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第一話 ファーストペンギン
しおりを挟む不幸とは、積み重なった知恵の壇上で、踊っているものである。
騒音とタバコの匂いに溢れた、欲の渦巻く、醜く小汚い場所。あくまで小汚いとはイメージの話で、室内は随分と綺麗に清掃されているが。しかしその空気の淀み具合と、不快感を及ぼす飛び交う舌打ちは、清掃でどうこうすることは出来ないだろう。
外に出れば、無駄に大きな建物であると分かる。壁についたこれまた無駄に大きいモニターに写る文字は、目の奥でチカチカ点滅する。
その建物を背にして、ポツンと立っている少女が居る。
胸下まである美しい黒髪を風に靡かせ、伏せ目がちな瞼の下の瞳は、オニキスを思わせる澄んだ黒色。瞬きをすれば、長い睫毛がふわりと揺れた。
纏った黒いワンピースは細かい装飾が施されている。中でも目を引くのは、至る所に縫い付けられているふりふりのレース。季節に合わぬ長袖の裾から覗く小さな手は、真珠のような白さ。紅が施された唇には、1本の煙草が、含まれていた。先の方から薄灰色の煙が出て、灰が今にも地面に零れようとしている。
少女は、コツン、コツン、と茶色の艶を持った、先が丸く厚底のローファーのつま先で地面を叩き、鳴らした。半分以上燃え尽きた煙草を唇を開いて、落とす。コツン、ともう一度鳴らした後に、地面に落としたそれを、ジャリ、と潰した。
「…帰りの金、ないんだけど。」
この場に相応しくない少女は、これまた相応しくないような薄汚れた革財布を覗き込み、そう呟いた。
彼女のその言葉に返事をするかのように、空からチリン、と音がした。
世の中には、理不尽と呼ばれる出来事が、ちょっと、思ったより、多いな、と思う。
例えば、今みたいに、趣味にお金を費やして、帰るための電車賃が無くなってしまったとか。
これは、自分のお金の管理ができていないとか、パチンコで3万円負けたのが悪いとか、そういう問題では無いのだ。お金が有限なのが悪い。つまり、これ即ち、理不尽であるのだ。少女は、ふ、と息をついた。現実逃避故の苦笑である。
絶賛自業自得故の金欠中のこの少女、名を未莉花という。
未莉花はパチンコが大好きでタバコも大好きな、23歳の清楚系ロリータ少女である。
未莉花がどうしようもない方の趣味を持ってしまった理由については長くなるので割愛しよう。
ロリータコーデを着るようになったきっかけについては、単純にロリータコーデが好きだと言うのもある。別の理由については、昔、友人に話したところ、
「お前…なんか、もう、ほんとどうしようもねえな」
心底引きました、という表情でそう言われた。未莉花にとっては、懐かしい思い出だ。
「どーしたもんかなあ。」
不幸な目にあった、とでも言いたげに唇を尖らせた少女は、意味もなく財布を漁る。そこにあるのは、ぐちゃぐちゃに押し込められたレシートと、とっくの昔にブラックリスト化してしまったカードたちだ。残念ながらこいつらに支払い能力はない。無能である。
「近くにコンビニもないし、金下ろせないし」
少女は、小ぶりな桃色のカバンから、小箱を取り出す。そこから慣れたようにスっと1本の煙草を取り出し、しなやかな指に挟んだ。反対の手でポケットからライターを取り出し、カチッと火をつける。
「歩きたくは無いしなあ…」
真っ赤な口紅の乗った唇でそっと先の方を食む。スっと喉に灰色の煙を通らせれば、吐いた息は哀愁を漂わせる白色に染る。
「うま」
空へと登っていくそれをボーッと見つめ、たまに、灰をトントン、と落として、口に持っていく。それを繰り返して、白い部分がジリジリと灰へと変わっていき、殆どがそうなった頃に、煙草を手放した。
ポトリと床に落ちタレそれを、ジャリ、と、ローファーで潰す。パンパン、と軽く服についてしまった灰を払った。
「ま、いいや、歩くか」
切り替えが早いのは、未莉花の良いところである。未莉花本人にも自負があった。
幸い、家から自宅までは歩いて帰れない距離ではない。近場寄りのパチで良かった、と未莉花は心の中で呟いた。ルートまでは知らないので、スマホを開き、タタタッとここから家までのルートを調べる。マップアプリが言うには、歩けば、大体1時間程度らしい。思ったより長かったので、未莉花はまた口を尖らせた。
まあしょうがない、と腕に引っ掛けていた黒色の日傘を手に持つ。取手をくるりと回し、空へと向けて、開いた。これまたフリフリのレースの装飾がなされた可愛らしいものだ。
涼しかった建物の影から日の照る道に移動すれば一転、体感温度は一気に変化する。最近は電車移動が殆どだったこともあり、秋への節目のこの気温でも、まだまだ暑く感じてしまう。
