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神話の夜
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振り返ると、そこにはいつの間にか作業を終えたらしいローグが立っていた。
元々体格が良いうえに表情がとぼしく、威圧感がある姿のローグだが、変な妄想をしていたせいで、ますます怖く見える。
思わず腰が引けた。
……や、やっぱり生贄か? 生贄に、されてしまうのか?
窓の外を横目で見ると、もう夕暮れが差し迫っていた。
……あの日がすっかり落ちきった時、私の28年の人生が終わる……なんてことはないよな?
「ミステ?」
「っ!」
……やって、しまった。
変な疑心暗鬼に陥ったせいで、ローグから伸ばされた手を、咄嗟に振り払ってしまった。
うわ、これは駄目だぞ、自分。駄目駄目だ。
恐らくローグは私の様子心配して、手を伸ばしてくれたのに、今のはない。
すぐに謝らなくては………まあ、でもローグは心が広いから、これくらいのこと気にしては………。
「………スレァ」
「っ!!」
犬獣人語で、「スレー」は謝罪の言葉だ。
つまり、これは「ごめん」と言ったのだろうと推測できる。
そう言ったローグの表情は、いつも通り変わらない。
……だが。
「ーースレァ! スレァ! ローグ、スレァーーっ!!」
必死に今、聞いたばかりの発音で、謝罪の言葉を繰り返して、ローグの手を握る。
ローグの耳が……いつもぴんと上を向いている狼耳が、ぺたんと折れてしまっている……!
ふさふさの尻尾も、だらんと力なく垂れている。
これは、落ち込んでいる……想像以上に、落ち込ませてしまったぞ……!
私はぎゅうぎゅうにローグの手を握り締めながら、嫌だったわけではなく、いきなりで驚いてしまっただけだということを繰り返し説明した。
それでもまだ耳が半折れの状態だったので、ローグがどれだけ私に優しくしてくれているか、私がそれにいかに感謝をしているか、使える語彙をフル活用して必死にローグに伝えた。
……よし、耳、戻ったな。
尻尾は………戻ったどころか、左右にぶんぶん揺れている。うん、これは完全に機嫌が直っている。
しかし、私は馬鹿だな。こんなことで一喜一憂するローグが、善意からでも私を無理やり生贄にするはずないだろうに。万が一生贄にする計画だったとしても、私が全力で拒否すれば間違いなく中止してくれるはずだ。
何も怖がることなんか、ない。
「ミステ」
繋いだままの手を引かれ、ランタンを吊した軒先へと連れて行かれた。ローグがいつの間に運んでいたのか、昼に準備した料理も、外に出したテーブルの上に並べられている。
ローグの機嫌を取るのに時間がかかったせいで、日はほとんど落ちていて、当たりは薄暗かった。
青みがかった夕空の下で、ランタンの中の魔宝石だけがそれぞれの色で光を放っている。
従来の魔宝石は、光に反射して輝きはしても、こうやって自ら光を発することはない。恐らく、それだけ石の中の魔力が膨張し、外に漏れかけているということなのだろう。
「もう東の空には星が見えるな」
夕闇で青みがかった空が、徐々に暗くなっていき、星は輝きをましていく。
太陽がすっかり西の先に消え去った瞬間、一迅の風が吹いた。
「ーーえ……」
それは、私が想像したような、激しい風ではなかった。
頬をそっと撫でるような、ふんわり体を包み込むような、慈しみすら感じる優しい風。
だが。
「魔宝石の光が、空に向かって上っていく……」
