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3.面会
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ハルトがあの空き家に住み始めて、一ヶ月半が過ぎた。
空は五月晴れから、すっかり梅雨らしい雨雲の日が続き洗濯物もままならない。必然的に遊ぶのは家の中になってしまったが、それはそれでとても楽しかった。
パソコンを広げ、今まで行った場所や見てきたもの、人々の生活を写真を見ながらハルトは話してくれた。
多くの人はハルトに好意を示し、差し入れや困っていることはないかとやってくる老人の溜まり場のようになっていった。溜まり場と言ってもたかが数人だ。最初こそ、じぃちゃんとハルト以外の
人間に警戒していたが、皆が『六花』をじぃちゃんの親戚の子か何かだと思ってくれているらしく、菓子や昔の玩具を持ってきてくれるので、すっかり心は打ち解けてしまった。
じぃちゃんは最近、咳が止まらないと言って寝ていることが増えたが、ハルトと頻繁に見舞いに行っている。少し痩せたが、食欲があるので大丈夫だろう。
そして、今日も雨の中、ハルトの家で一人のんびりと絵本を眺めていた。外国の絵本らしく、文字は読めないが表情や仕草で何となく読み進めていた。
「六花ちゃんいる!?」
「ん? どうしたの? おばぁちゃん」
お喋りが大好きで、お菓子作りもとても上手いおばぁちゃんが息を切らして縁側から入ってきた。どうやら雨の中、傘もささずにやってきたらしくずぶ濡れだ。
「うわっ!! 風邪ひくよ!? 布持ってくる」
「待って!! 落ち着いて聞くのよ、はぁはぁはぁ」
「いや、落ち着くのはおばぁちゃんだから。ほら頭拭いて?」
「ありがとう。六花ちゃん」
「で、どうしたの?」
「ハルちゃんがね」
「ハルト?」
おばぁちゃんのその表情は固く、嫌な予感が身体を駆け抜ける。
「ハルちゃんが、交通事故に」
「事故!?」
「大丈夫!! 生きてるわ!! 生きてるけど、まだ危ないって……」
嘘だ。ハルトが事故に巻き込まれるなんて、想像がつかない。
(だって、運が良いって……!!)
雨の中、必死に走る。ハルトから貰ったレインコートで辛うじて防げてはいるが、走っているから顔はびしょ濡れだ。
「ハルちゃんが交差点で待ってたら、スピードを出したトラックがスリップして突っ込んできたのよ。すぐに救急車で運ばれたのよ」
そう言ったおばぁちゃんは、病院の場所を教えてくれた。飛び出した僕を後ろから呼んでいた気がするが、振り向く余裕はなかった。
ただ、ただ走り続け、何度も足がもつれながらもどうにか麓の病院に辿り着く。
レインコートのまま病院に走りながら入り、受付によじ登る。目の前で驚いた表情の女性に噛み付くように話しかけた。
「すみません!! ここに、事故で運ばれたハルト……ハルトル・フラプティンソン居ますか!?」
「えっと……君は?」
「僕――!! ハルトの友達です!!」
すると女性は困ったように眉を下げ、赤子をあやすような落ち着いた声で返事をしてくれた。
「容態の報告や面会は御家族かそれと同等の方しか出来ないのよ。ごめんなさいね」
「そ、そんな!! ハルトは一人きりで日本に来たんだよ!! 家族なんていつ来れるか分からないじゃないか!!」
「もうどなたかに連絡が入ってると聞いてるわ。その方が直にいらっしゃんるんじゃないかしら? 大丈夫よ。それより、一人で来たの?」
誰だ。いや、そんなのじぃちゃんに決まっているだろう。しかし、最近の体調を考えればじぃちゃんがハルトの面倒を見れるとは思えない。それにこの雨だ。車の運転も暫くしていないので、きっと来るとしても明日か……。来ても言われるままの手続きしか出来ないだろう。
「ハルト……!!」
姿を一目見ることも出来ない悔しさで涙が溢れる。唇を噛み締め泥だらけで涙を流す、その様子を不憫に思ったのか女性は小さな声で「手術は成功したって、安定してるって聞いたわ」と囁いた。その言葉に顔を上げるとニコリと笑って、今度は大人といらっしゃいと言ったのだった。
帰り道、もう走る必要もなくトボトボとゆっくり歩く。夕方には帰るつもりだったのにすっかり日も暮れてしまい、きっと風花は怒っているだろう。
(なんで早く帰るんだっけ……まぁ、いいや……)
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
今はただ自分の無力さが悔しくて堪らなかった。病院の決まり事で自分自身が大人でも、ハルトと面会できたかどうかは微妙なところだろう。
(でも、子供じゃなかったら。もう少し取り合ってくれたかな)