平日の昼間だからか、住宅街が密集しているこの辺りは、車がたまに通る程度で、人は特に見かけない。
少し歩いただけでも汗が滲み、未莉花は日陰から身体が出ないように徹する。
チリン
後ろから、鈴の音が聞こえた。
自転車のベルの音だろうか。
避けよう。そう思い、後ろを振り返る。
静寂。
視界には自転車どころか、人1人歩いていなかった。
なんだ、いないじゃないか。確かに音はしたんだけど。首をかしげ、未莉花は前に向き直す。
暫く歩いて、またチリン、という音がした。
振り返るが、やはり、誰もいない。
そういえば、この音。
今日、パチ屋の入口あたりでも、聞いたような。
「…何?さっきから。」
さっき、否。良く考えてみれば、この音、さっき所の話では無い気がする。
最近、こんな鈴の音をよく聞いているような、と未莉花はここ数日の出来事に思いを馳せた。
昨日もそう、確か、パチ屋から出た後の事だった。鈴のような音がして、顔を上げたが、誰もいなかったので、気のせいか、と思ったのだ。
一昨日は、ショッピングモールの喫煙室に入ろうとした時。その時は特に気にしなかった。誰かがつけてるキーホルダーとか、そういう部類の音だろうと思って。でも、その割には、その音がやけに印象に残っている。
その前は、よく覚えていない。でも、これ以外にも、何回かあったような...そんな気がする。
一体なんなんだ、と未莉花は顔を顰める。
『そういえば、何回もこの音聞いてるかもしれない』と気づいたのこそ今だが。
異常だ。勘だが、無視をしてはいけない気がするのだ。女の勘を、侮ってはならない。と、昔友人が言っていた。
何としても正体を掴みたい。未莉花は決意した。今日だけで2回、いや、3回?もこの音を聞いているのだ。ならば、もう一度くらい鳴ったっていいはずだ。次こそは
チリン
次は、思ったより早かった。
バッと後ろを見る。正面、右、左と確認する。奥の方で、青色の軽自動車が通って行った。
それ以外は...何もない。いない。
いないということは、身を隠しているのか。
わざわざ、未莉花の後ろを着いてきて。
まさか。
「ストーカー?」
可能性はある。
なぜなら未莉花には自分が可愛い自覚があったからだ。
キョロキョロと見回すが、やはり、誰もいない。
物凄く、身を隠すのが、上手いストーカーなのかもしれない。もう一度当たり見回し、じりじりと後ろに下がる。
いや、と。
ストーカーがわざわざ自分の場所を知らせるような音を鳴らすのか。と冷静に考える。
存在をアピールするストーカーなぞ、いてたまるか。しかも持ち歩いてるのは鈴。気持ち悪い。
そもそもこんな気づくほどの音がするなにかしらを常に持ち歩いているストーカーってなんだ。未莉花は、頭をフル回転させて考える。
だとしたら、幻聴…いや、それはそれで問題だ。幻聴を聞くほど精神に異常を来した覚えはない。
じゃあ、一体、なんだというのか。
何度も聞くような、おかしな音。
未莉花は、そういう現象を、知らないことは、無かった。
ツー、とこめかみから頬に、汗が一筋伝っていく。
ギュッ、と手を無意識に握る。腕の筋肉が緊張し、強ばる。
つまり、或いは。もしかしたら。
未莉花の足が早まる。
なるべく、早く。家に、帰った方がいい。
チリン
あ、と未莉花の口から音が漏れた。
また、後ろから、音がした。
ゴクリと、喉の奥で音が鳴る。
確認、しないと。
恐る恐る、ゆっくりと、未莉花は振り返る。
今度は、視界の端に、確実に、何かが入った。
目線を、そちらに向ける。
...それは、ブロック塀の上を器用に歩き、
耳を揺らし、
んなあ、と口を開けて鳴く、
白黒の…
「…猫じゃん。」
ど、ど、と鳴っていた心臓が、急激に心拍数を下げる。
チリン、という音を辿るように、視線を少しずらせば、猫の首元に、立派な丸い鈴がついているのを見つけた。猫が顔を動かす度、小さくチリン、チリン、と音を立てている。
「私の周りでチョロチョロしてたの、お前?」
ジト目で猫と目を合わせる。黒ぶちの猫は、こちらをじっと見つめ返したかと思えば、にゃー、とひと鳴きした。そして、来たであろう方向に向かって走り去っていった。すばしこく、猫の姿はすぐに見えなくなった。
「ったく、驚かすなっての。」
音の正体は、猫。
ねこ、猫。猫だった。
「なんだ、...猫か。」
不安になって損した。私の時間を返せ。勿体ない。
ここ数日、猫にストーカーされていました。そしてそれにビビっていました。友人に話したら笑われそうな話だ。
未莉花は、こめかみに皺を寄せ、はあ、と隠す気もない短いため息をついた。スー、と、吐いた分の息を吸い、肺の空気を入れ替える。
