猫と嫁入り

三石一枚

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十二話

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  立花麗かは考える。自分にとっての幸せを。

重すぎる着物も、地べたにつきそうなほど長い袴も、見せつけるように飾った簪も化粧も解いた私は、今はぬるま湯にどっぷりとその身を浸からせていた。私を中心に弧を描く、流麗な波紋で遊ぶ。
  風呂釜になみなみ注がれたお湯の中で凝り固まった身体を休ませる。肩から足の指先までを体温より暖かい水に包まれる感触をゆっくりと肌に馴染ませた。波打つ流動が心地よく身体の節々を震わせる。その感覚がたまらなく好きだった。

  深く息を吐きながら、お湯の中で身体をゆっくりと伸ばす。着飾った日は決まって身体の節々が悲鳴をあげる。肩が肘が指が足先が、様々な箇所から空気の爆ぜる音が響いた。ぱきぽきと。
  これだから私は着飾る用の衣装は好きではない。堅苦しくて窮屈な上に普通のものと比べて重いのだ。
  ただでさえ立ち振る舞いからして顰めつらしいというのに、その上あの装束ものなのだからやり辛いに決まってる。
  同伴はいいとしてもあればかり着付けせなばならないのは勘弁して欲しい迄ある。ただでさえ週一の頻度で会うにも関わらず、未だに慣れてない私も私だろうけれど。

「デート。楽しかったな」

  ふやけた手のひらにすら未だに残る感触。それは、母の手のひらと比べてもたくましく、父の振るわれる手のひらと比べても随分と優しい不思議なものだった。感じた事がない、と言ってしまえば大袈裟かもしれないが、触れた瞬間の感情と言うべき起伏は、言葉にしようにも口元でつまづいてしまう。
  変に意識的になってしまっている。普段の私なら、風呂釜に浸かる今頃はぶー垂れてる頃合なはずだった。腹の底に積もるような不満をブツブツと波紋が連なるように幾重も繰り返しているはずなのだが、今日ばかりはそんな気にはなれやしなかった。
  あれが未来の旦那か。いつしか、私が結ばれる相手。苦難を共にして、その生涯を共にする相棒。彼と同じ家に住み、同じ屋根の下で生活を営む。子が出来れば私も一人の母親になる。子は何人できるだろうか。そもそも私はできる体質なのだろうか。現代の風潮を考えても、産めぬ身体であったなら結納もなくなってしまうのだろうか。
  
  一緒に練り歩く事で気づいたのが、彼の持つ根からの優しさのようなものだった。勿論、私たちの間柄、粗暴はできないのだろうけれど、それを抜きにしてもどこか好意を感じられる姿勢があった。
  ある程度、人というのは嫌々というのは少なからず表に出てくるものだ。私が父に叩かれたのも、そのボロが出てしまったためであるし、これは直そうにも根本的な嫌悪を直さぬ限りはどうにも出来やしない。性質みたいなものだから。
  それなのに、今日接した私自身が彼の翳りを見つけることができなかったばかりか、言動や彼の昂り方は真の意味でこの会合を楽しみにしていたことが伺えた。裏表がない。そんな態度が、私には嬉しくて、喜ばしくて、申し訳なくて。
  彼は、真の意味で私の事を慕ってくれているのかもしれない。私がむざむざと縛られた環境に呪言を飛ばす中、あの人は私なんかを相手にして、ああまで努めてくれたわけだ。慕ってくれてる事実がその通りだったとしても、本当に器量の大きさが段違いだ。私なんかと比べ物にならない。

  もしかすれば、本当に私に対して恋情を持っていてくれてるのかもしれない。
  私と共にあることが幸せになり得るものだったとするならば、彼の中での幸福は完遂する。さすがにそう考えると自己愛が強すぎるように映ってしまうかもしれないが、あくまで、仮説として彼になりきったとしてだ。
  
