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第4章 抗争
第6話
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「……ん? なんや、ちょっとやかましいな」
狼崎の言葉にセイルも耳を澄ませてみる。山奥の廃旅館で物音などするはずがない。
しかし、確かにガタガタと音がする。それに、何やら揉めているような声。更に聞こえてくるパァンという甲高い炸裂音が何発も続く。
胸が先程とは違う意味でドキリと跳ねる。
勝手に期待して、違っていたら絶対にガッカリするというのに。
それなのに、どうしても胸が疼いてしまう。
セイルの居場所を見つけ出すような物は何も持ち合わせていない。期待するだけ無駄だと分かっていても、何故だか彼なら見つけ出して助けてくれる気がしてならないのだ。
喧噪が徐々に近づいてくる。耳をそばだてずとも分かるくらい明確に。
いくつかの大きな物音の後、セイルたちがいる部屋の扉が轟音と共に開かれた。
部屋の中へと入って来る靴音。ドキンドキンと胸が高鳴る。狼崎と共に入口の方を凝視していた。
「……ったく、めんどくせぇことさせんじゃねぇよ」
黒い革靴が畳を踏みしめた。長い脚の先には、不機嫌極まりない美丈夫の顔。そばめられた瞳は眼差し鋭く、見る者に恐怖すら与える。眉間の皺は深く寄せられ、何よりも纏うオーラがピリピリとしていた。
今、一番頼りになる人が来てくれた。それだけでホッとする。縛られていることや狼崎の手の中にあるという状況は何一つ変わっていない。それでも、彼が来てくれたというだけで、もう大丈夫だと思える。
緊張に強張っていた体から力が抜けるのを感じていた。
同時に、ホロリと瞳から涙が零れ落ちる。
「あっ……」
全くと言って良い程、予期していなかった。ホロリと流れた涙を切っ掛けとしたように、ポロポロと後から雫が零れていく。
狼崎と対峙していた時には泣かなかったのに。止める術さえ思いつかない。
そして、その様を見た鷹臣が更に機嫌を損ねるのが手に取るように分かった。
「そいつを泣かせて良いのは、世界中で俺だけって決まってんだけどなぁ」
「それ初めて聞いたわ。ほな、それやったらちゃんと教科書にでも書いといてくれな困るわ」
「そうか? どうせ書いてあっても、お前みたいなオツムの出来じゃあ読みもしないだろ?」
「あっ」
狼崎がセイルの襟元を引っ張り上げ、腕で喉を締め付ける。ギリリと締められた首が痛く、呼吸も苦しい。
「ここ見つけたんはさすがや言うといたるけどな、まだ切り札はワイの手の内や。イロの可愛い顔に穴あけられたないんやったら、土下座でもしてみっともなく命乞いでもしてみぃや」
狼崎がスーツの胸元から拳銃を取り出し、セイルの顎の下へと銃口を押し付ける。銃自体をセイルは見たことなかったが、状況や狼崎の言動などから突きつけられているのが何かしらの武器であることはすぐに分かった。
顔面が蒼白になる。涙など引っ込んでしまった。カタカタと震えるばかりで何もできない。
銃口はピッタリと顎下にくっついていた。こんな至近距離で武器を使われては、逃げられなどしない。そもそも、手も足も縛られている状況で回避のしようもないのだが。
鷹臣はしばしセイルと狼崎を見ていたが、切れ長の瞳を更に細めると、スーツの胸ポケットへと手を入れた。そして、見慣れた煙草の箱を取り出すと、ジッポライターで火を点ける。くゆらせる煙。
