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責任の所在

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 それは人間である私にとっては、あまりに意外な真実だった。

「……何故? 被害者であり、同じ獣人である方に味方するのが当然だろう」

 歴史的資料で語られる、人間による獣人の迫害は、見るに耐えないものが多い。見世物にされたり、奴隷のように扱われ、些細なことで命を奪われたり。彼らは人間によって長い長い歳月の間、尊厳を奪われ続けていた。
 本来ならば、私達人間はその償いをしなければならないのに、未だに一部の人間の中に差別意識さえ残ってさえいる。同じ人間として、唾棄すべき事実だ。
 そんな立場である獣人を、何故同じ獣人である当時の狼獣人が援護することなく、中立の立場であろうとしたのか。

 私の言葉に、ミネアは呆れたようにため息を吐いた。

「語られる歴史をそのまま信じるだなんて、君はずいぶん純粋なんだなあ。歴史はいつも、勝者によって改ざんされるものさ。そして歴史上はあくまで和平と語られているが、実質的に我々獣人は、自由と平等を勝ち取った、勝者なんだぜ。自分達が戦時下で人間に行った残虐行為を正当化する為に、過去の悲劇的ストーリーを構築していたとしても不思議はないと思うな。私は」

「……だが」

「ミステ。君が人間でありながら、獣人を好いて擁護してくれるのは嬉しいが、考えようによってはそれは侮蔑だぜ。我々獣人を弱者としてみている。獣人は身体能力は人間を圧倒しているし、頭だって、そう悪くはない。それは誰より獣人と深く交流した君が、一番よく知っているはずだ」

「………っ」

 何も言い返すことは、出来なかった。
 彼らの能力の高さは、私自身がよく知っている。
 彼らは強く……そして、したたかだ。
 数の利では人間が勝るが、それを補い、対抗するだけのものを彼らは十二分に持ち合わせている。

 弱者だなんて、言えるはずがない。

「だいたい、獣人だって一枚岩じゃないぜ。種族によっても主義主張は違うし、突き詰めれば同じ種族、同じ村の獣人だって必ずしも意見が一致するとは限らない。強者も弱者も、善人も悪人も、いくらだっていただろうさ。当時も。そもそも何をもって善とするかすら、はっきりしないけどな」

「……ごもっともとしか、言いようがない」

「だが、賭けても良いぜ。もし狼獣人が獣人側に立っていたなら、今頃この世界のパワーバランスはひっくり返ってたはずだ。君達人間は、この200年の間のいくらかの年月は、奴隷のように扱われていただろうな。まあ途中で、我々犬獣人のようなモラルがある種族が、人間解放運動を行った可能性もあるけどね。……いやはや、ぞっとしないね。人間である君が、鎖に繋がれている姿を想像すると」

 ……ぞっとしないと言うわりには、随分楽しそうだぞ。変な想像はしないでくれ。

 半目で睨む私に、ミネアはくすくすと笑みを零しながら、話を戻した。

「だが、200年前の狼獣人は、あくまで対等な立場での和平にこだわった。だからこそ、彼らは森に綴じ込もったのさ。世界の平和を維持する為の【抑止力】としてね」

「【抑止力】……」

「一般庶民である君は知らないだろうが、人間でも王族クラスになれば、今でも狼獣人との交流を保っている。亜人や、私達のような多種族の獣人の長の家系は、もちろんね。狼獣人はそうやって各種族の長達と交流しながら、森の外のパワーバランスを維持させ続けたのさ。侵略行為があれば、いつでも国一つ潰せるだけの圧倒的な力を見せつけることでね」

 なるほど。狼獣人の詳細は人間にとっても、トップシークレットだったというわけか。色々腑に落ちた。

 だが……そうやって平和を維持することで、狼獣人には一体何の利があるというのだろうか。

 どれ程恐れられ、重要な存在として扱われていても、彼らの日常生活は、私が今日まで見てきたものと変わらない。
 いくら純度の高い魔宝石があたりにごろごろしていても、高度な魔法が使えても、基本的には原始的で、贅沢とは無縁の生活だ。
 望めば、世界の覇者にもなれるだろうに。
 弱者から搾取して、何もしないままに、この世のありとあらゆる贅沢を極めることだってできるのに。

 それなのに彼らはただ--世界の平和だけを願ったのか。

「……だが、らしいな。……ああ。とても、らしい」

 目をつぶると、灰色の毛並みの彼の姿が浮かんで来た。
 私が、直接知っているのは彼だけで、他の狼獣人のことはよくわからない。

 だが彼ならきっと……200年前の狼獣人と同じことをしたのではないかと、自然とそう思える私がいる。
 彼は、とても優しい人だから。

「………ローグなら、きっと」

 名前を口にしただけで、胸の奥がずきずきと痛んだ。
 狼獣人の過去に想いを馳せることで、あえて目をそらしていた事実が、改めて突きつけられる。
 鼻の奥がつんとして、目の前が滲んだ。

 ……ああ。私は。
 私は、彼を。

 項垂れる私に、ミネアは呆れたようにため息を吐いて、頭を掻いだ。

「……ミステ。いつの間にか結婚させられそうになっていてショックなのは分かるけど、大概君も悪いんだぜ? 前にも私は忠告しただろう。君は無自覚に、距離を詰め過ぎると……」

「……何を、言ってるんだ? ミネア」

 あまりにも見当違いなミネアの言葉に、表情が強張った。

「--私が悪いに決まっているだろう! ローグを婿に行けない体にしてしまったんだ! 無自覚だったとか、記憶がないとか言い訳になるか!」

 全ては、25年前の私の軽率な行動が招いたことだ。そして、今の私の馬鹿な勘違いが招いたこと。

 せ、責任を取る覚悟はできてるっ!

「だが……ローグは、私に、責任を取らせてくれるだろうか……」

 真実を告げられている間、ずっと黙り込んでいたローグを思い出したら、ついに耐えられず、目元に溜まった涙のダムが決壊した。

「私のこと……嫌いになって、しまった、よなあ………」

 



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