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フロストの本当の姿

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「よく眠れましたか?」

 目を覚ますと、そこは既にタルタロスのベッドだった。昨晩、確かにフロストの部屋を訪れたはずだが、それすら妄想だったのではないかと思うほど、いつも通りだ。
 恥ずかしいくらい濡れていたネグリジェも、新しいものに変わっている。
 それでも、まだ熱の余韻を残している陰核が、笑みを浮かべたフロストの顔を見てピクンと反応を示し現実だったのだと思わせてくる。

「あ、はい。ぐっすりと……ただまだフワフワしてる気がします」
「そうですか、ふふっ、可愛らしい声でしたよ。俺も気持ち良かったです」

 満たされたような表情で話すフロストに、思わず「これは愛なのか?」と聞いてしまいそうになった。しかし、これはそんなものでは無いのだろう。いや、そうでなければならない。
 地下に幽閉されている〝タルタロスの姫〟は孤独でなければならないのだ。愛を望めば、フロストの身も危なくなる。
 ただ、自覚してしまった恋心を落ち着ける方法は学んだ事がない。

「フロストは慣れているのですか?」
「……それを知ってどうなさいますか?」
「――ッ」

 妙に丁寧な言葉は回答の拒否を含む。先ほどの笑みが引き、視線も鋭く冷たいものだ。聞いておきながら、なんて稚拙な質問だと心が締め付けられる。
 だがすぐに表情を緩めたフロストは、こちらの口に甘いものを押し付けた。

「マリア様。マリア様が俺の本当の姿を見れたら教えてあげますね」
「ほんろ?」
「食べてる時は、話しちゃダメです。さ、支度しましょう。今日は謁見ですよ」

 甘くほろ苦いチョコレートによって阻まれたが、本当の姿という意味について考えを巡らせすぎてしまい、謁見の最中に王の発言はほぼ記憶に残らなかった。


****** 


 あれから数週間が過ぎた。エスコートのために手を取られ、ふとした時に髪や手にキスをされる以外にフロストから身体に触れてくることはない。
 あの日のことを思い出すと身体の奥の熱が騒ぐこともあるが、それも律することができるので生活には支障がなく、やはり幻だったのではないかとさえ思う。
 ただ、心の底に燻っている小さな火種は消すことが出来ないでいた。この幽閉された小さな空間で、ただ一人の話し相手である彼への恋心を誤魔化すのは容易いことではない。

(何をするにも世話係の彼の助けが必要で、集中するために本を読んでも……最近は戦争関連ならば本よりもフロストに聞いた方が楽しい)

 いつかはフロストも世話係を離れる日が来る。そうなった時、止めることのできる権利など無いのだ。
 ならば逆に、一時の恋心を満たすごっこ遊びに付き合ってもらうか。……そんな言うことも、できもしないことを考える。
 ふぅと溜息を吐いた瞬間、階段の向こうで微かに人の気配を感じた。

「……」

 このタルタロスに近づく者が少ない中で、地下の檻の目の前まで来るのは、今はフロストだけだ。そのフロストは夕食の片付けのために地上に向かった。
 すると誰が?
 国内ではフロストのみ。そう、国内では……。

「久しぶりのお客様ですね、どちらのお国からですか?」

 階段の気配が揺れる。だが、こちらの圧倒的不利を知っているからか、相手はあっさりと口を割った。

「オッズライルですよ。戦場の鬼神の乙女……いや、今はタルタロスの姫でしたか?」

 声の主は意外と若い男のようだ。しかし、声色は任務遂行のための決意と殺意が滲み出ている。オッズライルの上層部は彼を盾にしているのだろう、男の後部には本隊が控えているはずだ。

「鬼神の乙女ですか? 私、そちらの国ではそんな呼ばれ方をしてたんですね。ただの十八歳になった、か弱い女の子ですよ」
「はははっ!! ただの女の子を、こんな所に幽閉しますか?」
「それがこうやって幽閉するのがこの国なのですよ。悲しいことにね」
「出してあげますよ。死体としてね」

 カシャンと高い音が響き、銃口が階段の奥から見え、次の瞬間にはパンッと高い音がタルタロスに響き渡った。


「マリアッ!! マリアッ!!」
「あら、フロスト……えっと、フロストですか?」

 いつの間にか近くに来ていたその気配に振り向くと、そこには美しいシルバーブロンドの髪を腰まで伸ばし、やたら顔の整った美青年が立っていた。フロストと違う点は髪の色と長さ、眼鏡もせず、目の色もごく一般的な茶色から深海を思わせるようなブルーに変わり……いや、もはや同じ所を探す方が難しい。……声と身長と体格、気配はフロストのまま、だと思う。

「え、っとフロストよね?」
「――アッ、あーいえ、フロストじゃないです」
 何を馬鹿なことを。そんな心の声はどうやら表情で漏れていたらしい。
「…………フロストです」