先程の動揺なんて嘘かのように、未莉花はスっと背筋を伸ばして、足を前に踏み入れた。
暫くして、場所は見慣れた景色へと変わっていった。あと10分もすれば、未莉花の家も見えてくるだろう。
「あ!口悪いフリフリのねーちゃん!」
そろそろ自分の家の角っちょくらいは見えてきそうだ。そう考えたところで、なんともまあセンスの欠けらも無い呼び名が聞こえてきた。そんな思いを込めて自分も呼び返してやる。
「お、近所のクソガキ」
そこそこ立派な近所の一軒家住んでいる、顔見知りの小学生の男の子。庭で遊んでいるようで、土汚れが見て取れた。
そのクソガキはわかりやすいほど頬をふくらませて、クソガキじゃないもん!とまあなんとも子供らしい反抗的な言葉を吐いた。
あ、そーだ、というようにクソガキは口を開いた。
「ねーちゃん、みかん食べるー?」
「みかん?あるの?」
「そー、ちっちゃいけど」
「ちょーだい」
「はーい、ちょっとまってて」
「手洗ってから持ってきてよー」
未莉花は貰えるものは貰っておく主義である。
庭に面した窓から雑に靴を脱いでそのまま部屋へと入っていった少年は、きっと後から母親に叱られるのだろう。
えーー、と言う声が部屋の奥から聞こえたが、聞かなかったことにする。これでみかんが土汚れていたら返却してやる。と思いながら。
「ねーちゃん!はい!みかん!」
少年は元気よくみかん片手に戻ってきた。かと思えば、そのみかんを、ぽーん、とこちらに向かって投げてきた。
心配ご無用。想定内である。
未莉花は日傘を肩で支え、両手でみかんをキャッチした。
おおー、と少年が軽い拍手をする。
「ばーか!人に向かってものを投げるな!」
「あげたんだもん!」
「それを屁理屈って言うんだよクソガキ」
「そんなこと言ってる姉ちゃんだって、あ」
軽口を叩いていれば、家の奥から女性の声がした。どうやら、少年を呼んでいるようだ。ここからはあまり聞こえないが、少年の表情を見るに、多方母親が彼に声をかけたのだろう。
「げ、ママに呼ばれちゃった。俺行くね。またなー、口めっちゃ悪いねーちゃん!」
「おー、じゃね~、生意気なクソガキ」
ついには、フリフリだとかのロリータ要素まで無くなってしまった。
ので、それ相応の呼び名を返しておく。寧ろ優しい部類だろう。ママ呼びを弄らなかったのだから。
この辺りまで来れば、だいたい未莉花の行動範囲になる。あの少年とは、よく顔を突き合わせる関係だった。彼と最後まで軽口を叩き合うのは、未莉花にとって大体いつもの事だ。
大人に対しての礼儀が全くなってない生意気なガキだが、ま、未莉花が手に握っているものをくれようとしてくれるくらいには、それなりに好かれているらしい。
「みかん、早く食べろよー!!」
遠くから、そんな声が聞こえた。未莉花は、特に振り返らずに、軽く手を振った。
可愛くはないが、多少の可愛げはあるクソガキだ。そう思いながら。
手の中のみかんを見つめる。小ぶりだが、汚れておらず、どうやらちゃんと手を洗ってから持ってきたらしい。
せっかく貰ったし、お腹すいたし、帰りながら食べるか。と、未莉花は日陰の方に寄り、傘を閉じる。左腕にかけて、みかんを両手で持った。
みかんのヘタ部分にプチ、と指を入れる。その瞬間、ぴくり、と未莉花の指が跳ねた。
...ああ、これは。
恐る、恐る。1枚、皮をめくる。剥いた部分をじっと見つめながら。そこで、ピタリ、と未莉花の指が止まった。
「うわ、...やっぱハズレじゃん」
未莉花は思いっきり顔を顰めた。嫌なものを見た、とでも言うように。実際、未莉花にとっては嫌悪感を示してしまうものであった。
ここで言うハズレとは、実がすごく小さかったとか、腐っていたとか、あんまり甘くないやつだったとか、そういうことではない。
みかんの『実』では『無いもの』が、皮の下にあるのだ。
みかんの実の代わりに、みかんの丸みに沿うようにして、小さな何かがいる。虫では無い。それは、オレンジ色をしている。
それがもぞ、と動きだしたのを見て、未莉花はパッと目を逸らした。そして、視界の端の方で、それの様子を伺った。
それは、小人だった。実のような形になるように、体をギュッと縮こまらせた、小人。オレンジ色の肌をして、オレンジ色の髪をして、オレンジ色の瞳をして、白一色のノースリーブワンピースを着た、小人。
小人は、もぞ、と顔だけを動かして、外をボーッと見つめている。
その様子を見て、今のうちに、と未莉花は近くの電柱に音をあまり立てないように近づき、そっと、電柱の傍にみかんを置いた。
小人は、くあ、と大きく欠伸をし、目を擦りながらキョロキョロと辺りを見回す。小人は立ち上がり、腕を伸ばして、えっほ、えっほとみかんの皮を剥き始めた。その小さな身体でうんしょ、うんしょと必死に皮を引っ張り、少しづつ皮を裂いていく。