この状況下において鷹臣が何をしたいのか分からない。狼崎と共に鷹臣を凝視していると、再びスーツの胸元へと手を入れた。見えてきたのは、黒光りする金属製の道具。グリップを握ったまま、筒先をこちらへと向けてくる。
ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。鷹臣が持っている物は、狼崎が持っている物とほぼ同じ形状をしている。武器の類の標的が自分たちの方向へと狙いを定めている。
「おいおい、気ぃでも狂うたんか? こっちはあんたの大事な人質おるんやぞ」
「んっ、く……」
更に強く銃口を顎の下の柔肉へとねじ込まれる。痛みに顔を歪めるが、この武器が使われれば、痛いなどという程度のものではすまないだろう。
形状からするに、筒から放たれる何かが相手を攻撃する類の物だろう。里を取り巻く世界において、人間たちが使っている大砲なる武器を小さく掌サイズへと作り替えた物だろうか。それであれば、鋭く乾いた音が聞こえてきたことも説明がつく。
冷や汗がこめかみを流れ落ちた。緊張で鷹臣の手元から目線が外せない。
しかし、その均衡はすぐに崩れ去った。鷹臣の手から銃が落とされる。明らかにグリップから自らの意思で指を外していた。ゴトリと重い音を立てて畳の上に落ちた鈍く光る金属。その一連の動きはスローモーションのようにゆっくりと見えた。
「はははははっ! 九条、お前の負けや! こんなつまらん奴のせいで、こんなとこで死ぬやなんて……散々な最期やなぁ!」
すぐ傍で聞こえる高らかな笑い声に耳までもが痛くなる。狼崎は抱えていたセイルを床へと放り、今度は銃口を鷹臣へと変えた。命の危機に瀕しているというのに、鷹臣は涼し気な顔で煙草をふかしている。
「鷹臣さん!」
「死ねや、九条! お前さえおらんようなったら、ゆくゆくは東蓮会も全部ワイのモンや!!」
狼崎の血走った眼が鷹臣だけを見つめている。
しかし、窮地に陥っているはずの鷹臣は、なぜか口角を上げて笑んでいた。
セイルはギュッと目を瞑る。これ以上、もう見ていられなかった。好きな人の死に際など、まともに見られるはずもない。
大切な母の死も吹っ切れるまでに相当な年月がかかった。
それが、愛する人になれば、立ち直れる気がしない。
ドンッという重い銃声が部屋の中に響いた。心臓が止まるかと思うくらいビクリと身が竦む。
「ぎゃああああああっ!!」
次に聞こえてきたのは、少し高めの男の絶叫。
明らかに鷹臣ではない。おそるおそる目を開いてみると、なぜか狼崎が左肩を押さえながら畳の上でのたうち回っている。その指先はみるみる内に赤く染まっていった。
「えっ……どう、して……」
訳が分からず呆然とする。相変わらず鷹臣が持ってきていた銃は足元に転がったままだった。それに、狼崎が持っていた銃も彼の近くに落ちている。目を瞑っていたのなんて、ものの数秒程度だ。それなのに、どうしてそんな短時間で倒れているであろうはずの鷹臣が何事もなかったかのように立っていて、勝利を確信していた狼崎がもがき苦しんでいるのか分からない。
「もぉ~……、ほんっっっっっとに、勘弁してよぉ……………」
「ちゃんと注意は俺に引き付けてたから、的としては狙いやすかっただろうが」
「そういう問題じゃないってばぁ! あぁ~、これで僕も極道の仲間入り……? 聖職者としてあるまじきことだよぉ……。いや、その前に、これバレたら傷害罪? いやいや、もしかしたら殺人未遂……?」
客室へと向かう廊下からひょこりと顔を出したのは、見慣れた瓶底眼鏡。緊迫感で張り詰めていた空気が一気に彼の登場で緩和する。
「どうしてもついて行くって聞かなかったのはテメェの方だろが。な? 役に立っただろ、それ」