 観念したらしくガシガシと頭を掻きながら、バツが悪そうにこちらを見た。

「で、なんでこうなってんの? これ何処の国のスパイ? あとどうやって倒したの? マリア様はそこから出られないでしょ?」

 矢継ぎ早の質問に戸惑いを覚えつつ、ここは普通に返事をしようと冷静を装う。

「暗殺者よ。オッズライルから来たと言っていたわ。殺し方は……ここから銃にちょっと、ね。幽閉されていたとしても、これくらいできないと私の体格で軍学校で初のオール主席は取れないわ」
「ふーん、じゃぁ俺がいた頃から抜け出そうと思えばいつでも脱獄出来たってこと? っていうか、こうなると分かってた? なんで頼らなかったの? なんのための世話係?」

 何故か不機嫌な声色で、畳み掛けるように質問をしてくる。その口調もいつもの柔和で丁寧な感じはなく、かなり砕けており、多分これが彼の通常なのだろう。
 見た目が変わっても、フロストであることには間違いない。怖さや不安は一片も感じず、逆にこの場に居てくれることに安心すら覚えた。

「脱獄って、別に囚人ではないでしょ? それに出る必要はないから……私は今、フロストと一緒に居る時間が大切ですし、楽しんでますから。連絡ができなかったのはごめんなさい。突然でしたから」

 暗殺に突然も何も無いと思うが、フロストは不満そうにこちらに近付いていた。
 そして檻を片手でいとも簡単に曲げてしまい、そこから身体を捩じ込み中に入ってきた。

「え、ちょっと檻が……」
「逃げないならいらないでしょ? それより、もっと顔見せて。死んでるんじゃないかって……冷や冷やした。――ゴメン、油断した」

 壊れ物を扱うように、優しい手が頬に触れた。その手の指先が顎に触れ、上を向かされるとフロストと視線が絡む。
 前の姿も柔和で良かったが、今は美しさと男らしさが混ざり合い、胸がより高鳴った。

「いいえ、私も平和ボケを――」

 パンッ、パンッ!!

 高い銃声が二発、再びタルタロスを響かせる。一発は壁に、もう一発は先程までフロストが触れていた頬を掠め、一筋の血を流す。

「チッ!!」

 二度と起き上がることがないと思っていた暗殺者は顔と腕だけを上げ、未だに銃口をこちらに向けている。
 頬の傷に痛みはあるが、我慢出来ないものではない。この場を収束させるには完全に息の根を止めなければならなかった。

「フロスト! 退きなさい!」
「そりゃ無茶ですよ。俺、マリアのこと気に入ってるから、死なれて魂回収したくないもん」

 そう言ったフロストは暗殺者に右の掌を向け、何かを掴むようにその手を握る。と同時に暗殺者は口から血を吹き出して息絶えた。
 しかし一歩遅く、引金はひかれ弾がフロストの左肩を貫通し鮮血が溢れ出す。

「あーぁ、骨砕いてるかも。クソッタレ……」
「フロスト!! すぐ医者を呼んで――!」

 駆け寄り、ベッドのシーツを押し当て止血を試みるが、溢れ出した血はどんどんとシーツを赤く染めていく。
 一刻を争うが、運悪くタルタロスを勢いよく降りてくる足音は味方のものでは無い。

「三人、いや四人かしら。どうにかするから動かないでいてくれる?」
「右手でマリアを抱えたら……行けなくもないか。でもなぁ、右手使えなかったらキツイなぁ……」

 こちらの言葉は届いていないようで、フロストはブツブツと呟いている。もう一度伝えようと思うがことは一刻を争うのだ。待てない。

「まだ死にたくないですし、やるしかないですね」
「そうだよなぁ、まだマリアの処女貰ってないし」
「は?」

 血を流しすぎて幻覚でも見ているのだろうか。訳の分からないフロストの言葉を遮るように、再び銃声が響く。
 何発もの弾丸がこちらに向かって飛んでくるが、一発も当たらない。それどころか、鋼に弾かれるようにカラカラと音を立てて銃弾が床に落ちた。

「マリア、俺にしがみついて下さいね。右手だけだから、ちょっと不安定」
「え、えぇ!?」

 ふわりと身体が浮き上がる。それはフロストに抱えられたからだと理解するまでに時間を要さなかったが、その後、狭いタルタロスの中を飛んでいると理解するには時間を要した。
 遥か遠くに見えていたタルタロスのガラスの天井がグングンと近付く。
 下からは暗殺者達が天に向かって、何十発も発砲している音が聞こえた。 

「屋根、割って出るから顔を埋めて」
「え」
「早くっ!」
「――!!」

 盛大にガラスの割れる音が聞こえた。
 外に出た。三日月の薄い月明かりが照らしだしたのは、フロストの美しい顔と背から生えていると思われる黒々とした羽。羽毛ではない、コウモリ、いや、それよりも鈍い光を放つ羽だ。
 遥か昔、物語で読んだ魔王がこんな羽を持っていた気がする。恐怖の象徴であるはずのその羽が、神々しくも感じられた。

「フロスト……ありがとう」

 不意に目を閉じると、そのまま意識を手放してしまった。
 
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