ランタンの中から、煙のように噴き出した光が、それぞれの筋を描きながら、夜空に向かって上っていく。
これは化学的に分析すれば、一体どういう現象なのだろうか。理系の分野に詳しくない私には、よくわからない。
原理はわからないが、目の前で繰り広げられているそれが、神の仕事だと言われても信じてしまうくらい、神秘的で美しい光景であることだけは、よくわかった。
村中で、同じように魔宝石をランタンに入れて吊しているのだろう。村のあちこちから、様々な色の光の筋が夜空に向かって上っていっている。
だが、これほどたくさんの光に照らされてなお、夜空の星の光は変わらず、寧ろ普段よりいっそう煌めいて見える。通常ならば地上が明るければ明るいほど、星は見えづらくなるものなのに。
夜空という黒いキャンパスの上で、光輝く星々と、様々な色で流れ込む様々な色の光の帯。
魔宝石の洞窟を見た時よりも、さらに上回る感動で胸が震えた。
「あ……音楽が」
どこからか先日の笛の音と、獣の遠吠えが聞こえてきた。
……遠吠え? いや、違う。先日はわからなかったが、これは歌だ。
獣が、年に一度の特別な夜を祝って、歌を歌っている。
あまりにも非現実的な想像かとも思ったが、不思議とその結論はすとんと私の胸に落ちて来た。
……こんな非現実的なまでに美しい空が存在するのなら、それくらい起こっても不思議はないだろう。
握ったままの手を優しく解くと、ローグもまた笛を吹き出した。
間近で響く笛の音に、さらに心が震えた。
なんて、美しい夜だ。
なんて、素晴らしい時間だ。
忘れられない記憶が、また増えた。
私はこの村で何度、「初めての感動」を味わえば良いのだろう。
どれだけ、この胸を震わせれば良いのだろう。
一曲を終えたら、今度は別の方向から、また別の曲が聞こえて来た。
今度はローグは笛を吹かないようで、私に食事を薦めて来た。
そのまま二人向かい合わせで外のテーブルに着き、用意した食事を口に運ぶ。美しい景色と、音楽に囲まれて食べる食事は、今まで食べたどんな高級レストランよりも、美味しかった。
「ミステ……」
食事が終わった頃。
「贈り物」を意味するであろう言葉と共にローグが差し出したのはーー琥珀色の魔宝石がついた指輪だった。
元々体格が良いうえに表情がとぼしく、威圧感がある姿のローグだが、変な妄想をしていたせいで、ますます怖く見える。
思わず腰が引けた。
……や、やっぱり生贄か? 生贄に、されてしまうのか?
窓の外を横目で見ると、もう夕暮れが差し迫っていた。
……あの日がすっかり落ちきった時、私の28年の人生が終わる……なんてことはないよな?
「ミステ?」
「っ!」
……やって、しまった。
変な疑心暗鬼に陥ったせいで、ローグから伸ばされた手を、咄嗟に振り払ってしまった。
うわ、これは駄目だぞ、自分。駄目駄目だ。
恐らくローグは私の様子心配して、手を伸ばしてくれたのに、今のはない。
すぐに謝らなくては………まあ、でもローグは心が広いから、これくらいのこと気にしては………。
「………スレァ」
「っ!!」
犬獣人語で、「スレー」は謝罪の言葉だ。
つまり、これは「ごめん」と言ったのだろうと推測できる。
そう言ったローグの表情は、いつも通り変わらない。
……だが。
「ーースレァ! スレァ! ローグ、スレァーーっ!!」
必死に今、聞いたばかりの発音で、謝罪の言葉を繰り返して、ローグの手を握る。
ローグの耳が……いつもぴんと上を向いている狼耳が、ぺたんと折れてしまっている……!
ふさふさの尻尾も、だらんと力なく垂れている。
これは、落ち込んでいる……想像以上に、落ち込ませてしまったぞ……!
