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彼の気持ち

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◆◆◆◆◆◆◆

「ミステ……ーーサテ・シュアレ・ナ」

 つい先日まで、呪いの言葉でしかなかったその音が、今はただひたすら甘く、舌の上を転がった。
 ずっと触れたかった唇に、優しく口づけを落とし、その華奢な体をかき抱く。

 ……俺の、ものだ。
 俺の、番だ。
 もう二度と、離さない。

 ーー俺は、賭けに勝った。



「……できた」 

 星祭りの準備をミステと共に終えた俺は(二人で食事の準備をするのは、狩りの時同様、番の共同作業のようで一人内心悶えていたことは俺だけの秘密だ)、日が暮れるまでの間、ひたすら部屋にこもって指環を完成させた。

 俺の指輪はミステからもらった石がきちんとはまっていて、サイズが合いさえすればそれでよかったからすぐに完成したが、ミステに贈る指輪はそうは行かない。
 完成したと思う度、至らない部分が気になり、何度も何度もやり直した。

 ……番になってもらう為の求愛の指輪だ。もしミステが俺の気持ちを受け入れてくれれば、彼女はそれをずっとはめ続けることになる。少しでも美しく、立派に仕上げたかった。

 ぎりぎりまで粘り、ようやく満足のいく指輪ができあがった時には、既に日は落ちかけていた。

 そろそろ外に出なければ、魔宝石の魔力が空に向かって噴き出す瞬間を見逃してしまう。

 俺は出来上がった指輪を一度ポケットの中にしまうと、自分用の指環を左手の薬指にはめた。
 ………こうしておけば、言葉が通じなくても、ミステに俺が指輪を渡す意味が伝わるはずだ。人間にとって、左手の薬指の指輪は、特別なものなのだから。

 部屋を出るとすぐ、こちらから背を向けているミステの後ろ姿が目に入った。捜す必要がなくて、手間が省けた。これなら、魔力の噴出時間に、十分間に合う。 

「ーーミステ」

「うっあ、はい!」

 突然呼びかけられて驚いたのか、ミステはびくりと体をはねさせて、変な声を出した。
 驚かせたことを申し訳なく思う反面、俺の姿を目にしてなお、どこか怯えた様子のミステに戸惑う。

 ……俺が部屋にこもっている間に、何かあったのだろうか。

「ミステ?」

「っ!」

 伸ばした手が、勢いよく振り払われる。
 非力なミステから振り払われたところで、痛みなど感じるはずがないのに、触れた場所が激しく熱を持って痛んだ気がした。

 ーーもしかして、ミステは俺の気持ちに、気がついたのだろうか。

 俺がミステを番として求めていることに……その為に指輪を準備していることに気がついて、嫌悪を覚えたのか。
 狼獣人である俺に好意を向けられること自体が、人間であるミステにとっては許せないことだったのか。

 がらがらと、足元が崩れ落ちてくようだった。

「………スレァ」 

「っ!!」

 【悪かった】
 辛うじて告げた言葉は、掠れ、わずかに震えていた。
 嫌悪に満ちているであろう、ミステの顔をまともに見れない。

 ……賭けなぞ、するまでもなかった。

 俺は一体何を勘違いしていたのだろう。
 もしかしたら……受け入れてもらえるかもしれないなんて、馬鹿な期待をするのではなかった。

 次の瞬間、右手を温かいものが覆った。

「ーースレァ! スレァ! ローグ、スレァーーっ!!」

 俺の発音を真似して、必死に謝罪の言葉を述べながら、ミステが俺の手を握りしめていた。

「驚く、した! だけ! 嫌、違う!」

 ……これは、俺の気持ちに対して言っているのだろうか。
 それとも、俺がミステに向かって手を伸ばしたことに対して言っているのだろうか。

「ローグ優しい! 私、ここ、家、いる。幸せ! おかげ。ローグの。ありがとう。好き。私、ローグ、とても、好き」

 ……どっちにしろ、嫌われているわけではなさそうだな。

 ……好き、か……その好きがどれ程のものかわからないが……そうか……俺のことが、ミステはちゃんと好きなのか……そうか……!
 
 冷えきった胸の奥が急激に暖まっていくのが、わかった。
 少なくとも、嫌われてはいない。こうして触れることも厭われていない。それならば。

 返答はどうであれ、想いを告げることは許されるのだろう。

「ミステ」

 繋いだままの手を引いて、ミステをランタンを吊した軒先へと連れて行く。周囲は既に、すっかり薄暗くなっていた。

 薄闇の中、魔宝石の入ったランタンは、煌々と灯っている。魔力噴出の時間は、もうまもなくだ。
 空が徐々に暗くなり、星はますます輝きをましていく。

 太陽がすっかり西に落ちた時、星祭りの始まりを告げる風が吹いた。


「ーーえ……」

 隣でミステが、小さく息を飲んだのがわかった。
 ランタンの中の魔宝石の魔力が、星空に向かって行く光景を、ミステはその焦げ茶色の瞳を輝かせながら見つめていた。

 様々な色の魔力の筋が夜空に向かって上っていき、星空の中へ流れ込んでいく一年に一度のこの光景は、俺が知る最も美しい光景の一つだ。ミステに見せたかった、ミステと共に見たかった光景だ。

 だが俺の目は夜空ではなく、ミステの横顔に縫いつけられていた。目の前の夜空よりも、ミステの瞳に映し出された夜空の方が何倍も美しいことを、俺は今初めて知った。

 夜空を見つめるミステに見惚れているうちに、祭りの合奏が始まっていた。
 俺は握ったままの手を後ろ髪を引かれる想いで解くと、準備していた笛を吹いた。
 一曲を終えたら、今度は別の方向から、また別の曲が始まった。
 しかし、聴いている限り、既に十分演奏者はいるようなので、俺は吹かなくても良いだろう。ここらで食事にしよう。

 二人向かい合わせで外のテーブルに着き、用意した料理を口にした。ミステが作ってくれた料理も混ざっているというのに、正直今日ばかりは味がわからなかった。

 ……いよいよだ。
 いよいよ、この瞬間がやって来た。
 心臓が、1秒ごとに速さを増していっている気がした。

「ミステ……」

 食事が一段落したのを見計い、俺は指輪をミステに差し出した。

「俺の気持ちだ。……どうか受け取って欲しい」





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