こんな怪しげな子供にあれだけ優しくしてくれたのだ。きっと先程の女性はとても良い人なのだろう。
しかし、理解はしていても頭の中は「でも」「やっぱり」「どうして」「なんで」という言葉ばかりで埋め尽くされた。もう泣き過ぎて涙も出ない。
「ハルトに会いたい……」
そう言った時、頭の上から聞き覚えのある羽音がした気がして頭を上げる。
「六花!!」
「天花……と華月様」
「六花!! 六花!! どこに行ってたんですか!? 皆、心配してたんだよ!!」
そういえば、今日は天花が帰ってくるから夕方までに帰るように言われていたのだ。
「ごめん……ちょっと、色々あって……」
「六花……?」
俯くとまた涙が溢れそうなので、敢えて天狗の羽で飛ぶ華月に抱えられた天花に向かってニコリと笑う。
「天花、それよりあのこと」
華月の言葉にハッとしたような天花は、華月と共に濡れた地面に立ちこちらの肩をガッシリと掴む。珍しい行動に驚いたが、自分の表情が変わったような感覚は無い。
「六花、空き家のおじいさんが……もうすぐ亡くなります」
「……は??」
なんの冗談だ。天花らしくもない。そんな冗談のために華月と空を飛んできたのか。ふざけるな。
混乱した感情は、少しずつ怒りに変わる。
「今、蓮様達が」
「やめてよ!! なんなの!? 今さっき、ハルトが死にそうになってたんだよ!? なのにそんな冗談笑えないから!! 人間は簡単に死ぬんだから、軽々しくそんなこと言わないでよ!!」
「ハルト……って誰ですか?」
首を傾げる天花にハッとして唇を噛む。そうだ。天花が嫁いでしばらくしてから、ハルトは来た。きっと風花が文に書いたりしたのだろうが、名前までは伝えていないのだろう。
「天花。さっき蓮が言ってた、六花と仲良くしてるっていう」
華月の言葉で天花も思い至ったらしく「あぁ……」とだけ呟いた。噛んだ唇をより強くすると、口の中に血の味が広がる。
「ごめん、天花は知らなかったよね。人間のハルトが事故にあって危なかったんだ。今、病院に行ってきた。会えなかったけど……生きてるから。その、ごめん、八つ当たりした」
「いえ、いいんです。私こそごめんなさい」
何も悪くない天花に謝らせてしまい、至極居心地が悪い。視線を落とすと、天花も華月も着物から雨水が滴っている。きっと、長い時間探してくれていたのだろう。
山に居れば蓮がだいたい居所が掴めるけれど、病院のある街まで下れば人の気配が多すぎて察せられないと前に言っていた。
だから、街に下る時はなるべく短時間で最低限の人との関わりで終わらせなければならなかったのだ。
「……ごめん」
「六花……。あ! それより急ぎましょう。おじいさんの件。残念ながら冗談ではないので」
「分かった」
トボトボと歩いても、何も状況は変わらない。痛む唇を再び噛んで、じぃちゃんの家に向けて走り出した。
空は五月晴れから、すっかり梅雨らしい雨雲の日が続き洗濯物もままならない。必然的に遊ぶのは家の中になってしまったが、それはそれでとても楽しかった。
パソコンを広げ、今まで行った場所や見てきたもの、人々の生活を写真を見ながらハルトは話してくれた。
多くの人はハルトに好意を示し、差し入れや困っていることはないかとやってくる老人の溜まり場のようになっていった。溜まり場と言ってもたかが数人だ。最初こそ、じぃちゃんとハルト以外の
人間に警戒していたが、皆が『六花』をじぃちゃんの親戚の子か何かだと思ってくれているらしく、菓子や昔の玩具を持ってきてくれるので、すっかり心は打ち解けてしまった。
じぃちゃんは最近、咳が止まらないと言って寝ていることが増えたが、ハルトと頻繁に見舞いに行っている。少し痩せたが、食欲があるので大丈夫だろう。
そして、今日も雨の中、ハルトの家で一人のんびりと絵本を眺めていた。外国の絵本らしく、文字は読めないが表情や仕草で何となく読み進めていた。
「六花ちゃんいる!?」
「ん? どうしたの? おばぁちゃん」
お喋りが大好きで、お菓子作りもとても上手いおばぁちゃんが息を切らして縁側から入ってきた。どうやら雨の中、傘もささずにやってきたらしくずぶ濡れだ。
「うわっ!! 風邪ひくよ!? 布持ってくる」
「待って!! 落ち着いて聞くのよ、はぁはぁはぁ」
「いや、落ち着くのはおばぁちゃんだから。ほら頭拭いて?」
「ありがとう。六花ちゃん」
「で、どうしたの?」
「ハルちゃんがね」
「ハルト?」
おばぁちゃんのその表情は固く、嫌な予感が身体を駆け抜ける。
「ハルちゃんが、交通事故に」
「事故!?」
「大丈夫!! 生きてるわ!! 生きてるけど、まだ危ないって……」
嘘だ。ハルトが事故に巻き込まれるなんて、想像がつかない。
(だって、運が良いって……!!)