「いや、確かに役には立ったよ!? 二人を助けられたし! でも、だからって、僕は鷹臣とは違って一般人なんだからね!? こんなん撃ったこともなければ、人なんて狙ったことすらないんだからさぁ!!」
「ガキの頃はゲーセンでそんな眼鏡かけるようになるくらいゾンビ撃ちまくってただろが。その成果が発揮できて良かったじゃねぇか」
「いやいや、ゲームは確かに得意だったよ!? ランキングとかも総なめにしてたけどさぁ!? でも、それってゲームの中じゃん! リアルじゃないじゃん!! 急すぎて、人生棒に振るとか考えてる余裕さえなかったよぉ!?」
「ばーか。こんなん、大っぴらになる訳ねーだろが。心配しなくとも、ここでの出来事は全部お蔵入りだ。おあつらえ向きに人気のねぇ所選んでくれたおかげでな」
「ぎゃああっ!!」
鷹臣が虫の息の狼崎の左肩を蹴り上げた。再び響き渡る断末魔。鷹臣はそんな狼崎などには目もくれず、落とした拳銃を拾い上げ、スーツの胸元へと戻した。そして、相変わらず何事もなかったかのように煙草をふかしている。
「セイルさん! 大丈夫っすか!?」
「慎吾さん……」
悠真の出て来た所から、更にもう一人、少年の名残を残す金髪の成年が現れた。鷹臣と悠真のやり取りを聞きながら危機が去ったことに安堵していたが、更に味方が増えたことで胸を撫で下ろした。
慎吾は一目散にセイルへと駆け寄ると、スカジャンの内ポケットからドスを取り出し、セイルを戒めていた縄を切ってくれた。やっと自由を得られたが、ずっと縛られていたせいで手首も足首もジンジンと痺れている。まだまともに立つには少し時間がかかりそうだ。
「大丈夫っすか!? すいません、俺、組長からセイルさんの護衛を言いつかってたのに、役目を果たせなくて……。ここで! 腹ァ斬ってお詫びいたします!!」
「や、やめてください!! こうして助けに来てくださったじゃないですか! それに、バイト中の出来事だったんで、こんなの誰にも防ぎようなんてありませんから」
ドスを持つ慎吾の手を握りながら必死に止める。
確かに慎吾が護衛役を務めていたのは知っていた。しかし、だからと言って、ずっとバイト中待たせるのも忍びなく、送り迎えだけにしてくれと頼んだのはセイルの方からだった。行きはいつでも決まった時間にしっかりと待ち合わせ場所に車を運転して来てくれるし、帰りだって余裕を持って待機していてくれる。帰宅が早まる時には決まったスタンプを送信すれば、いつでも迎えに来てくれる。全くと言って良いほど慎吾に非はない。
「もう! これは、私が今だけ預かります!!」
無理やり慎吾の手からドスを奪い取る。火事場の馬鹿力というのは相当なものだ。痺れて暫く使い物にならないかと思っていたのに、大切な人たちの危機となれば普段以上の力を出せる。本来であれば、慎吾に腕力でなんか敵うはずもない。生死がかかれば強くなれるものだと自分で驚いた。
ドスを取り上げ、鞘を要求する。慎吾はバツが悪そうに畳に転がっていた鞘を拾い上げ、セイルへと手渡した。綺麗に磨き上げられた銀色の刃を木製の鞘の中へとしまい、巫女装束の胸元へと差し込んだ。これで切腹だのなんだのというような物騒なことは避けられるはずだ。
「ところで、テメェはいつまでそんなとこで座ってるつもりだ。帰るぞ。真柴、こいつの後始末しとけ。殺すのはまだだ。上への報告があるからな。事の顛末と共に、きっちりと落とし前をつけてもらう」
スパーと残り少なくなった煙草の煙をくゆらせる鷹臣は冷めた目で狼崎を一瞥すると、何の興味も持たないようにその煙草を狼崎の方へと放り投げた。狼崎は苦痛に呻きながら転がった状態で、何もできずに蹲っていた。