あれでは、他の実が起きてくるのも時間の問題だ。
未莉花は、くるりと電柱に背を向ける。
「せっかく貰ったのに。」
ボソッっと、小さく呟く。
未莉花は、果汁に濡れることの無かった手で、日傘を手に取った。
未莉花には、昔から、明確に人間では無いナニカが見えた。
そいつらは大抵人の形をしていて、でも、明らかに人間では無い特徴を持っていた。
そいつらは、大きかったり、小さかったり、人間じゃ有り得ない肌の色をしていたり、変なところに変なものが生えていたりしている。
そいつらは、一体や二体、そんなどころでは無く、大量に存在していた。もうどれほど、そんなナニカ達を見てきたか分からない。あまりに多くて、もうどこにだってそいつらはいる気がして、未莉花は随分と昔に、数えるのを辞めた。
実際、それは間違っていなかったように思う。本当に、どこにでもいるのだ。先程のようにみかんの中、カーテンの裏、筆箱の中、図書館、学校、職場。兎にも角にも、ほんとうにどこにでもいる。しかも、同じようなのが何体もいたりする。
あのみかんの実も、同じようなのを何度も見たことがある。冬は特によく見る。こたつでぬくぬくしながら、みかんを食べようと皮を剥いた時、初めて中から小人が出た時の驚きと不快感は忘れられない。
さすがに人型のものを食べようとは思わないし、どうやら未莉花以外には普通のみかんの実に見えるようで、食べないと不思議な目で見られる。だから、ハズレなのだ。
ただ。このナニカ達は、毎回同じ場所という訳でもなく、一日にそう頻繁に見る訳でもない。見ない日ももちろんある。
しかし、未莉花としては、そちらの方が困る。
慣れないのだ。突然、見たこともない人ならざるものが現れる状況に。
突然現れたそいつらに、驚いて、つい、しっかり視認してしまうのだ。
それが、まずい。
なんせ、そいつらとバッチリ目が合ったりすると、そいつらは付きまとってきたり、ちょっかいを出してきたり、最悪の場合襲ってきたりするやつもいる。たまったものじゃない。
そう、どうも、そいつらは普通は人には見えない存在らしい。
自分以外には、見えていないらしいのだ。少なくとも、自分以外にそいつらが見えている誰かに会ったことは無いし、SNS上でも見かけたことは無い。
昔、小さい頃。母に、こういうのがいるのだ、と話したことがある。その時、母は少し動揺したように口を開いた。
「みーちゃんには、妖精さんが見えるのね。」
母の口調は優しかった。
その時、これは母には見えていないものだと、初めて知った。そして、この話は、母にとってはおかしなことなのだと。それも、初めて知った。
つまり。その何かが未莉花に危害を加えようとしてきても、対処できるのは未莉花自身のみである。
一応、そいつらのことは便宜上『精霊』、と呼んでいる。そいつらは、この世界に存在する何かしらの物に則った形をしているので、それらしいかな、と言う未莉花の考えから。
果たして合っているのかは、定かではない。精霊とは会話をしたことがない。聞いたこともない。
とにかく、未莉花にとって、大抵の非現実的な出来事は、大体精霊のせいだった。だから先程の、鈴の音の件も、まさか、と考えたのだ。杞憂だと知って、どれほど安心したか。
ついてくると言うことは、目をつけられたことと同義。目をつけられれば、飽きるのを待つ以外に逃げる方法は無い。
結局、見ないフリ、知らないフリが、自分を守るための唯一の方法だと、この23年間で未莉花は学んだ。
あのみかんの精霊たちが何かをしてきたことはないが、関わらないに越したことはない。だから、見ないようにしたし、置いてきたのだ。
「あっつー...」
額からたらり、と汗が頬を伝って流れてきた。
これは、暑さからの汗である。冷や汗では、断じてない。
未莉花はそれを手で拭い、カバンからゴソゴソと縁にレースのついた、ピンク色の少し生地が薄めのハンカチを取りだした。
額の汗を拭い、汗でベタ、と張り付いた前髪を整え直す。
未莉花は、ハンカチを裏側が表になるように畳んだ。
カバンに再び仕舞おうと、ハンカチと共に手をカバンに入れた瞬間、何かが、未莉花の手に触れた。
カバンに、入れた記憶のないなにかが入っている。小さくて硬くて薄い、何かが。
その触り心地に覚えがあった未莉花は、すぐさまそれをカバンから取り出し、視認した。
「え、あ、500円じゃん!」
触覚が覚えがある、と訴えたそれは、五百円玉であった。
つまるところ、硬貨、お金である。
嘘じゃん、と未莉花は零した。
500円、あれば、電車で、帰れたのに。
どうしてもう家も目の前だという今頃に気づくのか。
