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その背中は砦のように
しおりを挟む軽やかな序曲が、黄金のシャンデリアに弾かれて舞い上がる。
王宮の大広間――今宵だけは、まるで異国の夢の中にいるようだった。
壁に飾られた絹のタペストリー、千の光を纏う燭台、磨かれた床に映る人々の影。それらすべてが、舞踏会という非日常を謳歌していた。
貴族たちは煌びやかなドレスと礼服に身を包み、互いに軽口を交わしながらワルツの始まりを待っている。
けれど、その中心に立つ少女――アヴェリンの周囲だけは、ほんの少し、空気が違っていた。
「……まるで、台座に置かれた人形ですな」
どこか皮肉のような、憐れみのような声が背後から聞こえた。振り返らなくてもわかる。第一王子・レオポルドだ。
アヴェリンは視線を動かさず、ただ静かに答える。
「人形であるうちは、まだ楽です。意思を持った途端、壊されるのですから」
「……また後日2人きりで話はできませんかな?」
「もちろん……女神の代行者としてそのような機会は必要と思っております」
レオポルドは安心したような表情を浮かべ、すぐに別の貴族令嬢へと足を向けていった。
アヴェリンはほんのわずか、深呼吸をする。
煌めく音の帳が、王宮の大広間を包み込む。
まるで天上の花園のように飾られた空間で、アヴェリンは人々の視線を一身に集めていた。
ドレスは淡い藤色、裾に銀の刺繍。腕には小さな花のブレスレット。
それは招待状とともに、第五王子・マイロから贈られたものだった。
「……アヴェリン様」
やさしい声が、背後から響いた。
振り向けば、そこにいたのはマイロがいた。金糸の刺繍が施された濃紺の礼装に身を包み、まるで童話から抜け出た王子のような佇まいだった。
「お迎えに参りました。一曲目は、どうか私と」
その手が差し出される。震えることなく、ただ静かに。けれど、その指先はほんの少しだけ熱を帯びていた。
「……ええ。喜んで」
アヴェリンがそっと手を重ねると、周囲の空気が変わったのがわかった。
「第五王子だわ」
「あの子、女神の……」
「最初に選ばれるなんて」
噂のざわめきが、遠くの水面のように波立っていく。
けれどマイロは気にする様子もなく、アヴェリンをゆっくりと舞踏の中心へと導いていった。
初めの一音が奏でられる――ゆるやかで、どこか祈りにも似た旋律。
マイロはとても丁寧に、まるで壊れ物に触れるような繊細さでアヴェリンをリードする。
けれど、どこかぎこちない。動きではなく、息づかいに、焦りのようなものがある。
「緊張、なさってますか?」
アヴェリンが問うと、マイロははっとしたように笑った。
「……して、います。とても。初めてですから」
「実は私もです」
照れたようにはにかむマイロを見て、アヴェリンの胸が、かすかに鳴った。
「あのとき……命を助けていただいた夜のこと、私は忘れていません。いくら感謝してもしきれませんもの」
――あの夜のこと
言葉にはできないほどの恐怖と安堵が交錯した日。
「あの日の事より、今日が僕との思い出になるように……あなたの楽しい思い出の側には、いつも僕が立っている事を願います」
静かで、それでも決して揺るがない声だった。
彼の想いが言葉に宿り、舞踏の一歩一歩が、祈りのように空間へと響いてゆく。
会場のあちこちのペアがフロアで躍る。
ケイラン・ヴァレリアンドもその一人だった。
その隣には、侯爵家の令嬢――ルシアナ・フォン・ヴァーレ。
波打つ髪をゆるく結い上げ、深紅のドレスを身にまとった彼女は、貴族らしい優雅さと知性を備えた舞踏会の常連だった。
けれど――
「……今日の殿下は、どこか浮かないご様子ですね?」
ルシアナが笑みを崩さず囁くように問いかけたとき、ケイランは目を伏せるように視線を逸らした。
「……気のせいだよ。踊りに集中しよう」
その返答に、彼女はひとつだけ笑みを深める。
だが、彼の瞳が本当に見ているのは――自分ではないと気づいていた。
ケイランの視線は、踊りながらも何度も会場の中央へと流れていた。
自身の弟の腕の中でくるりと舞い踊る女性を追って。
それはジュリアンも同じだった。
舞踏会の一角、遠巻きに群れる貴族たちの間から、ひときわ静かな眼差しを向けていた。
ジュリアンの視線は、微笑むアヴェリンの頬に、彼女の手を取るマイロの指先に、そして二人の足元に続く光のラインに――ただ、じっと注がれていた。
彼は、何も言わなかった。
けれどその沈黙には、痛みがあった。
「やはり……私も未熟だな」
初めて会ったときの彼女の面影を、ジュリアンは思い出していた。
恐れ、迷い、誰も信じられなかったあの目が、今は――マイロに向かって、あんなにも柔らかい。
羨ましい、と彼は思ってしまった。
それは女神の代行者だからではない。
ただ、彼女の心に届いているのが、今は自分ではないという事実。
その思いを誰にも見せまいと、ジュリアンは背筋を伸ばし、グラスの中の葡萄酒に視線を落とした。
――それでも、次は自分に、彼女の手が差し出されることを願って。
そして周囲もいつしかマイロ、アヴェリンの2人に注目していた。
歓声、笑い声、音楽。
――それらを切り裂いたのは、金属の鈍い音だった。
悲鳴が、タペストリーを震わせる。
会場の片隅。ひとりの男が、令嬢の喉元に短剣を突きつけていた。
「動くな。誰か一人でも下手に動けば、この娘の命はない」
貴族たちが凍りつく中、男の合図とともに、会場内の随所から次々と武装した影が現れた。
仮面の下に鋭い眼。貴族に化けて潜り込んでいたのだ。
「ば、馬鹿な……この警備をどうやって……!」
ざわつく貴族たちの間で、アヴェリンは動けずにいた。
冷たい汗が背を伝う。指先が震え、視界がぐにゃりと歪む。
――また、だ。
これで2度目? また、あの恐怖を味わう事になるの?………
(違う……これは、“また”なんかじゃない……)
背筋に走る戦慄。それは直感だった。
あの日――命を狙われ、救われたあの夜から。
すでに、この襲撃は計画されていたのだ。
自分の足が、動かない。
喉が張りつき、言葉も出てこない。
(逃げなきゃ……でも、動けない……)
次の瞬間。
アヴェリンの目の前に、何かが――いや、誰かが立ちはだかった。
風が吹いたように色とりどりのマントがひるがえる。
それらの無数の影は剣も持たずに立ち塞がる。
アヴェリンの目前には、マイロ、ジュリアン、ケイラン………そしてレオポルドまでもが彼女を守るように並んでいた。
まるで事前に打ち合わせたかのように、四人が自然とアヴェリンを囲むように立つ。
視界が、彼らの背中で塞がれる。
「……殿下達……」
アヴェリンの唇が震える。
守られている。
誰にも頼んでいないのに、誰一人、命じてもいないのに。
彼らは、迷いなく自分の前に立ったのだ。
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