雨の中、必死に走る。ハルトから貰ったレインコートで辛うじて防げてはいるが、走っているから顔はびしょ濡れだ。
「ハルちゃんが交差点で待ってたら、スピードを出したトラックがスリップして突っ込んできたのよ。すぐに救急車で運ばれたのよ」
そう言ったおばぁちゃんは、病院の場所を教えてくれた。飛び出した僕を後ろから呼んでいた気がするが、振り向く余裕はなかった。
ただ、ただ走り続け、何度も足がもつれながらもどうにか麓の病院に辿り着く。
レインコートのまま病院に走りながら入り、受付によじ登る。目の前で驚いた表情の女性に噛み付くように話しかけた。
「すみません!! ここに、事故で運ばれたハルト……ハルトル・フラプティンソン居ますか!?」
「えっと……君は?」
「僕――!! ハルトの友達です!!」
すると女性は困ったように眉を下げ、赤子をあやすような落ち着いた声で返事をしてくれた。
「容態の報告や面会は御家族かそれと同等の方しか出来ないのよ。ごめんなさいね」
「そ、そんな!! ハルトは一人きりで日本に来たんだよ!! 家族なんていつ来れるか分からないじゃないか!!」
「もうどなたかに連絡が入ってると聞いてるわ。その方が直にいらっしゃんるんじゃないかしら? 大丈夫よ。それより、一人で来たの?」
誰だ。いや、そんなのじぃちゃんに決まっているだろう。しかし、最近の体調を考えればじぃちゃんがハルトの面倒を見れるとは思えない。それにこの雨だ。車の運転も暫くしていないので、きっと来るとしても明日か……。来ても言われるままの手続きしか出来ないだろう。
「ハルト……!!」
姿を一目見ることも出来ない悔しさで涙が溢れる。唇を噛み締め泥だらけで涙を流す、その様子を不憫に思ったのか女性は小さな声で「手術は成功したって、安定してるって聞いたわ」と囁いた。その言葉に顔を上げるとニコリと笑って、今度は大人といらっしゃいと言ったのだった。
帰り道、もう走る必要もなくトボトボとゆっくり歩く。夕方には帰るつもりだったのにすっかり日も暮れてしまい、きっと風花は怒っているだろう。
(なんで早く帰るんだっけ……まぁ、いいや……)
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
今はただ自分の無力さが悔しくて堪らなかった。病院の決まり事で自分自身が大人でも、ハルトと面会できたかどうかは微妙なところだろう。
(でも、子供じゃなかったら。もう少し取り合ってくれたかな)
こんな怪しげな子供にあれだけ優しくしてくれたのだ。きっと先程の女性はとても良い人なのだろう。
しかし、理解はしていても頭の中は「でも」「やっぱり」「どうして」「なんで」という言葉ばかりで埋め尽くされた。もう泣き過ぎて涙も出ない。
「ハルトに会いたい……」
そう言った時、頭の上から聞き覚えのある羽音がした気がして頭を上げる。
「六花!!」
「天花……と華月様」
「六花!! 六花!! どこに行ってたんですか!? 皆、心配してたんだよ!!」
そういえば、今日は天花が帰ってくるから夕方までに帰るように言われていたのだ。
「ごめん……ちょっと、色々あって……」
「六花……?」
俯くとまた涙が溢れそうなので、敢えて天狗の羽で飛ぶ華月に抱えられた天花に向かってニコリと笑う。
「天花、それよりあのこと」
華月の言葉にハッとしたような天花は、華月と共に濡れた地面に立ちこちらの肩をガッシリと掴む。珍しい行動に驚いたが、自分の表情が変わったような感覚は無い。
「六花、空き家のおじいさんが……もうすぐ亡くなります」
「……は??」
なんの冗談だ。天花らしくもない。そんな冗談のために華月と空を飛んできたのか。ふざけるな。
混乱した感情は、少しずつ怒りに変わる。
「今、蓮様達が」
「やめてよ!! なんなの!? 今さっき、ハルトが死にそうになってたんだよ!? なのにそんな冗談笑えないから!! 人間は簡単に死ぬんだから、軽々しくそんなこと言わないでよ!!」
「ハルト……って誰ですか?」
首を傾げる天花にハッとして唇を噛む。そうだ。天花が嫁いでしばらくしてから、ハルトは来た。きっと風花が文に書いたりしたのだろうが、名前までは伝えていないのだろう。
「天花。さっき蓮が言ってた、六花と仲良くしてるっていう」
華月の言葉で天花も思い至ったらしく「あぁ……」とだけ呟いた。噛んだ唇をより強くすると、口の中に血の味が広がる。
「ごめん、天花は知らなかったよね。人間のハルトが事故にあって危なかったんだ。今、病院に行ってきた。会えなかったけど……生きてるから。その、ごめん、八つ当たりした」
「いえ、いいんです。私こそごめんなさい」
何も悪くない天花に謝らせてしまい、至極居心地が悪い。視線を落とすと、天花も華月も着物から雨水が滴っている。きっと、長い時間探してくれていたのだろう。
山に居れば蓮がだいたい居所が掴めるけれど、病院のある街まで下れば人の気配が多すぎて察せられないと前に言っていた。
だから、街に下る時はなるべく短時間で最低限の人との関わりで終わらせなければならなかったのだ。
「……ごめん」
「六花……。あ! それより急ぎましょう。おじいさんの件。残念ながら冗談ではないので」
「分かった」
トボトボと歩いても、何も状況は変わらない。痛む唇を再び噛んで、じぃちゃんの家に向けて走り出した。
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