信じられない、呆れた、とでもいうように、未莉花は顔を顰める。それは自分に、ではなく、ポケットに入っていた五百円玉に、である。
「ほんとなんで、今日はこんなついてないの、は、あ゛!」
五百円玉を摘んでいた親指と人差し指が滑り、五百円玉が落下していく。そのままコロコロ転がっていき、五百円玉は溝の底へ落ちていった。
急いで伸ばした手は、間に合わず、空中を掴んだ。そのまま、空気を握りつぶした。少なくともそんな気分だった。
「うっそ、はあ?まじ?なんで?」
はあ、と今日何度目かのため息をつく。
ため息をつくと、幸せが逃げていく、と言う友人の言葉が、頭の中で再生された。
幸せならもう逃げてるって、と、頭の中の友人に返答した。
何かと、今日はいいことがない。パチでも3万負けたし。そのせいで電車賃が無くなって歩いて帰ることになったし。猫に脅かされて。貰ったみかんはハズレで。やっと家が見えてきたと思ったらこんなタイミングで500円を見つけて、しかもそれを溝に落とした。なんて日だ。
空を見上げる。嫌になるほどの清々しい青空だ。
電柱かなにか、未莉花に細長い影がかかった。
はあーーー、と大きなため息をついて、とぼとぼと、やっと見えてきた家に足を向ける。
もう寝よう。今日は。起きてたっていいことなんてない。明日の自分に期待しよう。
はあ、とまたため息をついて、俯いたまま足を1歩前に出す。
その瞬間、正面からドン、と何かにぶつかった。感触的に人だと、すぐに分かった。
「あ、うわ、ごめんなさい」
いたた、と1歩下がる。顔から思いっきり衝突してしまったせいで鼻が痛い。
鼻を抑えつつ、顔を上げようとする。
チリン
上げようと、した時。目の前の人物から、鈴のような音がした。
正確には、ほぼ自分の、真上から。
今、音がした。
今日、何度目かの、鈴の音。
それは、今日聞いた複数の鈴の音と、やけに似ている。そう思った。
ひくりと、肩が跳ねる。
み つ み つ つ
声がした。...声、だと思われる。
何を言っているのかは、分からなかった。
その声の主は、声だけでは男か女か分からない。
声に抑揚はなかった。
間が変に空いた、違和感に溢れた曖昧すぎる発声。
いや、それ以上に、おかしいのは。
声が、耳からきこえない。
声が、未莉花の頭の中から聞こえる。
み つ け み つ み
未莉花は顔を上げられなかった。
背中を、ヒヤリとしたものがなぞった。
先程までの暑さが嘘のように、全身に冷気が纏わり着くような感覚。
吸った息は喉を震わせ、上手く身体に取り込めない。
ひゅ、と喉元から音が鳴った。それすら、やってはいけないことの気がして、唇に力を入れる。
全身の筋肉が強ばって、ブルブルと震える。
心臓はドクドクと懸命に音を立てていた。
これは、警鐘だ。
目を、つけられてしまった。
み つ つ つ け
チリン
鈴の音がした。その瞬間、首が、上を向こうとする。え、と未莉花は自分が、見上げようとしていることに驚愕した。
身体中が見るなと訴えているのに、見上げてしまう。見てしまう。そしたら、もう、戻れない。
未莉花は、その黒い目を見開いた。オニキスの瞳を大きくして、視界いっぱいに、それを見た。
その声の主は、真っ白だった。比喩ではない。文字通り、全身、真っ白なのだ。
2mはある身長、服は来ていない。身体に対して大きすぎる手。それ以外は、背から、白い枯れ木のような、枝分かれした何かが2つ、伸びている、くらいだ。
両翼、と言うには、とても空を羽ばたけるようには思えない、お粗末なもの。
見開いた目で、顔を、見る。鼻と耳と、髪は、なかった。目と口は、閉じていた。
...目も、口も、縫い付けられているように、笑顔という表情を作られて、閉じられて、いた。
ニコリと笑って、その上体が、横にゆらゆらと揺れる。首が、かくん、かくんと傾いている。
そいつは、顔の隣までもってきた手に、小さな錆び付いた鈴を持っていた。
チ リ ン
縫い付けられた笑顔が、ギギ、と、深まった気がした。
み つ け た
「あ」
人間じゃない。どう考えても。
「、やばっ」
逃げなきゃ。
そう考える前に、反射的に身体は動いていた。傘を放り投げ、踵を返し、地面を蹴る。
ぺたぺた、と気味の悪い足音が、未莉花の後を着いてきて、近づいてくる。その音は小さくなるどころか、どんどん、大きくなっていく。
み つ けた み つ け た
そう繰り返す不気味な声は、抑揚がないのに、
喜んでいる、ということだけが嫌に分かった。
未莉花は、ギリ、と唇を噛む。プツン、と音がして、口の中に鉄の味が広がった。
やってしまった、見てしまった、知ってしまった!それを、悟られてしまった!
