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ロックフェルト国、代表者

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 パチパチと音を立てながら、炎を揺らめかせる素朴な暖炉。建物は木の温もりと香りが鼻をくすぐり、出された同じく木製のカップの中にある乳白色のスープからはゆっくりと湯気が立ち上る。

「悪いね。ここでは紅茶がなかなか手に入らないんだ。冬の間に切らしてしまって」
「お構いなく。それに、他国に来たらその文化を楽しむものだと思うからな」
「ふふ、王弟殿下は噂に違わずといったところか」

 そう言ったロックフェルト国代表である、ネロ・メトルは自らのマグカップに口をつけた。
その所作の優雅さに目を離せずにいると、いかにも今、視線に気が付いたというようにこちらを見て微笑む。
 イクルが冬の妖精なら、ネロは冬の女王だ。
 雪のように白い髪を腰まで伸ばし、肌も白く艶やかだ。しかし、唇は血色で朱に染まり何とも言い難い妖しさを身に纏っている。
 だが、怖さはない。
 それは民族衣装の優しい刺繍や色合いが彼女を包んでいるからなのだろう。

「ロックフェルト国の代表が女だとは思わなかったかい? お嬢さん」

 自己紹介もまだの状態で見過ぎてしまったようだ。

「いえ、ロックフェルト国から受けた攻撃の数々の中で、途中から荒々しさが無くなり繊細さと民を思う心を感じておりました」

 本心を伝えると、ネロは軽く笑い 嬉しいね と呟く。

「改めて、私はロックフェルト国代表、ネロ・メトル。今は四年目を迎えているよ」
「この度は突然の訪問を受け入れて下さり感謝申し上げる。モルタール国王弟、アラン。隣が妻のイザベラ、そして妹のミーナだ」
「三人……いや、二人は商いの話もあるだろう。私の知り合いがもうすぐ尋ねてくるから、詳しいことはその人に聞くといい。私は商売が苦手でね。そして、ミーナ。あなたは……イクルと街を見てまわったらどうかな?」

 どうやらイクルはミーナに惚れていることを実母にも話ているようだ。そして、それを快く受け入れている――これは、ミーナは外堀を埋められていっているのでは……。

(…………あら?)

 嫌がっているのなら助け船をだそうと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。頬を染めて小さく はい と答えたミーナはイクルに手を引かれ部屋を後にした。
 それを苦虫を噛み潰したよな顔でアランが見ていたが、イザベラが手で抑え込んでいるのが微かに見えた。
 ずっと感じてはいたけれど、ミーナの双子の兄はシスコンというやつだろう。

「さて、……君がマリア・ド・メディシス王女だね。そしてフロスト・タリアン。二人の話はよく耳にしていたよ。……さて、交渉を始めよう」

 今この場から、迂闊な一言が世界を変える。ゴクリと唾を飲み込むと、机の下でそっとフロストが手を握ってくれた。
 大丈夫。そう言ってくれているようで、心が和らいでいくのを感じる。

「初めまして、ネロ代表。亡きティアブール国国王の娘、マリア・ド・メディシスと申します。此度はこの様な機会を頂き、大変光栄に存じます」

 まず、話をする上で自身が数年前に最前線から外され、タルタロスに幽閉されていたこと。
 なぜ抜け出したのか。
 どうしてモルタール王国を頼っているのか。
 現在のティアブール国とオッズライルの状況を淡々と話す。

「ふむ、王族の最後は聞いたかな?」
「いえ……処刑されたと伺いましたが……」
「黒蝶騎士団の尽力によって、王城は呆気なく陥落。その後、民衆に見せるような処刑ではなくひっそりと王城内で執行された。そして、民衆の代表者数名でそれを確認し、埋葬したそうだよ」
「そうでしたか…………お詳しいですね」

 モルタール王国ですら、処刑されたという情報しかまだ得ていないのに、とても詳しく把握している。それに、ミーナの訪問の文だけでこちらの内情をも掌握していた。

「この国は立地も悪く、冬は閉鎖的になるからね。情報が命の要なんだ。だから、あらゆる手は尽くしているんだよ。その情報のおかげで、お嬢さんが提案したいこともなんとなくは分かるよ」
「……………………」
「そう怖い顔をしないで」
「今は黒蝶騎士団や民衆が守っていますが、長くは持ちません。いずれオッズライルの兵力でティアブール国は国として存続できなくなるでしょう。オッズライルに統治されれば、必ずロックフェルト国に進軍します」

 ネロが目を細め、強い口調で 脅しかい? と聞いてきた。それに首を振り、しっかりと目を向ける。

「近い未来です。私はその未来を変えたいのです」
「オッズライルを滅ぼすか?」
「いえ。三国和平同盟を結びます」
「滅ぼした方が楽だろうに」

 その通りだ。きっとオッズライルの領主ボードン伯爵は簡単に同盟を受け入れないだろう。しかし……。

「人を殺めることは………………もうしたくないのです」
「あれだけうちの兵を殺しておいて、どの口が。一度、血塗れた手は元には戻らない。そうやって交渉中に寝首を掻かれては堪らないな」

 ビクンと隣から強い怒りを感じ、フロストの手を握る。強く強く握り、大丈夫だと今度はこちらから思いを流す。
 しかし、怒りを感じていたのはフロストだけではなかったらしい。