「えっと……、足、痺れてしまって……まだ立てる感じじゃなくって……」
「ちっ、しょうがねぇな。おい、慎吾、立つのに手ぇ貸してやれ。悠真、肩貸してやれるか? 俺は他の後始末がまだ残ってるからな」
「うん、分かった! セイルちゃん、大丈夫~?」
いつものヘラリとした柔らかい空気を纏わせ、悠真が近づいて来る。セイルへと手を差し出してくれる慎吾に礼を言いながらその手を取った。
鷹臣は踵を返すと、どこかに電話をかけるようで、スマートフォンを取り出しながら扉へと向けて歩いて行く。
やっと全部終わった。安堵から、ドッと疲れが襲ってくる。悠真の肩を借り、部屋から出ようと歩を進めようとした時だった。
「くじょぉぉぉぉぉ! お前だけエエ思いさせるかいなぁぁぁぁぁっ!!」
床に転がっている狼崎の手が銃を握っていた。その先はまっすぐに九条へと向けられている。
「たかおみさ……」
その場にいた三人誰もが狼崎を止めようと手を伸ばした。
しかし、その制止は叶わなかった。
甲高い破裂音と共に火薬の嫌な臭いが部屋に満ちる。
「てっめぇぇぇぇ!!」
慎吾が床に這いつくばっていた狼崎の手から拳銃を蹴り上げた。鈍い音と共に拳銃が部屋の壁へと当たって片隅に落ちた。
相も変わらず狼崎からは聞くに堪えない悲鳴が上がっている。慎吾が馬乗りになり、狼崎を殴っている。肉を打つ鈍い音がして、口からは呻きと共に血が吐き出されていた。
支えてくれている悠真の肩を押しのけ、鷹臣が消えた方向へと走る。
鷹臣のことだ、無事に違いない。銃口からは少し距離があった。あんな細い筒の中から飛び出す小さな玉など、命中させるのは至難の技のはずだ。
大丈夫、大丈夫と自分自身に言い聞かせる。
しかし、廊下へと続く短い客室側の廊下に膝をついている鷹臣の姿を見つけた途端、全身の血の気が引いた。
狼崎の言葉にセイルも耳を澄ませてみる。山奥の廃旅館で物音などするはずがない。
しかし、確かにガタガタと音がする。それに、何やら揉めているような声。更に聞こえてくるパァンという甲高い炸裂音が何発も続く。
胸が先程とは違う意味でドキリと跳ねる。
勝手に期待して、違っていたら絶対にガッカリするというのに。
それなのに、どうしても胸が疼いてしまう。
セイルの居場所を見つけ出すような物は何も持ち合わせていない。期待するだけ無駄だと分かっていても、何故だか彼なら見つけ出して助けてくれる気がしてならないのだ。
喧噪が徐々に近づいてくる。耳をそばだてずとも分かるくらい明確に。
いくつかの大きな物音の後、セイルたちがいる部屋の扉が轟音と共に開かれた。
部屋の中へと入って来る靴音。ドキンドキンと胸が高鳴る。狼崎と共に入口の方を凝視していた。
「……ったく、めんどくせぇことさせんじゃねぇよ」
黒い革靴が畳を踏みしめた。長い脚の先には、不機嫌極まりない美丈夫の顔。そばめられた瞳は眼差し鋭く、見る者に恐怖すら与える。眉間の皺は深く寄せられ、何よりも纏うオーラがピリピリとしていた。
今、一番頼りになる人が来てくれた。それだけでホッとする。縛られていることや狼崎の手の中にあるという状況は何一つ変わっていない。それでも、彼が来てくれたというだけで、もう大丈夫だと思える。
緊張に強張っていた体から力が抜けるのを感じていた。
同時に、ホロリと瞳から涙が零れ落ちる。
「あっ……」
全くと言って良い程、予期していなかった。ホロリと流れた涙を切っ掛けとしたように、ポロポロと後から雫が零れていく。
狼崎と対峙していた時には泣かなかったのに。止める術さえ思いつかない。