良く考えればおかしかったのだ。
鈴の音は何度も何度も聞いていた。けれど、その中には確実に室内で聞いたものもあった。
果たして、猫が室内まで入ってくるだろうか。
いや、それ以上に。
パチ屋の前。財布を漁っていた時、未莉花が聞いた音は、どこから、聞こえていた?
ずっと、上にいたのだ。
未莉花の上に、ずっと、いた。
どうやったかは知らないが、多分、あの羽で。
どうして、その違和感を感じ取れなかった。
感じ取ろうと、しなかったのか。
目をつけられないように、何も見ないで、知らないフリをしていたのに!
未莉花の息が、どんどん上がっていく。
身長のリーチが大きく、歩幅が全く違うせいで、どんどん距離は縮まっていく。
こんなことなら、普段からもう少し運動をしておくべきだった。
このままだと、追いつかれる。
ああ、もう、誰か、助けてくれ。
「ほんとうに、今日は、ついて、ない!!」
そう言って、地面を蹴って駆ける自分の横を、後ろから男性の乗った自転車が通り過ぎていく。彼はすれ違う瞬間、ちらりと自分の方に目をやって、そのまま走り去って行った。
ああそうだ、見えて、無いのだ。
自分以外は、誰も。
こんなの、...理不尽だ!
「クッッソが、…!」
───世の中には、理不尽と呼ばれる出来事が、多いように感じる。
理不尽とは、何なのかと考えたことがある。
結論は出ていないが、きっとそれは、自分一人で決められるようなことではなくて、かといって、誰かが決められるものでもないのだ。
昔、テレビで南極ペンギンの特集をやっていた。最初に海に飛び込んだペンギンが、シャチに食われて、戻ることのなかった映像。
「可哀想ね」
母がそう言ったのを、どうしてか、今でも鮮明に覚えているのだ。
母が、映像を見てそう言えたのは、母が食べられることが、死ぬ事が恐ろしくて可哀想な事だと、知っているからだ。
そう思える余裕があるのは、こんな目に会うことがない環境にいるからだ。
贅を知っていればいるほど、万を見ていればいるほど、私たちにとっての理不尽とやらは増えていく。
知れば知るほど、余計な理不尽が、私たちの身に、襲ってくるのだ。
今までの人生で、一番の大ピンチ。
こんなホラーな目に合うとは思ってなかった。
死ぬのかな、食われるのかな。あのペンギンみたいに。
未莉花はそんなことを考えながら、恐怖に震える両手にぎゅっと力を込めた。
「こっちです!」
後ろのなにかとは、別の声が聞こえた。思わずそちらを振り向けば、自分に向かって手を振っている誰かがいる。制服だ、恐らく、女子高生。
どうして。
いや、考えている暇なんてない。少しでも希望があるなら縋るしかない。冷や汗が身体中を伝るのを感じながら、未莉花は呼び声の元に足先を向け、ダン、と方向転換し、駆けた。
声の主、少女の元へ何とか向かうと、ギュッと腕を掴まれた。そのまま、少女は路地裏の方へと走り出す。
とつぜん、足音が聞こえなくなった。後ろを恐る恐る振り返る。
そして、え、と未莉花は目を見開いた。
後ろからは化け物が変わらず追ってきている。
ただ、先程とは違う点は。
飛んでいた。浮いた状態で、こちらを追いかけてきている。
こんなの、どうしろって。
絶望を感じていると、化け物と、バチりと目が合った。未莉花の頭の中でまたあの声が響く。未莉花の頭から、ひっ、と声が漏れた。
「大丈夫ですからね!ついてきてください!」
前からはっきりと聞こえた、その少女の言葉に、こくん、と頷いた。未莉花はもう、そうすることしか出来なかった。
チラリ、と前を走る少女が後ろを振り向く。その目線の先には、あの化け物がいるのだろう。
少女は、走りながら、バッ、と片手を横にやる。
「定規!」