「ネロ代表。確かにマリアは多くの人を殺めてきました。しかし、それを本当に若き乙女が望んでの行為だとお思いですか?」
「イザベラ、私は大丈夫です。真実ですから」
「いいえ! ダメです!! 私はたった一人の妹を侮辱する言葉は許せません!!」

 ボタボタと涙を流し始めたイザベラに、アランがそっと抱きしめる。

「俺からも撤回を求める。義妹は自らを守るために戦っていた」

 まさか、アランからもそのような言葉を貰えるとは思っていなかった。うっかり落としそうになった涙を瞬きで抑え、グッと顔を上げる。

「私は戦場で多くの命を奪いました。努力してはいたけれど、女子供や老人もいました。私はもう一人も殺したくない。殺す世界を終わらせたい。全ての人が幸せを共有できる世界をつくりたいのです!」
「……容易ではない」
「はい。でもやってみないと分かりません」

 ネロの青い瞳がジッと心の底を覗くように見つめてくる。その刺すような瞳から逃げずに見つめ返す。
 無言の空間に心臓の音だけが聞こえるようだった。
 もし、ロックフェルト国の協力を仰げなかったら? そうしたら、フロストと二人で乗り込むしかないだろう。
 オッズライルの兵力を確認し、黒蝶騎士団と合流すれば……。
 頭の中で最悪の事態を計算し始めると、ネロは深い溜め息を吐いた。

「ふぅーーーー。試すようなことを言って済まなかったね」
「え?」
「ロックフェルト国は、マリア・ド・メディシス王女を支援する」
「ほ、本当ですか!? 同盟して下さると!!」

 ガタンと椅子から立ち上がり叫ぶと、ネロは困った子を見るように眉尻を下げた。

「あぁ。うちの精鋭達の集まるバジー兵団をつける」
「そこまで……!」
「いや、これは実は既に決まっていたことなんだよ。ミーナの文をイクルから見せて貰った後、すぐ副代表達を招集してね。状況を聞いたら、各所でティアブール国から亡命してくる人で溢れ始めていたんだ。だがこの国は豊かではないからね。もう既に受け入れが限界だ。彼らがティアブール国に戻ってくれるなら、戦争が終わり流通ができたら……我々は豊かになりたいわけじゃない。ただ、もう少しだけ安全に不安なく過ごしたい。その為なら、協力を惜しまない」

 ポタポタと大粒の涙が溢れ出る。止められないそれを拭くこともせずに、頭を下げた。

「ありがとうございます…………」

 その時、至極冷たい声が横から発せられた。

「――意向は決まっていたのに、なぜマリアを試した?」

 凍るようなフロストの声色に、ネロの表情が固くなる。

「意向は決まっていたが、最終決定は私に任されているんだ。マリアがどんな娘かも分からず、その提案を受け入れることは国を代表する者としてできない。理解してくれ」

 当然だろう。何度もロックフェルト国と戦場で刃を交えたのだ。今ここで復讐のために首を斬られても、文句は言えないような立場だ。

「マリアは戦場で、極力民間人に被害が及ばないようにしてきた。それは自国だけではなく、他国の民も含めてだ。知っていて、血塗れの手は戻らないなんて……」
「悪かった。ティアブール国に攻める際に、マリアが率いる騎士団以外は……」

 父である王は、自国の民を保護せよとは口では言いつつ、実際に動く戦況は勝てば良いと思っていたのだ。
 なので、他の騎士団は容赦がなく、無駄な死が多かったと聞いている。きっと酷い有様だったのだろう。
 私がいくら民の命を優先させていようと、他国からみれば酷い騎士と変わらない。

「だが!!」
「フロスト。大丈夫です」
「マリア……。だが、そうやって代表が言うように、マリアをよく思っていない奴もいるはずだ。兵団をつけてくれるのはありがたいが」

 辛そうなフロストの指先を摩る。微かに震えているのは怒りからだろうか。

「それは大丈夫だ。バジー兵団の団長は私の旦那。そして、兵団はかつてマリアと刃を交えているんだが、その際にマリアが無駄死にをしないために引けと何度も叫んで戦闘の中止を訴えていたことを知っている奴らだ」

 ふと、タルタロスに幽閉される前にそんなことを戦場で何度も叫んだことを思い出した。どの戦場で交えた人かは分からないけれど、過去の自身の行動が今に繋がっていることに少しだけ誇らしい気持ちになった。

「確かに、親兄弟を亡くした者も多い。今すぐに心のわだかまりを取り去ることは難しいかもしれない。だが、これからのロックフェルト国を考え、和平同盟は必須。協力は惜しまない。少しずつ、時間をかけて良好な関係になることを願っているよ」

 ネロはふんわりと笑みを浮かべた。その笑みは優しい母の温もりのようで、なぜネロがこの国の代表になったのか理解できた。
 頭を下げると、ネロは立ち上がり頬に手を添えられた。

「さぁ、頭を上げて。出立準備は指示してあるから、明日早朝には出られるだろう。まだ緊張が続くんだ。今日だけはもうゆっくりと休むといい」

 涙を指先で拭われ、また涙が溢れてきた。強くなければいけないのに、他国の代表の前で泣くなんて弱みをみせてはいけないのに……。
 ただ、ずっと止まらない涙を流し続けてしまった。
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