私はぎゅうぎゅうにローグの手を握り締めながら、嫌だったわけではなく、いきなりで驚いてしまっただけだということを繰り返し説明した。
それでもまだ耳が半折れの状態だったので、ローグがどれだけ私に優しくしてくれているか、私がそれにいかに感謝をしているか、使える語彙をフル活用して必死にローグに伝えた。
……よし、耳、戻ったな。
尻尾は………戻ったどころか、左右にぶんぶん揺れている。うん、これは完全に機嫌が直っている。
しかし、私は馬鹿だな。こんなことで一喜一憂するローグが、善意からでも私を無理やり生贄にするはずないだろうに。万が一生贄にする計画だったとしても、私が全力で拒否すれば間違いなく中止してくれるはずだ。
何も怖がることなんか、ない。
「ミステ」
繋いだままの手を引かれ、ランタンを吊した軒先へと連れて行かれた。ローグがいつの間に運んでいたのか、昼に準備した料理も、外に出したテーブルの上に並べられている。
ローグの機嫌を取るのに時間がかかったせいで、日はほとんど落ちていて、当たりは薄暗かった。
青みがかった夕空の下で、ランタンの中の魔宝石だけがそれぞれの色で光を放っている。
従来の魔宝石は、光に反射して輝きはしても、こうやって自ら光を発することはない。恐らく、それだけ石の中の魔力が膨張し、外に漏れかけているということなのだろう。
「もう東の空には星が見えるな」
夕闇で青みがかった空が、徐々に暗くなっていき、星は輝きをましていく。
太陽がすっかり西の先に消え去った瞬間、一迅の風が吹いた。
「ーーえ……」
それは、私が想像したような、激しい風ではなかった。
頬をそっと撫でるような、ふんわり体を包み込むような、慈しみすら感じる優しい風。
だが。
「魔宝石の光が、空に向かって上っていく……」
ランタンの中から、煙のように噴き出した光が、それぞれの筋を描きながら、夜空に向かって上っていく。
これは化学的に分析すれば、一体どういう現象なのだろうか。理系の分野に詳しくない私には、よくわからない。
原理はわからないが、目の前で繰り広げられているそれが、神の仕事だと言われても信じてしまうくらい、神秘的で美しい光景であることだけは、よくわかった。
村中で、同じように魔宝石をランタンに入れて吊しているのだろう。村のあちこちから、様々な色の光の筋が夜空に向かって上っていっている。
だが、これほどたくさんの光に照らされてなお、夜空の星の光は変わらず、寧ろ普段よりいっそう煌めいて見える。通常ならば地上が明るければ明るいほど、星は見えづらくなるものなのに。
夜空という黒いキャンパスの上で、光輝く星々と、様々な色で流れ込む様々な色の光の帯。
魔宝石の洞窟を見た時よりも、さらに上回る感動で胸が震えた。
「あ……音楽が」
どこからか先日の笛の音と、獣の遠吠えが聞こえてきた。
……遠吠え? いや、違う。先日はわからなかったが、これは歌だ。
獣が、年に一度の特別な夜を祝って、歌を歌っている。
あまりにも非現実的な想像かとも思ったが、不思議とその結論はすとんと私の胸に落ちて来た。
……こんな非現実的なまでに美しい空が存在するのなら、それくらい起こっても不思議はないだろう。
握ったままの手を優しく解くと、ローグもまた笛を吹き出した。
間近で響く笛の音に、さらに心が震えた。
なんて、美しい夜だ。
なんて、素晴らしい時間だ。
忘れられない記憶が、また増えた。
私はこの村で何度、「初めての感動」を味わえば良いのだろう。
どれだけ、この胸を震わせれば良いのだろう。
一曲を終えたら、今度は別の方向から、また別の曲が聞こえて来た。
今度はローグは笛を吹かないようで、私に食事を薦めて来た。
そのまま二人向かい合わせで外のテーブルに着き、用意した食事を口に運ぶ。美しい景色と、音楽に囲まれて食べる食事は、今まで食べたどんな高級レストランよりも、美味しかった。
「ミステ……」
食事が終わった頃。
「贈り物」を意味するであろう言葉と共にローグが差し出したのはーー琥珀色の魔宝石がついた指輪だった。
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