  幸せ・・・か。
  許嫁の契約が結ばれたあたりから、私も少なからずともその定義は視野に入れることが多くなった。
  立花家にいては私の幸せにならない障壁ばかりであると気づいたからである。事ある毎に重ねられる決めつけや、今で言うなら鳥かごに仕舞われるかのような縛り。突如として決められた許嫁の件もそうだが、この家はきっと娘の人生はあくまで立花の栄華の下に埋めるものと思っている。家に咲かせるでかい花の栄養になれということか。冗談じゃない。桜の木を樹立させる土になれとでも言うのか。
  その点があるからこそ、私はこの婚約も納得しきれていない。向こう側には悪いのだけれど、気が乗らないのが正直なところだ。
  そんな自分を胸中で抱いているからこそ、彼の奮励に触れると良心が痛む。それこそ良心の呵責というか、無駄な事で相手側を無為にするようであったなら、きっと彼の横にいるべき人は私なんかじゃない。それ相応で対応するのが礼儀であるのに。一人だけ冷めて詰めて弱音を吐いて、何がしたいんだか私は。

  ふと、おばさんの言葉を思い出す。
  花道の兄さんのためにも幸せに暮らせ・・・か。
  
  私にとっての幸せとは一体何なのだろう。
  思えば私は、押し付けられるものを拒みはすれど、明確に何がいいのかを言わずにただ反発してきた。
  反発はするくせに、守るべきものは空っぽなままだった。詰まるところ、私は、自身にとっての幸せというものを明確に掴めずにいた。
  自由になる事が私の幸せなのだろうか。立花家から抜け出すのが幸せなのだろうか。契約が破棄されることが幸せなのだろうか。
  一体、何が私の幸せなのだろう。
  おばさんの言っていた『幸せ』というものは、きっと結納した後の生活のことを言っていたのだろう。大人の言う意見、もとい子に思う幸せは、結婚後にあるものと考えてあるらしい。こればかりは、おばさんはおろか我が母も言っていたのだから、確証は十分だろう。
  正直、私の思う理想は漠然としすぎていて、何がこうだとはっきり示せずにある。自分の芯すらしっかりと立ってないのに跳ねっ返りだけする様はあまりに筋が通らない。
  
  きっとこの無情に心に収まらない感情は、立花家への恨みに加えて、これから変わるであろう環境の変化に対する恐怖の表れなのだろう。
  父母への恨みは今に始まったことではないが、ともかく、籍を入れてしまえば、今のような生活とはおさらばする事になる。
  勿論それがいい方向に向かうとも限らない。相手方が今こそあれだけ優しく映ってるかもしれないが、くっついた途端に人が変わるかもしれない。さも狐のように。
  そんな根拠もない妄想が決断を鈍らせる。私自身、割り切るしかないと分かっていながらも。

「・・・さっぱり分からん」

  何が正解で、何が不正解なのか不明瞭だ。
  そもそも、私なんかが幸せになっていいのだろうか。私のせいで彼がそうなっているのなら、今の花道の兄さんがあるのなら、きっと私には幸福を求める価値も権利もない。おばさんが聞けば、それこそ無駄な罪悪感だと思われるだろう。おばさん自体も、私には幸せに暮らしてと言ってくれたのだ。あのあの温かさをまるで無為にする考えに近い。

  その言葉の通り受け取るとするならば、私が取るべき答えはひとつだ。今ある契約を、今までのように訝しむのではなく、前向きに捉えることだ。
  立花家の意向に添う形になってしまうのがなんとも腹立たしい限りだが、しかし、私一人の思考のみで事の動向が変えられないのも事実。一人醜く暴れようと何ひとつと変わりはしない。
  随分と諦観を踏んだ考えになったけれど、それでも幾分か気持ち的にはマシだ。どうにもならないものをひしゃげたように考えるよりかは、受け入れた後でどうしようかと悩んだ方が、まだ気持ちの交差が起きなくて済む。
  何より、少しばかりの茨を踏んでいく方が、わたし的には花道の兄さんあての贖罪になれる気がした。
  収まるべきところに収まってみることも重要なのかもしれない。前向きに・・・ひたむきに。その中で私の中の真の意味での幸せを探すのもいいのかもしれない。

  立花麗かは考える。自分に起きる仕合せを。
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