そして、その様を見た鷹臣が更に機嫌を損ねるのが手に取るように分かった。
「そいつを泣かせて良いのは、世界中で俺だけって決まってんだけどなぁ」
「それ初めて聞いたわ。ほな、それやったらちゃんと教科書にでも書いといてくれな困るわ」
「そうか? どうせ書いてあっても、お前みたいなオツムの出来じゃあ読みもしないだろ?」
「あっ」
狼崎がセイルの襟元を引っ張り上げ、腕で喉を締め付ける。ギリリと締められた首が痛く、呼吸も苦しい。
「ここ見つけたんはさすがや言うといたるけどな、まだ切り札はワイの手の内や。イロの可愛い顔に穴あけられたないんやったら、土下座でもしてみっともなく命乞いでもしてみぃや」
狼崎がスーツの胸元から拳銃を取り出し、セイルの顎の下へと銃口を押し付ける。銃自体をセイルは見たことなかったが、状況や狼崎の言動などから突きつけられているのが何かしらの武器であることはすぐに分かった。
顔面が蒼白になる。涙など引っ込んでしまった。カタカタと震えるばかりで何もできない。
銃口はピッタリと顎下にくっついていた。こんな至近距離で武器を使われては、逃げられなどしない。そもそも、手も足も縛られている状況で回避のしようもないのだが。
鷹臣はしばしセイルと狼崎を見ていたが、切れ長の瞳を更に細めると、スーツの胸ポケットへと手を入れた。そして、見慣れた煙草の箱を取り出すと、ジッポライターで火を点ける。くゆらせる煙。
この状況下において鷹臣が何をしたいのか分からない。狼崎と共に鷹臣を凝視していると、再びスーツの胸元へと手を入れた。見えてきたのは、黒光りする金属製の道具。グリップを握ったまま、筒先をこちらへと向けてくる。
ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。鷹臣が持っている物は、狼崎が持っている物とほぼ同じ形状をしている。武器の類の標的が自分たちの方向へと狙いを定めている。
「おいおい、気ぃでも狂うたんか? こっちはあんたの大事な人質おるんやぞ」
「んっ、く……」
更に強く銃口を顎の下の柔肉へとねじ込まれる。痛みに顔を歪めるが、この武器が使われれば、痛いなどという程度のものではすまないだろう。
形状からするに、筒から放たれる何かが相手を攻撃する類の物だろう。里を取り巻く世界において、人間たちが使っている大砲なる武器を小さく掌サイズへと作り替えた物だろうか。それであれば、鋭く乾いた音が聞こえてきたことも説明がつく。
冷や汗がこめかみを流れ落ちた。緊張で鷹臣の手元から目線が外せない。
しかし、その均衡はすぐに崩れ去った。鷹臣の手から銃が落とされる。明らかにグリップから自らの意思で指を外していた。ゴトリと重い音を立てて畳の上に落ちた鈍く光る金属。その一連の動きはスローモーションのようにゆっくりと見えた。
「はははははっ! 九条、お前の負けや! こんなつまらん奴のせいで、こんなとこで死ぬやなんて……散々な最期やなぁ!」
すぐ傍で聞こえる高らかな笑い声に耳までもが痛くなる。狼崎は抱えていたセイルを床へと放り、今度は銃口を鷹臣へと変えた。命の危機に瀕しているというのに、鷹臣は涼し気な顔で煙草をふかしている。
「鷹臣さん!」
「死ねや、九条! お前さえおらんようなったら、ゆくゆくは東蓮会も全部ワイのモンや!!」
狼崎の血走った眼が鷹臣だけを見つめている。
しかし、窮地に陥っているはずの鷹臣は、なぜか口角を上げて笑んでいた。
セイルはギュッと目を瞑る。これ以上、もう見ていられなかった。好きな人の死に際など、まともに見られるはずもない。
