冷酷皇太子の妃

まめだいふく

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episode2

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 翌日。

(なんて贅沢で、なんて眩しいの……)

 部屋の中央に広げられたドレスは、高価な絹地にびっしりと刺繍が施され、袖口には真珠が並んでいた。
 これを着れば、きっと誰もが息を呑むだろう。

 でも――。

(この宝石ひとつで……何人の民が空腹を満たせるか)

 胸の奥が痛んだ。私は静かに首を振り、衣装台の脇に掛けられていた、何の装飾もない白絹のドレスを手に取る。
 薄く軽いその布は、触れればしっとりと肌に沿い、光を柔らかく返した。

「……これにする」

 思わぬ言葉に、女官たちが一斉に顔を上げる。セナも驚いたように私を見つめた。

「ニーナ様。どうか装飾を身に着けてください。でないと__」
「装飾は不要。私はこの国へ嫁ぎに来たのではなく、国を繋ぐために来たの。貧困に苦しむ民がいるというのに王族だけが贅沢に着飾るなんて滑稽よ。」

 短い沈黙ののち、セナは小さく笑みを浮かべ、裾を持って私の着替えを手伝った。

「……ニーナ様らしいお考えですわ。きっと、いつかこの選択が意味を持つ日が来ます」

 セナの手が器用に背中の紐を結び、裾を整えていく。
 白絹が肌に沿い、体を包んでいく感触。
 それは同時に、少女としての自分を閉じ込めていくような感覚だった。

(……もう、ハンガルドには帰れない。だったらせめて民衆に愛され、祖国を陰から支えられる妃になってみせる)

 鏡の中の自分を見つめる。
 祖国で過ごした日々。庭で摘んだ花を髪に飾り、女官たちと笑い合った穏やかな午後。
 母后に抱きしめられた温もり。病床の父王が私の頭を撫でてくれた、あの大きな手。

 全てが遠い。

 もう二度と、あの日には戻れない。

(私は……ハンガルド第十三皇女ニーナ。国を救うために、ここに来たのだから)

 セナが最後の紐を結び終え、一歩下がった。

「……お仕度、整いました。お美しいですわ。ニーナ様。」

 白絹を纏った姿は、飾り気こそないが、凛としていた。
 セナが涙を滲ませているような気がして、声をかけようと手を伸ばせば、セナは気づかないふりをして
 片付けを始めた。

 支度を終えて外へ出ると、ロードレスが準備した煌びやかな輿が待っていた。
 両脇には正装した兵士たちが整然と並び、槍の穂先が空を突いている。

「さあ、ニーナ様。お乗りくださいませ」

 セナが手を差し出す。けれど私はその手を取らず、首を横に振った。

「いいえ……私は歩いて行きます」

 その場が一瞬、凍りついた。

「歩いて……? しかし、城までは長い道のりでございます。それに妃候補が輿を拒むなど――」

「私は飾りではありません。ハンガルドの代表として、自分の足でこの国の土を踏み、城へ入ります」

 兵士たちが顔を見合わせ、楽隊の指揮者が困惑の表情を浮かべる。

 それでも私は一歩、石畳へと足を踏み出した。

 白絹の裾が陽光を受けて揺れ、群衆のざわめきが広がる。

 誰かが口笛を吹き、子どもが「きれい!」と叫んだ。

 楽隊は歩調を合わせ、私はその先頭を堂々と進む。

 道の両脇で花びらが舞い、大人も子どもも手を叩く。

 豪華な輿よりも、この足音のほうがずっと胸に響く気がした。

(……あの子は)

 群衆の中にあの小さな影を探したが、見つからなかった。
 粗末な服装からして、この街の住人ではないのかもしれない。
 あるいは奴隷……あんなに幼いのに。

 やがて、黒鉄の門が見えてきた。
 近づくにつれ、門の紋章――龍と剣――が威圧するように迫ってくる。

 胸が高鳴る。
 鼓動は早鐘を打ち、喉が渇く。

 右手の震えを左手で押さえても、その震えは伝わっていく。

(鎮まりなさい……ハンガルドの命運がかかっているのだから)

 祈るように息を整えたそのとき、城門が重々しい音を立てて開き始めた。
 差し込む光の先には、未知の世界――そして氷の皇太子が待つ場所。

(……参ります)

 私は背筋を伸ばし、白絹を揺らしながら堂々と城の敷居をまたいだ。
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みんなの感想(1件)

hiyo
2023.08.19 hiyo
ネタバレ含む
2023.08.21 まめだいふく

感想ありがとうございます✳︎更新までもう少々お待ちください☆

解除

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