴られたのは初めてだった。そもそも、彼が感情をあらわにしたところなど一度も見たことがない。

 それでも、アヴェリンは引き下がらなかった。

 「待ってください……!」

 彼の背中へ再び歩を進める。エルリックは顔を背け、何も言わずに足を速めた。アヴェリンもその背を追った。

 (どうして……どうしてこんなに拒絶されなければならないの?)

 呼吸が少しずつ荒くなる。けれど止まれなかった。彼の本当の気持ちが知りたかった。こんなにも突然、冷たくなる理由を知りたかった。

 やがて彼は、痺れを切らしたように扉を開け放ち、中へと入った。

 そこは厨房だった。

 アヴェリンは立ち止まる。冷たい空気の中に、ほんのりと残る香草の匂い。
 厨房内は今、大忙しだろう、あんなところでエルリックと談笑するわけにはいかないと、厨房の外で彼が出てくるのを待つ事にした。

 (……空腹で機嫌が悪かったのかな?)

 ふと、そんな馬鹿げた想像が浮かんだ。追い詰められているのは自分なのに、なぜか彼の方が追い詰められているように思えた。お腹が膨れれば少しは話を聞いてもらえるだろうか、などと考えている…………そのときだった。

 「おい」

 低い声が背後から投げかけられた。思わず振り返る。

 その瞬間、何かが飛んできた。

 ぐしゃっ――

 柔らかく、冷たい感触が顔面を打つ。頬を濡らし、髪を汚し、鼻に甘酸っぱい香りが届く。

 ――投げられたのはトマトだった。

 呆然としたまま、アヴェリンは固まった。

 まるで昔と同じだった。幼い日のあの午後、レオポルドにトマトを投げつけられたあの日。

 そして、赤い汁の混じる頬に、ひんやりとした布が触れたのを思い出す。小さな手が差し出した、白いハンカチ。

 それを差し出してくれた人は今、目の前で床に落ちた赤い塊と自分を無言で見つめている。

 彼の表情には怒りとも、悲しみともつかない歪みがあった。

 アヴェリンはただ、ぽたぽたと頬を伝う液体を指で拭う。涙が混じったその赤は、どこか血のようにさえ見えた。

 トマトの果汁に混じった赤い涙。

 それが何を意味していたのか、その場ではまだわからなかった。

 だが、確かにあの瞬間――アヴェリンの胸の奥で何かが、静かに、軋んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

高飛車な侯爵令嬢と不器用な騎士団長

ヴァンドール
恋愛
 高飛車な侯爵令嬢は、平民ながらも戦果を挙げ、陛下より爵位と領地を賜った、国の英雄である王宮騎士団長に、自分が好きならと課題を与える。そんな二人の物語。

公爵家の養女

透明
恋愛
リーナ・フォン・ヴァンディリア 彼女はヴァンディリア公爵家の養女である。 見目麗しいその姿を見て、人々は〝公爵家に咲く一輪の白薔薇〟と評した。 彼女は良くも悪くも常に社交界の中心にいた。 そんな彼女ももう時期、結婚をする。 数多の名家の若い男が彼女に思いを寄せている中、選ばれたのはとある伯爵家の息子だった。 美しき公爵家の白薔薇も、いよいよ人の者になる。 国中ではその話題で持ちきり、彼女に思いを寄せていた男たちは皆、胸を痛める中「リーナ・フォン・ヴァンディリア公女が、盗賊に襲われ逝去された」と伝令が響き渡る。 リーナの死は、貴族たちの関係を大いに揺るがし、一日にして国中を混乱と悲しみに包み込んだ。 そんな事も知らず何故か森で殺された彼女は、自身の寝室のベッドの上で目を覚ましたのだった。 愛に憎悪、帝国の闇 回帰した直後のリーナは、それらが自身の運命に絡んでくると言うことは、この時はまだ、夢にも思っていなかったのだった―― ※月曜にから毎週、月、水曜日の朝8:10、金曜日の夜22:00投稿です。 小説家になろう様でも掲載しております。

精一杯のエゴイスト

宮内
恋愛
地方都市で地味に働く佐和。以前の恋のトラウマに縛られて四年も恋愛から遠ざかる。そんな佐和に訪れた出会い。立ち止まる理由ばかりを探しても止まらない想いの先にあるものは。

見捨ててくれてありがとうございます。あとはご勝手に。

有賀冬馬
恋愛
「君のような女は俺の格を下げる」――そう言って、侯爵家嫡男の婚約者は、わたしを社交界で公然と捨てた。 選んだのは、華やかで高慢な伯爵令嬢。 涙に暮れるわたしを慰めてくれたのは、王国最強の騎士団副団長だった。 彼に守られ、真実の愛を知ったとき、地味で陰気だったわたしは、もういなかった。 やがて、彼は新妻の悪行によって失脚。復縁を求めて縋りつく元婚約者に、わたしは冷たく告げる。

愛とオルゴール

夜宮
恋愛
 ジェシカは怒っていた。  父親が、同腹の弟ではなく妾の子を跡継ぎにしようとしていることを知ったからだ。  それに、ジェシカの恋人に横恋慕する伯爵令嬢が現れて……。  絡み合った過去と現在。  ジェシカは無事、弟を跡継ぎの座につけ、愛する人との未来を手にすることができるのだろうか。

大迷惑です!勝手に巻き戻さないで!?

ハートリオ
恋愛
イブはメイド。 ある日主人であるブルーベル様の記憶が2つある事に気付き、時間が巻き戻されていると確信する。 しかも巻き戻り前は美しく優秀だったブルーベル様。 今はオジサン体型でぐうたらで。 もうすぐ16才になろうというのに婚約者が見つからない! 巻き戻された副作用か何か? 何にしろ大迷惑! とは言え巻き戻り前は勉強に鍛錬に厳しい生活をしていた彼。 今回の方が幸せ? そして自分の彼への気持ちは恋? カップルは男性が年上が当たり前の世界で7才も年上の自分は恋愛対象外… あれこれ悩む間もなくイブはメイドをクビになってしまい…

婚約破棄されたのに、王太子殿下がバルコニーの下にいます

ちよこ
恋愛
「リリス・フォン・アイゼンシュタイン。君との婚約を破棄する」 王子による公開断罪。 悪役令嬢として破滅ルートを迎えたリリスは、ようやく自由を手に入れた……はずだった。 だが翌朝、屋敷のバルコニーの下に立っていたのは、断罪したはずの王太子。 花束を抱え、「おはよう」と微笑む彼は、毎朝訪れるようになり—— 「リリス、僕は君の全てが好きなんだ。」 そう語る彼は、狂愛をリリスに注ぎはじめる。 婚約破棄×悪役令嬢×ヤンデレ王子による、 テンプレから逸脱しまくるダークサイド・ラブコメディ!

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

処理中です...