大切な母の死も吹っ切れるまでに相当な年月がかかった。
それが、愛する人になれば、立ち直れる気がしない。
ドンッという重い銃声が部屋の中に響いた。心臓が止まるかと思うくらいビクリと身が竦む。
「ぎゃああああああっ!!」
次に聞こえてきたのは、少し高めの男の絶叫。
明らかに鷹臣ではない。おそるおそる目を開いてみると、なぜか狼崎が左肩を押さえながら畳の上でのたうち回っている。その指先はみるみる内に赤く染まっていった。
「えっ……どう、して……」
訳が分からず呆然とする。相変わらず鷹臣が持ってきていた銃は足元に転がったままだった。それに、狼崎が持っていた銃も彼の近くに落ちている。目を瞑っていたのなんて、ものの数秒程度だ。それなのに、どうしてそんな短時間で倒れているであろうはずの鷹臣が何事もなかったかのように立っていて、勝利を確信していた狼崎がもがき苦しんでいるのか分からない。
「もぉ~……、ほんっっっっっとに、勘弁してよぉ……………」
「ちゃんと注意は俺に引き付けてたから、的としては狙いやすかっただろうが」
「そういう問題じゃないってばぁ! あぁ~、これで僕も極道の仲間入り……? 聖職者としてあるまじきことだよぉ……。いや、その前に、これバレたら傷害罪? いやいや、もしかしたら殺人未遂……?」
客室へと向かう廊下からひょこりと顔を出したのは、見慣れた瓶底眼鏡。緊迫感で張り詰めていた空気が一気に彼の登場で緩和する。
「どうしてもついて行くって聞かなかったのはテメェの方だろが。な? 役に立っただろ、それ」
「いや、確かに役には立ったよ!? 二人を助けられたし! でも、だからって、僕は鷹臣とは違って一般人なんだからね!? こんなん撃ったこともなければ、人なんて狙ったことすらないんだからさぁ!!」
「ガキの頃はゲーセンでそんな眼鏡かけるようになるくらいゾンビ撃ちまくってただろが。その成果が発揮できて良かったじゃねぇか」
「いやいや、ゲームは確かに得意だったよ!? ランキングとかも総なめにしてたけどさぁ!? でも、それってゲームの中じゃん! リアルじゃないじゃん!! 急すぎて、人生棒に振るとか考えてる余裕さえなかったよぉ!?」
「ばーか。こんなん、大っぴらになる訳ねーだろが。心配しなくとも、ここでの出来事は全部お蔵入りだ。おあつらえ向きに人気のねぇ所選んでくれたおかげでな」
「ぎゃああっ!!」
鷹臣が虫の息の狼崎の左肩を蹴り上げた。再び響き渡る断末魔。鷹臣はそんな狼崎などには目もくれず、落とした拳銃を拾い上げ、スーツの胸元へと戻した。そして、相変わらず何事もなかったかのように煙草をふかしている。
「セイルさん! 大丈夫っすか!?」
「慎吾さん……」
悠真の出て来た所から、更にもう一人、少年の名残を残す金髪の成年が現れた。鷹臣と悠真のやり取りを聞きながら危機が去ったことに安堵していたが、更に味方が増えたことで胸を撫で下ろした。
慎吾は一目散にセイルへと駆け寄ると、スカジャンの内ポケットからドスを取り出し、セイルを戒めていた縄を切ってくれた。やっと自由を得られたが、ずっと縛られていたせいで手首も足首もジンジンと痺れている。まだまともに立つには少し時間がかかりそうだ。
「大丈夫っすか!? すいません、俺、組長からセイルさんの護衛を言いつかってたのに、役目を果たせなくて……。ここで! 腹ァ斬ってお詫びいたします!!」
「や、やめてください!! こうして助けに来てくださったじゃないですか! それに、バイト中の出来事だったんで、こんなの誰にも防ぎようなんてありませんから」