突然、目の前の少女が、そう叫んだ。
なんだ、と驚いて少女の方を向く。
定規?と思った直後、少女の手の中から。
細長く薄い、長方形のもの...、定規が、現れた。
「...え?」
そして、少女は、未莉花の手を掴んでる腕とは逆の腕を大きく掲げ、空中に定規を放り投げる。
「トロワ!!!」
少女は、次に、そう叫んだ。
すると、何も無いところから、さらに2つ、定規が出てきた。
と言うより、放り投げた定規から、空中で2つ、分裂して出てきた。そして、その定規は、少女の手の上で、浮遊している。
ぽかん、と未莉花はそれを見つめた。
定規が、浮いている。空中で、3つ。
「ええ、え」
非現実的な出来事に驚いている未莉花を、少女は待ってくれない。
少女は走りながらも後方、化け物の方を向く。
「そーーれーー!!!」
少女が、上げた腕を化け物に向かって勢いよく下ろす。三本の定規が、未莉花の横を通って行く。未莉花の髪がぶわ、と揺れた。
未莉花は、定規を追うように振り向いた。
ト、ト、ト、と綺麗に化け物の身体に定規が刺さった。胸の中心、頭、右足に。化け物はよろめき、地に足を着いて、バランスを保てず右膝から地面へと落ちた。
呻き声が、頭の中で響いた。化け物は、表情こそ笑顔から変わらないものの、苦しそうだ。
少女は、足を止め、未莉花を庇うように化け物の方に向き直った。実際、庇ってくれているのだろう。一歩、二歩。未莉花は後ろへ下がり、化け物と、少女の様子を伺う。
化け物はその場に留まっている。襲おうとしてる意思はよみとれるものの、動きが鈍い。
何か、するつもりなのだろうか。
どうにか、できるのか、これを。
期待と、不安と、恐怖と。いろいろなものが混じった瞳で、未莉花は白髪の少女の後ろ姿を見つめる。
「もう一回、定規!!!」
少女は片手を空に掲げ、掌を大きく広げる。
少女が叫んだと同時に、少女の掌の上にまたしても定規が現れた。
少女は、その定規を上に放り投げる。
「グラン!!」
そう叫んだ瞬間、放り投げた勢いでら空中で回転している定規が伸びた。その大きさは、少女の身長の半分ほどの長さ、横幅も手でギリギリ握れる位だ。
少女は器用に、回転して落ちてきた定規を手中に収め、それを化け物に向け、構える。
まるでそれは、さながらいつかの映画で見た騎士のような風貌で。
少女が駆けて、跳ねた。
化け物を恐れず向かって行くその背は、少女らしいか弱さをまるで感じさせなかった。
「大丈夫ですよ」
跳ねた身体は、化け物の後ろに。化け物が後ろへと意識を向け、顔を動かしたが、少女はもう、その目にしっかりと目標を捉えていた。
「今、切りますから、ね!!!」
少女が持った、まるで剣のように大きな定規が。
剣のように、振り下ろされる。
その剣は、ぐ、と化け物の両翼の根元に喰いこみ、そのまま、ザシュッ、と切り落とした。
少女がトン、と軽い音を立てて地面に着地する。それと同時に、両翼がどさり、と地面に落ちた。その瞬間、ボロボロ、と両翼が黒く変色し、崩れていった。
両翼だけではない。
化け物の身体自体も、黒く変色して、足から、崩れている。足が崩れたことで、化け物の上体がどさ、と地面に倒れる。
不気味な笑顔がこちらに向けられ、未莉花は、思わず1歩後ずさった。
しかし、化け物はピクリとも動くことなく、崩れていく。
最後まで、その不気味な笑顔が変わることは無かった。
身体が消え、頭が消え。
チリン
最後に、錆びついた鈴が、風下で音を立てて、消えた。
跡形もなく、本当に、化け物は消え去った。
未莉花はそれを見て、漸く、自分が助かったのだと、実感が湧いてきた。
消えた。消え、た。
本当に、どうにかなったのだ。
助かった?
