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第26歩目 出るか、残るか―――
初めて揺れた心
しおりを挟む(ここに残る、か……)
朝食の後、再び舞い戻った資料小屋。
椅子に腰かけて資料を眺めていたシュルクは、小さく息を吐いた。
これまでの道中、関わってきた人々は自分たちとの別れを惜しんでくれた。
冗談半分で、ここに残らないかと言われたこともある。
だけど……こんなに心が揺れたことはなかった。
自分の中には、どんな時も〝進む〟以外の道なんかなくて。
そうやって進んだ先に、自分が望む未来があることも確信していたから。
理性では分かっているのだ。
霊子に守られたこの場所に残れば、呪いがこの身を蝕もうとも難なく生きていけよう。
でも、それはあくまでも一時凌ぎ。
今回の生はよくても、呪いの根本をどうにかしなければ、生まれ変わった来世で同じ苦しみが待っている。
そして―――再び呪いを解くチャンスを得られるのがいつなのか、そもそもそんなチャンスが巡ってくるのかは分からない。
だからこそ、自分も霊子たちも必死に進もうとしてきた。
だけど……やっぱり、揺れる感情は無視できなくて……
無表情に若干の憂いを滲ませて、シュルクは資料のページをめくる。
この場所に恵み子が移り住んだのは、およそ五百年前。
イストリアに迷夢やドリオンの存在が根付いた時期と一致する。
それから記されるようになった資料には、恵み子しかいないからこそ見えてきた傾向と推測が凝縮されていた。
まず一つ。
恵み子の体質は、必ずしも遺伝するとは限らないということ。
これは、恵み子が多く現れたタイミングが急だったことや、恵み子の分布がばらついていたことからも容易に納得できる。
恵み子どうしが結ばれた場合に高確率で子供も恵み子としての体質を持つのは、類似した魂が引き寄せられやすいからだと考えられているようだ。
次に興味深かったのは、恵み子としての能力の高さは、本人の才能によるものではないという仮説。
これは、恵み子が世界に還る段階に入った壊れかけの魂を持っているという仮説と共に信憑性が高まったもののようだ。
例えば水が入った袋に穴が開いた場合、穴の大きさや袋の中にある水の残量によって、穴から流れ出る水の勢いや量に差が出る。
穴から流れ出る水―――つまり、魂の本体から外に漏れ出る欠片が多いほどに恵み子の能力は高くなるというのが、この仮説の要点だ。
この仮説を基に論理を展開するなら、能力が低い恵み子の魂はまだ傷が浅い、もしくは逆にある程度の欠片を放出しきっていると推測される。
そして、それが真実ならば、能力の差については本人の才能や努力でどうこうできる問題ではないだろう。
―――とはいえ、これらの仮説は能力が低い、もしくは能力を持たない仲間が貶されないように、都合よく辻褄を合わせた理想論とも言えるんじゃないか。
フラットな目線で仮説の意味を考えた時に、そう思う自分がいた。
しかし、資料を読み進めていくうちに、これらの仮説が信じられるに至った要因は他にもあることを知った。
基本的には生まれてから死ぬまで一定だとされている恵み子の能力だが、生きている間に能力が上がったり下がったりした事例が稀にあったそうだ。
その事例が固まった時期と年表を照らし合わせてみると、妙な符号の一致があった。
天災や飢饉、集団単位の諍いなど……心身に大きな影響を与える事件が起こった時期と重なるというのだ。
試しに自分も歴史の授業で習ったそういった事件の年号を思い返してみたが、確かに時期が似通っていた。
(魂に新しい傷がついて、本体から零れる欠片の量が変わり、それが能力の変化として現れた……なるほどな。)
資料に綴られていた文章をなぞり、普通に納得。
一度や二度なら偶然だと言えるが、ここにまとまっているのは五百年以上に亘る歴史の観測結果だ。
先人たちがここに移り住む前の土地から持ち込んだ豊富な資料や、この里とは関係ない土地で育った自分の知識とも大きく外れていないとなると、これらの仮説がでっちあげの理想論だとは言い切れない。
―――と、数冊の資料とその根拠になる膨大な補助資料に目を通したところで、太陽が一番高くまで昇ってしまった。
(一旦帰るか……)
そう思って、小屋を後にする。
朝と同じように川に沿って集落を目指していると、その途中で賑やかな声が聞こえてきた。
「あ、おかえりなさーい!」
ミオンやシノンを筆頭とした、いつもの子供&霊獣たちだ。
彼らの相手をするのも日課になりつつあるので、特に驚くこともない。
「なんだ。わざわざ迎えに来たのか?」
「うん。そろそろお昼ご飯だもん。」
駆け寄ってきた子供たちの頭をなでながら問いかけると、無邪気な答えが返ってくる。
そして―――
「ねぇ。お兄ちゃん、ここに住むの?」
無邪気な口調のまま、今の自分にはとてつもなく重い問いを口にした。
「……え?」
それを聞いた瞬間、頭が白く染まった。
無意識に、視線がシノンへと向かう。
「わたしじゃないよ。霊子たちが言ってるの。」
こちらが何を訊きたいか、すぐに察したのだろう。
シノンは小さく首を振った。
(霊子が……)
ぐるりと、周囲を見回してみる。
本を読む間は集中させてくれと頼んだからか、今は霊子からの介入がない。
だが、意識すれば微かに分かった。
―――みんなで暮らしたら、きっと楽しいよ。
周囲に漂う霊子たちが、皆へそんなことを囁いているのが。
「……まだ、決めてないんだ。」
戸惑いを曖昧な笑顔で隠して、シュルクはなんとかそう答える。
すると、子供たちは不満と落胆がない交ぜになったような表情をしてしまった。
「ええー…」
「なんでそんな顔をすんだよ。俺がここを出たら嫌なのか?」
「当たり前じゃん!」
「………っ」
まさかの即答とは。
パチパチと瞼を叩くシュルクに、子供たちは言葉を連ねる。
「シュルク兄ちゃん、たくさん遊んでくれるもん。」
「それに、先生より物知り! 勉強もお外のことも教えてくれる!」
子供たちから注がれる尊敬と信頼の視線がまぶしい。
自分は世話になっている分の義理を果たしているまでなのだけど、どうしてこんなにも好感度が高まってしまっているのか。
―――優しさや誠実さは伝わっているものだよ。今も、今までだって。
ふと、風と共に耳をすり抜けていく声。
思わず顔を上げると、柔らかな光が雪のように落ちてくる。
「霊子たちは、本当にお兄ちゃんが好きなんだね。」
ちょっと驚いた様子のミオンが、ポツリと呟く。
(今も……今までだって……)
霊子から贈られた言葉をなぞる心。
それが、つきりと痛んだ気がした。
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