ドスを持つ慎吾の手を握りながら必死に止める。
確かに慎吾が護衛役を務めていたのは知っていた。しかし、だからと言って、ずっとバイト中待たせるのも忍びなく、送り迎えだけにしてくれと頼んだのはセイルの方からだった。行きはいつでも決まった時間にしっかりと待ち合わせ場所に車を運転して来てくれるし、帰りだって余裕を持って待機していてくれる。帰宅が早まる時には決まったスタンプを送信すれば、いつでも迎えに来てくれる。全くと言って良いほど慎吾に非はない。
「もう! これは、私が今だけ預かります!!」
無理やり慎吾の手からドスを奪い取る。火事場の馬鹿力というのは相当なものだ。痺れて暫く使い物にならないかと思っていたのに、大切な人たちの危機となれば普段以上の力を出せる。本来であれば、慎吾に腕力でなんか敵うはずもない。生死がかかれば強くなれるものだと自分で驚いた。
ドスを取り上げ、鞘を要求する。慎吾はバツが悪そうに畳に転がっていた鞘を拾い上げ、セイルへと手渡した。綺麗に磨き上げられた銀色の刃を木製の鞘の中へとしまい、巫女装束の胸元へと差し込んだ。これで切腹だのなんだのというような物騒なことは避けられるはずだ。
「ところで、テメェはいつまでそんなとこで座ってるつもりだ。帰るぞ。真柴、こいつの後始末しとけ。殺すのはまだだ。上への報告があるからな。事の顛末と共に、きっちりと落とし前をつけてもらう」
スパーと残り少なくなった煙草の煙をくゆらせる鷹臣は冷めた目で狼崎を一瞥すると、何の興味も持たないようにその煙草を狼崎の方へと放り投げた。狼崎は苦痛に呻きながら転がった状態で、何もできずに蹲っていた。
「えっと……、足、痺れてしまって……まだ立てる感じじゃなくって……」
「ちっ、しょうがねぇな。おい、慎吾、立つのに手ぇ貸してやれ。悠真、肩貸してやれるか? 俺は他の後始末がまだ残ってるからな」
「うん、分かった! セイルちゃん、大丈夫~?」
いつものヘラリとした柔らかい空気を纏わせ、悠真が近づいて来る。セイルへと手を差し出してくれる慎吾に礼を言いながらその手を取った。
鷹臣は踵を返すと、どこかに電話をかけるようで、スマートフォンを取り出しながら扉へと向けて歩いて行く。
やっと全部終わった。安堵から、ドッと疲れが襲ってくる。悠真の肩を借り、部屋から出ようと歩を進めようとした時だった。
「くじょぉぉぉぉぉ! お前だけエエ思いさせるかいなぁぁぁぁぁっ!!」
床に転がっている狼崎の手が銃を握っていた。その先はまっすぐに九条へと向けられている。
「たかおみさ……」
その場にいた三人誰もが狼崎を止めようと手を伸ばした。
しかし、その制止は叶わなかった。
甲高い破裂音と共に火薬の嫌な臭いが部屋に満ちる。
「てっめぇぇぇぇ!!」
慎吾が床に這いつくばっていた狼崎の手から拳銃を蹴り上げた。鈍い音と共に拳銃が部屋の壁へと当たって片隅に落ちた。
相も変わらず狼崎からは聞くに堪えない悲鳴が上がっている。慎吾が馬乗りになり、狼崎を殴っている。肉を打つ鈍い音がして、口からは呻きと共に血が吐き出されていた。
支えてくれている悠真の肩を押しのけ、鷹臣が消えた方向へと走る。
鷹臣のことだ、無事に違いない。銃口からは少し距離があった。あんな細い筒の中から飛び出す小さな玉など、命中させるのは至難の技のはずだ。
大丈夫、大丈夫と自分自身に言い聞かせる。
しかし、廊下へと続く短い客室側の廊下に膝をついている鷹臣の姿を見つけた途端、全身の血の気が引いた。
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