「ふうー...…、もう大丈夫ですよ!」
化け物が完全に消えたことを確認して、たったった、と制服姿の少女が未莉花の方に駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?怪我はないですか?」
安堵と、驚愕と、不安と、様々なものに襲われている未莉花は、返事ができず、一先ず、俯いて、息を整える。ふ、と腰が抜けて、ストン、とその場に座り込んだ。服が汚れるとか、もうそんなことを考えられる状態じゃなかった。
大きく、息を吸って、吐いた。やっとまともに酸素が身体中を巡ったような、そんな気がした。
頭がクリアになってきて、今度は様々な疑問が、未莉花の中から湧き出てくる。
この少女は、何者なのだろう。
そもそも、さっきの、あれはなんなのか、あの、突然でてきた定規はなんかのか。
そもそも、少女には、あれが見えているのか。
どうして、見えているのか。
なにを、知っているのか。
そんな疑問たちが心中を埋めつくして。
それを知りたくて、聞きたくて。
未莉花は、顔を上げて、ねえ、と口を開いた。
...つもりだった。
未莉花は少女の顔を見上げる。
ダイヤモンドのような洗練された美しい瞳が、じっ、と未莉花の瞳を覗き込んでいた。
虹彩が光を取り込んで、キラキラと輝いている。
それに、思わず見惚れてしまった。声を出そうと開いた口は、はく、と空気を取り込んだだけで終わった。
「立てますか?」
視界の下で何かが映る。手を差し出されたのだとわかって、ハッと、下に視線をずらした。
半袖から覗いた腕は、まるで、白雪のよう。目前にある掌は、先程まで剣を握っていたとは思えない、まるで汚れを知らない綺麗な肌。
なんて、美しいのだろう。
先程まで、勇敢に戦っていた少女は、こんなにも綺麗だったのだ。
ほぅ、と未莉花は息をつく。
それは、ため息なんかでは無かった。
少しづつ下がっていく太陽が、少女にスポットライトを当てる。
夏の終わりか、秋の始まりか。何かを告げたいのだと、虫のオーケストラが必死に鳴いていた。
しかしそんな演奏は、未莉花の耳には入っていなかった。
否、未莉花の全神経が、目の前の少女注がれていた。
もう一度、惹かれるように、少女の顔を見上げた。
まるで雪のような、透き通る白い髪が、風に乗って揺れている。
全てのパーツが奇跡的なバランスを保っており、所謂美少女と言える部類の顔。美しい白銀の瞳を隠すように瞼を閉じれば、透き通るまつ毛が日に当たって、キラキラと星屑を落とす。
薄い桃色の唇は、きっと何も施されていないし、何も知らないであろう無垢なもの。
身体の内側からふわりと浮いたような感覚。胸の奥で、じじ、と音を立てて火がついた。じわりじわりと、ぶわりと血液中に熱が広がっていって、熱い、熱い。
はっきり言おう。ドタイプだった。
未莉花は、清純でかわいい女の子が大好きだった。
「?あの...、」
何も言わず、じっと見つめるだけの未莉花を見て、少女は首を傾げた。コテン、と可愛らしい音でもなりそうな。少なくとも未莉花の耳にはその音が届いていた。
あっ。かわいい。
未莉花は地面に手をつき、腰が抜けていたのが嘘のようにスクっと立ち上がった。少女はそれにびっくりしたように、わ、と声を零し、1歩下がる。
少女に向けて、今度こそ、未莉花は口を開いた。
「ね、名前は?」
しかしもう、先程の未莉花が聞きたかったことは、未莉花の中で、別の疑問と完全にすり替わっていた。
未莉花の良いところは、切り替えが早いところだ。
そして 未莉花の悪い所は、切り替えが早すぎるところだった。
「えっ?と、がっ、...あ、名前。えっと、レコールっていいます。」
「じゃあレコちゃんって呼んでもいい?レコちゃんさ、この後って空いてる?」
「この後?」
なんのことだろう、とオロオロ、としている少女は、本当に愛らしくて、とくとくと心拍数が上がっていくのを感じた。
心臓の音が、この熱が、少女に届いてしまうのではないかと思ってしまう。未莉花は頬を染め、目を細める。そして、うっとりと笑った。
この出会いのために、自分は今日、理不尽な目にあったのではなかろうか。ふと、そう思った。
新しく知ることは、新しい不幸を産む。未莉花はそう考えてきた。
私たちは、不幸な者を、可哀想だと思う。
知っているから、そう思う。
シャチに食われたペンギンは、不幸で理不尽な目にあっていて、可哀想なのだ。
だが、勇気を持って、自ら天敵の居るやも分からぬ海へ飛び込んだペンギン自身は。果たしてそれを理不尽だと思っていたのか。
確かに、未莉花自身から見ても、ペンギンも、未莉花も可哀想だ。
未莉花もペンギンも、好きでそんな目にあった訳じゃない。
でも、終わり良ければ全てよし、とまでは言わないが、最終的に自分にいい事が返ってきたなら、それはそれで、自分にとっては、その不幸も。悪くは無いのかも、しれない。
自ら飛び込んだペンギンと、自らの意思と関係なく襲われた未莉花。立場は、違えど。未莉花は、そう思う。
ペンギンは、仲間を危険な目に合わせないために。真っ先に海へと飛び込んだ。そして自分が食われたことで、仲間たちはその海には飛び込まなかった。
それは、ペンギンにとっての、不幸を代償とした良い事だったんじゃないだろうか。
本当のところは、そのペンギンにしか分からないけど。
不幸も理不尽も、全部が全部、悪いわけじゃないのかもしれない。
未莉花は少なくとも、今この時、良い事を得た。
そして、そのおかげで、未莉花は精霊が見えることが、初めて悪くないかも、と思う事ができた。
大きな不幸が運んでくれた、その良い事を。逃がさないために。
未莉花は、少し色が擦れ、血の滲んだ唇で、言葉を続けた。
「私と、カフェでお茶しない?ご馳走するから、ね?」
艶のかかった美しい黒髪を揺らし、真珠のような肌を薄い紅に染め、ふわりと花の綻ぶ笑顔で。
成人女性未莉花は、女子高校生にナンパした。
この出会いの壇上で、不幸が起こるというのであれば。喜んで、その上で踊り狂ってやろう。
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